鈴木淳也のPay Attention
第210回
決済? 本人確認? 生体認証の最新活用事例
2024年4月19日 10:42
生体認証決済の話題を本連載で前回取り上げたのは、およそ1年前の3月のことだった。事例として米国の小売展示会(NRF)での様子や、東京ドームでのファンクラブを対象にしたサービス、セブン-イレブン店舗での実証実験、NTTドコモの入っているオフィスビルの山王パークタワーでの顔認証ゲートでの実際、そして日本のITベンダー各社の取り組みなど、残念ながらまだまだ実証実験の域を出ていないものの、どういった分野で活用できるかをいろいろ模索している様子がうかがえて興味深かった。
2023年から2024年にかけての話題としては、昨年2023年9月に発表されたセブン銀行の新サービス「+Connect」においてその将来的な片鱗が垣間見えた。
セブン銀行の新型ATMではマイナンバーカードを含む公的IDの読み取り機能のパートナー企業利用に加え、物理カードなしでの現金引き出しなどを可能にする顔認証機能が用意されている点が特徴だった。後ほど確認したところでは、本来顔認証は人の顔に合わせてカメラの位置を調節する必要があり、例えば欧州の空港で出入国審査に利用される顔認証ゲートにおいては、人の顔の位置を把握して“自動的にカメラが上下”する仕組みが取り入れられている。ところがATMでは設置場所が固定なのに対し、利用者の身長はさまざまでカバーすべき範囲が広い。そこでカメラの認識範囲を縦方向に広い広角カメラでカバーし、あらゆる身長の利用者に対応することを目指しているようだ。
後述するが、物理カードを必要としないATMは、例えば震災の避難時に着の身着のままで被災地区を脱出したとしても、少なくとも何らかの形で現金を比較的容易に入手する手段を提供する。現状、スマートフォンを使ったコンビニATMでの現金引き出し機能を提供しているサービスが存在しているが、顔認証の仕組みはそれに加えて新たな可能性を提供するものとなる。今回はこのあたりを少し追いかけたい。
国内でスタートした本格的な生体認証決済サービス
東武鉄道と日立製作所は昨年8月に生体認証を活用したデジタルIDの共通プラットフォーム立ち上げで合意したことを発表したが、その成果の1つとなる“手ぶら”で生体認証決済のサービスが4月11日から東武ストアの越谷店でスタートした。
事前に両社が提供する「アイデンティティポータル」にクレジットカード番号を含む必要情報を登録しておき、これに運転免許証またはマイナンバーカードと、左右の指3本の静脈を登録装置で紐付けることで、店頭での指静脈による決済が可能になる。
事前の情報登録は手持ちのスマートフォンでも問題ないが、身分証確認と指静脈登録は専用装置とスタッフの補助が必要で、サービス開始当日は期間限定で越谷駅改札前にある東武ストアの敷地で複数のスタッフが出張る形で登録が行なわれていた。
特徴としては、事前の身分証提示により登録時点で年齢確認が行なわれていること、また指の静脈情報を3本登録しておくことで誤認率を大きく減らすことを可能にしていることが挙げられる。
日立の指静脈認証は入退館管理などさまざまな場面で活用されているが、多くは特定施設内など限られた範囲での本人確認であり、主に“接触型”の認証デバイスとなっている。
今回はオープンなID基盤で、かつ決済向けということでより確実な方法を選択しているほか、(衛生面から接触を嫌うという)時代の趨勢に合わせる形で非接触タイプのデバイスを採用している。また、IDプラットフォームの方ではサードパーティのサービスとの連携が可能となっており、今回のケースでは東武ストアの会員プログラムであるTOBU POINTを事前連携しておくことで、指静脈決済時点でポイントカードの提示も同時に行える。
東武ストアによれば、越谷店は惣菜販売に関して系列でもトップクラスの地位にあり、夕方以降の帰宅ラッシュのタイミングではアルコール商品と含めて買い物をしていく客が多数いるという。
従来のセルフレジでは年齢確認の問題からアルコール購入ができず、セルフレジが4台に対して有人レジが2レーンの店舗において渋滞が発生する原因となっていた。事前に年齢確認を済ませた指静脈認証決済サービスの提供で利用者の利便性を向上させるのが狙いという。
