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海の森公園、"未完成”なグランドオープン 自然は豊富・荒涼とした寂しさも

海の森公園の上空を航空機が飛び交い、羽田空港が近いことを感じさせる

3月28日、東京・江東区に都立海の森公園がグランドオープンしました。一般的に都立公園は建設局が所管していますが、同公園は東京湾の埋立地に海上公園として整備されたことから港湾局の所管となっています。

前編では領土問題など、この地の複雑な歴史と成り立ちをたどりました。後編では、グランドオープンした海の森公園を初日に訪れ、どのように海の森が整備され、今後はどのように変化していくのかを確かめてきました。

公共交通は以前と変わらず未整備

3月28日、東京都港湾局が海の森公園をグランドオープンさせました。グランドオープンを記念し、同公園では3月28日〜30日まで多くのイベントを開催しました。

前編でも詳述したように、海の森公園は東京湾に造成された中央防波堤(中防)という埋立地に所在しています。中防は、その成立過程から北側の内側埋立地と南側外側埋立地に区分されます。このほど開園した海の森公園は、厳密には内側埋立地に位置し、2007年から本格的に植樹を開始しています。

2005年の中央防波堤は公園になることが想像できないほど荒凉とした土地となっていた(2005年6月撮影)
2005年当時は、まさにゴミの処分場といった雰囲気(2005年6月撮影)
生物の生息できる空間を目指した取り組みも進められていた(2005年6月撮影)

同地が江東区に決まる前から、東京都は将来的に公園として使用することを想定して整備を進めてきました。2015年にはプレオープンしましたが、当時は園路もほとんど整備されていませんでした。

海の森公園がプレオープンした2015年10月は、まだ園路が整備されていなかった(2015年10月撮影)

こうした整備状況でもあるため、海の森公園を訪れる人も少なく、それが公共交通の未整備にもつながっていました。公共交通を使ってアクセスするには、現段階でりんかい線の東京テレポート駅から発着している都営バス「波01」しかないのです。「波01」は途中でゆりかもめの駅を経由しますが、そうしたアクセスの不便な点から海の森公園は喧騒から隔絶された空間になっていました。

アクセスマップ(海の森公園公式サイトより)

グランドオープンを果たしましたが、今でも公共交通は相変わらず整備されているとは言い難く、これまでと同様に「波01」に乗るしか術はありません。ただ、グランドオープン期間中は公園内で祝賀イベントが開催され、多くの来園者が見込まれたために、京葉線・東京メトロ有楽町線・りんかい線の新木場駅からシャトルバスが、有明埠頭の客船ターミナルから臨時の水上バスが運行されました。

グランドオープンでは、有明埠頭から水上バスが臨時運航された

筆者は2005年から、繰り返し中央防波堤に足を運んで東京湾の埋立地の変遷を取材してきました。海の森公園がグランドオープンした初日の3月28日、往路は有明埠頭の客船ターミナルから臨時の水上バスに乗船して同地を訪問しました。

有明埠頭の客船ターミナルから海の森公園の船着場までの乗船時間は約30分です。客船ターミナルを出港した水上バスは、東京ビッグサイトを背にして目の前に架かる東京ゲートブリッジの方向へと航行していきます。

水上バスからは東京ゲートブリッジを間近で見ることができる

東京ゲートブリッジは2012年に開通した江東区の若洲と中防を結ぶ橋梁で、中防へのアクセスを飛躍的に改善させる役割を担っています。しかし、東京国際空港(羽田空港)の近くにあるので、東京ゲートブリッジは航空法によって高さ制限を受けています。その一方で、桁下が低いと大型船が橋の下を通航できなくなります。東京ゲートブリッジは、そうした難しい条件をクリアするように設計された橋梁なのです。

海の森公園の東端には船着場があり、ここで水上バスの乗降をします。今回はグランドオープンということで臨時便を運航しましたが、定期便の設定はありません。

海上から遠望した中防は、海の森公園がグランドオープンを果たしても、未完成という雰囲気が漂っていました。そうした印象は船着場に到着すると、より強くなりました。

水上バスから遠望する中央防波堤

遊び場は未完成ながら多種多様な生物に出会える

船着場の目の前には「わいわい広場」と命名されたスペースがあり、背の高い複合遊具が設置されています。公園だから遊び場として体裁を整えるべく遊具が設置されていると思われますが、同公園の周辺に住宅はありません。親子連れが来ることはあっても、子供だけで遊びに来るような場所ではありません。複合遊具の周辺には特に親子で遊べるような施設はなく、それだけに複合遊具は浮いたような雰囲気になっています。

