トピック

鳥取砂丘で「月面探査車用タイヤ」を試す ブリヂストンの宇宙挑戦

開発中の第2世代タイヤ

ブリヂストンは開発中の月面探査車用第2世代タイヤについて、鳥取砂丘にある月面を模したフィールド「ルナテラス」での実証実験の様子をプレスに公開した。

月面という極限の環境での実用化に向けて研究を進めるとともに、同社が開発中の次世代タイヤ「エアフリー(AirFree)」の技術を活用。この研究で得られた成果をAirFreeにも反映していく。

なぜ鳥取砂丘で実証実験を行なっているのか? それは月面という厳しく特殊な環境下を想定したテストに適しているからだ。ブリヂストンの取り組みを細かく見ていこう。

月面の過酷な走行環境に対応するための金属製タイヤ

今回、プレスに公開されたのは、ブリヂストンが月面探査車向けに開発しているタイヤの第2世代となるものだ。

こちらは第1世代。表面は金属フェルトに覆われている
第1世代のタイヤの中身。金属スプリングを編むようにして作られている

第1世代のタイヤは、金属スプリングをタイヤ形状になるように編み、それを金属フェルトで包んでいる。構成としてはシンプルだが、例えば接地面と側面の弾性を別々に変えたい、といった性能調整が難しい。

今回公開された第2世代のタイヤ

一方の第2世代は、中央のハブから板バネ型のスポークが放射状に伸び、そのスポークの先端に小さなブレード状の接地面が繋がっている構造となっている。

接地面には隙間が空いている(試験用タイヤのため金属フェルト未装着)

第2世代のタイヤは、荷重がかかると接地した部分の板バネが沈み込むことでタイヤが地面の形状に合わせて変形する。接地面の変形に対応するため、接地面は1つの剛体ではなく、無数のブレードになっていて、ブレードとブレードのあいだにはわずかな隙間が空いている。

板バネ型のスポーク(ブリヂストン提供写真)

この構造であれば、スポークとなっている板バネの厚みや形状、素材、数を変えることで、タイヤの弾性を柔軟に変えられる。接地面は第1世代同様に金属フェルトを使うことを想定しているが、この構造ならば弾性性能に影響を与えることなく、接地面の素材や形状を変更することも容易だ。

実はこの第2世代タイヤの構造、ブリヂストンが開発中の次世代タイヤ「AirFree」と同じ構造となっている。月面ローバー向けタイヤは金属製だが、AirFreeは樹脂製だ。

AirFree。こちらは地球上での普通の乗用車を想定して開発中
サステナビリティなどを目的とするAirFreeが月面タイヤにも応用された

AirFreeはパンクのトラブルや空気圧のメンテナンスを不要とすることとリサイクルが容易な樹脂を使うことを目的として開発されている。地球上のタイヤの課題解決のために開発していたAirFreeだが、今回、第2世代の月面向けタイヤの開発にあたり、その構造が流用された形だ。

ちなみにAirFreeはまだ開発中だが、2024年3月から東京都小平市近郊の公道で軽自動車に装着しての実証実験を開始している。

アルテミス計画での採用を目指す

ブリヂストンが開発中の月面向けタイヤは、実際に何かに採用されることが決まっているわけではない。いちおう、アメリカのNASAが主導する月面有人探査計画の「アルテミス計画」で使われる有人探査車両を主なターゲットとしているが、ブリヂストンのタイヤが採用されると決まっているわけではない。

そもそも有人探査車両がどのようなスペックになるかも決まっていないので、どのようなタイヤが必要かもわからない状況だ。車両側のスペックが決まったあとにタイヤの要求スペックが決まり、そこからタイヤメーカー各社の受注競争となるが、いまは競争に備えて基礎研究をしているという段階である。

アルテミス計画は単なる探査計画ではなく、月に持続的な拠点を構築することを目的としている。その計画の中では、有人探査車両として与圧ローバーを用いることが予定されている。

与圧ローバーとは、人間が生活できる気圧にまで与圧されたキャビンを搭載するローバー(探査車)だ。2人が1カ月程度生活できるような居住空間と生命維持環境が搭載され、移動拠点のような使い方をすることで、固定拠点からの距離に影響されない月面作業が可能になる。

