鈴木淳也のPay Attention
第202回
QRコードとクレカの“タッチ”で盛り上がる公共交通の最新事情
2023年12月22日 11:24
2025年に開催を予定している大阪・関西万博に向け、来場者の受け入れを想定した同地域での交通インフラ整備が急ピッチで進みつつある。直近でいえば、スルッとKANSAI協議会が推進する関西私鉄7社らのQRコード乗車券「スルッとQRtto(スルッとクルット)」が12月14日に発表されたほか、11月には近郊電車を運行する3社らがクレジットカードを使った改札での“タッチ”乗車のサービスを告知したり、同月には大阪メトロがウォークスルー型の顔認証改札の本格導入に踏み切るなど、めまぐるしい流れだ。
関西でのQRコードによるデジタルチケットやクレカの“タッチ”乗車では南海電鉄がその先駆けとして知られるが、一方でQRコードを使った企画券の実証実験は阪神電鉄が2020年3月に先行して開始しており、SNSなどでもその模様が写真付きで紹介されたりして話題となった。同社は2024年6月からのサービス開始を表明しているが、例えば大阪梅田駅の改札口はすでにQRコードの読み取り機の設置を想定したデザインとなっており、準備が整いつつある様子がうかがえる。
他方で、12月20日にはJR西日本がQRコードによるデジタル乗車券のサービスを2024年4月から開始するという発表を行なっている。JR西日本は私鉄を含む7社連合による「KANSAI MaaS」を推進するメンバーの1社だが、KANSAI MaaSアプリを使ったチケット購入などは可能なものの、今回発表されたサービスでは周遊券などの企画券についてもJR西日本の一部路線網限定で、前述のスルッとQRttoとは連携しない。JR西日本の広報によれば、私鉄を含めた周遊券などの企画券について協議は行なっているものの、現時点での連携や決まった事項はないとコメントしている。
周遊券のメリットは特定エリアを1枚の切符で移動しつつ、場合によっては沿線の施設をそのまま利用できたり、各種割引サービスを受けたりできる点がメリットだが、鉄道会社の違いにより利用の可否が分かれてしまっては利便性が大きく損なわれることになる。万博というイベント自体、過去のミラノ万博などでの取材経験から、外国人利用者が特段多く訪れるわけではないことは理解しているが(ミラノ万博でも来場者の8割以上はほぼ周辺に在住する地元民だとしている)、これと合わせて周遊券が提供されることになれば、観光で同地を訪れた人が「(企画券)1枚あればエリア内を自由に移動できる」ことに期待するだろう。その点をぜひ考慮して上手く話をまとめてほしいところだ。
本連載では9月に東急電鉄の「Q SKIP」の話題に触れて以来の公共交通系サービスに関するトピックだが、年の瀬も迫るこのタイミングで少し周辺情報を整理したい。
「0か1か」の議論に対する疑問
前項のように既存の交通系ICカードに代わる乗車手段として、近年になり急速にクレジットカードやQRコードを使った仕組みが普及してきたことで、改めて表題の議論が持ち上がりつつある。気になったのは日本経済新聞が12月21日に公開した「東急やメトロ、改札でクレカタッチ決済 ICの牙城攻める」という記事で、クレカの“タッチ”決済の普及が「鉄道事業者がSuicaなど交通系ICカードで長年築いてきたキャッシュレスの牙城を崩す可能性が出てきた」という文章で結ばれているように、「置き換え」を想定した議論に行きがちな点だ。
世間がいわゆる「0か1か」の極論を持ち出すのはこれに限った話ではないが、「Suicaがベースとしているのは20年以上前の技術であり、現状のままではいずれ取り残された状態になる」と考える筆者でも、すぐにSuicaのような仕組みがフェードアウトするとは考えておらず、移行期間を含めて少なくともまだ今後10年近くは現役のままでいるという意見だ。これは減価償却にともなう改札機の更新サイクルが7-8年程度であり、例えばJR東日本管内では今年から来年にかけて急ピッチで改札機の置き換えが進んでいるが、その次の更新サイクルである2030-2040年程度までは、まだまだ交通系ICカードは現役で生き残るという考えに基づくもの。実際、交通系サービスを提供する事業者や関係者で、日本の交通系ICカードがすぐにでもなくなると述べている人に会ったことはない。
