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運転免許証120年の歴史とマイナ免許証が誕生するまで
2025年3月4日 08:20
マイナンバーカードの利用拡大の一環として、運転免許証と一体化する、いわゆる「マイナ免許証」が3月24日から始まる。すでにスタートしている「マイナ保険証」とも異なる仕組みを採用しており、既存の免許証も併用することができる。
新しく始まるマイナ免許証とは何か。運転免許証の120年の歴史の中でも最大規模の変化であるマイナ免許証についてまとめた。
木製鑑札から始まった運転免許証
現在の運転免許証は道路交通法に規定されており、2022年に改正された「令和4年改正道路交通法」でマイナンバーカードと運転免許証の一体化に関する規定が整備された。その運用開始は2025年3月24日からとなっている。
従来の運転免許証を単独でそのまま継続することもできるし、運転免許証とマイナ免許証を併用することもできるし、マイナ免許証単独に切り替えることもできる。さらに今後は、マイナンバーカードのスマートフォン搭載が予定されており、マイナ免許証もスマートフォン搭載が予定されていることから、普段の持ち歩きには物理カードが不要になる。
運転免許証の歴史で、物理カードの持ち歩きが明確に不要になるのは初めてのことだが、別の証明書と一体化するのも初めてのことだ。
そんな運転免許証の歴史は長い。
日本で自動車が走るようになったのは明治期の後半。諸説あるが、現在の研究では1898(明治31)年に持ち込まれた仏パナール・ルヴァッソール製自動車が最初とされる(例えば高田公理 2008 『日本社会と自動車』)。
以前までは、例えば1899(明治32)年に輸入された「自動三輪車式米国製プログレス電気式自動車」、1900(明治33)年に後の大正天皇が皇太子時代に成婚祝いで送られた電気自動車、といった説もあった(尾崎正久 1937 『日本自動車発達史』明治篇)。
交通に関する法律はそれ以前から存在しており、最古のものは1872(明治5)年の「人力車渡世者心得規則」と考えられる。人力車に関する規則で、お互いが行きかうときには「互いに左へひきさけて」という条項がある。現在の左側通行のはしりだ。
続いて1881(明治14)年に警察令「人力車取締規則」が制定されている。ここで警察署から「鑑札」を受けて営業し、鑑札を携帯するよう定められた。ただ、これは営業許可証の類だろう。ここでも「車馬と行きかうときには左に避ける」との一文があり、警視庁ではこれを「左側通行の始まり」としている(警視庁交通部 1961 『警視庁交通年鑑 昭和35年中』)。
こうした規制は、基本的には各地域が独自に制定していたもののようだ。明治20~30年代にかけては、各地で「道路取締規則」が制定されていたが、1898年の自動車の登場以降、各地で新たなルールが制定され始めた。
最初の「自動車取締規則」を制定したのは愛知県とされている。1903(明治36)年8月20日に「乗合自動車営業取締規則」が制定された。この頃は他にも11月に富山県、12月に岡山県が乗合自動車営業取締規則を公布している。ここでは運転手は届出をして鑑札を保持する必要性が規定された。これが、「日本で最初の運転免許証」とされている。当時は木製だったらしい。
前述の『日本自動車発達史』明治篇によれば、この乗合自動車営業取締規則が制定された背景には、新興の乗合自動車事業者と客馬車業者の対立があった、とされている。
なお、1901(明治34)年に、のちの警察講習所(警察大学校)長である松井茂が左側通行を警視総監に進言したという本人の文章が残されている(警察協會 1924 『警察協會雜誌』(285))。その結果「人と車は左側を通行すること」という規則が発せられた、と松井は記している。左側通行に関して松井は、「特別に深い研究から出たわけではないが、古くから日本では、武士の帯刀の関係などで自然と左側通行になっていた、という"説"も参考にした」という旨の記述をしている。
いずれにしてもこうして交通法規の歴史は始まった。1907(明治40)年には東京府の自動車は16台だったという(警視庁史編さん委員会 1959 『警視庁史』[第1] (明治編))。
この1907(明治40)年には警視庁令として「自動車取締規則」が交付されている。営業用自動車だけでなく、「自家用自動車に対する規定」が盛り込まれており、自家用でも自動車を使用する際には警視庁への届出・認可が必要だった。運転する場合も、住所や氏名などを警視庁に願い出て免許証を受けることが求められた。
