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トヨタの月面探査車"ルナクルーザー" 開発はどこまで進んだか

©JAXA/TOYOTA

2024年4月、日本人宇宙飛行士がNASAの月探査計画「アルテミス計画」の月面ミッションで2回の月面着陸機会を確保することに盛山文科大臣とNASA長官が合意しました。最初の機会は早ければ2020年代中、2回目は2030年代です。実現すれば日本として初めて有人月探査を行なうことはもちろんですが、月面に人が降り立った2番目の国になる可能性もあります。

アルテミスミッションにはさまざまな国が参加しており、月周回探査を行なう「アルテミス2」にはカナダの宇宙飛行士が参加し、また宇宙飛行士が搭乗する「オライオン」宇宙船のサービスモジュールは欧州が製造しています。

各国が貢献する中で、日本が先んじて有人月面探査の機会を手にしたのは、2031年に打上げを目指す「有人与圧ローバ」という大きな貢献があるからにほかなりません。日米の合意は、日本から有人与圧ローバを提供、米国から日本人宇宙飛行士の月面滞在機会提供という内容になっています。

出典:文部科学省 第89回宇宙開発利用部会「有人与圧ローバの検討状況」より

有人与圧ローバ(ルナクルーザー)とは?

有人与圧ローバとは、月面で宇宙飛行士を乗せて走行する探査車(ローバー)です。1969年から1972年まで続いた米国のアポロ計画では、宇宙服を装着して搭乗するオープン型のローバーを利用することで人間が足で歩くよりも探査の範囲が飛躍的に広がりました。

有人与圧ローバはその名の通り「与圧キャビン」という、宇宙飛行士がその中で宇宙服を脱いで生活できる機能を備えています。宇宙服を着用して船外活動(EVA)と与圧キャビン内での休養と補充を繰り返すことで、1週間あたり最大24時間(4時間×6回)のEVA時間と1回あたり最大20kmの連続走行距離を組み合わせ、アポロ計画よりさらに多様な探査を実施できるようになるでしょう。

出典:文部科学省 第89回宇宙開発利用部会「有人与圧ローバの検討状況」より

人が月に行って探査するにあたっては、科学的、資源的な価値の高い地域を調査し、重要なサンプルを着実に持ち帰ることが大切です。居住性を備えたローバーは、いわば月面を走る宇宙船ともいえるもので、採取したサンプルを分析し吟味する余裕を与えてくれます。将来の月面基地の建設や長期間の滞在の足がかりになるともいえるのです。

日本はこれまで宇宙輸送手段としての有人宇宙船を開発したことはありませんが、国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう(JEM)」で培った有人滞在施設の開発経験や、これまでの人工衛星・探査機で築いた要素技術を総合して有人与圧ローバ開発に挑みます。

2019年にトヨタが開発に参入することが大きく報じられていますが、JAXAがこれまで持っている技術と開発経験を合わせての総合的な開発でもあるのです。

2031年打上げ目標となると、開発期間はあと6、7年程度ということになります。2024年度にはJAXAとNASAが共同で有人与圧ローバのシステム要求を固める目標で、2025年度からは本格的な設計と開発が始まります。日本人宇宙飛行士が1名搭乗する予定です。

有人与圧ローバの技術的要素

有人与圧ローバの開発はトヨタが担当し、独自に「ルナクルーザー」という愛称をつけています。JAXAのこれまでの慣例では宇宙機が完成して打上げのタイミングで愛称をつけていたのですが、ルナクルーザーという愛称がすでにある中で、このまま開発中は有人与圧ローバというやや無機質な名称で呼ぶのかが悩みどころのようです。

現在検討されている構想では、有人与圧ローバの総重量は約15トン、全長6.3m、幅4.7m、高さ4.9mとなっています。6輪型で台車の上に与圧キャビンが載ったような構造で、左右に巨大な展開型の太陽電池パドルを備えています。居住容積は9m3以上が目標ですから、四畳半の部屋よりもやや小さいくらいとなるでしょう。

6輪のローバーは、小型の無人探査ローバーでも一般的ですが、月面はレゴリスと呼ばれるパウダー状の細かい砂で覆われた環境となっていて、車輪の沈み込み(スタック)の大きなリスクあります。

スタックは宇宙飛行士の安全に直結するわけですから、確実に月面を走行できるシステムの開発が課題です。2022年度から走行システム試験機の試作と試験が始まっていますが、走行試験はより月面に近い環境なども準備した上で、国内で行なわれる予定です。

