小寺信良のくらしDX
第16回
少しずつ変わり始めた、バス運賃支払いの実情
2024年6月27日 08:20
首都圏に暮らしていると、バスの利用頻度は人によって極端に別れるように思う。毎日通勤通学で最寄り駅までの足として使う人がいる一方で、バスにはもう何年も乗ってないという人もいる。地方においては、自家用車がない場合はバスがほぼ唯一の公共交通機関となるところも多い。こちらも別の意味で、毎日使う人と何年も乗っていない人の差は大きい。
このようにバスは、習慣性の高い交通機関だ。だが昨今は交通ルート検索でバス路線も出てくるようになっており、知らない土地に降りたって目的地まで行くのにバスを使うのは、ある意味ライフハック的な手段となっている。
バス利用の敷居を大幅に下げたのは、2007年にPASMOが登場し、同時に交通系ICカードの相互利用サービスが始まったからだ。昔は乗る前に小銭があるかどうか確認したり、バスが信号で止まったところを見計らって1,000円札を両替したりと、なかなか油断ならなかった。
そもそも地方のバスはローカルルールが多い。前から乗るのか後ろから乗るのか、整理券がいるのかいらないのか、運賃はどこまで定額なのか、細かいことはバス停にも何も書いてないことも多いので、電車同様タッチで乗れる、どこに行っても同じ手段で乗れるのは大きな変化だった。
キャッシュレス一本化という流れ
そんなバスの決済に、変化が起きようとしている。共同通信が報じたところによれば、国土交通省が7月をめどに、路線バスの運行規定を見直し、現金では運賃を支払えない「完全キャッシュレスバス」を解禁する見込みだという。
今年7月3日には新札が発行される。現在のバスは現金精算も可能だが、新札が発行されるとなれば、精算機(両替機)もそれに対応しなければならない。すべてのバスを新札対応にするには、かなりのコストがかかる。全国レベルでみれば、そもそもバス経営は赤字路線も多く、経済効果もあるといわれる新札発行で逆に疲弊してしまっては、本末転倒というわけである。
もちろんすぐさまキャッシュレスオンリーになるわけではなく、旧札が流通している間は、いきなり旧両替機が撤去されるわけではないだろう。だが新札に対応するか、それともキャッシュレスに踏み切るかは、事業者にとっては悩ましい判断だ。
バスの完全キャッシュレス化が難しいのは、現金しか持ってない人の対応である。電車であれば駅構内に現金で購入できる切符の自動販売機があるが、バス停にはそのようなものはない。
では現金しかない人は、乗車拒否することになるのか。道路運送法の十三条には「運送引受義務」が定義されており、やむを得ない事情がないかぎり、「運送の引受けを拒絶してはならない。」とある。
そのやむを得ない事情の中には「国土交通省令で定める正当な事由があるとき」という条項がある。国交省が省令で、電子決済できない人は乗車拒否できると決めてしまえば可能なわけだ。しかし現実問題として公共交通機関が、お金がなくて払えないわけではなく、決済方法のみを理由に乗車拒否できるのか。法の趣旨からすれば、なかなか難しいように思える。
複数の決済方法を用意しておけば、どれかは対応できるという考え方もある。昨今は都市部の鉄道路線で、交通系ICカードと併用でクレジットカードのタッチ決済にも対応する実証実験が開始されている。すでに空港へ接続するリムジンバスは、海外顧客の利便性のためにタッチ決済の採用が進んでおり、事前にチケットを買っておかなくても済むようになりつつある。
タッチ決済の難点は、複数の鉄道事業者の相互乗り入れや、JRと私鉄の乗り換えの対応が難しいところだ。だがバスの場合は、いったん乗ってしまえば途中で運営会社が変わるということもないので、鉄道とは事情が違う。
交通系 vs クレカ決済という流れ
熊本県の路線バス5社と熊本電鉄では、2024年内に交通系ICカードの利用を停止(くまもんのICカードは除く)し、タッチ決済へ全面移行することを発表した。6月25日の熊本市議会予算決算委員会で、タッチ決済導入費の助成金約1億2,000万円の予算も成立した。
この背景には、交通系ICカードの設備更新費用が高額であることがある。既存機器の更新で約12億円かかるところ、タッチ決済なら半分のコストで導入できるという。
熊本県の令和5年度の路線バスにおける交通系ICカードの利用構成比は24%。くまモンICカードが51%、現金その他が25%であったという。交通系ICカードの利用は、首都圏の人が思っているほど高くない。
昨年の夏、鹿児島市に旅行した際に路面電車に乗ったが、2023年11月から鹿児島市交通局ではタッチ決済の実証実験を行なっている。タッチ端末が別に取り付けられているるので、利用する人がどの精算方法を使うのかがわかる。しばらく観察してみたところ、およそ1/3の人がタッチ決済で利用していたようだ。一方スマホタッチで乗車する、交通系ICカードを利用する人は、意外に少ない印象だった。現金で精算した人は、1人だった。それ以外はおそらく、ローカルICカード「Rapica」であろう。
クレジットカードのタッチ決済のメリットは、事前のチャージが不要という点である。鹿児島市のRapicaは、チャージできる場所が限られるため、旅行者にはハードルが高い。
交通系ICカードも、スマホでのチャージであれば手元で簡単に行なえるが、結局はクレジットカードからの移し替えだ。最大のメリットは、事業者をまたぐ乗り換えも1枚で行けることだが、地方では電車の利用率が低く、そもそも私鉄がないところも相当あるので、乗り換えが発生しない。都会ではメリットの多い機能も、地方では活かされるチャンスがない。
弱者は誰で、どうカバーできるのか
キャッシュレス決済に絞るのも、交通系からクレジット系に移るのも、原因は決済コストである。決済方法を増やすことで利用者も増えてきたが、その増加も飽和点に達した。決済方法の維持コストに耐えられなくなれば、減らすしかない。
少数派の決済方式をなくすと、これまでその決済方法を利用してきた人は、他の方法に乗り換えざるを得ない。現金でしか決済できない人の場合、スマートフォンもクレジットカードも持っていないかもしれない。
インバウンド客のために現金決済を残すべきと言う人もいるが、スマホもクレジットカードも持たない人が日本に旅行に来るとは思えない。旅行客にデポジット付きの交通系ICカードを買えというより、クレジットカード決済できたほうが利便性は高い。
自らのポリシーで現金主義を貫きたい人は別として、現金でしか払えないという人の利便性確保のために高コストな現金決済手段を維持すれば、結果的には運賃に転化されることになる。だが運賃に転化されれば、現金以外の決済手段を持たない生活困窮者などが利用しづらくなるという矛盾が生じる。
銀行口座があればタッチ決済付きのデビッドカードは作れるが、一般的には15歳以上とされており、今度は子供達への対応が難しくなる。だから誰でも買えて安全にチャージできる交通系ICカードは維持すべき、との意見も出てくる。ただそのメリットは、地方自治体独自のICカードで代用できるのも事実だ。
都市部では交通系ICカードの有用性が高いことから、キャッシュレスで一本化という方向性を模索するところも出てくるだろう。一方地方では、地方ICカードとクレジット決済の二元化で決済方法を減らしていかなければ、そもそも公共交通機関としての事業維持が困難になる可能性もありうる。
電子決済は、「最終手段としての現金払い」が担保されたことで普及した面は否めない。今度はその最終手段なしで行けるのかが試されるタイミングになってきたわけで、その試金石がバス、という事だろう。