西田宗千佳のイマトミライ
第72回
iモード公式サイトの終焉とコンテンツビジネス進化の系譜
2020年10月12日 08:10
10月7日、NTTドコモは、1999年2月より続けてきた「iモード公式サイト」によるコンテンツサービスを、2021年11月30日に終了する、と発表した。
iモードは、NTTドコモの3Gサービス「FOMA」が終了する2026年3月末で全サービスが終了することが発表済みで、すでに2019年9月30日以降、新規加入受付も終了している。今回の終了発表はその流れに沿ったものである。
iモードの登場は、個人とコンテンツのあり方に大きな影響を与えた。今回は、iモード以降の20年でモバイルでのコンテンツ市場について改めて振り返ってみたい。
iモードが「代名詞」になれた3つの理由
iモードが登場したのは1999年2月。今回話題になった「iモード公式サイト」が登場したのもこのときだ。その後同サービスが一気にコンテンツビジネスの中心になり、他社も追いかけ、多くの企業が「ケータイという巨大な市場の上に生まれるコンテンツビジネス」から羽ばたいていった。アメリカで1990年代後半からの5年間、PCのインターネットをベースに多くの企業が羽ばたいたのに対し、日本では1999年からの5年間で、携帯電話とそのコンテンツ、さらにはそこに関わる広告ビジネスが、新しい企業の苗床となった。
NTT DoCoMo、携帯からインターネットにアクセスできる新サービスを開始
それ自体、凄まじいダイナミズムだったわけだが、昔話を語るのはまた別の機会としよう。とにかく、「圧倒的にマスに普及する機器がコンテンツビジネスを生み出した」のが大きかった。
当初、この市場はドコモが圧倒的に強かった。KDDI(au)やJ-PHONE(2003年にボーダフォン、2006年よりソフトバンク)も積極的なサービスを展開してきたが、この種のサービスの総称が「iモード」になってしまったあたりで状況は明らかだ。
なぜiモードが強かったのか? 今から考えればいくつもの理由が想定できるが、筆者は3つの点が決定的だったと考えている。
一つ目は、当時、NTTドコモのシェアが圧倒的に高かったこと。1999年当時、NTTドコモのシェアは6割近かった。その後じわじわと下がっていくことになるが、トップシェアの企業が打ち出した新しいサービスの影響はやはり大きかった。
二つ目は、「メール」というキラーアプリとともに生まれたことだ。
メールといえばPCを使う人のもので、一日にやり取りされる件数も限られていたが、ポケベルから始まった「個人のための文字コミュニケーション」というニーズは、まさにブレイク寸前の状況だった。「10円メール」という、低価格かつカジュアルなサービスを打ち出したドコモが、その流れから「メールを携帯電話のキラーサービス」と位置付け、安価なプッシュメール(自動的に着信がわかるメール。今は当たり前だが……)を「iモードメール」として提供したことは、普及に大きく貢献した。
コンテンツを買う風習はすぐに立ち上がらなくとも、「メールをしたい」という欲求は素早く立ち上がる。その後長く続く「キャリア(携帯電話事業者による)メール」という文化は、この時に生まれたといってもいい。
三つ目に、「コンテンツの消費に向いた料金体系だった」という点だ。
1999年には、ドコモのiモードだけでなく、DDI・IDO(現KDDI)の「EZaccess(現EZweb)」もスタートしている。こちらも、iモードと同じく「モバイルでのネットコンテンツ」を軸にした。ただ、同社が採用したのは国際規格の「WAP」をベースにしたもので、しかも当時は「パケット課金」ではなく「時間課金」だった。今となっては信じられないかもしれないが、データをどれだけやりとりしたかではなく、「通信をしていた時間」で課金されたのだ。結果として、携帯電話の中でも「通信につながっているのかいないのか」を意識する必要があって、利用が複雑になった。この課題はもちろん、のちに解消され、iモード同様シンプルになり、市場を盛り上げていくことになるのだが。
それに対し、iモードはパケット単位課金だったので、「コンテンツを見る」ことに集中しやすかった。
また同時に、NTTドコモは積極的に「月額課金制」のコンテンツサービスを開拓し、利用料金がコンテンツプロバイダーに入る形を作った。
ちなみに、この時のNTTドコモに支払う手数料は10%。昨今話題が多い、スマホ以降のAppStore・Google Playの「30%」に比べずっと安い。しかしこれは、通信料金という形でも収益を得ることができたからである。
