西田宗千佳のイマトミライ
第110回
シン・エヴァ劇場版、常識破りの「いきなりサブスク配信」の理由
2021年7月26日 08:30
7月12日には累計興行収入が100億円を突破、今年前半最大のヒット映画となった「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が、7月21日に多くの劇場で公開を終了した。
その直前に驚きの発表があった。同作が8月13日から、日本でもAmazon Prime Videoにてプライム会員限定で独占配信されるというのだ。
「シン・エヴァ」8月13日からAmazon Prime Video独占配信
劇場公開から配信までの時間は過去に比べ短くなってきているが、劇場公開から1カ月も経たずに、ここまでのヒット作が、しかも「見放題のサブスクリプション」に入る形で配信されるのは異例のことだ。
これはどういう背景に基づく戦略なのか? それを解説していこう。
「日本以外配信」から急展開の驚き
この配信には布石があった。
実は7月2日の段階で、「シン・エヴァ」は日本を除く240以上の国や地域で、Amazon Prime Videoを通じて配信されることが発表されている。コロナ禍で各国の映画館へのアクセスが困難な中、幅広い地域のファンに見てもらうには……という考えで決まったことだと説明されている。
シンエヴァ、海外でAmazon Prime Video独占配信。8月13日から
ただ、このニュースが流れると「日本は別なのか」という落胆の声は聞かれた。そう思うのも当然だろうと思う。しかし一方で、「劇場公開もまだ続くし、ディスク販売などもあるから、見放題は先。しょうがない」と思う人も多かったろう。筆者も「まあ、その形が一般的だろうな」と思っていた。
だが、結果的にその判断は覆った。筆者は内部事情を知る立場にはないので、「日本では見られないのか」という不評への対応なのか、それとも元々あとから発表する予定だったのかはわからない。しかし、このタイミングで「日本でも」という発表がなされたことが、非常に大きな効果を持っていたのは間違いない。事情を知っていた人以外でこの展開を予想していた人は少ないのではないだろうか。
映画ビジネスの基本「ウインドウ戦略」が変わる
そもそも、なぜ「いきなりサブスク入り」が驚きなのだろうか?
それは我々の中に「ウインドウ戦略」が刷り込まれているからだ。
ウインドウ戦略とは、主に映画について、販売や提供をメディアごとに順番に開始していくやりかたを指す。
「映画」として作られた作品はまず劇場で公開される。
次に来るのが、ディスクやテープなどの「セルメディア」だ。近年は同時、もしくは若干早くダウンロードでの販売(エレクトリック・セルスルー:EST)やレンタル(トランザクション・ビデオオンデマンド:TVOD)が行なわれることも増えた。
その後に来るのがディスクレンタル。ここで見る人の数が一番多くなるのが過去には一般的だった。
さらにその後に、衛星放送やCATVなどの有料チャンネルでの放送があって、最後に地上波でのテレビ放送がある。いわゆるサブスクリプションの映像配信は、ディスクレンタルか有料チャンネルと同じくらいのタイミング……ということが多かった。
この流れは、映画制作の出資者が主に映画会社であること、そして「コンテンツへのプレミアム性」という意味でセルメディアに大きな価値があり、そのあとに安価なマスへの展開が続く……という構造から生まれていたと言っても過言ではない。
だが、ネット配信の利用者が拡大して視聴のためのハードルが下がったこと、そして「視聴する人とそこからの収益」を考えた場合、ウインドウの順番は必ずしも固定されたものではなくなってきた。
日本でまず起きたのは「劇場」と「セルメディア」の境目の破壊だ。
特にアニメでは、劇場公開と同時に劇場でセルメディアを先行販売し、劇場に足を運べない人向けに、比較的高い値付けでネット配信を行なうパターンが出てきた。これは特にバンダイが得意とするやり方で、「作品制作の出資者が映画会社というわけではない」からやっていることでもある。
NetflixやAmazonなどが独自制作出資する「映画」の場合、劇場公開も行なわれるが、同時にサブスクリプションでも配信される。元々が「会員に対するプレミアム」としてオリジナル作品へ制作出資しているわけで、劇場のプライオリティは2番目。だからウインドウ戦略も当然変わる。
コロナ禍では劇場向けに制作された作品であっても、諸事情により配信に回ることがあった。Apple TV+で配信されている「グレイハウンド」、Amazon Prime Videoで配信中の「トゥモロー・ウォー」、Netflixで配信中の「シカゴ7裁判」などがそれに当たる。
自社で配信サービスを持つディズニーは、自社サービスでの配信に切り替えた作品が多い会社でもある。先日も「ブラック・ウィドウ」が、7月8日の公開翌日から、Disney+で追加料金を支払う「プレミアアクセス」の形で配信された。
「ブラック・ウィドウ」日本も7月9日公開。Disney+同時配信
過去、ある種常識になっていた「映画館の後に配信」「セルメディアの後にサブスク」といった順番は、すでに過去のものになっているのだ。
エヴァならサブスクとセルは競合せず。巧みな「利益最大化」戦略
話を「シン・エヴァ」に戻そう。
「シン・エヴァ」はなぜ劇場公開後、すぐにサブスクでの見放題を選んだのだろうか?
それはこういうことだと予想している。
まず、配給に東宝・東映が絡んでいるので、劇場での利益確保は最優先。映画館自体が苦境に立たされた時期であり、今後も「みんなで映画館で観る」という形態を大切なものと考えるなら、ここで大きな結果を残すのは至上命題だったのだろう。だから、ちょっとこだわりすぎると感じるくらい「興収100億」にこだわった。配布物や劇場挨拶、ネットやテレビでの連動も積極的に活用、リピーターを増やす施策を展開したのだ。
ディスクレンタルの利用者数は減っているものの、配信利用者は増えている。単品レンタルの利用はハードルが高いままだが、定額制なら話は別だ。そこでエヴァほどの作品となれば、有利な条件で「先行独占配信」のための契約を結ぶこともできただろう。
そこで重要になるのがセルメディアの位置付けだ。
配信で見たからもう買わない、という人もいるだろうが、エヴァのような作品であれば、その人数も限られる。ディスクというメディアで「所有」し、いつでも見たいというファンは確実にいる作品だからだ。そもそもセルメディアの収益だけで費用回収をしている作品でもなく、セルメディアを「短期でたくさん売らないとまずい」わけではない。良いディスクを作り、ファンのために長く売る方が理にかなっている。
……という風に考えると、「シン・エヴァ」においてはこの戦略が正しい、という結論に至る。
庵野秀明監督は本作のエグゼクティブ・プロデューサーでもあり、販売や周知展開などにもずいぶん気を配っていたという話は聞いている。それは今作に限らず、カラー制作の作品は皆そうだ。実際、同社はあらゆるパートに関わっている。映画配給から配信への流れについても、東宝・東映だけでなくカラーの考えも相当に反映されていると考えるのが妥当だろう。
自社が責任を持ち、作品の品質最大化だけでなく、利益最大化にも努めるというのが、企業としてのカラーの特徴と言える。今回の施策は、そうした部分が垣間見える「常識破り」だ。