すでにNASAと日本の文部科学省とのあいだで、この与圧ローバーの開発と運用、その費用負担を日本が担当することが取り決められている。そしてトヨタと日本のJAXAは月面向けの与圧ローバーを共同開発中で、この与圧ローバーのプロトタイピングにはブリヂストンによる第1世代の月面向けタイヤが使われている。実車にブリヂストンが採用されると決まってはいないが、順当にいけばコレだよね、というターゲットが存在する状態だ。

このトヨタとJAXAが開発している与圧ローバーは、運用寿命は10年、総走行距離は1万kmを想定している。トヨタのオウンドメディア「トヨタイムズ」によると、全長6m、全幅5.2m、全高3.8m、マイクロバスおよそ2台分の大きさで、4畳半ほどのキャビンを搭載するという。正式名称ではないが、愛称は「ランドクルーザー」ならぬ「ルナクルーザー」だ。ブリヂストンのタイヤは、最終的にはマイクロバス2台分ほどの大きさのルナクルーザーを支え、10年1万km以上の走行に耐えるスペックを目指すことになる。

ルナクルーザー

実験環境は鳥取砂丘「ルナテラス」

月面ローバー向けタイヤの実物大試験は、鳥取砂丘にある実証実験用フィールド「ルナテラス」で実施されている。

ルナテラス。実は鳥取砂丘は手入れしないと緑に覆われてしまうので、周囲はわりと森状態

鳥取砂丘は砂の粒子が細かい砂地で、月面に近い性質があるという。車が自由に走行できるくらいの広さで、こうした砂地が維持されている実験環境は、かなり珍しいという。

耐久試験のためのジムニー。かなりタイヤが沈み込んでる

ブリヂストンは月面ローバー向けタイヤの実物試験のために、最初はオフロードレース場に砂を撒かせてもらって実験環境を作っていたという。しかしこの手法だと環境を整備し続けるのも大変だし、広さにも限界がある。

使用許可を得て砂浜での実験も試みたが、砂浜は時間帯を問わずに釣り人やサーファーがいるし、漂流物などのゴミも多く、あまり実験は向いていなかったという。

ルナテラスは関係者以外が入る場所ではないが、ケモノは入る模様。この足跡はたぶんイノシシかシカ

一方のルナテラスはというと、広さは車両が走るには十分だし、斜面もある。実験用のクローズド環境なので関係者以外は入ってこないし、ゴミなどもない。砂地をならす業者も手配しやすい。ついでに安い(原状回復義務と実費のみで使用料は無料)。

ルナテラスではフィールド試験の前に必要に応じてトラクターでフィールドを耕す。そうして砂に空気を混ぜ込むことで、フワフワの状態とし、より沈み込みやすい月のレゴリスに近づける、という意図だ。

耕されてる砂地に足を踏み入れると、けっこう沈み込む

プレス公開では耕された後のフィールドに入ることができたが、普通の靴ではそこそこ沈み込む柔らかさで、ちゃんとしたブーツじゃないと歩き回りたくないな、という印象だ。耕していない部分は、踏み固められてそこそこの硬さだ。とはいっても、取材の数日前に雨が降り、土はやや湿って固めな状態だったという。

試験の性質上、晴れているときに試験をしたいところで、ブリヂストンの開発チームも、天気を見ながら鳥取に出張をしているとのことだ。

ちなみにルナテラスは鳥取砂丘コナン空港から車で15分弱程度と、空港からの距離はわりと近い。そもそも鳥取砂丘は鳥取市の市街地にほぼ隣接しているので、下手なオフロードレース場や砂浜よりも便利な面もある。

ルナテラスの全貌。ルナテラスではない実証フィールドも隣接している

ルナテラスは鳥取県が鳥取大学乾燥地研究センターの敷地内(鳥取砂丘の国立公園の外)で2023年7月から運営している。鳥取県ではルナテラスを運営することで、宇宙ビジネスを県内に誘致することを狙っている。

2種類の車両で試験中

第2世代のタイヤは何種類かのバリエーションで試作されていて、1輪ずつフィールド試験を実施している。

第2世代のタイヤは、まったく新しいデザインのタイヤなので、大きさや素材、板バネの形状などがグリップ力や沈み込みやすさ、耐久性などにどう影響するか、データが存在しない。まずは試験を実施し、基本的な特性や性能データを収集している。