なお補足だが、同時期に海外の携帯電話上のプラットフォームでは「50%」も徴収される場合があり、30%という値は、世界的にみると「高率からスタートした」わけではない。逆にいえば、当時のiモードに代表される「日本の携帯電話事業者によるコンテンツ利用料金収受」のシステムが、いかに外部のコンテンツ事業者にとっては「おいしい」仕組みだったか、ということがわかるだろう。
音楽市場から見る「フィーチャーフォン」という黄金時代
フィーチャーフォン(いわゆるケータイ)が普及することで、2000年代、日本のコンテンツ産業は国内で我が春を謳歌した。
その勢いは、音楽産業だけをみても明白である。
以下2つのグラフは、日本レコード協会が発行している、2005年以降の「有料音楽配信」に関する統計データから、筆者が制作したものだ。
まずは売上を見ていただきたい。日本における有料音楽配信売上のピークは、2009年の約909億円。サブスクリプションによって急速に持ち直した現在も、ピークには届かない。その際の売上で大半を占めるのは「楽曲の単品ダウンロード」。これはPCとケータイからの売上をまとめた値だが、その多くがいわゆる「着うたフル」による、楽曲1曲ごとの配信である。当時は着うたで1曲80円から100円、着うたフルでは200円から400円と単価が非常に高かったため、売上額もそれだけ大きくなったのだ。
2011年以降、スマートフォンへの移行が本格化すると、着メロ・着うた(グラフの青)・着うたフル(グラフの灰色)に支えられた市場は大きく変化し、一気に数字が変わっていく。売上でなく「数量」に注目したグラフに切り替えると、それがよりはっきりわかる。
ダウンロード数のグラフでは、聴き放題で回数の意味が大きく異なるサブスクリプションは含んでいない。ご覧いただければはっきりわかるように、着メロ・着うたの市場がなくなると、回数そのものは一気に落ちる。それでも「楽曲単体ダウンロード」が安定しているのは、スマホへの切り替えに合わせ、着うたフルから「音楽配信での単品購入」に移行していったからである。この結果、着うたフル時代に比べ単価が下がり、数の変化以上に売上が落ちている。
デジタルでも本物のコンテンツが得られる時代に
このことから、「ケータイ時代が懐かしい」という業界関係者もいる。「スマホになってコンテンツ規模は大きくなったのに、単価はあがらず、プラットフォーマーに取られる金額も上がった」という意見は、たしかにその通りだろう。
だが、筆者は「これでいいのだ」と真剣に思っている。なぜなら、確実に消費者にはプラスの方向に動いているからだ。
スマホ以前、携帯電話でのコンテンツは、通信回線とハードウエアの貧弱さの両方から、「本物の体験」とはいえないものだった。電子書籍やコミックもあったし、アプリもあったが、どれも今の水準から見れば貧弱なものだ。だが、手軽な課金手段がともにあったこと、マスにとってはPCよりも手軽であったことから、言葉は悪いが、そんな「代替物」でもお金を払っていた。貧弱な環境でも、人は「楽しめればお金を払う」ものなのだ。だが、それは本当に幸せな形だったのだろうか。
しかし、今は違う。
スマホで得たコンテンツは、タブレットやPC、テレビでも楽しめる時代になり、質は「本物」と言えるものになった。
フィーチャーフォン向けに売られたコンテンツを引き継ぐことはほとんどできず、消費者にとって非常に不利な時代だったが、今は「サービスが無くならなければ、いろいろな機器で楽しめる」のが当然だ。
もちろん、サービス終了という最大の課題はあり、永続的とは言い難いのだが、「紙やディスクが傷むのと大手のサービス終了はどちらが早いか」を考えると、なかなかに判断が難しい。もうそういうレベルで考える時代だ。
さらに現在は、サブスクリプションサービスの定着により、多くの「本物のコンテンツ」をお得に楽しめるようになった。世界中からお金が集まるようになり、より多くの資金がコンテンツに投じられるようになったからだ。
たしかに、iモードに代表される「ケータイ」の時代は、コンテンツビジネスを拡大し、日本国内に大きな可能性をもたらした。その後スマホになり、海外のプラットフォーマーに収益を取られる時代になったのは寂しい。
だが、技術的制約ゆえに「デジタルコンテンツは偽物で、本物は物理的メディアにしかない」時代が終わり、「オンラインコンテンツも本物だし、物理メディアにも本物がある」時代になったことは、消費者にとっては明らかにプラスだ。
スマホ登場と定着から10年を経て、消費者はデジタルコンテンツにまたお金を使うようになっている。それは明らかに、単に手軽だからではなく、得られるコンテンツが本物になったからではないか。
それを考えると、iモード時代が本当に終わるのは、まさに時代の移り変わりを象徴した出来事と言えるのではないだろうか。