鈴木淳也のPay Attention

第227回

Suicaに再び栄光はやってくるか

Suicaサービス開始から23年、交通系ICカード相互利用開始から11年が経過したが、次のSuicaはどうなるのか(2023年撮影)

「ルネサンス(Renaissance)」という歴史用語がある。「復活」や「再生」を意味する言葉だが、14-15世紀ごろにかけてイタリアで起こった古代ギリシャやローマの文化を復興させようという運動だ。それ以前の中世を文化の暗黒時代と捉えての古代芸術の復興活動だが、当時こうした活動に理解のあった同地域の盟主らがパトロンとなり、さまざまな文化活動が華開いたことで知られる。この期間は宗教改革が始まった時期でもあるが、イタリアで始まった小さな文化運動は欧州に広く拡散していき、結果的に中世の終わりと次の時代の始まりの転換点になったといえるのかもしれない。

さて、JR東日本は12月10日に「Suica Renaissance」と題して次のSuicaサービスに関する構想を発表した

Suicaは、残高の物販への拡大やモバイル端末での利用、他の交通系ICカードとの相互利用開始といった変化こそあったものの、基本的な仕組みは2001年のサービス開始当初からほぼ変わらず、20年以上にわたって運用を続けている。これまで致命的なトラブルはほとんどなく、安定運用が可能なことをその努力と合わせて体現してきたSuicaだが、日進月歩といわれるテクノロジーの世界において技術的に解決可能な課題への対処がいまだ行なわれず、利用者のライフスタイルの変化に応じたサービスの更改もままならないまま進んできた側面もあり、そろそろ抜本的な対策を必要とする時期が近づいてきたともいえる。

同社が表題でうたうSuicaの「復活」や「再生」とは何を意味するのか。今後10年先を見据えて少し整理したい。

イタリア・ルネサンスの中心的都市の1つだったフィレンツェの街

Suicaで「あと払い」「2万円上限超え」の実際

この話題については弊誌でのレポートのほか、概要を整理したまとめJR東日本に疑問点を問い合わせて情報を追加したレポートを出しているので、そちらも参考にしてほしい。本稿では「決済」「改札」の2点に絞って話を進める。

まず「決済」の話題だが、最大のポイントは「センターサーバ方式」への対応だ。現在はまだ東北地方など一部地域の改札機で運賃計算を行なう用途にのみ利用されているだけだが、「Suicaはローカルで処理されている」という事情を知る一部ユーザーから懸念されていた速度的な問題は“ない”と考えていい。

ネットワークやサーバダウン時の耐障害性については今後の検証が必要だが、それを補って余りあるメリットがあるからこそJR東日本がセンターサーバ方式を採用したわけで、ユーザー側が懸念する事項でもないと筆者は考えている。

センターサーバ方式導入のメリットを決済面から考えると、これでようやく「ポストペイ」の仕組みをSuica決済に組み込むことが可能になる。

前述の通り、現在のSuicaはローカル処理で残高の引き落としが行なわれるため、クレジットカードにあるような決済時のオンライン照会が行なえない。残高以上の買い物ができないので与信枠の心配をする必要はないのだが、例えばSuicaカード紛失時には残高を別の人物に使われてしまってもすぐに止める方法がなく、また一時期問題となった「盗んだクレジットカード番号でモバイルSuicaにオンラインチャージ」するといった犯罪行為があっても、チャージ時点でしか止める方法がなく、チャージに成功した残高はそのまま使われてしまう危険がある。

これはSuicaのセキュリティが「ネガ」と呼ばれるブラックリスト対応のみに依存していることによるもので、ネガリストの全加盟店への反映がリアルタイムに行なえないことから、実際にカードを無効化するまでに最大で1日を要してしまう。

Suicaの決済ならびに残高上限が長らく2万円にとどまっていた理由の1つでもあり、ポストペイ導入とは決済上限の引き上げのみならず、「Suicaに(まともな)セキュリティ機能が付与される」ことも意味している。

モバイルSuicaを中心に据えた決済エコシステム

この新しいSuicaの決済の仕組みだが、Suica Renaissanceのプレスリリースでは「あと払い(ポストペイ)」と「Suicaの限度額(2万円)を超える支払いへの対応」がうたわれている。

注意点としては、現時点で具体的な実装に触れられているのは後者(2万円を超える支払い)のみで、2026年秋頃に“コード決済”の機能がモバイルSuicaアプリに付与され、これを使って2万円以上の支払いが可能になる。つまり、カードあるいはモバイルSuicaの非接触(タッチ)での支払いで2万円を超える支払いが行なえるわけではない。