車輪は6輪がすべて独立して駆動するようになっており、またスタックを防ぐ金属弾性タイヤをブリヂストンが進めています。極端な寒暖差や放射線環境のため、地上で一般的なゴム製のタイヤを月面で使用することはできません。ブリヂストンは、特殊形状のスポークで荷重を支えるエアレスタイヤの技術と、砂漠を行くラクダの足にヒントを得た接地面に金属繊維を配してレゴリスを確実に掴む技術などを組み合わせて月面タイヤ開発に挑んでいます。

ブリヂストンが鳥取砂丘で走行試験を続けている、開発中の第2世代月面タイヤ。エアレスタイヤの技術を取り入れている(撮影:秋山文野)

月面で走行し居住環境にエネルギーを供給するために、有人与圧ローバは巨大な太陽電池パドルを備えています。走行中はパドルを広げておくことができないため収納型となっているのですが、メンテナンスのドックを用意することが難しい月面で、1,000回以上もブームの進展、展開、収納を繰り返すという目標があります。これだけとっても、既存技術であっても多くの開発要素があることが有人与圧ローバのチャレンジングなところです。

さらに月は地球時間で約2週間ずつ昼夜が交代する環境で、夜間の表面温度はマイナス170度、場所によってはマイナス180度にも達する低温環境となります。この長い夜を乗り越えることを「越夜」といい、月探査の大きな課題です。

太陽光から電力を得ることができない時間があるため、太陽電池パドルに代わるエネルギー源が必要ですから、水素を燃料とした再生型燃料電池システムが検討されています。月面探査の目標のひとつである水を発見することができれば、水を酸素と水素に分解して燃料電池システムに利用できます。

もちろん最初のミッションでは必要な量を地球から持って行く必要がありますが、10年間という長い有人与圧ローバの運用期間の先には、水素の「月産月消」があるかもしれません。

月面には、これまでの月周回探査機のデータから作られた地図があります。ですが、衛星から取得したデータを元にしているため細かい地形まで把握できるわけではありません。

また地図を持っていても月には地球のGPS衛星(測位衛星)に相当するシステムがないため、「月面で自分は今どこにいるのか」を把握するということは技術的に大きな課題です。周囲の状況をセンサーで把握して自己位置を推定する技術が必須となるのです。

有人与圧ローバにはLiDARやカメラなどセンサーの情報から自らの位置を知る装備も検討されています。一方で、探査のバックアップとなる月面航法システムと、地球~月間の通信を提供する通信・測位兼用衛星の開発が始まっています。

今年度から民間の宇宙開発を支援する宇宙戦略基金の総務省テーマに「月-地球間通信システム開発・実証」と挙げられているのがこの衛星です。試験機は2028年打上げを目指しています。

月面で宇宙飛行士が安全に生活するには

有人与圧ローバは月面探査の足となるだけでなく、人間がその中で宇宙服を着用せずに過ごす生活空間でもあります。

安全に人が活動するための技術を「環境制御・生命維持システム(ECLSS)」といい、これまで三菱重工業が国際宇宙ステーションやHTV(こうのとり)で培ってきた技術が活かされています。

人の生存のためにまず必要になるのが酸素と水の供給です。タンクから酸素を供給するだけでなく、二酸化炭素を除去して与圧キャビン内の空気を安全にしなくてはなりません。現在の検討例では、二酸化炭素を除去するには、アンモニア由来の化合物アミンを使った吸着装置を使用します。

アミン剤での二酸化炭素吸着装置は、加熱して二酸化炭素を分離してまた使えるという利点がありますが、分離にはヒーターの電力が必要になります。そこで、電力が制限される越夜の場合や緊急時などには水酸化リチウムを用いた使い捨ての除去装置を利用することも考えられています。

能力の高い主要な手段と、いざというときのバックアップ手段を複数検討して、消費電力や質量などの制約に収める複雑なパズルが必要になります。

安全な空気という点では、キャビンを構成する素材から発するガスを除去する技術も必要になります。人にとって有害なガスの中には、生活の中でなくすことができないトイレから発する臭いも含まれます。

空間の容積に制限のある与圧キャビン内で、長時間トイレの臭いと共に過ごすことは宇宙飛行士にとって大きなストレスとなるでしょう。有害ガス除去装置を使用して、不快な臭いまでまとめて除去することも検討されています。