複合遊具が設置されたわいわい広場の遠景。明らかに浮いた空間という印象
複合遊具の上から中央防波堤を眺める

また、わいわい広場は船着場の目の前にありますが、「波01」が発着する公園西端からは徒歩で10分程度の距離にあります。バス停から徒歩10分かけてまで複合遊具を目的に来園する親子連れを想定することは難しい状況です。

グランドオープンで公園内に設置された案内看板

わいわい広場は明らかに整備途中という雰囲気が漂っているので、これから遊具が増えていく可能性もあります。砂場やボール遊びのできるグラウンドといった遊び場機能が充実していくのでしょうが、それでも荒涼とした寂しい印象は拭えませんでした。

わいわい広場から園外に出て、公園沿いの公道を歩きます。道路を挟んだ南側に2020年東京五輪のボート・カヌースプリント、2020年東京パラリンピックのボート・カヌー競技会場として使用された海の森水上競技場が立地しています。海の森公園の一部でもある同競技場ですが、今回のグランドオープン初日には特にイベントなどは予定されず、静寂に包まれていました。

海の森公園沿いの公道。右が海の森公園、左が海の森水上競技場
公園内には、海の森が東京五輪2020の競技会場になったことを示す案内板が各所に設置されている

海の森水上競技場の正面にある5番ゲートと掲示されていた門は、水上競技場口と呼ばれる入り口です。そこから公園内へと入ってみます。緩やかな坂道を歩いていくと、多くの木々が植えられ、それらの木々には青々とした葉がついていました。これは東京都や国土緑化機構、国際森林協会などが定期的に植樹イベントを実施し、海の森をゴミの山から自然が溢れる公園へと変えてきた成果といえるでしょう。

海の森公園内には、植樹イベントだけで約24万本の苗木が植えられました。それら苗木の購入資金は募金によって集められ、約4年で目標額となる5億円を達成しています。また、ボランティアがドングリから育てた木々も植樹されています。

公園を埋め尽くす木々の中でも、目を引いたのがオオシマザクラです。日本の固有種でもあるオオシマザクラは、その名前から想像できるように伊豆大島が起源とされています。伊豆大島は東京都に属するので、そうしたルーツも都立公園に植えられる木としては相応しいように感じます。

海の森公園内に植樹されたオオシマザクラは3月末から4月初旬が見頃

また、オオシマザクラは栄養の乏しい土壌でも育てやすいことから、水質汚濁や大気汚染といった工場地帯では環境改善を目的に積極的に植樹されてきた過去があります。1973年から1987年にかけて約1,230万トンものゴミと建設残土の処分場だった中央防波堤に植えられる樹種として、オオシマザクラは適しているようにも思えます。ただ、潮風への耐性がそれほど強くないので、園内に多くは植樹されていないようです。

オオシマザクラのほかにも多くの木々が植樹され、それらが育ち、園内には多くの野鳥が飛来するようになりました。アスファルト舗装された園路を歩いていると、その脇に大きく育った木々が立ち、そこには鳥の巣箱が設置されているのを目にできます。

園路脇の木々には、飛来する鳥が営巣できるように巣箱を設置

また、園内にはいくつも草原のような区域があり、そこにはシマヘビやアオダイショウが生息しています。これらのヘビは人体に有害な毒は持っていませんが、噛まれるなどの危険もあるので、散策時には注意が必要です。そのほか、ギンヤンマやアオスジアゲハ、トノサマバッタといった昆虫類も多く生息しています。

都心部から近いにもかかわらず、こうした多種多様な生物に出会うことができる公園があるのも、人工的な環境から隔絶されていることや東京都をはじめとする公的機関が自然を豊かにする努力を続けてきたことが大きく影響しています。

イベントでも活用される「つどいの草原」

船着場からわいわいの森を経て、豊かな自然を称えるふるさとの森やお手植えの森を通ってきましたが、ここで公園の正面玄関とも言える中央口に足を向けてみます。

中央口は管理事務所とシャトルバスの駐車場に挟まれた中間地点に設けられています。今回は臨時便の水上バスに乗船したので公園の東側からアクセスしましたが、海の森公園のメインゲートともいえる正面入り口は、現時点でもっとも西側に位置する中央口です。グランドオープンイベント時の中央口には、開園を記念したアーチが造営されていました。

グランドオープンを祝して、中央口に設営されたアーチ

園路脇に掲出された案内看板には、公園内に植樹された木々の樹種や植樹年が記されています。この看板を見るだけで、公園内がどのように整備されたのかといった歴史や過程を知ることができ、海の森が誕生するまでに多くの人たちが汗を流してきたことを感じられます。

海の森公園内に植樹された木々の樹種と植樹年を伝える案内板

中央口から登っていくと風の森、そして坂上広場といった空間があります。そこからさらに上を目指すと、広場のような空間が現れます。ここが、海の森公園の顔とも言えるつどいの草原です。