同規則では、免許証を受けるときは「必要であれば試験を実施する」と定められていた。実地試験が必要な場合、どうやら警視庁に試験用の自動車がなかったのだろう、あらかじめ発行された呼出状を携帯すれば、無免許でも自分で自動車に乗って警視庁に出頭できたらしい(極東書院 1917 『自動車取締規則』)。
前述の通り、運転免許証はまずは鑑札という形で木製だった。例えば群馬中央バスのサイトには、大正7年に交付された鑑札が掲示されており、明治末期からこの頃まではこうした木製や銅板の免許証が使われていたようだ。
1919(大正8)年、内務省が自動車取締令を公布。ここで各地域バラバラではなく、内務省として統一的な規則が設けられた。加えて各地域では自動車取締施行細則が定められたようだ。「運転手免許証」として甲乙の2種類があり、有効期限は5年間とされた。実地試験と筆記試験の2種類を受けて合格すると免許証が交付されると定められていた(秋野栄之助 1925 『自動車取締令及施行細則 : 内務省令東京府神奈川県埼玉県群馬県千葉県現行』)。
それまでは木製の鑑札だったが、運転手免許証の様式が全国的に統一され、紙の折りたたみ式の冊子となったのはこのタイミングだった(警視庁警務部教養課 編 1984 『自警』66(10))。免許証に顔写真も貼付されるようになったようだ。
1933(昭和8)年8月には大幅な改正が行なわれ、普通自動車、特殊自動車、小型自動車の3種類に分類された。当初の運転手免許証から運転免許証に名称が変更されたのもこの時点。これまでの規定は曖昧で、無免許でも取り締まれない場合があったとされ、より厳しい規定に改正された。この段階で免許証の様式も変更され、手帳型になった。表紙は黒色革製金文字入りで、普通免許証の用紙は浅葱色だった(坂井勝 1935 『交通の知識』)。
その後、戦時中の変更もありつつ、戦後の1948(昭和23)年1月、道路交通取締法と道路交通取締令が施行される。この時の運転免許証は有効期限が2年に変更された。それが1953(昭和28)年に3年へと改正されている(横井大三, 木宮高彦 1965 『註釈道路交通法』)。
道路交通取締法は昭和30年までに8回の改正がなされた。それまで存在していた道路交通取締令は1953(昭和28)年に廃止され、道路交通取締法施行令や道路交通取締法施行規則へと移行された。新たな免許証の様式が定められ、表紙は黒色の革かレザー、ビニールで、金または黄色の文字入り。折りたたむと横11cm、縦7cmという横書きの免許証だった。写真は脱帽、正面、上三分身像、無背景、ライカ判、となった(日本自動車文化協会 編 1958 『道路交通取締法令集』)。
次の大きな改正は1960(昭和35)年6月に公布、12月に施行された「道路交通法」。道路交通取締法や同施行令を廃止して制定されており、大幅な改定となった。改正の背景は、道路交通の急速な発展が影響したとされている(宮崎清文 1966 『注解道路交通法』)。
『注解道路交通法』によれば、1948(昭和23)年の自動車台数は23万台だったのが、1959(昭和34)年には267万台、1965(昭和40)年には760万台と拡大していた。
この道路交通法も何度か改正されている。例えば1964(昭和39)年の改正では、日本がこれまで未加入だったいわゆるジュネーブ条約に加入して、国際運転免許証を国内でも利用できるようにするという改正が盛り込まれた。10月の東京五輪によって外国人の来訪が増えることを見越してのものだったようだ(『註釈道路交通法』)。
道路交通法施行規則では別記様式第14が運転免許証の様式を定めている。1960(昭和35)年の道路交通法施行規則では、表紙は黒色の革、レザーまたはビニール製として金文字または黄文字入り、11×7cmの折りたたみ式と定められている(衆議院法制局, 参議院法制局 共編 1963 『現行法規総覧』第8編 警察・消防)。この別記様式第14の項目は現在までも続いている。
この頃まで、免許証の有効期限はその公布日から3年とされていたが、更新を忘れて失効させる人が年間約8万人いたという。その結果、1972(昭和47)年の道路交通法の一部改正で、運転免許証の有効期限が「3回目の誕生日」までとなった(1973年4月1日から実施)。
それに先立つ1966(昭和41)年には、表紙と裏表紙がビニール製となり、無色透明のビニールで覆った2つ折り式となった。サイズは10×7cmになって耐久性が向上したという(道路交通研究会 編 1994 『月刊交通』25(3)(291))。
