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京成松戸線が誕生 京成・イオン提携で活性化も期待 「新京成線」全踏破後編

沿線の田園地帯を走る新京成の電車

京成電鉄は東京・上野と成田空港とを結ぶ路線で、昨今は多くの訪日外国人観光客も利用しています。京成グループには、京成電鉄のほか新京成電鉄(新京成)・関東鉄道・小湊鉄道といった系列の鉄道会社があります。

新京成電鉄は千葉県の松戸市に所在する松戸駅と習志野市に所在する京成津田沼駅とを結ぶ約26.5kmの路線です。このほど新京成は2025年4月から親会社の京成電鉄に統合されて、京成松戸線へと改称されることが決まりました。前編では、松戸駅から新鎌ヶ谷駅まで歩きました。後編では新鎌ヶ谷駅から京成津田沼駅までを歩きます。

新京成の路線図(出典:新京成電鉄公式サイト)

新しい駅ながらにぎわいがある新鎌ヶ谷駅

新鎌ヶ谷駅は新京成線のほか北総鉄道と東武鉄道野田線が乗り入れています。新鎌ヶ谷駅は駅名に「新」を冠するだけあって、1991年に開業した新しい駅です。しかし、1991年に駅を開設したのは北総開発鉄道(現・北総鉄道)だけで、新京成の新鎌ヶ谷駅は翌1992年、東武野田線はさらに遅れて1999年にようやく駅を開設しています。

それまで鎌ヶ谷市の玄関を担ったのは東武野田線の鎌ヶ谷駅で、こちらは1923年に開業しています。歴史的に見ると、鎌ヶ谷駅は新鎌ヶ谷駅よりも大先輩です。

しかし、新鎌ヶ谷駅に3線が乗り入れていることもあり、周辺には大型商業施設が立ち並び、利用者や街のにぎわいは鎌ヶ谷駅を圧倒しています。また、新鎌ヶ谷駅から徒歩数分の距離には庁舎も立地しているので、新鎌ヶ谷駅は鎌ヶ谷市の政治・経済の中心になっています。

新鎌ヶ谷駅は新京成のほか北総鉄道と東武鉄道の駅があるため、駅前は多くの人たちが行き交う
新鎌ヶ谷駅の南側には市庁舎が立地

鎌ヶ谷市には東経140度子午線が通っています。日本の標準時は兵庫県明石市の東経135度線となっていますが、鎌ヶ谷市は東経140度の都市であることを積極的にPRしています。

2012年には、新鎌ヶ谷駅の駅前広場には地面に東経140度を表示するグリーンのラインが引かれました。鎌ヶ谷市内には、駅前広場のほか5カ所に東経140度を示すラインが引かれているようです。

鎌ヶ谷市は東経140度の都市。新鎌ヶ谷駅の駅前広場には、子午線がペイントされている

3線が交差する新鎌ヶ谷駅を抜けて、新京成線の高架線沿いを歩きます。高架線の側道は歩行者・自転車の専用道になっているので自動車は走行できません。しかし、新京成と並行するように県道8号線も南北に走っています。県道8号線は国道464号線との重複区間です。

そのロードサイドを見ると、いかにも郊外といった雰囲気で全国チェーンのファミレスやファーストフード店が並んでいます。

にぎやかなロードサイドを眺めながら歩くと初富駅に到着。同駅は2019年に高架化工事を終えましたが、引き続き駅前広場を造成中となっています。そのため、現在は駅前に自動車で乗り付けることができなくなっています。

初富駅は駅前を造成中

その次の鎌ヶ谷大仏駅までは側道がないので、線路に沿って歩くことができません。鎌ヶ谷大仏駅は駅に併設して小さなバスターミナルがありますが、前編でも触れたように新京成らしい操車場(所)のような佇まいを漂わせるバスターミナルです。

鎌ヶ谷大仏駅は小さなバスターミナルを併設

鎌ヶ谷大仏駅は駅名の通り、鎌ヶ谷大仏の最寄駅です。駅から徒歩1分の場所に鎌ヶ谷大仏は鎮座していますが、鎌倉や奈良の大仏を想像していると見逃してしまうぐらい小さな大仏です。

