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「セコマ」は東京進出しないのか? コンビニ北の雄の独自戦略
2023年10月31日 08:20
かつて群雄割拠していたコンビニエンスストアは、時代とともに統合・集約が進みました。現在、ほとんどのコンビニはセブン‐イレブン、ファミリーマート、ローソンの大手3社に統合・集約されていますが、独自の経営で存在感を発揮しているコンビニチェーンもあります。その代表格が、北海道を地盤にしているセイコーマート(セコマ)です。東京や大阪などでは決して知名度が高いわけではありませんが、全国に根強いファンを持っている株式会社セコマの赤尾洋昭社長に、経営哲学や独自戦略を聞きました。
セコマの社長が考えるコンビニの種類が減った理由
――セイコーマートは東京に店舗がありません。それでも、略してセコマと呼ばれているなどファンは多いです。大手3社に負けない独自戦略と言いますか、経営思想をお伺いしたいと思います。
赤尾氏:セイコーマートの独自戦略や経営思想に触れる前に、どうして日本国内ではコンビニの種類が減ったのかというところからお話ししたいと思います。1990年代国内にはコンビニは最盛期200程度のチェーンがあったと思います。現在、その多くが大手3社に統合・集約されました。
コンビニの種類が減った理由を考えてみたことがあるんです。日本最初のコンビニは諸説ありますが1969年にできました。それから70~80年代に他社が次々と新規参入します。この時期、物凄い勢いでコンビニ業界が拡大します。このときは業界全体が伸びていたので、多くの業種からコンビニへの参入がありました。
新規参入は90年ごろピークを迎え、ここから統合・集約が始まります。たくさんチェーンはありましたが、それらのコンビニの多くは一位のチェーンにどれだけ近づけるかを経営戦略にしていました。コンビニは店舗の立地がよければ売上が伸びる、いわば場所商売な面があります。場所を確保してトップの真似をすれば、まあまあの結果が出せていたんです。
業界全体が伸びている時期は、とにかく真似をしているだけでもよかったんです。ところがコンビニが全国へ行き渡り、業界の伸びが落ち着いてくると真似だけでは経営が成り立たなくなります。そうして、多くのコンビニが淘汰されていきました。
私たちのセイコーマートは、アメリカのチェーンをモデルにコンビニ経営を始めました。1号店のオープンは1971年で、場所は北海道札幌市北区です。今でもアメリカ視察に行くことは多く、その際はコンビニだけではなく小売業全般を見ています。
アメリカでは、今でも30店舗以上のチェーンが200以上あります。アメリカのコンビニを見ると、ほかのチェーンを真似たような店がありません。どこのチェーンも独自のサービスをしています。
アメリカはM&Aが盛んな国で、80年代にはコンビニチェーンの統合・集約が進んでいた時期もあります。そうした統合・集約を経た今でも、200以上のコンビニが経営しているということは、経営者が独自戦略・経営哲学を持っているからだと思います。
似たような店舗経営をすることは、業界全体が成長している時期においては利益を確保できますが、どうしてもオリジナルには勝てません。真似して利益を出しているように見えても、競争が進んでくると強いところに負けてしまうんです。これが日本でコンビニが統合・集約された理由だと分析しています。日本にも個性派と言われたコンビニチェーンはたくさんありましたが、根本的な部分で差別化できなかったんです。
――差別化できずに多くのコンビニが大手に統合・集約されてしまったわけですが、なぜセコマは大手に統合・集約されずに生き残ることができたのでしょうか?