さらに1973(昭和48)年10月1日から登場したのが写真免許証。従来の免許証は偽造が多く、当時は不正利用の検挙件数が年間450件程度あったという。耐久性もなかったため、再交付が年間14~15万件に達していたとのことで、偽造耐性や耐久性を高めるため、「写真に撮った免許カードを無色透明のポリエステルケースに挿入し、これを加熱、蒸着する」ことで携帯に便利で耐久性の高い免許証とした(道路交通研究会 編 1973 『月刊交通』)。
この時、写真のカラー化も図られたが、全免許証のカラー化とはなっておらず、1975(昭和50)年をめどに全免許証のカラー化を実施できるように設備増強をすると警察では記していた(警視庁交通部 編 1973 『警視庁交通年鑑』)。一般的には「免許証のカラー写真化」とされているのがこのタイミングだ(『昭和49年 警察白書』)。
また、免許証番号の形式が1981(昭和56)年9月10日に発出された、警察庁交通局運転免許課長名での「運転免許証の番号の形式及び内容について」で変更された。1966(昭和41)年に定めた番号形式を改め、公安委員会コード(2桁)+年別記号(2桁)+公布番号(6桁)+チェックデジット(1桁)+再交付記号(1桁)の12桁となった。
この写真免許証は20年使われてきたが、次第にカードサイズを望む声が多くなった。そのため、1994(平成6)年5月に施行された改正道路交通法にあわせて、免許証の小型化も実施された。
それまでは、導入当時の定期券(90×60mm)を参考にサイズを決めていたが、新たにこの当時のJIS規格X 6301-1979(磁気ストライプ付きクレジットカード)を参考に現在のサイズとなった。ちなみにこれまでの免許証は、「免許証台紙を写真撮影してそれを印刷する」という仕組み上、不鮮明だったり視認性が悪かったりした。小型化に伴ってこれを刷新し、昇華型インクリボンで直接印字して、表面をUVコーティングすることで、鮮明に印刷できるようになったという(道路交通研究会 編 1994 『月刊交通』25(3)(291))。
次の変化は、2001年(平成13)年の改正道路交通法で、この時「運転免許証の記載事項の一部を電磁的方法に記録できる」とされた。運転免許証の偽変造防止やプライバシー上の観点から本籍地を券面から削除するという要望に応えるためだった。これ以降、ICカード化の具体策の検討を進めることとなった(『平成14年 警察白書』)。
警察庁は1994年頃まで、内部ではICカード化の検討を進めていたらしい。それが進展した背景には、オウム真理教による運転免許証の偽造事件があり、1995年に予算化が認められたことによって調査研究が可能になったからだという(全日本交通安全協会 1995 『人と車』31(10)(495))。その結果、同年には「運転免許証のコンタクトレスICカード化に関する調査研究委員会」から提言が行なわれた(『平成8年 警察白書』)。
そうして2001年の改正道路交通法によってICカード化が認められたが、2004(平成16)年の道路交通法施行令と同施行規則の一部改正において、ICカード化した免許証の発行開始に関する規定が整備され、2005年4月1日の施行からICカード免許証の発行が可能になった。
最終的にICカード免許証がスタートしたのは2007(平成19)年1月から。5都道府県から開始され、2008年1月からはさらに5県でIC免許証の発行が開始された(『平成20年 警察白書』)。これが現在の免許証で、発行開始から18年が経過したことになる。
そしてマイナ免許証に向けた検討が進められることになる。
マイナ免許証の成立へ
運転免許証をマイナンバーカードと一体化するというのがマイナ免許証だ。ただ、以前にもレポートしたとおり、比較的早期から一体化を想定していた健康保険証とは異なり、運転免許証の一体化は当初、あまり考慮されていなかった。
公式に一体化に関して言及した資料としては、2014年の自民党政務調査会IT戦略特命委員会による「2020年世界最先端IT国家の具体像に関する提言 デジタル・ニッポン2014」がある。この中で、個人番号カード(マイナンバーカード)に関して「多くの国民が保有するカードとの機能一元化」として、健康保険証と運転免許証との一元化を「中長期的課題として検討すること」とした。