今回、プレスには2種類の試験が公開された。

1つ目の試験は、試験用の車両を使っている。この車両の後部には5輪目のタイヤ取り付け部が増設されていて、そこに被験タイヤを取り付け、さまざまな状況におけるタイヤの性能を試験している。

試験用車両。後部の5輪目が被験タイヤ
こちらは第1世代の実験(ブリヂストン提供写真)。4輪に履いて実験していたが、第2世代は大型化したりしたので、後部にフレームを増設している

ちなみにこの試験用車両、月面ローバー向けタイヤの研究のために改造して作られている。ベースとなっているのは、トヨタ車体による「コムス」という小型バッテリEVだが、原型を留めないくらいの魔改造が施されていて、外装はほぼ撤去、全輪に駆動モーターを搭載、さまざまなセンサを追加、極めつけには後部に試験用の5輪目が追加されている。

タイヤがどのくらい変形しているかは、普通のタイヤだと砂地に埋もれてわかりにくいが、このタイヤだと側面から接地面が見えるのでわかりやすい。板バネにひずみセンサを貼り付けることもできるが、現状では側面にマーカーを貼り付け、視覚画像でわかるようにしている。

荷重がかかるとこのように下部が変形する。地面にほとんど沈み込んでいないのにも注目したい

こうした多数のセンサを用いた試験により、第2世代のタイヤの各種性能や特性を調べている。こうしてデータを積み重ねて、より良いタイヤを作っていくわけだ。

車軸にセンサが付いている。上に伸びてる棒はセンサがタイヤと一緒に回転しないようにするため

もう1つの試験は、耐久性を調べる試験だ。こちらは市販車(オフロード性能に定評のある軽自動車のジムニー)で被験タイヤをつけた車軸を牽引する。こちらの車軸には動力も細かいセンサも装着されていない。これで延々とタイヤを転がし、どのくらい走るとどのくらいのダメージを蓄積するか、そもそもどの部分からダメージを受けていくか、といったことを調べるわけだ。

耐久試験の様子。見ての通り、かなり砂をかき上げる

金属製で空気も使わないので、パンクなどの従来のタイヤが起こすような故障は発生しない。その一方で板バネの金属疲労、接地面の摩耗、入り込んだ砂による内部の摩耗などの可能性が考えられる。

しかしそうしたダメージがどのくらいの速度で蓄積していくか、まったく新しいデザインのタイヤなので、知見はほとんどない。そのため、こうした実験が必要なのだ。

真空の宇宙空間で使うタイヤの難しさ

月面でのタイヤは、地球上のタイヤとは全く異なる考え方が必要になる。ここからは宇宙開発や科学技術の話題が好きな人向けに、やや細かく、月面向けタイヤがどのようなものかを説明しよう。

月面の過酷環境と解決策

まず根本的なところでは、地球上のタイヤとは素材が異なる。月には大気や地磁気がないため、地球上とは比べ物にならないほど強い放射線や紫外線が降り注いでいる。強い放射線や紫外線は、ゴムやプラスチックといった高分子有機材料を劣化させるので、月面で長期間稼働させる車両の外部には採用しづらい。

また、月面は昼と夜で温度差が大きく、昼は摂氏110度くらいまで上がるが、夜は摂氏-170度くらいにまで冷える。そこまでの低温だと、ゴムはガラスのように硬くなり、タイヤとしての役目を果たさないどころか、簡単に割れてしまう。

そして空気を入れる構造も使いにくい。月面では空気は貴重だし、パンクしたり空気が抜けたときの修理も月面では手間がかかる。そもそもゴムなど高分子素材を使わずに空気を入れる構造は実現しにくい。

こうしたことから、ブリヂストンの月面タイヤは第1世代も第2世代も金属を採用している。

走行路面もかなり厳しい

月面はタイヤで走行するには厳しい路面となっている(そもそも「路」面ではない)。月面の表面は、そのほとんどが「レゴリス」と呼ばれる細かい砂の堆積した砂地になっている。水気のないサラサラな状態なので、タイヤは滑りやすく、沈み込みやすい。