現状はまだ3店舗での導入に留まるが、一定の効果を得られたと判断すれば順次対応店舗を拡大していく意向だ。登録自体にハードルがあること、お世辞にもUI・UXまわりが洗練されていないなど問題はあると感じているが、筆者が把握しているケースではおそらく“実証実験”の枠をうたわない本番サービスとしては初のケースといえるため、“初期利用”という最大のハードルをどれだけの利用者が超えてくるかに注目している。
年齢確認とその他の生体認証決済
東武ストアの事例で分かるのは、利用者の作業工数の低減とともに、「年齢確認」のプロセスを自動化、あるいは事前に済ませておくことが小売店側の狙いということだ。
深夜のコンビニの主要商材が酒とたばこであることが指摘されているが、これらは高単価という特徴もあり、これを理由にレジが渋滞したり、セルフレジが利用できないというのでは困るというわけだ。一方で、IDカードのような認証方法では「他人に借りて購入」ということも可能であり、いわゆる“なりすまし”が問題となる。そこで、決済の短縮手段として生体認証を挟むというアイデアが出てくる。
2024年3月に開催されたリテールテックでは、例年に引き続きNECとデンソーウェーブが共同開発したQRコード上に顔情報を符号化して埋め込み、QRコードで顔認証を行う技術のデモンストレーションが行なわれていた。事前に年齢確認を行なった状態で顔情報を符号化したQRコードを発行してもらい、このQRコードを決済時に提示することで顔認証が走り、2つの情報が一致すれば年齢確認が行われ、アルコールなどの販売年齢制限のある商品の“セルフ”購入が可能となる。去年まではプリンタでQRコードのシールを印刷する形だったが、最新版ではモバイルアプリが登場している。
このほか、NECでは顔認証決済を含む「小売の世界で顔認証ができるとどういう購買体験が提供できるのか」をテーマにした展示をリテールテックで行なっていたが、いわゆる個々人にカスタマイズされたCRM的なサービスが提供可能になるなど、考えられる応用範囲はいろいろある。また本人追跡なども仕組みとしては可能となるが、そういった話を来場者に投げかけると「犯罪防止で使えないのか」という回答が返ってくるという。現実問題として、多くの小売関係者が購買体験を次のステップに進めるよりも、優先順位としてまず目の前の問題解決に意識を割かれている現状があるのかもしれない。
そうしたニーズに応える形で、AIカメラを使った「行動追跡によるセルフレジでの万引き防止(警告)機能」の提供が米国などで進んでいるが、日本国内ではまだ現状で正式提供を行われた事例は聞かない。米国で熱心なNCRをはじめ、日本でも主要ベンダーのほとんどが技術開発に取り組んでデモンストレーションを行なっているものの、現時点でまだ商用化には至っていない。
理由についてはどの企業もコメントしていないが、おそらく“ある程度完璧なもの”を求める小売店側と、技術面でそこまでの水準を満たす保証ができないベンダー側の意識のギャップにあるのではないかと考える。被害を防止できないことよりも、誤認によるトラブルの方が問題になりやすく、かつ“犯罪の手口は進化しやすい”といった事情があるのではないだろうか。
代わりに、ベンダー側では顧客の利便性を考えた次世代のソリューション開発を積極的に行っている。「現時点でまだ(万引き防止機能の)提供計画はない」としていた東芝テックでも、NEXMART 01 GOで採用されていた顔認証決済と画像認識による商品登録が可能なセルフレジのデモンストレーションをリテールテックにおいて積極的に行なった。NEXMART 01 GOはコンセプトストアが千葉県習志野市大久保の商店街に先日オープンしたばかりであり、東芝テックというベンダー自身による実験場のような形で運用されている。
イメージするのはスマートカートなどの技術で知られるスーパーセンターのトライアルだが、同社や東武ストアのように小売り側が積極的なケースとは逆に、ベンダーが小売店に直接アプローチするスタイルを採っている。
海外での事情
では海外ではどうなのか……という話なのだが、実は現時点でそれほどアップデートがない。例えば、去年も紹介したNRF 2024の東芝ブースでの「Pop ID」による決済などは典型だが、顧客展開も含めてまだ具体的なニュースや進展がない。唯一と呼べるかもしれないのが、AWSのブースで紹介されていたAmazon Oneの最新バージョンで、具体的にはハードウェアが改良されて認識率やパフォーマンスが大幅に上昇しているという。記事でも触れたが、Amazon Oneは相当イライラするレベルで認識するポイントに“手のひら”を合わせるのが難しく、Amazon側もこうした声を理解していたのかもしれない。