磁気を使った紙の切符については、リサイクルコストの問題と、切符の受け取りに必ず窓口に顔を出すという利便性の問題から、いずれはQRコードのような代替方式へと切り替わっていくことが確実とみられる。なぜこれが最近まで実現できなかったかといえば、セキュリティ対策のために「すべての改札機がオンライン接続されている必要がある」からだが、“サーバ型”Suicaにみられるように、近年の改札機はオンライン接続されていることが前提になりつつあり、これがクレカの“タッチ”乗車の実現にも結びついている。つまり技術の進化がQRコードを使った“切符”の実現へとこぎつけた。
一方で、すでに日本国内で流通している磁気切符をすべて一斉に置き換えることはコスト的にも現実的ではなく、徐々に切り替えが進んでいく形になる。
先ほど「機材の更新サイクルを考えて交通系ICカードは2030-2040年程度までは残る可能性が高い」述べたが、磁気切符についてもおそらくそのくらいまでは継続利用となるだろう。JR東日本や東急電鉄がすべての改札機にQRコードの読み取り装置を付けず、出入り口ごとに1-2機の設置で留めているのも、当面は企画券など“特定”のQRコード“切符”を持つ顧客の利用のみを想定していることの証左だ。つまり、普段から当該の鉄道を利用しているような層には、引き続き交通系ICカードを使い続けてもらい、当面は両者を使い分けることが求められる。
インバウンド対応はかくあるべきか
少し反響があったので、Apple関連で著名な林信行氏のX(Twitter)への投稿を参考に、現状の改札デザインと、こうした日本の都市の公共交通をあまり利用しないユーザー、特にインバウンドを想定した話を少し考えてみたい。
「一緒にできないなら交通系IC以外は受け付けない」でいいと思うんですよね。
— Nobi Hayashi 林信行 (@nobi)December 18, 2023
参入したいなんていうわがままを受け付けない方が混乱も減り世の中シンプルになるし、その結果、使う人に優しい(今の改札は使う人でなく、参入したい企業に優しい設計)。…https://t.co/YKQIJk8Byb
交通系IC、磁気切符、クレカの“タッチ”決済、QRコードのすべてに対応した改札機が非常に“カオス”な見た目であることは知られているが、おそらく初見でこの改札機を見た人は一瞬混乱するのは確かだ。
一方で、これらの統合が難しいことは以前にも解説した通りで、特にクレカの“タッチ”決済を司るEMVCoの仕様が足を引っ張っている。美しくないというのはもっともだが、少なくとも“4種類”の異なる入場方法に対応させるわけで致し方ない面も大きい。また、東急の場合は複数ある改札機のうち、このスタイルとなっているのは出入り口1つにつき1台までなので、普段の通勤客などが混在することで改札が詰まってしまう問題も、おそらくある程度は回避できる(慣れた人間であれば、素早く通過できそうなレーンを選ぶため)。
デザイン的には統合してしまったり、林氏の言うようにどれか1つの規格のみに集約してしまうという考え方もあるが、筆者個人の意見でいえば両者ともあまり好ましい選択肢ではないと考える。1つは、仮に技術的にこれらすべての統合が可能だったとして、無理矢理集めてしまうと、後々変更や修繕が必要になった場合の柔軟性が失われやすい。EMVCoやSuicaをはじめ、規格化されているものは個々に認定が必要であり、あまりにカスタマイズが激しいと開発コストが上昇するだけでなく、事業者をまたいだ機器の横展開が難しくなる。
また、複数の乗車手段が用意されていることは旅行者にとってはありがたいもので、オンラインでQRコードの切符を買った場合や、交通系ICカード未対応のエリアから磁気切符で移動してきたとき、また“タッチ”対応のクレカはあるが有効な交通系ICカードを持っていない場合など、いずれの手段でも入出場が可能だ。
