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空海ゆかりの国宝も多数展示! 東京国立博物館の「神護寺展」

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」

東京国立博物館では、創建1200年を記念して、特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」が、7月17日から9月8日までの会期で開催されている。

既に会期が後半に入った同展では、《薬師如来立像》や《五大虚空蔵菩薩坐像》、《釈迦如来像》、《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》、さらに《山水屏風》などの寺宝であり国宝でもある展示品がズラリと並ぶ。また国宝だけでも、今展の主役である空海著の《風信帖》や《灌頂暦名》、《金剛般若経開題残巻》だけでなく、最澄著の《御請来目録》や《尺牘(久隔帖)》など、平安初期の二大スターの真筆も多く見られるという、非常に贅沢な内容だ。

8〜9世紀に、空海が中国・唐から持ち帰ってきた、国宝《金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)》京都・教王護国寺蔵
14世紀の鎌倉時代に作られた重要文化財《弘法大師像》京都・神護寺蔵
概要

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」
会期:2024年7月17日(水)〜9月8日(日)
会場:東京国立博物館 平成館
入場料:一般2,100円、大学生1,300円、高校生900円

なお、展示室内の撮影は禁止。以下は、主催者の撮影許可を得たうえで掲載している。

展示室内の撮影は禁止
《二天王立像》と扁額のみが撮影可能

空海ゆかりの寺宝を展示

後に弘法大師と呼ばれる空海と関連の深い寺院は多いが、中でも名高いのは、歴史の授業で必ず習う、高野山の金剛峯寺だろう。

だが、中国の唐から、当時最新の仏教の教えである密教を持ち帰った空海が拠点とし、真言密教のはじまった場所なのが、のちに神護寺となる高雄山であり高雄山寺だ。

高雄山神護寺は、京都市街の北西に位置する。ちなみに平安時代の当時、御所は現在地よりも西にあった(上図の「平安京大内裏朱雀門跡」を南端とし、東西の中心とした場所)

今展の最重要キーワードの「密教」や「真言密教」とは何かについては、筆者は多くを語れない。今展の資料に頼れば「密教は金剛界と胎蔵界という別々に成立したふたつの世界に大きく分けられますが、ふたつの世界をひとつの大きな世界にまとめたのが空海です。それを真言密教といいます」と記されている。難しい……。

とにかく今展では、空海が制作に関わったと考えられている、「金剛界」と「胎蔵界」……つまりは真言密教の世界をビジュアル化した、「曼荼羅」が展示されている。2つの世界を描かれているため、一般に《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》と呼ばれ、8月12日までの前期展示では《胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅》が展示され、8月14日からの後期では《金剛界曼荼羅》が見られる。

平安時代の空海が制作に関わった現存最古の両界曼荼羅と言われる、神護寺蔵の国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》のうち、8月12日までの前期展示では《胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅》が展示されている
国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》のうち、8月14日からの後期展示で見られる《金剛界曼荼羅》

いずれも中心の大日如来を囲むように様々な仏や菩薩などが描かれている。……が、下の展示風景の写真を見て分かるとおり、褪色が激しい。それでも、4m四方の大きさの実物を目の前にすると、とてもありがたい気持ちになる。

「何が描かれているかハッキリとわからないんでしょ?」という人も安心してほしい。この高雄曼荼羅は、密教の修行に不可欠なものということで、後世に何度も模本(複製)が作られている。その中で、江戸時代に作られた神護寺蔵の《両界曼荼羅》も、2幅が並んで展示されている。国宝の原本と同空間で見ることで、より理解が深められるだろう。

江戸時代の1795年に模写された胎蔵界曼荼羅と、1794年に模写された金剛界曼荼羅が並ぶ、《両界曼荼羅》

さて、真言宗をひらいた空海と、天台宗の開祖である最澄が、804年の同時期に中国・唐へ留学へ行ったことで、よく知られる。2人は唐の別の場所で仏教を学ぶが、空海が密教を修めたのに対して、最澄は天台宗に加えて密教の一部を学んできた。

翌805年に一足先に帰国した最澄は、密教の灌頂(かんじょう)を高雄山寺で行なった。灌頂とは密教の大切な儀式だが、一般的にこの時の灌頂は、のちに空海が行なう灌頂に比べて、十分なものではなかったとされている。

そして空海は806年に帰国し、高雄山寺に入る。810年には当時の嵯峨天皇の許しを得て真言宗を立教開宗。さらに812年には、同じ高雄山寺で、日本初となる金剛界と胎蔵界の両部の灌頂を行なう。この時の灌頂に際して、空海が記した灌頂受法者の名をメモしたものが《灌頂暦名(かんじょうれきみょう)》。名簿の筆頭には、最澄の名前が記されている。

《灌頂暦名》はメモ書きということで、正直、字が雑に感じる。だが、弘法大師=空海は「弘法筆を選ばず」といわれる通り、能書家として、嵯峨天皇や橘逸勢とともに「三筆」の一人に数えられている。そちらの片鱗が感じられる、国宝《金剛般若経開題残巻》(前期展示)や《風信帖》(後期展示)も、同展で見られる。そのほか、最澄の真筆が見られるのも見どころの1つだ。

国宝《灌頂暦名》は、平安時代の弘仁3年(812)に記された灌頂受法者の名簿。京都・神護寺蔵。展示期間:8月25日まで
国宝《金剛般若経開題残巻》は、9世紀の平安時代に空海が記した解説書。奈良国立博物館蔵。展示期間:8月12日まで

初めて寺の外に出る国宝指定の仏像 仏像ファンも必見!

