鈴木淳也のPay Attention
第28回
現金からキャッシュレスへ。2020年の決済を湯けむりの中で考える
2020年1月10日 08:15
2020年が明けてすぐの正月三が日は、老親の療養も兼ねて群馬県の名湯で知られる草津温泉に滞在していた。この草津温泉では、12月初頭に「湯けむりPayPayキャンペーン」と題して2020年1月14日から2月16日までの約1カ月間にわたってPayPayを利用しての買い物に10%(PayPay残高とヤフーカード利用の場合)、これに経済産業省が実施するポイント還元事業を組み合わせることで最大15%の還元を行なう事業の実施を発表しており、老舗温泉街のキャッシュレス化という視点からも訪問してみたかった場所だ。
温泉街にとって、この正月のかき入れ時のタイミングで訪問することになったのは本当に偶然なのだが、たまたま商工会関係者と話す機会も得て、いま草津の温泉街で何が起きているのかということを示唆するような情報を知ることができた。今回は2020年最初の記事として、「2020年のキャッシュレス」を湯けむりの中で考えてみたい。
現金主義だった温泉街がキャッシュレスに向かうまで
その強力な泉質をもって古くから湯治の場所として知られた草津温泉だが、開発が本格化したのは明治時代初期に同地を訪れて環境を再評価し、世界に向けて紹介したエルヴィン・フォン・ベルツ氏の登場以降のことだ。大正や昭和の時代になると草軽鉄道やバスが開通して観光や物流が盛んになり、それまで冬期は閑散としていた草津の町は1年を通して賑やかな場所となる。後に草軽鉄道は廃止され、首都圏からの鉄道輸送は現在の吾妻線へと引き継がれることになる。昭和期の後半には源泉開発も進み、それまで中心部に集中していた施設は周辺地域へも拡大し、現在の温泉街が形成された。
もともと山の谷あいに存在していた小さな温泉街だった草津温泉だが、同じ温泉街である熱海などと比べて交通の便でのハンデを抱えながら、2017年時点の数字で年間訪問客数は前年比18万人増の325万人と増加傾向にある。首都圏からの日帰り客もさることながら、最近では日本へのリピーターとなっている外国人の訪問客も急速に増えており、実際に筆者が滞在していた3日間の間だけでも個人客から仕事仲間、ファミリー客まで欧米亜のさまざまな外国人に遭遇している。ただ問題なのは、温泉が位置する草津町の人口が約6,000人で、その多くは労働人口に数えるのが難しい高齢者たちだ。つまり労働人口としてカウントできるのは6,000人のうちのわずか数割程度であり、増え続ける観光客を捌けるだけの人手がまったく足りていない。温泉街で働ける近隣の労働者はすでに集まっている状態であり、限られた人員で今後も観光客らと向き合っていく必要がある。
下記は現在草津温泉が抱えている課題を箇条書きにしたものだ。こうしてみると、無人運営店舗の実験を行なっているローソンなど既存小売店が抱える問題と驚くほど酷似している。つまり、日本のサービス業すべてが潜在的に抱える問題が草津温泉では現在進行形で顕在化しており、さらに観光客の増加が見込まれる2020年により顕著になるというわけだ。
- 大規模リゾート進出を含む温泉街の急拡大
- 圏内で働ける労働人口はすでに限界に達しており、さらなる効率化が必要
- インバウンド客の増加と対応
- リピーターを呼ぶための魅力的なサービス開発
- 顧客ニーズに応えるサービスや施設の整備
キャッシュレスは万能の処方箋ではないが、少なくともこれら課題の一部を解決する可能性を秘めている。これまで、古き良き温泉街の体で「決済」という視点を欠いて発展してきた場所が、新風を取り入れ、顧客満足度を高めるために「キャッシュレス」という視点を取り入れるようになった。少し前まで現金しか使えなかったような場所だが、いまではバスや鉄道の利用に交通系ICカードやインターネット決済が利用できるし、宿ももちろんカード決済で済ませられる。そして冒頭にもあるように、町の商店や食堂の多くではPayPayが導入されるようになり、結果的に滞在中2回しか現金は使わなかった。いまどきは老若男女含めて旅行客の多くがスマートフォンを持っており、町の観光スポットや美味しい食事処を探すのもGoogle Mapsやインターネット検索だったりする。当然、「スマートフォン1台で何でもできるといいな」と考える人もいるわけで、この消費行動を無視していては商売は成り立たない。
課題を抱える草津温泉に対し、PayPayが言い渡した導入の条件とは?