鎌ヶ谷大仏は高さが約1.8m

鎌ヶ谷大仏を一目見てから再び線路沿いを歩こうとしますが、鎌ヶ谷大仏駅から線路沿いには道路がなく、再び線路から少し離れた道を歩いていかなければなりません。

高根台団地の設計は映画にもなった建築家

次の二和向台駅から船橋市に入ります。二和向台駅は小さな駅ビルがあるものの、周囲は閑静な住宅街という雰囲気です。また、新京成の変電所がありますが、特に見どころという施設でもありません。

次の三咲駅へ向かう側道もありません。三咲駅も駅前広場にバスターミナルが併設されていますが、こちらのバスターミナルも操車場(所)といった趣が強くなっています。

こぢんまりとしたバスターミナルが整備されている三咲駅

依然として駅周辺は住宅街といった雰囲気の街並みですが、このあたりから梨園という看板がちらほら目にするようになりました。

梨は船橋の特産品のひとつですが、船橋と梨を結びつけて全国区に押し上げたのは船橋市の非公認ゆるキャラ“ふなっしー”であることは論をまちません。そんな梨園が広がる景色を見ると、船橋市は梨生産が盛んな土地であることを実感させられます。

新京成の沿線、特に船橋市域には梨園があちこちに点在

そうした梨園を見ながら歩いていくと、滝不動駅に到着。滝不動駅の周辺も閑静な住宅街という風景が広がります。その次の高根公団駅南口側はこぢんまりとしていますが、北口側はバスロータリーが整備されていて、駅前には複合商業施設があるので平日でも多くの人出でにぎわっています。

駅名にもなっている高根公団は日本住宅公団(現・都市再生機構)が建設した高根台団地のことを指しています。高根台団地は1961年から入居を開始しましたが、入居開始前は周辺が農村然としていたこともあり、通勤には不向きな地域との評判が立ちました。そのため、陸の孤島とも揶揄されていたのです。

しかし、入居開始年と同じ年に新京成が高根公団駅を開業。同駅の開業によって通勤の便は飛躍的に向上し、それが船橋市で一番住みたい街を押し上げることにもなりました。

高根公団駅は高根台団地の最寄駅として整備された

そうした交通の便だけではなく、高根台団地が人気の団地になった理由はほかにもあります。それが自然地形を十二分に活かした住棟の配置です。

高根台団地を設計したのは東京大学で建築家の丹下健三に学び、アントニン・レーモンドや坂倉準三の事務所で修行した津端修一です。津端はその後に日本住宅公団に勤務して団地の設計を手掛けるようになります。

東京の多摩ニュータウンと大阪の千里ニュータウンと並ぶ名古屋圏のニュータウンである高蔵寺ニュータウンは、津端によって設計されています。高蔵寺ニュータウンを設計したことで津端の評判は広まり、各地の団地を手掛けることになりました。

業界内では知る人ぞ知る有名人でしたが、津端の知名度が一般的に広まっていくのは2017年に公開されたドキュメンタリー映画「人生フルーツ」がきっかけです。津端夫妻の晩年を描いた同作は文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞を受賞しています。

そんな団地の名手でもある津端が設計した高根台団地は大部分が建て替えられていますが、一部の住棟は現存しています。

高根公団駅から線路沿いを歩くと高根木戸駅に到着。こちらにも駅に隣接してイオンがあり、いかにも郊外といった雰囲気を漂わせています。

開業時の新京成線は新津田沼~薬園台だった

その次の北習志野駅は、東葉高速鉄道との乗換駅です。東葉高速鉄道は営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線を千葉県八千代市の勝田台駅まで延伸する構想から設立された第3セクターの鉄道会社です。船橋市の西船橋駅から八千代市の東葉勝田台駅を結び、東西線と相互乗り入れしている路線のため、沿線は東京のベッドタウンになることが想定されていました。

東葉高速鉄道は地下を走っていますが、新京成は地上を走っているので新京成の駅舎は大きく、歩行者デッキで周辺のビルとも接続しています。

東葉高速鉄道と乗り換えができる北習志野駅。東葉高速鉄道は東京メトロと直通運転をしているので、東京都心部までの通勤路線としても利用されている

船橋市に隣接して習志野市という自治体もあるので、同駅は習志野市に所在していると勘違いしそうですが、同駅は船橋市にあります。もともと習志野という地名は、船橋市・習志野市・八千代市などに広がる大和田原という平原でした。