ミッションのスケジュール構想

出典:文部科学省 第89回宇宙開発利用部会「有人与圧ローバの検討状況」より

有人与圧ローバの運用は、2031年のアルテミスミッションから始まります。現在、アルテミス3と4ではローバーなしの有人月面探査、アルテミス5はNASA開発のオープン型ローバー「Lunar Terrain Vehicle(LTV)」を月面に輸送する計画です。このことから、アルテミス6以降での運用開始となると考えられます。

輸送ロケットは現在まだ明言されていない状況ですが、米国のSLS(Space Launch System)による輸送とみられています。さらに月面への輸送には、現在SpaceXとブルー・オリジンが開発している月面着陸機「HLS(Human Landing Systems)」を改変した「無人大型カーゴランダ」を使用する計画が表明されました。

2社のどちらになるのかはわかりませんが、先にHLSの開発を終えた企業がカーゴランダの開発に着手するとすれば、実質的にSpaceXのStarshipが有人与圧ローバを月面に降ろす手段となる可能性があります。

有人着陸探査は日照条件のよい月面の夏季に計画され、着陸エリアは科学的に注目されている月の南極域となります。クルー人数は2名で、ミッション期間は28日。週に4回は月面での船外活動(EVA)を実施する予定で、これはISSでのEVAより高頻度です。NASAのLTVは有人与圧ローバに並走し、万が一の際の緊急脱出手段となるバックアップでもあります。

28日間のスケジュールを大まかにわけると、着陸2日目から7日目までは地球と同じ24時間サイクルでEVAを含む8時間の移動・探査および16時間の待機・充電を行ない、8日目は休養日。つまり地球時間で週6日探査活動を行ない、1日休日があるというサイクルです。

このサイクルを2回繰り返すと、15日目以降は月の夜に入ります。EVAで採取したサンプルの分析や探査の状況を地球に伝える広報活動の時間を設けつつ、日照の得られるエリアに移動します。

そして、最大30日目までEVAを含む探査活動を行なってミッション終了となります。クルーはHLSに乗り換えて月面を離脱しますが、有人与圧ローバは月面に残り、次回の有人探査に備えるのです。

どんな科学的意義があるのか

文部科学省が発表した2025年度の予算概算要求では、有人与圧ローバの開発費として新たに24億400万円+事項要求が含まれています。

この予算は一部であり総開発費はまだ検討中ですが、比較対象としてNASAのLTVと船外活動服(xEVA)をあわせた開発費は約54億ドル(LTV19億ドル+xEVA35億ドル、総額約7,800億円)、ISSの「きぼう」本体開発費の約2,500億円といった金額が示されています。かなり幅があるため推計は難しいですが、日本の宇宙開発史上でも上位の大型開発となるでしょう。

アルテミス3ミッションの着陸候補地点。月の南極域を目指している(©NASA)

大きな開発費をかけて有人月探査を行なって得られるもの、それは月と太陽系の歴史に関する科学的知見が挙げられます。アポロ計画では、総計で300kgを越える月面のサンプルを持ち帰っており、これは月の科学の土台となっている貴重な資料となっています。一方で、有人ミッションの制約から、月の表側の平坦な場所からのサンプル採取となりました。

中国の月探査機「嫦娥6号」は、今年6月に史上初の月の裏側からのサンプル採取を達成しました。着陸地点である月南極のエイトケン盆地には、月の歴史の仮説である「マグマオーシャン」説を裏付ける物質が存在すると考えられています。

月面はエリアによって採取できるサンプルの科学的価値が大きく異なります。嫦娥6号のサンプルは月の歴史を解明する可能性がありますが、実際に月のマントル由来の物質が入っているかどうかは、ミッションが終わって持ち帰ったサンプルを地球で分析するまではわかりません。

アポロ計画以来、半世紀以上を経て人間が再び月面に降りたとき、月の歴史を反映する物質が周囲にゴロゴロしていればこれほど嬉しいことはないかもしれませんが、それを期待するのは賭けの要素が大きすぎます。

有人与圧ローバによる探査は、広い範囲を探査する移動手段と、サンプルを識別する訓練された人間の目、そしてサンプルを持ち帰る前に分析できる長いミッション期間といった有利な条件に裏打ちされています。

機体開発の要素は多く、まだ完成していないローバーの活躍をイメージすることは難しいですが、実現すれば日本のみならず世界の宇宙開発史に残る宇宙機になる可能性を秘めています。

秋山文野

サイエンスライター/翻訳者。1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。X(@ayano_kova)