特に日本の交通系ICカードは現金での購入やチャージしか行なえず、外国人にとってはいちど日本円をキャッシングや両替によって入手する必要がある。旅行で必要な現金の見積もりが難しい場合など、これは非常に不便だ。自分が海外からの旅行者になったときを考えて実際に行動してみれば、普段何気なく通過しているような改札機や小売店での支払いでさえ、違った姿が見えてくるはずだ。
次にインバウンド対応の難しさだ。日本の交通系ICカードの難点として、現金利用が前提という点が挙げられる。SuicaなどのICカードは基本的に現金でしか購入できず、チャージもまた現金の利用が求められる。自分が外国に行ったとき、現地でどれだけの現金が必要になるかを想定するのは非常に難しいが、日本に来る外国人は公共交通機関を使う場合、これを常に考えなければいけない。近年は欧州やシンガポールなど、いちども現地通貨を入手することなく旅程を終える国も少なくないなかで、現金を要所要所で求められる日本は旅行者にとってストレスとなるポイントが多いというのが筆者の意見だ。
なまじ全国共通で(ほとんどの場所で)使える交通系ICカードが普及しているがゆえに、これがない場合の移動が極めて面倒なのが日本の特徴だ。
海外で販売されるAndroid端末は日本のおサイフケータイには未対応のため(Pixelなど日本では対応する端末も海外版では利用不可)、iPhone 8以降の端末のみが対象となるが、一応Suica、PASMO、ICOCAのモバイル交通系ICカードが外国人旅行客でも利用可能だ。ただし、Walletアプリ経由でApple PayによるSuicaカードの発行やチャージをしようとすると、例えば筆者のBank of Americaのデビットカードでは支払いが受け付けられない問題がある。解消されたケースも一部報告されているが、基本的には安定していない。
JR東日本が配信しているSuicaアプリ経由でのチャージは可能だったりするが、対応言語は日本語のみで、おそらく多くの外国人に利用するのは難しいだろう。Suicaアプリは配信にリージョン制限はかけておらず、日本国外のアカウントでもインストール可能だが、表示言語は限られており、しかもグリーン券や特急券の購入では必ず日本語入力を求められたりする。これはおそらくチケットの予約発券システムの制約によるものと推定され、小手先の対応では多言語対応は難しいと筆者は考えている。
モバイルSuicaのインバウンド対応は小手先の変更だと手に負えない部分があって、
— J (@j17sf)December 20, 2023
- 表面UIだけ言語を変更しても、チケット購入や登録で必要になる入力項目(例えば駅名)が日本語である必要がある
- 海外発行Visaを受け付けない問題はJR東の責任じゃない
JR東の基幹システムの総置き換え必要なレベルhttps://t.co/Khn7vZlRZ0
JR東日本でもこれら問題は認識していると思われ、外国人向けとしては基本的にクレカでの購入が可能でデポジットも要求しない「Welcome Suica」の利用を推奨している。ただ、これでも現金でないとチャージできない問題は残っており、使い勝手は決してよくない。
結論として、日本の公共交通はやや国内利用に最適化され過ぎているのが現状だ。
JR東日本が提供予定のQRコードのチケットは「えきねっと」のアプリ経由であったり、同様にJR東日本の周遊券もアプリ利用が前提であったりと、インバウンドで来日する外国人の事前購入を想定したような利用スタイルにはなっていない。
複数の鉄道会社が入り乱れ、さらに東京圏のように複数の鉄道会社が相互直通をやっているようなケースでは、事業者が横連携してエリア内で共通、あるいは複数の鉄道会社をまたいで移動しても問題ないチケットが発行されない限り、一見の旅行者にはなかなか現地事情は理解してもらえないだろう。地域の利用者だけであれば「分かっている人のためのお得な切符」で済むが、インバウンドや国内でも離れた地域からの訪問者を想定したサービスでは、より広い視点をもって移動のニーズを満たすチケットや乗車手段を用意しなければならない。