赤尾氏:私が入社する前の話ですが、弊社が独自の経営方針や戦略を考えるようになったきっかけが3つあります。
1つ目が、レジのソフトウエアの情報が他社に流出したことです。これは他社と同じシステム会社を使っていたことで起きました。そのため、セコマで取り組んでいたことが他社に漏れてしまいました。
1970年代の終わり頃の話ですが、セコマではPOSシステムの会計の最後に「客層キー」を押すようにしていました。そのときのセコマのシステムでは、男女別、子供、その他というカテゴリで分け、それをマーケティングに活かしていました。ところが、そのシステムを管理していたのが他社と同じ会社だったので、セコマのPOSシステムの考え方が他社に使われるようになりました。この経験から他社と同じ取引先を使うのはよくないという教訓を得ました。
2つ目は、まだセコマが十数店舗しかない頃の経験です。ある商品を売り込むべく、店舗と本部が一体となって大々的にセールスをかけています。それによって、有名になった商品があるのですが、あるときにその商品が道内のスーパーマーケットにも並ぶようになります。そしてその商品がスーパーで大量に販売されるようになったので、弊社での取り扱いができなくなってしまいました。
メーカーも販売力の大きな小売店に卸した方が売上を伸ばせます。だから、当時は規模の小さなセコマを相手にしなくなったのです。日本の企業は、どうしても資本力や規模の大きな企業になびきがちですよね。こうした経験も、同じ取引先を使っていてはいけないという考え方を強くしました。
3つ目は、ようやく100店舗になった1981年の話です。サンクスが北海道へ進出する際に、20店舗を引き抜かれたんです。当時のサンクスは長崎屋の子会社で、長崎屋は優良企業でした。その長崎屋のコンビニが進出してくるということで、大手の方が有利との判断から20店舗がなびいてしまったわけです。この経験でも、やっぱり大手と同じ土俵にのってはいけないということを痛感しました。
そうした経営を揺るがす経験が身に染み、セコマでは他社のやり方を単純に模倣することを厳しく制限してきました。しかしながら、他社でやっているからウチではやらないという意味ではありません。
商品にしてもサービスにしてもオペレーションにしても、「何でやるのか?」という話をしたときに、「〇〇でやっているから」という理由をアウトにしてきたということです。「セコマでやる理由は何か?」「それをうちで導入することによって競争で優位になるか?」ということが明確になっていなければなりません。もしくは、お客様がうちの商品を求めているかどうか。そういう理由をちゃんと説明できなければなりません。
――つまり、セコマが大手3社に飲み込まれることがなかったのは、安易な拡大戦略を取らなかったことが要因と言えるのでしょうか?
赤尾氏:一番伸びていた時代は一年に50店舗は増やしていたと思います。やっぱりコンビニですから独自の商品開発をしていても、メーカーの商品も必要です。仕入れ条件を改善するためにも店舗の拡大は進める必要があります。ただ、何をやるか? にこだわっていないと同質的になってしまい最後は大手資本に負けてしまいます。
先ほど話した出来事は1980年代の話です。そのときから他社と同じようなことをしていたら、大手に飲み込まれて淘汰されてしまうということを非常に強く感じていたと思います。
人手不足の中でも店内調理「ホットシェフ」は続けられる?
――独自のアイデアを考えることは大変だと思うんです。失敗も多いかと思いますが、セコマはどうやって独自のアイデアを練っているのでしょうか?
赤尾氏:常々、社員には打率3割でいいと言っています。プロ野球だと打率3割というのは好成績に入りますが、とにかく3割でいいと言っていないと社員は失敗を恐れてバッターボックスに入ろうとしなくなります。
経営者としては、もちろん打率10割が理想です。しかし、現実的にすべてのプロジェクトや企画を成功させるのは不可能です。だから、とにかく「やるだけやってみよう」という精神をなくさないように打率3割を目指すことにしています。
――そうなると、多くの失敗もあったわけですが、今だから話せる失敗はありますか?