以前にも本連載で触れたが、JR東日本では導入以降いまひとつ活用の進んでいないJREポイントを盛り上げる施策としてコード決済の導入を計画しており、主にJREポイントを中心とした経済圏を確立することを主眼に入れているという関係者の話を聞いている。

この計画は最終的にSuicaの拡張計画にマージする形で「高額決済」に応用されることになるようで、すでに日本国内でのコード決済の勢力図がほとんど確立しつつあるなかで、かなり後発での市場参入ということになる。全国区の他のライバルに比べるとJR東日本が強い営業エリアは限られているため、おそらくかなりのロイヤルティを付与する施策を持ち込まない限り、ポイント経済圏での競合は不利になると予想される。そのため、2026年デビュー時の還元施策などに注目したい。

JREポイントの利用可能なacureの自販機

もう1つの「あと払い(ポストペイ)」の部分だが、JR東日本の回答によれば「現時点で具体的な仕組みは決まっていない」とのことで、導入時期を含めて未定なのが現状だ。文脈から判断する限り、「あと払い」は前述のコード決済のみならず、Suicaの“タッチ”決済そのものに適用される仕組みと思われる。

銀行口座やクレジットカードを紐付けることで、カード残高を超えての支払いが可能になるとのことだが、もともとローカル処理を前提にSuicaの決済システムが成り立っており、この新しい仕組みを全加盟店に適用するとなると、相応のシステム改修作業が必要になる。

また、将来的にはSuicaの“バリュー”をセンターサーバ側で管理できるようになるとしているが、おそらく「あと払い」と「センターサーバでのバリュー管理」は同時に来るものと考えられる。

すべての加盟店のシステムに新機能が反映されるまで待つのか、あるいはQUICPayがQUICPay+への移行時にやったように、両者が混在して店舗によって利用できる機能が異なる感じになるのか、モバイルSuicaアプリのリニューアルが行なわれる2026年ごろまでには方針が明らかになるだろう。

ウォークスルー改札とオープンループ対応を考察する

最後に「改札」の部分だ。話題になったウォークスルー改札だが、多くが考えるようにいろいろ懸案事項が多い。まずJR東日本によれば、この仕組みの導入を検討しているのは「都市部の混雑する駅」という。

つまり、現状で「Suicaなら1分間に60人が通過可能」としている改札への導入を検討しているわけで、それを“タッチレス”の仕組みで実現しなければならない。

“タッチレス”ということで、誘導電力を前提としている現状のSuicaカードの仕組みは利用できず、おそらく自身で電波を発することが可能なスマートフォンのようなバッテリ内蔵型のデバイスを用いる必要があるとみられる。

この場合、問題は主に2つあると考えてられ、「どうやって“ウォークスルー改札”の“利用資格”がある人を見分け、通信を行なうのか」「“利用資格”のない人をどう判別し、ゲートで止めるのか」という課題をいかにクリアするかが鍵となる。

“タッチレス”なウォークスルー改札と位置情報を利用した改札の仕組み

他のレポートでもたびたび触れているが、ここで最も有力と思われる技術が「UWB(ウルトラワイドバンド)」だ。iPhoneではほとんどの機種に、Androidでもハイエンドを中心に多くの端末に採用されつつあるが、近い将来にもこれがスマートフォンにおける“タッチレス”の近距離通信の要になると目されている。

複数の情報源によれば、AppleやGoogleといったプラットフォーマーがUWBの業界団体であるFiRa Consortiumに参加しているほか、UWBとセキュアエレメント(SE)の実装に関する技術や取り組みについて両者が秘密保持契約をベースにした施策を最近になりスタートし始めている。

2~3年先を見据えた本格実装と実用化を目指して水面下で動いていることを意味しており、交通系の改札システムを開発する関係各社もまたこの取り組みに参加してくることになると思われる。

なぜBLE(Bluetooth Low Energy)ではなくUWBかという点だが、2点理由があり、1つは精度の問題でBLEは誤差が大きいのに対し、UWBでは誤差数センチレベルでの正確な距離計測が可能なこと、もう1つは前述のFiRa Consortiumの話とも連携するが、NFC(FeliCa)がそうであったようにSEとUWBを直結して、モバイルOSを介さず単体で暗号化通信を可能にする仕組みが模索されている点にある。

