西田宗千佳のイマトミライ

第174回

全試合が“配信”されるW杯 格闘技やPPVなどスポーツと配信の新時代

ABEMAはAmazonとワールドカップのアピールで協力

11月20日深夜から、「FIFAワールドカップカタール2022」(以下W杯)がスタートする。今回は国内では、ネット配信サービスの「ABEMA」が64試合すべてを無料で配信する。

それ以外にも、最近のネット配信では「スポーツ」が注目されるようになってきた。以前この連載でも解説したことがあるが、今回は改めて、その背景と影響を考えてみよう。

実はこの辺、短期間に「ビジネスとしてのスポーツ配信」のあり方が変わってきた事情もあるのだ。

「日本の深夜」W杯を支えるABEMAでの配信

今回のW杯はカタールで開催され、時差が6時間ある。試合は現地の午後から始まるため、13時開始のものは日本では19時からなので見やすいが、他の試合は22時から・深夜1時から・早朝4時からと、時間的にはなかなか厳しい。

というわけで、生中継よりも録画やオンデマンド配信の方が見やすい、という人は多くなるだろう。

ABEMAは64試合を生放送

サッカーファンとしては少々寂しいことだが、W杯自体が深夜の中継になること、近年の代表戦への注目度が低下していることもあって、「テレビでの無料中継は一部だけになるだろう」と言われていた。

だが結果的に、ABEMAが国内での配信権を獲得、全試合を無料配信する形で落ち着いた。狙いはもちろん、ABEMAの認知度拡大である。すでに多くの人に利用されているサービスではあるが、「W杯を配信できるまでになった」と示すことには大きな意味がある。

この流れで、ABEMAはアマゾンとの連携を強めている。

映像配信の利用が増えると、結果的にテレビ(もしくはそれに類する大型ディスプレイ)で映像配信を見るようになってくる。そのためにはなんらかの機器が必要になるが、テレビを買い替えるよりも外付けデバイスを買う方が安価に済ませられる。そこでは安価なアマゾンのFire TVを……というある種の共同キャンペーンなのだ。

アマゾンが自社とABEMAをセットで訴求する構造

アマゾンがFire TVを展開している理由は、一義期的には、自社が展開しているビデオサービスである「Prime Videoを使ってもらうため」である。

だが、アマゾンが手がけるビデオサービスの構造はもうちょっと複雑だ。

Prime Videoには、「Amazon Prime会員」向けに見放題コンテンツを提供する機能があり、Amazonのアカウントを介してコンテンツを単品レンタル/販売する「ストア」機能があり、さらに、「NHKオンデマンド」や「シネフィルWOWOW」などのコンテンツ提供事業者とそれぞれ契約してコンテンツを見せる「チャンネル」機能がある。

アマゾンの映像配信は「Prime会員向け見放題」「ストア」「チャンネル」の3つが併存する構造にある

それに追加して、Fire TVなどのアプリが動くプラットフォームでは他社の映像配信が視聴できる。ABEMAとの関係はここにあたる。

見放題
ストア
チャンネル

アマゾンとしてはこれらの利用すべてを推進する必要があり、どれもが混ざった形で視聴できることを目指している。すべてを理解して使うのは大変だが、Fire TVですべてをカバーし、結果としてPrime会員の数が増えたり、「ストア」「チャンネル」にお金を落としてくれる利用者が増えたりするなら、それで十分なのだ。

ボクシングブームが配信で起きる背景

さらにPrime Videoとしては、1つの軸が「ボクシング」になっている。

きっかけになったのは、Amazon Prime Videoが4月に生中継した「ゲンナジー・ゴロフキン 対 村田諒太戦」だ。2021年末に行なわれる予定だったものがコロナ禍で4月に延びたものの、まさにビッグマッチとして注目された。