その一帯が軍事演習の場として利用されることになり、習志野原と命名されます。そうした経緯から、船橋にも習志野という地名が残り、北習志野駅も船橋市に所在しているのです。

次の習志野駅も船橋市に立地しています。北習志野駅と比べると、同駅はこぢんまりとしていて歩いていても気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さな駅です。特に利用者も多いわけではなく、駅周辺は、徒歩20分弱の場所に陸上自衛隊習志野駐屯地がある程度で、基本的には住宅街です。

次の薬園台駅は1948年に開業した駅ですが、開業時は終着駅でした。前編でも触れましたが、新京成線は戦前期に鉄道連隊の演習線として利用されました。戦後、それが旅客転用されるわけですが、当初から京成津田沼駅-松戸駅間を走っていたわけではありません。開業時の新京成線は、新津田沼駅-薬園台駅の短い鉄道路線としてスタートしたのです。

その後、歳月の経過とともに新津田沼駅も薬園台駅も位置を変えます。薬園台駅は2000年に駅舎を建て替えるために松戸駅寄りに約100m移動。その際に、薬園台駅は3階建ての駅ビルが建設されました。

薬園台駅の駅ビルはJR各駅の駅ビルと比較すると小規模ですが、新京成の駅舎ではそれなりの規模に感じます。また、駅周辺も薬園台駅から都市の風景へと移り変わっていきます。

薬園台駅は小さいながらも駅ビルが立っている

高根公団駅から高根木戸駅、そして北習志野駅、習志野駅、さらに薬園台駅まではすべて駅間が1km未満です。路面電車なら、このぐらい短い間隔で駅(停留場)が設置されることは珍しくありません。しかし、新京成は純然たる鉄道路線です。

近年、地方のローカル線では利用者が高齢者中心になっていることを考慮して、駅を細かく開設する傾向が見られます。これは細かく駅を設置することで駅間を短くし、沿線住民が日常的に利用できるように工夫しています。

新京成線は新しく駅を設置して駅間を短くしたわけではなく、半世紀以上も前から細かく駅を設置していました。スピードが求められていた高度経済成長期は、駅が多くて所要時間がかかるのでもどかしさを感じさせたかもしれません。時代が巡って、それが新京成のウリにもなっています。

薬園台駅から線路沿いを歩いて次の前原駅を目指しますが、途中から線路沿いを歩けなくなり、仕方なく国道296号線から前原駅を目指します。前原駅も住宅街然とした立地なので、いたって駅周辺は平凡な街並みです。

前原駅を過ぎると新京成の線路は国道296号線と交差します。このあたりから、コンビニやファミレスといったチェーン系の商業店舗に津田沼と付く店名が目立ってきます。しかし、このあたりは船橋市で、津田沼は習志野市の地名です。

そんなことを気にしながら歩いていくと、津田沼駅周辺に立地する大型商業施設群が視界の遠くに入ってきます。

大型商業施設の撤退と新規出店が繰り返された津田沼

津田沼には、JRと新京成が近接して別々の駅を構えています。鉄道だけを見れば津田沼はそれほど多くの路線が走っているわけではなく、鉄道の要衝地ではありません。

しかし、1970代に多く大型商業施設が津田沼駅・新津田沼駅周辺に出店。最盛期には西友・パルコ・丸井・高島屋・ダイエー・イトーヨーカドー・長崎屋などといった大手流通業界の店舗が覇権を争う地となったのです。その様相は津田沼戦争と形容され、激しく火花を散らした大型商業施設のバトルは戦国時代さながらの生き残りをかけた商戦が繰り広げられました。

こうした戦いの末、大型商業施設は撤退と新規出店を繰り返されていきます。しかし、津田沼戦争の生き残りでもあったイトーヨーカドー津田沼店が2024年9月に閉店。これは親会社のセブン&アイ・ホールディングスの方針です。そうした興亡盛衰はありますが、現在も駅周辺には多くの大型商業施設が営業しています。

