鈴木淳也のPay Attention

第226回

NFCを巡る最新事情 話題の「DPP」と欧州規制

Vision NFCのイベントが開催された南フランスのニース。近隣にあるモナコと合わせてNFC発祥の地と言っていい

筆者が「モバイルNFC」と、その上で動くアプリケーションに照準を定めて国内外の取材を開始したのは2011年のことだが、当時、NFCの盛り上がりの中心はニースやモナコなど南フランスにあったと思う。

当時の経緯については以前にレポートにまとめているが、2004年に業界団体のNFC Forumが設立されて以来、Nokiaなど一部メーカーの限られた機種でNFCの携帯電話(スマートフォン)への搭載が進んだが、2010年になり対応機種は一気に拡大、ようやくモバイルNFCを活用したサービスが華開きつつあるなか、「Cityzi」というフランスの官民共同のNFCプロジェクトがニースで開始され、「この成功モデルを国内外へ水平展開していこう」という機運が高まっていたのはレポートでも触れた通りだ。

同種の官民共同プロジェクトはフランスのみならず、世界中の各地で立ち上がり、いままさに盛り上がらんとする新技術(とはいってもNFCの非接触技術そのものは当時時点ですでに枯れていたが……)をビジネスチャンスととらえ、さまざまな事業者が集まって喧々諤々の議論を交わしていたわけだが、同時に利権を求めて携帯キャリアなどが強引な手段に出るケースも少なくなく、いわゆる縄張り争いによる足の引っ張り合いで普及が進まないという事態が発生したのもこの時期の特徴だ。

過去に経緯をまとめているので興味ある方は参照してほしいが、死屍累々のモバイルNFCの世界を復活させたのはAppleの尽力に依る部分が大きい。

2024年10月にニースの街を再訪したところ、当時のCityziの“残骸”を見つけた。QRコードを読み込む、あるいはCityziのマークに埋め込まれたNFCタグをスマートフォンにかざすと観光案内が表示される仕掛けだが、すでにリダイレクト先のサイトは消滅しており、アクセスしてもエラーしか表示されない

Apple Payが米国に初めて登場したのは2014年10月のこと。それから10年、もはやモバイルNFCはごく当たり前のものとなっている。モバイルNFCのみならず、スマートフォンを介して買い物や各種サービスを受けるというライフスタイルはごく当たり前のものとなり、その鍵を握るのが「モバイルウォレット」といえる。

NFCは小売店や駅の改札など対面での利用が中心となるが、スマートフォンの普及により小売の世界もオンラインコマースへのシフトが鮮明になり、サービスや商品の受け取りは対面であっても実際の決済はアプリを含むオンライン上など、スマートフォンならびにウォレットの役割が大きくなりつつある。

一方で、昨今の“タッチ”決済の普及や公共交通の利用では変わらずモバイルNFCが活用されており、おそらく今後も10~20年単位で引き続き利用が継続していくと考えられる。

今後も利用が見込まれるモバイルNFCだが、現状どのようなことが起きているのだろうか。2024年はNFC Forum設立20周年となるが、それを記念して同フォーラムでは「Vision NFC」というオープンイベントを10月にフランスのニースで開催した。前述のレポートにもあるように、NFC Forum設立に向けてソニー、Nokia、Philips(現NXP Semiconductors)の3社が話し合いの場を持ったのがニース周辺に位置するモナコのGrimaldi Forumであり、20周年の記念に創立の地に戻ってきたともいえる。

このイベントで話されていた、最新のNFCトピックについて紹介したい。

NFC発祥の地であるモナコの風景

いま産業界で話題になっている「DPP」とは何か

現状ですべてのiPhone、そしてAndroidにおいてもハイエンドからローエンドまでほとんどのデバイスへの機能搭載が行なわれていることを鑑みれば、モバイルNFCはほぼ市場全体に行き渡ったといえ、あとは整備されたインフラ上にどのようなアプリケーションを構築していくのかといった成熟市場の域に達している。