つどいの草原

つどいの草原は、これまでの森のような雰囲気とは打って変わり、開けた印象のある空間です。グランドオープンでは、つどいの森にはメインステージと屋内ステージという2つのイベントスペースが設営されました。そして、開園初日には「おしりたんていショー」やフジテレビ系で放送されていた子供番組「ひらけ!ポンキッキ」などのキャラクター・ムックによるピアノショーで盛り上がりました。

ムックによるピアノ演奏も披露された。現在はBSフジの子供向け番組「ガチャムク」などに出演している

そうしたステージイベントで盛り上がるつどいの森の片隅には、キッチンカーも集まっていました。

つどいの草原にはキッチンカーなどが出店して飲食スペースも確保されているが、ゴミステーションは設置されておらず、ゴミは各自が持ち帰ることになっている

今後、つどい草原はフェスなどのイベントスペースとして活用される予定です。船着場から海の森公園を散策すると、公道を除けばまさに森の中を歩いているという印象を抱きました。

つどいの草原から小高い丘を登ると、北側にお台場を見られる展望スポットが整備されている

公園に芝生広場が設置される理由と課題

しかし、つどいの草原は周囲に木が植えられていません。遮るものがないので、東京湾から吹き付ける潮風を強く感じられます。さらに東屋のような屋根が付いた休憩スペースもないので日陰もありません。

つどいの草原は日差しや海風を遮るものが一切ない

グランドオープン初日は朝から雨が降っていましたが、それも午前中には止みました。決して好天といえる天気ではありませんでしたが、昼には太陽が照りつける場面もあり気温は上昇しました。

その影響で、来園者の多くは直射日光を避けるように入り口付近の木製リングのようなゲートの下で固まるように休憩していました。3月末でこんな状態ですから、本格的に暑くなる7月、8月はもっと炎天下になるはずです。つどいの草原で実施されるイベントを楽しむには日陰が必要に感じましたが、そうした配慮はなされていないようです。

つどいの草原の入り口にある木製リングのような建物

これは海の森公園に限った話ではありませんが、昨今の公園は維持管理の手間や費用の問題から、木々を伐採することが珍しくありません。木々を伐採すると、落葉や除虫といった手間を省けるからです。

木々を伐採しながらも一定の緑化率を維持しなければならないので、昨今の公園は芝生広場を設けるのです。芝生でも高木でも緑化率は同じように算出されるため、維持・管理の手間やコストを抑えられる芝生広場のある公園が増えているというわけです。

芝生広場はにぎわいの創出という口実の下でイベントやキッチンカーの出店スペースにも使われます。木々が植えられた森林は、イベント会場やキッチンカーの出店スペースとして使用できません。そうした出店スペースを確保するという意味でも、芝生広場は公園のトレンドになっています。

経済効率の観点だけで見れば、木々を伐採して芝生広場にすることは“稼ぐ公園”のために必要な措置なのかもしれません。しかし、あまりにも“稼ぐ”ことを追い求めると、その経済性にも疑問が生じてきます。公園は、あくまでも“公”園であり、本来は“稼ぐ”ことを課せられた空間ではないのです。

近年の公園は、特に商業施設化が顕著になっています。そうした公園の商業施設化は、公園が綺麗になったと好意的に喧伝されることも多いのですが、本来は公園が内包している公共性という役割がどんどん薄れてきているのです。

そもそも公園を商業施設化する必要はあるのでしょうか? 公園にカフェやレストランがあると便利ですが、それだったら大型のショッピングモールを建設すればいいだけで公園をつくる必要はないのです。

東京都港湾局が作成・配布している海の森公園のパンフレットには、海の森プロジェクトのコンセプトが2つ記載されています。海の森は「1:循環資源型の森づくり」「2:都民参加による協働の森づくり」のコンセプトによって計画・造成されてきたのです。この2つのコンセプトは商業主義とは相いれないものでしょう。

海の森公園内に開設されたつどいの草原は、明らかに経済的に活用されることを想定した空間でした。開園時の海の森公園はコンセプトの1と2を満たしていると思いますが、稼ぐことに成功すると、コンセプトの1と2を忘れて稼ぐことに傾斜してしまう危険性もあります。

海の森は、ゴミの山を美しい森へと変えた約半世紀にわたる取り組みです。多く人が海の森のコンセプトに賛同して、公園づくりを金銭面にも人的にも支援してきました。そうした人たちが費やした金銭・労力を踏みにじらないように、掲げたコンセプトを決して忘れてはなりません、そうした人たちの期待に応えて、オープン後もさらに木々を増す取り組みを続けてもらいたいと願っています。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。