これは別途触れるが、現在のAmazonは「Amazon One」「Dash Cart」「(異なるスタイルの)Just Walk Out」の3つがリアル店舗向けソリューションの中核であり、今年のNRFでは昨年以上にスマートカートや決済まわりの展示が増えていた。Just Walk OutについてはAmazonがFreshでの展開を断念した的な報道が行なわれて話題となったが、これに付随する報道の多くはJust Walk Outの現状や技術的な背景についてほとんど理解していない、あるいは事実を誤認しているというケースが多数見受けられたため、改めて周辺情報をまとめる意向だ。
地域サービスで生体認証を活用する
さて、今回最後のパートは“地域”活用だ。これまで紹介してきたものは、比較的“オープン”な場所での利用を前提としていたが、登録作業そのものにハードルがあり、かつ誤認や認識できないといったトラブルへの対処も鑑みて、限られた範囲での利便性を向上させる「地域サービス」に応用した事例が登場している。今年1月1日に発生した能登半島地震では、北陸エリア北部のインフラに壊滅的なダメージを与え、多くの避難民を出した。その際に問題になったのが「手軽な本人確認手段」の存在で、実際の保有率や携行率、そして対応する施設側の装置の問題などから「マイナンバーカード」の存在意義が問われることになったが、そうした事例でも活躍できるのではないのかというのが「生体認証」だ。
生体認証を自治体単位で広く活用していこうという、「加賀市版スマートパス構想」を進めているのが石川県加賀市だ。石川県の最南端部にあたり、能登半島地震では直接の震源地ではなく、市内での被害は珠洲市や輪島市ほどではないものの、そうした理由もあり北部域を含む避難所が設定されていたりする。偶然なのかもしれないが、震災の前の時点ですでに公共サービスにおいて生体認証を使ったID基盤を活用できないかという試みが進んでおり、これを避難所にも応用してきたというのは自然な流れだろう。
同市のスマートパス構想では避難所の前にすでにいくつか事例が走っており、その1つが加賀市医療センターにおける顔認証受付だ。余談となるが、加賀市医療センターは先日の加賀市版ライドシェアで話題となったUberライドシェアのお披露目が行なわれた加賀温泉駅の真ん前に位置している。加賀市を含む周囲の自治体をカバーする中核医療センターとして機能する。この受付処理を顔認証で行なうことで、スムーズに外来へと進むことができるという流れだ。本稿ではまだ触れないが、マイナンバーカードを使った診察券の代理受付などの機能もあり、さまざまな点で非常に注目すべきものがここには詰め込まれている。もし後日触れることが可能なタイミングが来たら、改めて言及したい。
もうひとつは避難所での展開だ。冒頭でも紹介した、石川県加賀市の指定避難所の1つである加賀市立大聖寺地区会館では、周辺自治体を含む人々がやってきて施設を利用している。マイナンバーカードの代わりにSuicaを使った事例では、施設への“チェックイン”や入浴所の管理など、利用者が通過するタイミングで逐次装置への“タッチ”による確認が行なわれるが、これを顔認証装置で代用してしまおうというものだ。
生体認証の利点は、“そもそも物理的な媒体を持参する必要がない”という点にあり、用途としてはまさに避難所利用にうってつけの仕組みといえる。加賀市などでの検証が進めば、以前に議論されたSuicaやマイナンバーカードなどに代わり、この仕組みをいざというタイミングで役立てられるよう、装置やアプリケーションの整備を進めておくのも手かもしれない。
加賀市版スマートパス構想の3つめの事例は「かがにこにこパーク」だ。児童向けの屋内大型遊戯施設で、加賀市民は無料だが、市外の利用者でも有料で入場できる。以前までは利用カードを使っていたが、2023年の移行期間を経て、2024年春からは顔認証に一本化される。施設特有の課題として、子どもが遊びに来たときに利用カードを持参しているかといった問題に加え、入場制限をかけるためのカウント方法、顔認証を導入した場合に子どもの顔が経年で変化しやすいこと、どの身長に合わせるかといった課題がある。いろいろ施行錯誤しながら2つのタブレットなどを組み合わせつつ運用が進み、現状で顔認証への一本化のめどが立ったようだ。
モデルケースとしては興味深いもので、実際に周辺自治体がこの施設の運用状況を視察するケースが出ているという。このあたりも今後似たような事例が出現し、さらに検証が進んでいくことが期待される。