この状態でNFCにどのような機能が求められるのか、そのキーワードとなるのが「DPP」だ。

Vision NFCのイベントでは最初に登壇したNXP Semiconductorsセキュアトランザクション&アイデンティフィケーション担当SVPのPhilippe Dubois氏が、NFCの次のステップとしてその件に触れている。

蘭NXP Semiconductorsセキュアトランザクション&アイデンティフィケーション担当SVPのPhilippe Dubois氏

NFC(Near Field Communication)の源流となるRFIDのアイデアは1970年代ごろから存在していたが、それが実際に商用化するまでには10~20年近い歳月を要している。前述の3社が近距離無線通信を使った携帯電話時代の業界標準(NFC)を策定してNFC Forumを設立したのは2004年となるが、それ以前よりMIFARE(マイフェア)やFeliCaのような近距離無線通信対応のICカードは存在しており、MIFAREに至っては最初期のバージョンが世に出されたのが1994年であり、こちらは今年2024年時点で30周年を迎えることになる。

もともとMIFAREは、この仕組みを開発したMikron社の名称を冠した製品ブランド名(Mikron Fare Collection System:Mikron運賃徴収システム)であり、1995年にPhilipsに買収されたことで現在に至っている。

非接触ICカードの世界標準規格としては「ISO/IEC 14443 Type-A/B」が知られているが、この標準規格はMIFAREをベースにこそしているものの、MIFARE自体に複数のバリエーションが存在していることに加え、同業界標準に対応したType-A/Bの読み取り装置でも一部のMIFAREカードは読み取れないといった相性問題が存在していたりする。そのため、両者の関係は「MIFAREが製品によってType-A/Bの仕様の一部または全部を包含している」というのが正しいのかもしれない。

MIFAREとNFCの歴史

さて、MIFAREで30年、NFC Forum設立で20年の歳月を経たNFCだが、いまの焦点は現在欧州で導入が進みつつあり、同地域内で製品を流通させようとする事業者すべてが今後2026年から2030年にかけて大きな影響を与えることになりそうな「DPP(Digital Product Passport)」に注がれている。Dubois氏のスライドの年表にも出ているが、NFC Forumでは現在このDPPをNFCで実装するための「NDPP」の標準化に向けて活動しており、今回のVision NFCのメインテーマにもなっている。

DPPとは何か。簡単にいえば、EU域内27カ国で販売されるほぼすべての製品について、製品の出所や原材料、環境に与えるインパクト、廃棄(リサイクル)方法を記載し、これをユーザーがいつでも参照できるよう明示することを義務付けるものだ。商品はすべてユニークIDで管理され、メーカーなどは必要な項目をすべてデータベース化して情報を記録しておき、ユーザーは製品に記載のQRコードまたはRFIDタグを通して(Web上にデータベースとして記載された)この情報にいつでもアクセスようになる。

もともとは「Ecodesign for Sustainable Products Regulation(ESPR)」の一貫として定義されたものであり、域内で流通する製品がいかに“Sustainable”(持続可能性である)かを示す狙いがある。

DPPを採用していない地域にとっては参入障壁でしかないが、一方でEU域内との貿易を考えるうえで今後は必須事項となるのに加え、この仕組みに対応したメーカーが透明性と環境持続性の面で優位にあることをアピールする要素にもなり得るため、競争上優位に働きやすいという点で、実質的に将来的な対応を考慮しなければならない仕組みともいえる。

DPPの解説ページ
QRコードの場合はオンラインデータベースを参照することになるが、ICチップを用いるNFCでは少ないエリアにより多くのデータを記載できるため、オフラインで参照できるデータでもより多くの情報を盛り込める

DPPを製品に展開する

DPPは前述の通り、2026年から2030年までの期間でカテゴリ別に段階的に導入されることになる。現在、2026年をめどに優先的に対応が求められるとされているのがバッテリ、繊維(製品)、コンシューマ家電、建設資材、化学物質、家具といったカテゴリだ。おそらく一般消費者にとって身近な製品のほか、危険度や将来的影響度の大きい素材を中心にピックアップされているようだ。