こうした提言を踏まえて、国会では2015年5月26日に、参議院の内閣委員会での議員からの質問に、政府参考人の内閣官房内閣審議官が「個人番号カードにできるだけ一元化する方向で検討してまいりたい(中略)。免許証につきましても当然検討すべき事柄」だとしつつ、「政府でこういう方針が決まったものではございません」と回答。
ただ、同じ委員会で警察庁交通局長は「警察庁としては、運転免許証と個人番号カードの一体化については慎重にならざるを得ないところ」と答えており、政府よりも慎重な姿勢を示していた。
2016(平成28)年からマイナンバーカードの発行がスタート。以前のレポートで記載したように、当初の普及はゆるやかで、政府は活用方法を模索していた。
その中で、自民党は継続して運転免許証の一体化を目指していたようで、2016年5月に自民党のIT戦略特命委員マイナンバー利活用推進小委員会が発表した「マイナンバー制度利活用推進ロードマップ(Ver.2)」にも、マイナンバーカードのワンカード化として「運転免許証と機能一体化」が言及されている。
ただし、2017年3月の総務省の「マイナンバーカード利活用推進ロードマップ」にはこの文言はなく、やはり警察庁としては了解していなかったのではないかと推測できる。
2018年2月に日本経済団体連合会(経団連)が発表した「国民本位のマイナンバー制度への変革を求める」では、「運転免許証や健康保険証、年金手帳等に加えて、母子健康手帳や図書館カード等を個人番号カードに一元化すべき」とワンカード化の推進を強く求めており、産業界からの要請も強まっていたようだ。
そして最終的なきっかけとなったのは、ICカード免許証の契機がオウム真理教事件だったように、新型コロナウイルスの蔓延だろう。2020年に入ってから世界的に蔓延した新型コロナウイルスは日本でも猛威を振るい、デジタル化の遅れが問題を拡大させたという認識が広まった。
その中で2020年6月23日に「マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループ」が設置された。6月30日の第2回会合で課題整理がされ、「マイナンバー制度の利活用範囲の拡大」として、「運転免許証その他の国家資格証のデジタル化」との言及が行なわれた。
こうした取り組みは、国や自治体など行政のデジタル化を推進するために、マイナンバーカードの普及促進を進めたいという菅義偉首相(当時)の方針が背景にあったようだ。2020年9月16日に新内閣として国家公安委員長に就任した小此木八郎氏は就任会見で、「デジタル化の推進は、この内閣の重要政策であります。総理から特に、運転免許証のデジタル化について強い指示が私にございました」と発言している。
さらに9月23日のデジタル改革関係閣僚会議でも小此木氏は、「警察におきまして、運転免許証のデジタル化について、国民の利便性向上につながるよう進めてまいります。手続やシステムの在り方について、関係省庁と連携して、速やかに検討を進めてまいります」と話しており、この時点で方針は定まっていたようだ。ちなみに、こうした動きと同時にデジタル庁の創設も進められていたタイミングだ。
その後、10月16日に小此木氏は、新システムへの移行が2022年度から2025年度までかかる見込みで、マイナンバーカードと運転免許証の一体化が「早ければ令和8(2026)年中にスタート」と発言。
12月になって同WGは「マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤の抜本的な改善に向けて(国・地方デジタル化指針)」を取りまとめ。その中で「運転免許証のデジタル化」として「2024年度(令和6年度)末にマイナンバーカードとの一体化を開始する」と明記した。
最終的には2022(令和4)年の通常国会で、マイナ免許証に関する規定の整備を決めた道路交通法の一部改正が成立した。
その後は制度設計が進められ、2024年7月には「運転免許証及び運転免許証作成システム等の仕様」が改正され、仕様書V10が策定された。そして2024年9月に「道路交通法の一部を改正する法律の一部の施行に伴う関係政令の整備等及び経過措置に関する政令案」の意見募集が行なわれた。11月にはその結果を踏まえて制定され、施行日が2025年3月24日と決まった。
マイナ免許証の仕組み
そうして登場するマイナ免許証だが、現状では従来の運転免許証、マイナ免許証、運転免許証とマイナ免許証の併用という3種類の運用となった。
