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両親W介護体験記(2) 急性期病院を退院後、どうする?
2024年2月8日 10:00
退院後の候補に挙がった複数の選択肢、どれを選ぶべきか
退院間近になっても父は車いすでしか移動できず、排尿も尿管カテーテルを入れてバルーンと呼ばれるビニール袋にためる形、つまり自力で排尿ができない状態でした。そして、意思の疎通にもひと苦労。「とにかく本人が食事をイヤがって食べない。だから体力も落ちている」と入院中にずっと言われて続けていて、この部分も大きな問題になっていました。退院後はどこに行くのが最善なのかわからなかった私は、まず母のケアマネージャーに相談することにしたんです。
本来ならば父のケアマネではないのでルール違反なのかもしれませんが、母のケアマネさんは家庭訪問時に父ともよく話をしていて、父のこともよく知っていたので、思い切って相談してみたんですよ。すると介護についてのパンフレットを持ってきて詳しく説明してくれました。
選択肢はいくつかあって、
(1)本人の意思を優先して帰宅させる
(2)リハビリや継続治療を行なえる他の病院に転院。その間に帰宅準備をする
(3)医学的な管理のもとで介護やリハビリを受けられる介護老人保健施設(よく「老健」と略される)に入る
この3つでした。でも(1)は準備が必要で現実的ではなかったため、候補は(2)と(3)。病院の転院担当者からは「(3)は患者の薬代も施設の負担になるため、高額な薬を使っている父の受け入れは難しいかも」と言われていましたが、とりあえず(2)と(3)で受け入れ先を探してもらうことにしました。
やはり(3)はダメでしたが、(2)は受け入れ先が見つかり、「地方包括ケア病棟」を有する病院とのこと。「地方包括ケア病棟」とは、急性期治療が終了して病状が落ち着いてきた患者に対して在宅復帰に向けた医療や支援を目的とした病院、ということが後で調べてみてわかりました。まさに父には最適な病院じゃないですか!
しかしヘタな病院には入れたくないのでいろいろ調べてみたら、評判も良く、昔ながらの親しみやすい病院、という雰囲気も父には合っていると思い、そこへの転院を進めてもらうことにしました。
「地方包括ケア病棟なんて、最適な場所があったなら最初から教えてくれよ」と心の中で思いながらも、退院後の行き先が決まってひと安心です。
実はそこに辿り着くまでにいろいろあったんですよ。最初に提案された受け入れ可能な病院は近所だけど評判が悪く他を当たってもらったり、こちらで提案した病院は担当者が休みで連絡がつかなかったり。とにかく早く転院先を決めたい病院側は、担当者がいないだけで次を当たりたがる。だから行き先が決まって本当にホッとしました。
一方、要介護1の母親はといえば
家から父がいなくなり、今までは週に2回しか来なかった娘が寝泊まりするようになったのだから、さすがに「いつもと違う」ということはわかる母。入院していることもだんだんと理解し始め、1週間も経つ頃には私との生活にも慣れた感じでした。
そして、一緒に暮らしてみてだんだんとわかってきた母の現状。歯磨きや着替えなど声をかければ自分でできるのですが、放っておくと億劫がって全然やりません。すぐ忘れてしまうので、歯磨きも付きっきりでないと行程をすっ飛ばしてしまいます。例えば、入れ歯を外す→うがいをする→入れ歯を入れる……「おいおい、肝心の歯磨きは?」という感じです。
正直、イライラすることが多くストレスもたまりますが、母の場合、笑えるような失敗も多く、おとぼけ会話にクスッと笑えたりして、なかなか楽しくお世話させてもらっています。
父が入院してからは、母の世話、仕事、家事、父のこと(着替えを持っていったり、もろもろ手配したり相談したり)をこなさなければならず、母のケアマネと相談して今まで2回だったデイサービスの利用を4回に増やし、お風呂にも入れてもらうようにしました。これで私はずいぶん楽になりました。母ちゃん、負担をかけてすまん!
転院に向けての準備を開始
話は戻りまして、いよいよ父の転院です。ちょっと記憶が曖昧ですが、たしか転院の日程に関しては病院同士で相談してもらい、決まった日程を教えてもらう、という流れだったように思います。転院先の病院にも担当のソーシャルワーカーがいて、その人と何度かやりとり。介護タクシーの手配やら何やらと細々とした事務的な作業を進め、準備万端で当日を迎えました。
病院に着くと父は退院準備中だったため、先に退院手続きを済ませて待機。父はストレッチャーに乗ったまま介護タクシーに乗り込み、私も同乗。その時は本人の意識が薄く、ほとんど会話することができませんでした。
転院先に到着すると、父はそのまま病室へ。あとは私と兄で入院手続きをし、看護師さんや担当医と今後のことを話し、ここでもいろんな書類にサイン。当面は「食事をしっかり採れるようにすること」を目標にし、父が誕生日を家で迎えられるように20日後の退院を目指すことになりました。
そもそも「地域包括ケア病棟」は入院日数が原則60日までと決まっています。ちなみに老健は上限3カ月です。こういった病院は入院期間が限られているんですね。
面会不可で不安ながらも病院に行く負担は軽減
転院先の病院では「ほぼ面会はできない」と伝えられました。父の状態の変化を正確に知るためにも定期的に面会はしたかったけど、コロナ禍じゃ仕方ない。ひとまず父のことは病院に任せて、あとは電話で父の様子を伺うことにしました。
この病院では寝巻やタオルなどをレンタルできる「入院セット」なるものが導入されていたので、利用を希望すれば着替えを持っていく必要もなし。正直、家族の負担はぐっと減るのでありがたいシステムでした(病院がレンタルしているわけではなく、業者が介入して提供しているサービスなので、退院後は病院とは別に請求書が届きます)。私が入院中にやったことといえば、必要な紙おむつを届けたくらいでしたからね。
ここまできたら、次は帰宅準備に入ります。入院している20日間でどんなことをしたのかは、また次回!