これら製品をEUに輸出している企業は世界中にあるため、必然的に世界規模でのDPP対応が求められることになる。

DPPに含まれる情報は、規定で定められてる義務要件と、各メーカーが任意で追加するものの2種類で構成されている。どのような情報が義務要件にあたるかは、EUがバックアップする実装を見据えた共同プロジェクトのCIRPASSが公開している資料にあるが、前述のような循環経済に重要な製品の出所や識別子、素材情報、輸入製品の場合はその業者など、製品の追跡が容易な情報が主に含まれることになる。

壇上でDPPが埋め込まれたドアのスマートロック製品のデモンストレーションが紹介されたが、製品にあるNFCタグをスマートフォンアプリで読み込むと写真にあるような情報が表示される。例えばバッテリを含む電化製品のリサイクル時の処理方法に困った経験がある方は多いかと思うが、DPPはこうした情報を製品自体に埋め込むことで、仮にすでに動作しなくなった製品であっても処分に関する指針を得ることができる。

NFC ForumエグゼクティブディレクターのMike McCamon氏が手にするのはDPP情報を含んだNFCタグを埋め込んだドアロック製品のサンプル
ドアロックのNFCタグを読み込んで表示される情報の例。DPPで規定される義務情報+αのデータが一覧できる

DPPそのものはユーザーが情報をいつでも追跡できるオープン性があればいいため、そこにアクセスするための媒体は別にNFCでなくてもいい。一方でNFCタグならではのメリットとしては、登録できる容積あたりの情報量がバーコードやQRコードに比べて多いことと、“Durability”(耐久性)が挙げられる。

前述のようにDPPはリサイクルを主眼としているため、情報へのアクセスは製品入手時の安全性確認に加え、“廃棄”するタイミングになることが多いと考えられる。つまり、製品サイクルとしてはすでに終盤に近いタイミングで情報が必要とされるため、バーコードやQRコードでは経年劣化による可読性が落ちたり、そのほか製品パッケージやマニュアルなどに印刷したものでは、製品と分けて管理することで紛失リスクなどが考えられる。

その点、NFCタグはアンテナとICチップを含めて極小サイズまで縮小して製品への直接埋め込みが容易なほか、タグ自体の耐久性の高さもあり、印刷物のコードよりは経年劣化に強い。コスト面では不利なものの、利用環境や経過年数しだいではNFCの方が有利になる用途が多くなる。

メインテナンスを想定したケーブル種別の区分けのためにDPP準拠のNFCタグを埋め込んで管理する
NFCタグはこのサイズで貼付が可能なため、ケーブルのように直接埋め込みが難しいケースでも利用可能
バーコードを利用したケース。面積的な占有は大きくなる一方で含まれる情報は限られる。加えて、この形では将来的な可読性が難しいと考えられる
スケートボードに埋め込んだ例。これも過酷な環境で利用するケースで、おそらくQRコードのような仕組みでは長期間での維持が難しいと思われる

DPP導入までの具体的なタイムフレームは、現在標準化プロセスの途上にあり、2026年までに実装を開始、一番早いタイミングで導入期限がやってくる2027年2月のバッテリ規制まで関係各所が作業を行なう形になる。

標準化についてはCEN(欧州標準化委員会)とCENELEC(欧州電気標準化委員会)などと歩調を合わせる形でNFC Forum側もDPPに会わせたタグの標準仕様を定義し、2024年からスタートしている実装を主眼としたイニシアチブであるCIRPASS 2が'26年開始のインプリメンテーションに向けた各種整備を行なう。そして'27年2月のバッテリ製品への導入に続き、第2弾の繊維製品という形で2030年に向けて段階的にDPPが進展していく。

DPP導入までの標準化の動き
最初のDPP導入期限であるバッテリ製品では2027年2月までの対応を要求される

以上が現状でのNFC界隈における一番のホットトピックだ。

新技術というよりは、すでに市場で活用事例があり、NFCやRFIDタグの強みとする「トレーサビリティ」を中心とした応用事例のような内容だが、潜在的に大きな市場が将来的に登場することを鑑みれば、DPPはNFC Forumに参加するベンダーやメーカー各社にとっては大きなビジネスチャンスといえるかもしれない。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)