9月に閉店した新津田沼駅に隣接するイトーヨーカドー津田沼店。今後イオンと京成が、跡地を含む周辺地域を共同で開発する予定

新津田沼駅を出た新京成の電車はそのまま地上を走っていきます。ここまで複線だった新京成ですが、ここから京成津田沼駅までの一駅区間だけが単線になります。単線区間の大半は高架や堀割を走っているので、線路沿いを歩くことはできません。

終点の京成津田沼駅へと到達するにはJR総武線の線路を跨線橋で越えなければなりませんが、その前に新京成とJR総武線の線路の間にある津田沼一丁目公園に寄り道してみましょう。

津田沼一丁目公園には、前編でも触れた鉄道連隊が使用していたK2形と呼ばれる小型の蒸気機関車(SL)が保存・展示されています。

津田沼一丁目公園は元千葉工業大学のキャンパス地。鉄道連隊で活躍したSLが園内で保存・展示されている

終戦後、このSLは西武鉄道が埼玉県所沢市で運営していたユネスコ村に引き取られて保存・展示されました。1990年にユネスコ村が閉園し、1993年にはユネスコ村大恐竜探検館としてリニューアルオープンを果たしますが、SLは1994年に鉄道連隊と縁が深い同公園へと舞い戻ることになったのです。

そんな新京成の昔を偲ぶような公園を後にしてJR総武線の跨線橋を渡り、千葉工業大学津田沼キャンパスの脇道を南へと歩いていくと京成本線を跨ぎます。京成本線の線路に沿って坂道を下っていくと京成津田沼駅に到着です。同駅は新京成と京成電鉄が接続。新京成と京成千葉線は昼間帯のみ直通運転をしているので、千葉方面には乗り換えなしで移動することができます。

京成津田沼駅周辺は津田沼駅と比べると商業施設は少ないが、習志野市役所の最寄駅のため習志野市にとって重要な駅となっている
京成津田沼駅を出発する京成の電車

こうした事情もあり、京成津田沼駅の西側にある踏切は朝夕の時間帯に開かずの踏切と化します。そのため、京成電鉄は朝夕のラッシュ時は駅構内の自由通路を使うことを歩行者に呼びかけています。

京成津田沼駅の南口には、大きめのバスターミナルがあります。新京成のバスターミナルは、これまでにも触れてきたように松戸駅も含めて操車場(所)といった趣が強かったのですが、京成津田沼駅のバスターミナルは操車場(所)といった雰囲気はありません。

京成とイオンの提携で期待される沿線活性化

新京成線が2025年4月に京成松戸線へと改称することが決まったことを受けて、今回は松戸駅から京成津田沼駅までの全区間を歩きました。新京成線が京成松戸線に改称されても、運賃はこれまでと変わりません。そのため、京成・新京成が統合しても大きな変化は生まれにくいかもしれません。また、利用者が松戸線になるメリットを感じることもなさそうです。

しかし、松戸駅や新津田沼駅といったJR線との乗換駅を除けば、新京成の沿線は開発余剰が大きく残っています。新京成と京成の統合は、沿線開発が一体的に進められるようになるとの期待を高めました。

先ほども触れた新津田沼駅に隣接していたイトーヨーカドー津田沼店は9月に閉店し、その跡地は隣接地でショッピングモールを運営しているイオンと京成電鉄によって刷新・運営されることが発表されました。

京成とイオンはイトーヨーカドー津田沼店の跡地活用を第一弾とし、その後も協力して沿線開発・地域振興に取り組んでいく予定のようです。そうしたことを意識して、両社は関係を深化させるため株式を相互に保有する資本業務提携を結ぶことにも合意しています。

今回、前編・後編を通じて新京成を全踏破しましたが、多くの駅では小さな駅舎や駅ビルが設けられているだけでした。沿線人口や利用者数を考えると、新京成の各駅で駅ナカ・駅ビル事業が活性化していないことは仕方がかもしれません。

イオンも京成も本社を千葉に置いている企業ですので、資本業務提携を機にイトーヨーカドー津田沼店の跡地だけではなく、京成の駅ナカ・駅ビル事業でもイオンとのシナジー効果が生まれることは確実です。そして、それは千葉全域の地域活性化にもつながっていくでしょう。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。