従来の運転免許証の仕組みは変わらないため、そのまま継続して問題ない。マイナ免許証を発行した上で、免許証を継続する併用パターンも可能で、その場合は、例えば運転免許証は自宅に保管し、マイナンバーカードに一体化しつつ、いざという時には免許証を利用する、といった使い方もできる。
運転免許証を返納してマイナ免許証に一本化することもできる。この場合、マイナンバーカードのみになり、物理的な運転免許証は存在しなくなる。
運転免許証は、もともとNFC Type B方式の非接触ICチップを搭載している。ICチップ内には、記載事項として券面に記録された情報が保管されている。氏名、カナ、生年月日、住所、交付年月日、免許証の番号、免許証の色区分、有効期間、免許の条件、公安委員会名、写真といった情報だ。記載事項でない本籍や電子署名も保管されている。
マイナンバーカードは、同じくNFC Type B方式の非接触ICチップを搭載し、そのICチップ内の空き領域にAP(アプリケーション)を追加して機能を拡張できる仕組みになっている。マイナ免許証では、この領域を利用して警察独自のカードAPである免許証カードAPを追加する形で実現する。
AP間での連携はないため、免許証カードAPがマイナンバーカードの他のAPにアクセスすることはなく、マイナンバーや氏名、住所などの情報にアクセスすることはできない。免許証とマイナンバーの紐付けも行なわれておらず、警察官が持つマイナ免許証読み取りアプリで、マイナンバーカードの免許証以外の情報を取得することもできない。
住所や氏名などが変更になった際に市町村に届け出ると、マイナンバーカードの情報が変更されるが、それと同時に変更が警察にも通知されて免許証情報も書き換えられるワンストップサービスでは、事前に警察に対して登録が必要になる。この場合、マイナンバーカードの署名用電子証明書(6~16桁のパスワード)を使って、警察署の機器で設定する。署名用電子証明書を使うため、やはりマイナンバーは利用されないので、不安に感じる必要はない。
免許証カードAPをマイナンバーカードのICチップ内に記録するためには、免許センターなどで作業を行なう。発行自体はいつでも可能で、手数料1,500円でマイナ免許証の取得が可能。免許証の返納も可能だし、逆にマイナ免許証を返納して通常の免許証に戻すこともできる。通常の免許証の交付や再交付のときに申請して両方を保有するなら、この料金は100円で済む(免許証の交付手数料は2,350円なので、実際は2,450円になる)。
記録されるのは「特定免許情報等」。これを記録されたマイナンバーカードは「免許情報記録個人番号カード」と呼ばれ、道路交通法第95条の二にもとづき運転免許証と同じ扱いとなる。
記録されている特定免許情報は、免許証の色区分、有効期間、免許の条件、免許情報記録番号、免許の種類といった情報。モノクロ写真と電子署名も保管される。マイナンバーカードの暗証番号とは別に暗証番号を指定することもできる。
逆に、従来の免許証のICチップに保管されている氏名、住所などの本人情報は登録されない。例えば警察官が免許証を確認する際など、マイナ免許証ではこうした本人情報はマイナンバーカード券面を確認し、ICチップを使った確認はしない。券面に記載のない、有効期限や色区分、条件、免許証の番号などはICチップを読み込んで確認するというフローになる。
マイナポータルを使うことで免許情報を確認することもできるが、さらにスマートフォンやPC向けに「マイナ免許証読み取りアプリ」がリリースされる予定。3月24日までにリリースされる予定で、警察官などもこうしたツールを使ってマイナ免許証を確認することになる。
なお、道路交通法第95条の二第8項では、例えば警察官が運転手に免許証の提示を求めた際に、運転手がマイナ免許証を提示した場合、警察官がICチップの読み取りをすることに運転手は応じる義務があることを規定している。
他にも免許証の記載事項変更や免許更新などの手続きをする場合、マイナ免許証のみでも問題なく利用できるように規定されている。ただ、例えば一般の店頭で会員登録手続きをする際の本人確認などで、これまで運転免許証を使っていたところでは、マイナ免許証は使えなくなる。
運転免許証と同じ強度の本人確認書類であるマイナンバーカードがあるので、そのまま本人確認すれば問題ないはずだが、仮に「運転免許証以外は認めない店」があれば、本人確認書類として使えない場合はあるかもしれない。
また、国際運転免許証を取得して海外で運転する場合、渡航先の国によっては従来の運転免許証が必要になることもあるので、この場合もマイナ免許証だと対応できないので注意が必要だ。
