トピック
「京成松戸線」に変わる「新京成線」全踏破 松戸~京成津田沼
2024年11月7日 08:20
京成電鉄は東京・上野と成田空港とを結ぶ路線で、昨今は多くの訪日外国人観光客も利用しています。京成グループには、京成電鉄のほか新京成電鉄(新京成)・関東鉄道・小湊鉄道といった系列の鉄道会社があります。
松戸駅―京成津田沼駅を結ぶ新京成の沿線は、東京のベッドタウンとしての趣が強く、メジャーな観光地はほとんどありません。そのため、沿線外からの来街者は少なく、東京への通勤・通学が需要の多くを占めます。
そんな新京成は2025年4月に親会社の京成電鉄に統合されて、「新京成線」が京成電鉄「松戸線」に改称されることが決まりました。松戸線への改称に先んじて、新京成の全線を踏破に挑んでみました。
松戸のイトーヨーカドーを見ながらスタート
新京成線は千葉県の松戸市に所在する松戸駅と習志野市に所在する京成津田沼駅とを結ぶ約26.5kmの路線です。このほど新京成は2025年4月から親会社の京成電鉄に統合されて、松戸線へと改称されることが決まりました。今回は松戸線へと改称することを踏まえて、松戸駅から全線踏破の行程をスタートしてみます。
松戸駅は常磐線の緩行線・快速線が停車する駅で、多くの人たちが乗降します。新京成はJRと同じ駅舎内にあるので、わざわざ駅を出る必要はありませんが、東口のペデストリアンデッキは整備改修中です。そのペデストリアンデッキの先にあるのがイトーヨーカドーです。
親会社であるセブン&アイ・ホールディングスはイトーヨーカ堂が経営する総合スーパーマーケットのイトーヨーカドーの再編を進めていて、今年に入って多くの店舗を閉鎖することを発表しました。
イトーヨーカドーの大量閉店は世間の耳目を集めましたが、新京成の沿線にはイトーヨーカドーがたくさん立地しています。松戸店のほか、八柱店、9月末に閉店した津田沼店(新津田沼駅に直結)があり、そのほかにも系列のヨークマートやヨークフーズも点在しています。新京成はイトーヨーカドー(セブン&アイ)王国ともいえる沿線なのです。
松戸店や八柱店は閉店のアナウンスはありませんが、セブン&アイ・ホールディングスがコンビニエンス事業にリソースを集中させている現状を考えると、松戸店や八柱店も決して安心はできません。
松戸駅とイトーヨーカドー松戸店の狭い空間には、松戸駅東口のバスターミナルがあります。松戸駅の西口にも大きなバスターミナルがありますが、東口はターミナルというより操車場(所)といった雰囲気です。
バスターミナルが操車場っぽい雰囲気を醸しているのは、駅用地に起因していると考えられます。新京成の線路はクネクネと曲がりくねり、住宅地の中を走っているので駅前にロータリーや駅前広場などを整備できる空間的な余裕がない印象です。そうした事情から、操車場っぽい雰囲気のバスターミナルにならざるを得ないのかもしれません。
松戸駅から新京成の線路に沿って歩き始めます。商店街のある通りを歩けば、そのまま松戸市役所に突き当たりますが、線路寄りの道は1分もしないうちに駅前繁華街の喧騒はなくなります。
市庁舎のあたりは地形の起伏が激しいので、実質的な距離は短くても思いのほか時間がかかります。そうした起伏は、地上を走っていた新京成がいつの間にか築堤上を走っていることからも伺えます。
新京成の電車が目線よりも上を走ったり同じ高さになったりを繰り返しながら、国道6号線との交点に到着。国道6号線との交点には「千葉へ直通 松戸〜千葉 所要60分」と書かれた新京成の橋梁があります。
新京成は京成津田沼駅までで千葉市内は走っていませんが、京成津田沼駅から先は京成の千葉線とつながっています。一部の列車はJR千葉駅との乗り換えができる京成千葉駅や、かつて京成千葉駅の名称だった千葉中央駅まで直通します。
橋梁に書かれた文言は、暗に新京成を使えば千葉への移動が便利であることをPRしているわけですが、松戸が東京のベッドタウンとして発展してきた経緯や常磐線という動線を考慮すると、松戸から千葉への移動需要はそれほど高くないように思えます。そうした背景があっても松戸と千葉の近さをウリにしているのは、ひとえに新京成が千葉を地盤にしている鉄道事業者だからでしょう。