第2世代のタイヤで導入されてる技術

沈み込みやすさを克服するには、タイヤが地面に接する面積を増やし、面圧を分散するのが手っ取り早い。不整地で履帯(商標でいうところのキャタピラ)が利用される理屈だ。接地面積が広くても摩擦力は変わらないが、接地面積にある程度の広さがあった方が滑りにくいタイヤを作りやすい面もある。

接地面積を増やすには、「タイヤの幅を広げる」「タイヤの径を大きくする」「タイヤの数を増やす」「タイヤが扁平に変形しやすくする」などの方法がある。タイヤの大きさや数は車両のデザインによるので、タイヤ自身としては変形しやすいかどうかが重要なところになってくる。第2世代のタイヤはスポークのバネを調整することで、この変形しやすさを調整しやすいという特徴を持っている。

ブリヂストンがルナテラスで実施している試験は、タイヤの幅、径、変形しやすさなどのパラメータが砂地での性能にどう影響するかを調べるため、という面がある。ここで集めたデータを元に、シミュレーションも組み合わせ、実際に使われるタイヤを開発していくわけだ。

ほかにも月面ならではの問題は多数

月面ならではの課題としては、重力の違いもある。月面での重力は地球の1/6で、同じ質量でも重さによる力=重量は1/6になる。そのため、たとえば静止状態でタイヤや車軸、地面にかかる負荷は1/6になる。だが、これは良いことばかりではない。

重量が1/6になっても質量は変わらないので、加減速や旋回の運動量は地球上と変わらない。一方でタイヤと地面の摩擦力は重量に比例するので、1/6になる。大雑把に言えば、地球上の6倍もタイヤが滑りやすくなるのだ。しかも月面のほとんどはタイヤのグリップ力を期待できない砂地である。

さらに車両を地面に押し戻す力、つまり重力が地球の1/6なので、走行中に段差に乗り上げたりして運動量が上に向いたとき、地球上では考えられないくらい車両が跳ねる可能性がある。

滑りやすくて飛び跳ねやすい、もはやマリオカートみたいな環境だ。もちろん月面ローバーは速度より安全優先なので、時速10kmとかで走ることになるが、それでも事故を起こさないようなタイヤが求められるわけだ。

信頼性は最重要課題。重量はコストに直結

当たり前だが月面にロードサービスはいないし、牽引できるような車両を用意するのも難しい。スタックしたり故障したりしないことは極めて重要だ。

月面にエアロック付きのガレージを作るのは困難なので、車両メンテナンスは大気のない屋外でやることになるが、屋内外を出入りするのは手間も時間もかかり、作業者への負担も大きい。貴重な屋外作業の時間をタイヤ交換に費やしたくはないので、タイヤには故障しないことや多少破損しても使い続けられることが求められる。

さらに軽いことも望ましい。月面に荷物を運ぶには1kgあたり1億円くらいのコストがかかるという。普通の乗用車のタイヤも1個10kgくらいだが、月面ローバーは6輪などになることも想定されるので、重量が少し増えるだけでもコストが数億円単位で増えることになる。可能ならばなるべく軽くして、ほかの資材を持っていきたい。

どんなタイヤになるか、まだまだわからない

アルテミス計画で使われる与圧ローバーは、まだ開発中で重量なども決まっておらず、タイヤにどのような性能が求められているかも決まっていない。条件によっては第1世代のタイヤが採用される可能性もあるし、第1世代とも第2世代とも別の構造や素材のタイヤが選択肢に出てくる可能性もある。

とはいえ、トヨタでは与圧ローバー「ルナクルーザー」について2029年の打ち上げを目指している。スケジュール的に画期的な技術革新が導入されるのは難しいので、現在の路線の金属タイヤになる可能性は高いだろう。

宇宙開発は、一般生活に関係がないようにも思われがちだが、そこで開発された技術が生活に近い場所で使われることも珍しくない。

ブリヂストンの第2世代の月面向けタイヤは、真空で重力が弱い砂地の走行を目的とするなど、一般車両とは別世界のものだ。しかしその構造は一般車両向けに開発されているAirFreeを応用している。月面向けタイヤの研究で蓄積される知見により、AirFreeの改良や利用領域の拡大につながる可能性は十分にありうる。

ブリヂストンのタイヤが与圧ローバーを成功させるだけでなく、地球上の生活を便利にするものや楽しくするものにつながることにも期待したい。

白根 雅彦