前述の経緯を経て発展してきた草津温泉だが、その経緯からか不運にも現金決済以外の手段が検討課題に挙がってくることはなかったようだ。土産物店などで個別にカード決済を導入するケースはあったようだが、既存のアクワイアラでは営業に限界があったのか、町全体で広がることはなかったとみえる。そうしたなか登場したのがPayPayだ。同社のプレスリリースによれば、草津町商工会とPayPayが包括連携協定を締結したのは昨年2019年11月15日とのことだが、実際にはその前段階から個別に導入店舗が増えていたようだ。
きっかけは湯畑に隣接するセブンイレブンなどの大手チェーンが昨年7月1日以降にPayPayを含むコード決済各種に対応したことで、これ以後導入店舗と利用者ともに急増したとある商店は説明している。PayPay導入の決め手となったのは「手数料0%」という部分で、「導入しても加盟店にほぼデメリットなし」ということが後押しになったという。
とはいえ、PayPayの手数料免除は2021年9月までの時限措置だ。PayPay側の公式見解では「悪いようにはしない(ITmediaの記事)」、筆者の予想としては「上げられない」と考えている手数料問題だが、どうやらPayPayはここで草津の温泉街に興味深い提案を行なったようだ。
PayPayの営業は草津町商工会に対し、600(300という説もある)の加盟店を確保できれば、PayPay利用に際して前述の2021年以降の手数料を含む複数の優遇措置を提供すると申し出たようだ。12月初旬時点で出ているプレスリリースでは「200以上」の加盟店数となっているため、これをもう何段階か伸ばして町内のいたるところでPayPayが利用できるよう環境整備を行なってほしいということだろう。
実際、筆者が滞在中で何カ所か現金決済せざるを得ない土産物屋があったように、温泉街のメインストリートでもまだまだ対応していない店舗は多い。この草津温泉のPayPay対応と送客を支援するべく、群馬県の中心部で東京へのアクセスもいい高崎に専任部隊が配置されたという。
おそらく、同様の問題を抱える全国の著名観光地でもPayPayによる同じような営業攻勢が行なわれているとみられる。店舗にはPayPay導入を促してPayPay for Businessの利用を促進させ、観光客にはPayPayアプリのさらなる活用を促して送客誘導に結びつける。これまで、「現金のみ」というだけでなく、物理的な広告宣伝や都市部への直接営業でしか顧客誘致手段を持たなかった従来ながらの観光地が、PayPay登場を機会にデジタルツールを導入し、一気にデジタルマーケティングの世界へと誘導されつつある。
PayPayの登場は温泉街のキャッシュレス推進を促しただけでなく、「デジタルツール」という新しい人手不足解消やマーケティング支援を可能にする仕組みをもたらした。だがインバウンドという視点で見たとき、PayPayでカバーできるAlipay決済によって中国からの来訪者には対応できるものの、欧米や他のアジア諸国のようなクレジットカードの受け入れが課題になる。
ある商店ではSquareを導入してPayPay以外にクレジットカードの取り扱いも開始したが、PayPay以上にクレカの利用が多いという。単価150円のまんじゅう1個でさえクレカ決済しようとする人もいるようだが、決済手段が多ければ、それだけ使ってみようという人もいるということだろう。ただ大きな問題として、「キャッシュレス決済を導入したが、売上増には結びついていない」という意見が存在するのは確かだ。その点、手数料的なハンデのないPayPayの方がメリットが大きいが、現状で日本のユーザーのすべてがPayPayを利用しているわけではない。おまけに外国人はPayPayを利用していないし、PayPayが志向するマーケティングツールを使っての顧客誘導も行なえない。手数料をとられてなお導入に値するメリットが得られるかはインバウンド需要のほか、「PayPayではないクレカ利用客をどれだけ呼び込めるか」による。このあたりの効果を見極めるポイントであり、かつキャッシュレス化を加速するための試金石となるのが2020年、特に東京オリンピック前後の動きなのだろう。