市役所を通り過ぎてからは、線路沿いを歩いて上本郷駅を目指します。同駅は南口側にこぢんまりとした駅ビルとロータリーがありますが、北口は駅への出入口があるだけです。
上本郷駅を後にして、次の松戸新田駅へと向かいます。松戸駅から上本郷駅までは約1.7kmの距離がありましたが、上本郷駅から松戸新田駅までは約700mしか離れていません。また、松戸新田駅と隣のみのり台駅も約600mしか離れていません。
松戸新田駅からみのり台駅間は新京成には珍しい直線区間です。そのため、みのり台駅から松戸新田駅が視認できます。
みのり台駅から隣の八柱(やばしら)駅までは、鮮魚街道という変わった名前のついている道路を歩きます。鮮魚街道は内陸部を走り、近くに海や河川・湖沼はありません。特に街道沿いに魚屋が多いというわけでもなく、その由来が気になるところですが、江戸時代に銚子沖で水揚げされた鮮魚を同街道を使って松戸宿の納屋川岸(江戸川)まで運び、そこから水運で日本橋の魚河岸まで船で輸送されことから鮮魚街道と命名されたようです。現在、そうした鮮魚を運んでいた面影はなく、特にそれを伝える碑なども見当たりません。
閑静な住宅地の中を歩いていくと、視界が開けたところで八柱駅が姿を現します。八柱駅の北口にはロータリーが整備されていますが物静かな雰囲気です。一方、南口にも大きなロータリーがあり、こちらは飲食店やイトーヨーカドー八柱店などがあります。また、JR武蔵野線の新八柱駅もあって乗り換えもできます。
八柱駅の南北格差を感じながら、南口側の大通りを常盤平(ときわだいら)駅方面へと歩いていくと日本の道百選さくら通りの道標が立っています。春になると道路の両端は淡いピンク色の花びらをつけたサクラで埋め尽くされますが、残念ながら今はサクラのシーズンから大きくはずれているので、それを愛でることはできません。
松戸線への改称のタイミングが奇しくもサクラのシーズンと重なるので、改称の御祝儀乗車とともに4月は松戸線の盛況が今から予測できます。
再び新京成の線路沿いを歩いていくと、線路の向こう側に豊かな緑と大きな建物群を目にできます。これは「21世紀の森と広場」と命名された松戸市の都市公園です。21世紀の森と広場は東京ドーム11個分の広さがありますが、園内には松戸市立博物館や「森のホール21」と呼ばれる松戸市文化会館があります。同地は松戸文化の粋を集めたような場所なのです。
常盤平・五香のベッドタウン整備は簡単ではなかった
そんな21世紀の森と広場を横目に歩いていると、常盤平駅に到着。常盤平駅の南口には駅ビルがあり、駅ビルの上階は都市再生機構の集合住宅になっています。常盤平駅と隣駅の五香(ごこう)駅は駅前にいくつか商業施設があり、にぎわいを感じることができます。
常盤平駅と五香駅は東京のベッドタウンとして高度経済成長期に発展してきた歴史を有しますが、その発展過程には都市再生機構の前身である日本住宅公団(公団)が大きく関係しています。公団は、東京の住宅不足を解消するために設立された公的機関です。
それまでにも東京の住宅難を解消するために東京都住宅局(現・都市整備局)が都営住宅の建設に取り組んでいましたが、東京都一者だけでは住宅難を解消するスピード感を欠き、国も住宅整備事業に乗り出さなければならない状態でした。
公団は新京成が開通したばかりで大規模な住宅地を建設する余剰があった常盤平・五香一帯に着目。常盤平・五香に大規模な団地の造成を計画します。
それまで公団は土地を買い取って、そこに集合住宅を建てて管理する用地手当方式と呼ばれる手法で住宅を供給していました。しかし、常盤平・五香では農地が入り組んでいたこともあり、そのまま住宅を建設することは難しい状態でした。そこで、公団は集合住宅を建設するために先買した用地の区画整理を断行します。
これは公団が初めて実施した区画整理方式です。公団は初めてということもあり、区画整理のノウハウなどを持ち合わせていませんでした。そのため、住民への説明が不足して、そのやり方が周辺農家の反発を招くことになりました。
特に区画整理によって生み出される道路や公園といった公共減歩は農家の人にとって受け入れ難く、事業はストップしてしまいます。一回こじれた関係が平和的に修復することは難しく、公団は最終的に工事を強制。それらに5年の月日を要しました。