マイナ免許証への一本化をしている場合のメリットとしては、住所変更などの記載事項が変更になった場合、氏名、住所、生年月日の変更に関しては、前述のようにワンストップサービスによって事前に申請することで警察への届出は不要になるので、引っ越しや結婚などでは、役所や警察にそれぞれ足を運ぶ必要はなくなる。
また、マイナンバーカードを使った更新時のオンライン講習の受講も可能になる。マイナ免許証のみであれば本籍の変更がマイナポータル連携によってオンラインのみで行なえるようになる。免許更新時などの手数料が少し安くなるというメリットもある。
警察庁の資料によれば、例えば免許更新時、通常の運転免許証の手数料が2,850円のところ、マイナ免許証のみなら2,100円、逆に両方を保有する場合は2,950円となる。
そうしたメリットはあるが、限定的ではある。本命は、マイナ免許証のスマートフォン搭載が実現してからだろう。
スマートフォンに免許証
現在、マイナンバーカードの機能をスマートフォンに搭載するための開発が進められている。これまで、マイナンバーカードに含まれる電子証明書をスマートフォンに搭載する「スマホ用電子証明書搭載サービス」はAndroid端末向けに提供されてきたが、マイナンバーカードの機能全体をスマートフォンで利用できる機能が開発中だ。
現時点ではiOS向けに、Appleウォレットにマイナンバーカードを保管する方向で開発が進められており、2025年の春の終わり頃をめどに提供が開始される計画となっている。
カードを掲示して券面の目視確認による本人確認というより、相手側のリーダーにスマートフォンをかざしてデータを送信することで、より安全な利用ができるというもの。
国際標準のmdocと呼ばれる形式でデータが記録されるため、AppleウォレットだけでなくGoogleウォレットへの対応も想定されている。現時点で時期は明らかにされていないが、Androidも対応される見込みだ。
このmdocの中でも特に運転免許に特化したmDLという規格があり、米国ではAppleウォレットやGoogleウォレットなどに対して、一部の州の運転免許証が搭載可能になっている。日本でもこれが実現する見込みで、そうなれば運転免許証がスマートフォンに搭載されることになる。
これも、券面を見せて目視確認する使い方ではなく、氏名などを含めてデータで送信する形になるだろう。マイナ免許証とは異なり、マイナンバーカード自体がスマートフォンに搭載されているため、物理カードの持ち歩きは不要になる見込み。いわば、「スマホ免許証」が登場することになる。
運転免許証のスマートフォン搭載がいつになるかは、現時点で明らかにされていない。前述のマイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループでは、2020年12月の取りまとめで、「モバイル運転免許証の国際規格の策定状況及びマイナンバーカードのアプリケーション化の検討状況も踏まえ、諸外国との相互運用性の確立も視野に、運転免許証の在り方の検討を進める」としていた。
mDLの仕組み自体はグローバルの規格であり、世界的に広まれば、国際免許証を取得せずに、各国でmDLのデータを送信することによって、レンタカーを借りたり警察官に提示したりでき、スマートフォンだけで運転することができるようになる可能性もある。
運転免許証の歴史で言えば、世界的には1893年8月にフランスで「車両の運転に有効な能力証明書を定義する大臣通達」が出されており、これが「世界初の運転免許証」と目されている。イギリスでは1903年の自動車法の制定で運転免許証が導入されている。日本の愛知県の乗合自動車営業取締規則も1903(明治36)年だったので、世界的にも導入は早い方だった。
そして今回の運転免許証のデジタル化についても、国民的なIDカードや政府が発行する運転免許証がスマートフォンに搭載されるのは、世界でも最先端の事例ではある(米国の場合は州が運転免許証を発行)。
各地域で個別に発行されていた時代から数えると、最も古くは1903年に木製の鑑札が登場してから120年あまり。マイナンバーカードとの一体化で、免許証自体の現物が不要となり、さらに今後のスマートフォン搭載で、文字通り物理カードを持ち歩くことなく、車の運転ができる時代がやってくる。
健康保険証のスマートフォン搭載も実現されるため、スマートフォン1台でさらに多くのことができるようになり、それを見越した新たなサービスが登場することで、より便利な世の中になっていくことも期待できそうだ。