赤尾氏:例えば、店内で仕上げたお弁当などを提供する「ホットシェフ」は失敗と言いますか試行錯誤の連続です。ホットシェフは1994年の実験店から始めましたが、店内で味噌汁をつくったり、そば・うどんも茹でたりしていました。フライドポテトも今は冷凍を揚げて提供していますが、最初はジャガイモの皮を剥くことから店でやっていました。
そのほかにも店ですくうタイプのディップアイスに挑戦したこともありますし、今のようなコーヒーマシンですぐに淹れるのではなく、喫茶店のようにお湯を沸かして淹れるドリップコーヒーにもチャレンジしています。ピザにも挑戦しましたが、いまいち売れませんでした。そういうアイデアはたくさんあります。
先ほど話をした、レジも大手と同じ会社のシステムを使ってはいけないということを学びました。それがきっかけになって自社開発のレジシステムを導入するわけですが、当初はWindows 95で動かしていたので、それこそエラーでシステムダウンが頻繁に起きました。このときの経験があったからこそ、現在の安定したレジの自社開発ができていると思います。
とにかく、ホットシェフとレジは試行錯誤して、どんどん改善しています。
――今、話に出たホットシェフは店内調理をするサービスで、これはセコマの特徴です。ホットシェフは店員にスキルが求められるので、人手不足が深刻な昨今では維持していくのも大変ではないかと想像します。それでもホットシェフを続けているのは、やはりセコマの独自戦略だからでしょうか?
赤尾氏:ホットシェフを始めた理由は2つあります。ひとつは、工場で製造した商品を店舗に配送して、それから食べるとなると、1日2日というタイムラグが出てしまいます。そうなると、納得する品質を保てなくなることもありますし、保存料を使うことにもなります。それを解決するには、お店で調理して提供する。
もうひとつは、北海道ならではの配送の問題があります。同じ道内でも札幌から遠く離れた場所にも店舗がたくさんあります。雨が降ったり雪が積もったりして通行止めになり、それで商品を配送できないようなケースも多々あるんです。
セコマは利尻島・礼文島・奥尻島といった離島にも出店しています。離島は海が荒れると、船が止まります。船が止まれば、当然ながら店舗への配送はできません。数日間、配送できないという事態も発生します。
そんなときに、売るものがないという状態では困ります。どうしたら、欠品させずに商品を提供できるのか? それを考えた時に、商品の配送がストップしても店で材料を持っていて調理をすることで提供できるという点がホットシェフ導入の出発点です。それが今になって、ホットシェフが他社との差別化を図る商品・サービスになっています。
ご指摘のように、ホットシェフは調理をする人を育てなければなりません。昨今、コンビニ業界も人手不足が深刻化しています。ただ、ホットシェフはスキルが必要ですが、簡単に調理ができるようにオペレーションを組んでいます。また、社員がトレーニングをしていますので、そのトレーニングを受ければある程度のスキルは身につけることができます。
まだまだオペレーションの部分で改善は必要ですが、ホットシェフの質はこれからも維持していきます。
セコマの東京出店はあるのか?
――利尻島・礼文島・奥尻島への出店は、どんな経緯だったのでしょうか?
赤尾氏:利尻島と礼文島は、地元のニーズがありました。配送の問題をどうクリアするのかということが最終的な問題だったのですが、地元企業と連携し配送のオペレーションを組むことができました。
奥尻島は地元の商店が、やりたいと手を挙げてくれました。こちらも船での輸送になるので配送費は高くなりますが、そこはフランチャイズの方に納得していただいています。
離島は、海が荒れて船が欠航してしまうことがあります。天候ばかりは、人の力ではどうにもなりません。そういうリスクはありますが、島民の方々には、船が欠航したら商品が配送されてこないことをご理解いただいています。
また、離島でも経営は成り立っています。離島だからと言って、特別な感じには捉えていません。
――今年2月にJR東日本クロスステーションと地域創生に関する協定を締結しています。同協定は東京進出を視野に入れたものでしょうか?
