小寺信良のシティ・カントリー・シティ
第38回
深夜の大地震で問われる覚悟と確認
2022年1月29日 10:00
1月22日深夜1時8分に発生した、大分と宮崎にまたがる日向灘を震源とする地震は、マグニチュード6.6とかなり大きな地震であったため、全国でも報じられた。
宮崎市在住の筆者は自宅であるマンションの3階で就寝中だったのだが、家の中のあらゆるスマートフォンから一斉に最大音量で警報がなり、家族全員が飛び起きることとなった。なんだなんだ、と寝ぼけている間、約10秒後に大きな横揺れが来た。外からは、近くの消防署のサイレンが鳴り響いているのが窓越しに聞こえてきた。
10秒程度では避難にもならないが、寝ているところを揺れで起こされるよりは、状況が把握できる。その点では、エリアメールがあるとないとでは、被害状況もかなり違うのではないかと思われる。
宮崎県内で最も揺れが大きかったのは延岡市と高千穂町の震度5強。筆者は東日本大震災のときにさいたま市に住んでいたのだが、そのときのさいたま市の震度と同じである。宮崎市内は震度4で、何かが倒れるといったことはない程度であった。
宮崎県の発表によれば、この地震の人的被害は軽症者4人で、断水、落石、倒木、亀裂などが発生したものの、家屋の倒壊はなかった。津波がなかったため、震度の大きさの割には、被害が少なかったと言えるだろう。
宮崎は地震の多いところではないが、宮崎県沖の日向灘では、十数年から数十年に1度の割合で、マグニチュード7クラスの地震が起きている。ここは南海トラフとはまた別の震源地で、日向灘プレート間地震と呼ばれるようだ。今回の地震は震度が少し小さいということで、南海トラフとの関係は不明とされている。
記録を追ってみると、宮崎市で最も大きな被害は、津波を伴った1662年(寛文2年)の「外所(とんところ)地震」で、マグニチュード7.6と推測されている。このときには、加江田・本郷地区の一部海岸、周囲約32kmが海に没したとある。地図を見てみると、清武川と加江田川に挟まれた、現在宮崎県総合運動公園があるあたりが水没して大きな入り江になったようだ。1702年ごろに完成したと言われる元禄国絵図を参照すると、下2つの川の間が入り江になってしまっているのが確認できる。
実は不動産や測量関係の人からも、このあたりは津波で沈んだことがあるという話は異口同音に聞いたことがあった。今から360年前の災害も、未だ語りぐさになっているという事であろう。
筆者が幼稚園児のときにも、大地震があった。このときは昼間で家に居たが、地震の揺れではなく、居間にかかっていた大きなゼンマイ式の柱時計が歯車でも抜けたのか、猛スピードで回転し、ゴンゴンゴンゴンと正時を知らせる鐘が鳴り止まなかったほうが怖かったのを覚えている。普段は従順なマシンの暴走に、狂気を感じたのだろう。
調べてみると、これは1968年4月1日9時42分頃とされる日向灘地震で、マグニチュード7.5であったようだ。この日は月曜日だが、まだ4月に入ったばかりで春休み中だったのだろう。この地震の後しばらく停電し、当時井戸水を電気ポンプで組み上げていた我が家は水が出なくなって、近所の水道から家族総出で水を汲んだりと、往生したのを覚えている。
どこに住んでも逃れられない地震と津波だが…
政府の地震調査委員会は1月13日、活断層や海溝型の地震の長期評価を発表し、南海トラフ巨大地震の40年以内の発生確率を「90%程度」に引き上げたばかりだった。宮崎県では、南海トラフ巨大地震津波に日向灘地震津波を加えて、被害想定を行なっている。想定マグニチュード9.1で、東日本大震災の9.0相当という事になる。
これによれば、津波高は最大16m、平均9m。宮崎市でもハザードマップを公開しているが、多くの人に役立つように、別のマップで見てみよう。海面が上昇するとどこが水没するかがわかる、「Flood Maps」というサービスを使って宮崎市を見てみると、想定される平均9mで市内の人口密集地ほぼ全域が水没することがわかる。宮崎市発行のハザードマップの結果ともだいたい一致する。皆さんがお住まいの地域も、調べてみるといいだろう。
筆者の住むマンションは4階建てだが、地震や津波で倒壊しないという保証はない。実際に東日本大震災のときには、宮城県女川町で4階建ての鉄筋コンクリート造の建物が横転し、70mも流されている。加えて地盤の液状化による沈下や横転の可能性もある。
また被害想定では、最短津波到達時刻は津波高1mで18分とされている。余震を用心して避難行動開始が遅れれば、残りは8分~10分といったところだろう。
上記の考えると、地形として高いところまで逃げるというのは現実的ではなく、近隣の大型の建物に逃げるというのが妥当である。皆さんもお住まいやお勤めの場所で、今のうちに洪水時の避難場所をご確認いただきたい。
筆者宅からの避難場所を確認すると、近隣にある「イオンモール宮崎」が最も近い。筆者宅から建屋まで約300mぐらいである。もう一つの避難場所は高台にある中学校で、ここまでは約800m。家族を連れて走るとなると、500mの差は小さくない。
ただ、先日の地震は深夜だった。当然イオンモールも営業していないわけで、避難可能なのかわからない。そこでイオンモール宮崎に取材してみた。
深夜に津波等の災害があった場合は、店内を通らず、屋上駐車場へ登る3カ所のスロープから、屋上へ避難できるということであった。またその際は当直の警備員が避難誘導に当たるという。駐車場入口には特にゲートのようなものはなく、いつでも出入りできる。
ただ問題は、位置関係である。
イオンモール宮崎は、海岸線から直線距離で500m程度しか離れておらず、海と建屋の間にはほとんど人家はない。この周辺に住むほとんどの人は、イオンモール宮崎西側の内陸側に住んでいる。つまり津波警報が出たら、津波が来るであろう海のほうへ向かって逃げるという事になる。本能的な恐怖に打ち勝って、海へ向かって走れるだろうか。
ニュースでは、オミクロン株のピークは2月上旬という予測も出ている。このタイミングで被災のために避難生活となれば、これまでの避難とは全然違った状況になるだろう。昨今は地震や台風で避難指示が出ても、在宅避難を選ぶ人が増えている。家屋が倒壊の恐れがないのであれば、自治体では在宅避難を勧めるところも多いようだ。
一方で津波は、大半の家屋は流されて更地になる。避難しなければ命がない。地震が起きたら津波がアリかナシか、そこが行動の分かれ目であろう。