つまり、現状のType-A/BやFeliCaのNFC用途の置き換えをある程度前提にしているというわけだ。

東京駅の丸の内南口

現時点ではウォークスルー改札の仕組みは不明だが、“タッチレス”を実現する以上、改札機から少し離れた状態から人物が持つ“デバイス”の追跡を開始し、ゲートを完全に通過しきるまで追跡を行なうことで「通過した」判定の“フラグ”を立てる。この情報はセンサーサーバ側で記録されるので、例えば改札のないような「位置情報で改札を行なう」仕組みの駅であっても差分の運賃を請求できる。

おそらくだが、Suicaの“タッチ”で出ても構わないのだろう。逆の場合もしかりで、Suicaの“タッチ”で入場して、ウォークスルー改札で出ることも可能だと思われる。

これで「“利用資格”がある人」の追跡は可能になったわけだが、「“利用資格”のない人」が来たときはどうするか。そもそも電波を発するデバイスを所持していないわけで、当該の人物が従来の改札にあるような通過センサーに引っかかるまでその存在を感知できない。認識できない人物が近づいた時点でゲートの“フラッパー”を閉じればいいわけだが(ネットでは「ペンギンラリアット」と呼ぶ人もいるみたいだが……)、一方で改札機に近づかれる直前まで電波を感知できず、誤検知でフラッパーを閉じてしまうようなケースも考えられなくない。

いずれにせよ、これまでは順番にSuicaや切符の処理をするだけでよかった改札機がより複雑な動きを理解する必要があるわけで、技術的難易度はかなり上がると考えられる。

Suicaの“次”という面での方向性は見えたが、一方で東京都心部で行なわれている他社との相互直通運転での対応が気になる。

東京メトロや東京都営地下鉄を含む関東圏の私鉄各社は現在クレジットカードによる“タッチ”乗車(オープンループ)の仕組みを取り入れつつあり、少なくとも2025年3月までには、どの会社も何らかの形で実証実験をスタートする。これにより、近い将来には交通系ICカードなしでクレジットカードのみで東京地域の公共交通による移動が可能になるわけだが、JR東日本によれば「オープンループを導入する考えは現時点でない」とのことだ。東京メトロ東西線や千代田線にクレジットカードで乗車してJRの営業区間に出てしまうと精算方法が現時点では存在しないという状況が生まれ得る。

これは東京近郊鉄道の会社事情を知っている地元民であればまだ理解できるが、たまたま東京を訪問した他の地域の人であったり、インバウンドで日本にやってきた外国人にとっては知ったことではなく、「なぜ会社によって支払い方法がまちまちなんだ」という混乱を招くだけの結果になるだろう。

現在、JR東日本は無記名Suicaの販売を停止しているが、特にこうした遠距離からやってくる国内外の利用客の乗車手段が限られているのが現状だ。

Suicaの販売制限はまだまだ続く。2023年撮影

インバウンドについては2025年3月に外国人向けの「Welcome Suica Mobile」のサービスをiPhone向けに開始するとしているが、クレジットカードによる残高チャージ方法が現状で限られている点も含め、逐次現金を必要とされるなど不自由を強いている。

他社のようにオープンループは導入しなかったとしても、せめて外国人や普段JR東日本のサービスを利用していない人でも、スマートフォンなどを使って簡単にQRコード切符が購入できるような仕組みを提供してほしいところだ。

外国人向けに販売されるWelcome Suica。デポジット不要だが有効期限がある

時代の転換点を象徴する出来事といわれるルネサンスだが、16世紀以降は社会情勢の変化によって衰退することになった。理由はいくつか挙げられているが、オスマン帝国による脅威のほか、宗教改革を経るなかで欧州各地の王権が強化されて絶対王政と進み、結果として列強に晒される過程でイタリア諸都市が軍門に降って衰退していったこと、そして、それまで香辛料の輸入などで地中海貿易を独占していたヴェネツィアが、大航海時代を経てスペインやポルトガルらが新大陸を含む新たな交易ルートを開拓したことで劣勢に立たされ、資金面での余裕がなくなったことなどがうたわれている。

ルネサンスの時代を経て、周囲の国々が勢いを増して勢力バランスが変化し、やがて文化の中心はより北方の列強の方へと移っていくことになるが、「ルネサンス」という言葉の響きに何かこういう時代の移り変わりのようなものを感じてしまうのは気のせいだろうか。

雨上がりのヴェネツィアのサンマルコ広場

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)