空海が806年から拠点としていた高雄山寺が、官寺である神願寺と併合され、寺名を神護寺と改めたのは、天長元年(824年)のこと。神護寺と呼ばれているが、正式には神護国祚真言寺。

その合併前の神願寺または高雄山寺から引き継がれ、神護寺の本尊とされたと考えられているのが、国宝の《薬師如来立像》。今展チラシには「日本彫刻史上の最高傑作」と記されている。

《薬師如来立像》が、寺の外に出るのは、少なくとも神護寺が創建されてからは初めてのことだという。それだけでも貴重な機会といえるが、展示室では、正面だけでなく通常では見られない、像の横からも見られるのが特筆点だ。

8〜9世紀の平安時代に制作された国宝の《薬師如来立像》京都・神護寺蔵
横からもじっくりと拝顔できる《薬師如来立像》京都・神護寺蔵。脇士する重要文化財の《日光菩薩立像》と《月光菩薩立像》も9世紀作で、京都・神護寺蔵
薬師如来は、左手に薬壺を持っていることが多い

展示室の《薬師如来立像》の近くには、《日光菩薩立像》と《月光菩薩立像》のほかにも、室町時代から江戸時代に制作された《四天王立像》や《十二神将立像》など数々の彫刻が並び、その姿は圧巻。

第5章の展示風景
第5章の展示風景

この《薬師如来立像》は、今展のハイライトとして最後に配置されているが、それ以前にも時間をかけてじっくりと見るべき彫刻がある。9世紀の平安時代に制作された、国宝《五大虚空蔵菩薩坐像》だ。

解説によれば、法界・金剛・宝光・蓮華・業用の五大虚空蔵菩薩像のなかでは、日本で制作された現存最古例だという。また、肉感あふれる官能的な表現を特徴とする、初期密教彫刻の傑作としている。

平安時代の9世紀に制作され、国宝に指定されている神護寺蔵の《五大虚空蔵菩薩坐像》
展示風景

まだある国宝や寺宝の数々

とにかく今展では、国宝や重要文化財に指定されたものが展示室内のあちこちに配置されている。

例えば、8月12日に終了する前期展示では、一般に神護寺三像と言われる、いずれも13世紀の鎌倉時代に描かれた肖像画が見られる。教科書でしか見たことがなかった《伝源頼朝像》をはじめ《伝平重盛像》と《伝藤原光能像》だ。ほぼ等身大で描かれている肖像画を実際に目の前で見ると「え? こんなに大きなものだったの」と驚くかもしれない。

諸説ある肖像画だが、源頼朝が、NHK大河ドラマの『鎌倉殿の13人』で市川猿之助さんが怪演していた僧の文覚とともに、神護寺と深く関わっていたのは確かなこと。そのあたりの関連展示も見られるので、興味があれば予習していくと良いだろう。

右から《伝源頼朝像》、《伝平重盛像》と《伝藤原光能像》。いずれも神護寺蔵。展示期間:8月12日まで
国宝《文覚四十五箇条起請文》中山忠親筆・平安時代 元暦2年(1185年) 京都・神護寺蔵。展示期間:8月14日〜9月8日

同じく前期展示では、16世紀の室町〜安土桃山時代に、狩野秀頼によって、高雄山や神護寺の様子が描きこまれた、国宝《観楓図屏風》もある。

16世紀の室町〜安土桃山時代に、狩野秀頼によって描かれた高雄山や神護寺の様子が描かれた国宝《観楓図屏風》東京国立博物館蔵。展示期間:8月12日まで

また8月14日からの後期展示では、国宝の《釈迦如来像》や《山水屏風》の展示も始まる。

平安時代の12世紀に描かれた《釈迦如来像》のパネル。京都・神護寺蔵の原本は、8月14日から展示される
13世紀の鎌倉時代に描かれた京都・神護寺蔵の《山水屏風》も、8月14日からの後期展示

日本史における最重要人物と言っても過言ではないだろう、弘法大師・空海。その空海が壮年期の多くの時間を過ごし、真言宗を開宗した高雄山。特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」では、その空海の息吹を十二分に感じさせてくれる。また空海とは直接の関わりのない神護寺の寺宝を、惜しげもなく東京に持ってきてくれている。会期が残り少なくなってしまったが、後悔のないよう時間を作って見に行きたい。