Prime Videoは4月に「ゲンナジー・ゴロフキン 対 村田諒太」戦を中継

その後も9月・11月とPrime Video会員向けに定期的にビッグマッチの中継を行なっている。

このことは、現在日本のボクシング界が人気選手のビッグマッチ続きであることに大きく依存したものではある。だが、その狙いが成功しているのは間違いない。dTVも「NTTドコモ Presents PXB WORLD SPIRITS WBA・WBC・IBF・WBO 世界バンタム級王座統一戦 井上尚弥 vs ポール・バトラー」を12月13日に独占生配信、関連キャンペーンに活かす。

それ以前から、ABEMAやU-NEXTがPPV(ペイ・パー・ビュー)形式で格闘技系イベントを中継しており、コロナ禍ではこれもかなり好調だった。現在は観客を入れたイベントに回復しているが、どちらにしても、映像配信によるPPVはかなり利用が定着した。

U-NEXTも格闘技に投資。スポーツPPVを強化している

スポーツにはそれぞれの競技にファンがいる。だが放送がすべてをカバーしてくれるわけではない。ケーブルTVや衛星放送にもPPVはあるが、利用者数や気軽さの問題があって、日本では定着していなかった。

だが、ネット配信は極論、PCかスマホがあれば視聴できる。利用のハードルは非常に低い。熱心なファンだけでなく「ちょっと気になった」レベルの人でもひきつけやすい。そこからファンになってくれれば、利用は定着していくだろう。

映画やドラマ、アニメといった、多くの人が「配信」で思い出すものは、どちらかといえばマニアックなファンのいるコンテンツでもある。

ある一定層まで普及したら、今度は別の層に訴求するコンテンツが必要になる。バラエティのように「誰もがなんとなく見始めても楽しい」ものを用意する必要も出てくる。スポーツが増えてきているのは、映画などとは別の層のマニアックなファンに刺さりやすいコンテンツであるからだ。

そしてネット配信は、テレビ放送と違い、配信するコンテンツ数を増やすのが簡単だ。だとすれば、多様さを軸にサービス拡大を進めるところが、ラインナップの中に「スポーツ」を加えるのは当然の帰結ではある。

そしてなにより、こうした流れが「コンテンツを提供する人々」にとって、ちゃんとした収益の柱になるほどになってきた、という点は大きい。

昔は結局利用者が少ないので、ネット配信はプロモーションの一部のように思われていた。だが現在は、スポーツも含めたPPVは、興行収益の中にちゃんと組み込まれ、収益の柱の一つとして黒字をもたらすことも増えている。格闘技界は特にそこに着目しているからこそ、ネット配信でのPPVが増えている部分はある。

配信のマス化・収益をいろいろなスポーツで

もちろん課題はある。

ネット配信はハードルが比較的低い。だが地上波のテレビ放送に比べればマスとは言いがたく、本当に裾野を広げるには、PPVや会員制サービス登録者だけ、というわけにはいかない。

ABEMAのような無料配信を含むサービスでの利用者拡大は、プロモーション目的でのコスト投下とマス向けのアプローチの折衷案のようなところがある。今回のW杯については、ABEMAと連携するテレビ朝日系列は積極的に採り上げるだろうが、それ以外の民放では、日本代表が大活躍しない限り、意外と静かになってしまうかもしれない。

ABEMAのワールドカップ番組表

スポーツについては、W杯とボクシングに注目が集まっているところから、さらに幅広いものが視聴される時代へと広げていく必要もあるだろう。DAZNのような有償の会員制サービスも重要だが、それは最も濃い部分であったりもする。さまざまなスポーツについて、無料の入り口から濃いところへ進んでいける道筋が必要になっていく。放送では枠の問題で難しかったものだが、ネットでは不可能ではない。

DAZNもW杯特番を展開

あとは、興行としての収益性やプロの収益確保ともつながってくる。別の話のように見えるかもしれないが、eスポーツで起きている収益構造構築は、結局他のスポーツにも参考になるものは多いのでは、と思えるのだ。

無料・PPV・会員制をうまく組み合わせて、スポーツ業界自体が新しい市場として活用するようになってほしい。映像配信の事業者は、そこを1つのビジネスとして、いろいろなスポーツ団体などと組んで進めていくことをビジネス化してもいいのではないだろうか。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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