赤尾氏:セコマは関東にも店舗はありますが、基本的にJR東日本クロスステーションが経営しているコンビニ「ニューデイズ」とは営業範囲が重複していません。JR東日本は鉄道事業者ですから、ロードサイドには多くの店舗を持っていません。
他方で、JR東日本クロスステーションは自社の商品を製造する工場などを有しています。両者の経営資源をうまく活用して、互いの商品を供給できる関係を築けるのではないかと考えたのです。そのあたりが、協定を締結した理由です。
だから、協定によってセコマが東京進出するという話ではありません。ただ、ニューデイズでもセコマの商品を扱ってもらえるようになりますのでセコマの味を、東京でも楽しめるようになります。
セコマは東京に出店しようと思ったら出店できると思っています。山手線内はわかりませんが、例えば東京でも郊外へ行くと、コンビニ跡みたいな店舗をたくさん見ることができます。そういう跡地をうまく活用していけば、関東でも300店舗以上の出店余地はあると考えています。
ただ、問題は人の確保です。それを踏まえると、いきなり多くの出店はできないというのが実情です。
そして、もうひとつ問題があり、出店地域を広げると北海道と茨城県が中心というセコマのアイデンティティがぼやけてしまうことです。そのアイデンティティがぼやけてしまうと、全国どこにでもあるコンビニになってしまいます。そこをどう考えるのか? ということです。将来的に、東京に絶対進出しないとは言いませんが、現時点では進出する気はありません。
――今、北海道と茨城県がアイデンティティという話が出ました。北海道は牛乳をはじめチーズ・ヨーグルトといった乳製品、それから野菜や米といった農産品、水産物も多く、美味しい食材の宝庫というイメージです。茨城県のアイデンティティと言われても、すぐに思いつくのは納豆やサツマイモですが、社長の考える茨城県のアイデンティティとはどういったものでしょうか?
赤尾氏:茨城県は農業王国です。私たちも茨城県産の農産物で商品を開発します。例えば、サツマイモのアイスクリームです。茨城県内には、80以上の店舗を展開しています。それほど店舗数が多いので、北海道のコンビニであると同時に茨城県のコンビニでもありたいと考えています。そうした思いから、茨城県の農産物を使った商品開発にも力を入れています。
――セコマは北海道が地盤なので、道内に多くの店舗があることは理解できます。茨城県に店舗が多い理由は「大洗のフェリーで繋がっているから、茨城は実質的に北海道」などという都市伝説めいた話がネット上で流布しています。真相はどうなのでしょう?
赤尾氏:フェリーで北海道と茨城県がつながっているという話は、今となってはなるほどと思いますが、真相はエリアフランチャイズとしてきちんと経営してくれそうな事業者が茨城県・埼玉県にあったということなんです。
先ほど、日本国内には200のコンビニチェーンがあったと話しました。スーパー系やデパート系のコンビニ、卸売業系のコンビニ、ほかにも小売業とは関係がない系列のコンビニもありました。その中でも、卸売の事業者がたくさんコンビニに参入してきたんです。卸売事業者が始めたコンビニから「ノウハウを提供してほしい」との要請があり、茨城県と埼玉県、そして関西にもありました。
この地域は、地元の酒問屋がセコマと契約しエリアフランチャイズとして展開していた地域でした。茨城県下のエリアフランチャイズはエリア本部を経営していた酒問屋の事情でセコマが引き継ぎました。
埼玉県の会社は親会社が買収されて、関連事業から撤退しました。そのため、セコマで引き取ることにしたのです。その結果、茨城県・埼玉県にセコマの店舗が多くなりました。
――ホームページには北海道179市町村のうち、174市町村に出店しているとの記載があります。出店していないのは5町村です。全道制覇という考えはありますが?
赤尾氏:昔だったら、制覇するという気持ちが沸いたかもしれません(笑)。しかし、出店していないエリアは非常に出店が厳しい場所か、もしくはセコマが出店することで地元のスーパーの経営が困難になる可能性があります。そこまでして出店するのは、セコマにとっても地域にとっても、もちろん住民にとってもプラスになりません。そうした考えがありますので、今、道内でセコマがない町村に出店はしません。
赤尾洋昭(あかお・ひろあき)
1976年、北海道札幌市出身。一橋大学卒業後、マツダに入社。2004年に株式会社セイコーマート(現・株式会社セコマ)に入社。2020年に代表取締役社長に就任。