そうした苦労の末、1961年に4,839戸という常盤平団地が竣工します。大規模な団地が完成したことで、常盤平・五香の人口は増加し、少しずつ駅前も街としての体裁を整えていきました。
常盤平駅と五香駅は団地の入居者が発展を牽引してきましたが、近年は居住者の高齢化や建物の老朽化といった複数の要因が重なって団地が創出するにぎわいは薄れてきています。
寂しい雰囲気ながら重要なくぬぎ山と発展しつつある新鎌ヶ谷
五香駅を過ぎると、再び沿線の風景は住宅地へと変わっていきます。県道57号線に突き当たったところで線路沿いを歩けなくなるので、そのまま県道57号線を歩きます。すぐに右手に広大な陸上自衛隊松戸駐屯地が見えてきますが、その左手の住宅地を入っていくと元山駅です。
元山駅から線路沿いを歩いていくと再び県道57号線に戻ってきますが、駐屯地の端が松戸市と鎌ヶ谷市の境です。駐屯地の中に立ち入ることはできないので、線路から離れてしまいますが、そのまま県道57号線を歩き、国道464号線との交差点から右折して今度は国道464号線を歩いていきます。
国道なので交通量は多く、大型トラックなどもたくさん通過していきます。その一方、新京成の線路がある側は歩車分離されていません。次の駅であるくぬぎ山駅へとつながる道路を見落とさないためにも歩車分離されていない歩道を歩きます。短い区間ではありましたが、大型の対向車がひっきりなしに通っていきました。
くぬぎ山駅の東口は少し寂しい雰囲気ですが、西口側へと回ると新京成の本社屋があります。また、くぬぎ山駅から次の北初富駅までの間には新京成の車両基地があるので、新京成にとってくぬぎ山駅は重要な駅なのです。
くぬぎ山駅から線路の針路は東へと変わります。車両基地には立ち入れませんが、雰囲気だけを味わいたいと考えて線路を渡ってすぐの側道を歩きます。しかし、野間土手と呼ばれる土堤に視界を遮られて線路は見えません。それでも、そのまま歩いていくと車両基地の正門が見えてきます。さらに道路を歩いていくと、作業場を見ることができる場所もありました。
車両基地を過ぎると、北総鉄道の高架線をくぐります。そのまま歩き続けると北総鉄道の北初富駅に行き当たります。
1992年まで、新京成に新鎌ヶ谷駅がなく、新京成は北総・公団(現・北総)線と北初富駅で連絡・直通運転を実施していました。新鎌ヶ谷駅が新設されたことで、新京成と北総・公団線の北初富駅での連絡・直通運転は廃止され、新鎌ヶ谷駅で乗り換える形式に改められています。
新京成と北総線をつなげる要衝地だった北初富駅ですが、その役割を新鎌ヶ谷駅に譲ったので、駅前はどことなく閑散とした雰囲気です。
北初富駅と新鎌ヶ谷駅間は線路沿いを歩ける道がなく、大きな迂回を余儀なくされますが、駅前再整備によって歩行者・自転車専用の側道が新設される予定になっています。同事業が完了すると、両駅間の行き来が活発化して北初富駅にも活気が出てくるかもしれません。
新鎌ヶ谷駅は前述したように、新京成と北総鉄道、東武鉄道野田線の3線が乗り入れている鉄道の要衝地です。近年、新鎌ヶ谷駅周辺には大型商業施設も充実して東京近郊のベッドタウンとして注目されるようになっています。
常盤平駅・五香駅の団地群から新鎌ヶ谷駅周辺へとベッドタウンが移りつつあるわけですが、平成初期に都心回帰現象が顕著になってから約20年が経過しています。本来なら通勤・通学の所要時間が増すような、より東京から遠い場所にベッドタウンが生まれることはありません。それでも新鎌ヶ谷駅周辺がベッドタウンとして栄えるようになったのは鉄道の便がいいからにほかなりません。
ここまで新京成の松戸駅から新京成の沿線を歩いてきました。その線形は地図を見ると一目瞭然ですが、曲がりくねっています。これは戦前期に鉄道連隊の演習線として建設された過去があるからです。
鉄道連隊とは、簡単に言えば帝国陸軍が鉄道を兵器として活用する目的で編成された部隊です。戦争で破壊された線路の補修や兵站をはじめとする輸送の任務に就きました。演習を兼ねていたことから、あえて線路を直線的に敷かなかったのです。
線路が譲渡された後、新京成は電車が走りやすいように段階的に線形を改良してきました。また、新京成は高度経済成長期に需要が増えたことを背景に複線化を進め、鉄道連隊の面影は大きく失われています。それでも、線路沿いを歩くとカーブが多いことを実感します。(後編・新鎌ヶ谷~京成津田沼に続く)