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「見えない劇場」はなぜ生まれる? 見え方を検証するパナの新技術に迫る
2023年5月25日 08:20
演劇やコンサートなどを観に行くとき、会場によっては客席からステージがほぼ見えなくてガッカリ……ということがあります。明らかに見えにくい席が多く、評判がいまひとつという劇場やホールが存在するのも現実。最近でも視認性が悪いという理由で、東京のとあるホールの座席改修が話題となりました。
こういった座席からステージの視認性について、設計時にシミュレーションできる技術「View-esT」(ビューエスト)を、2021年にパナソニックエレクトリックワークス社(以下、パナソニック)が発表しています。同社は古くから劇場やスタジアムの照明事業に携わっており、ビューエストではさらにVR技術も活用。座席傾斜や周りの観客の身長を指定し、客席から舞台がどのように見えるのかをシミュレーションできるのが大きな特徴です。
舞台の見え方のシミュレーションはこれまでも行なわれていたとのことですが、精度が十分ではなかったため、見えにくい席ができてしまったようです。座席づくりの現状と、ビューエストについて詳しく話を伺いました。
条件優先で無理な座席構成になる劇場設計
ビューエストは、パナソニックとともに、長年に渡り観覧施設での視覚研究を行なっているラムサ代表取締役の西豊彦氏らのグループが開発したもの。劇場・ホール・観覧施設などで従来の評価手法ではできなかった評価の基準を数値化し、VR技術を使って観覧施設の価値を可視化できるソリューションです。
劇場やホールなどの観覧施設は、これまで計画・設計段階では客席から舞台が見えやすいかを判別することが難しい場合がありました。劇場施設は数億~数100億円の建設費がかかるものの、施設が完成した後に「見えにくい」といった苦情で、初めて座席からの見えにくさに気付くということも。
計画段階や設計時に見えやすさを予測・確認し、問題点を洗い出すことができれば、そういったクレームを減らし、よりたくさんの人に見やすい環境で観劇いただくことへつながり、運営者側の収益増への期待にもつながります。しかし、現状では座席からの見えやすさをしっかりシミュレーションしている観覧施設はわずかとのこと。
「劇場設計において、はじめに諸々の条件等により御施主様のご要望で座席数を決めることがあると聞きます。その条件にあわせて席を詰め込んだために、少々無理のある座席になることもあるようです」と、ビューエスト事業を担当するパナソニックエレクトリックワークス社 技術営業統括部 ソリューション推進センター エンターテインメントライティング推進部 松尾浩さんは話します。
「その結果、前の人の頭で見えなかったり、手すりで見えなかったり、身長差で見えないということがありました。劇場では『見る』ということが大事ですが、それがかなわない場所も実は多いのです。
それらを改善する手法を、以前はラムサの西さんが個人的に試行錯誤しながら作っていましたが、そういった課題解決をするために、我々も協力させていただくことになりました。弊社のVR技術などを使いながらこのプログラムを開発しています」(松尾さん)
座席配列や身長を変えてシミュレーション
ビューエストの評価プログラムは主に3つ。「見え方総合評価プログラム」、「一体感および親密性の計測・数値化・評価プログラム」、「照明配置評価プログラム」に分かれています。
「見え方総合評価プログラム」は、客席からステージの見え方に関して、複数の視点から評価を数値化できます。座席配置の格子状・千鳥状の2種類を想定し、前列の頭越しに舞台を見たとき、「全部見える」「腰から上が見える」「全く見えない」といった区分けを行ないます。
さらに座席に座る目線についても加味し、前の席が男性の平均身長という設定で、(確率的に)後ろの女性の7割が見えるように目指しているとのこと。ただ、すべての演目において舞台の隅々まで見えるようにするのは難しい面もあります。
「例えば、舞台と客席の間にある1階のオーケストラピットは、1階の前列の一部で見えても、後列から見えなくなります。全ての座席からこういった場所まで見えるようにするのは無理です。ビューエストで数値化をしておけば、どこから見えなくなるのか、といったアウトプットができるようになるのです。そういった情報を公開すれば、席によって値段を変えたり、お客様が納得の上で座席を選べたりするようになります」(松尾さん)
ビューエストは、既に建設されている施設の改修にも応用可能。40年前、50年前に建設された施設に関しては、図面データがない場合もありますが、パナソニックではレーザー測定をしてからCAD化しています。
「大規模改修を行なう場合、舞台を見えやすくしたいのか、足元を広くしたいのか、そういった要望で見え方が大きく変わってきます。さまざまなパターンで数値化できるので、客観的な検証ができるようになります」(松尾さん)
2つめの「一体感および親密性の計測・数値化・評価プログラム」では、例えばステージから見てどれだけ人の顔が見えているのか、どれくらい面積があるかといった数値化を行ないます。
「舞台からひとりひとりの顔が見えて、視界に入ってくると一体感が増して盛り上がりますから、現状ではそういった親密性を割り出す基準作りを進めています」と、専門市場エンジニアリング部 都市・空間VR推進課 平間信裕さんは話しました。
3つめの「照明配置評価プログラム」では、現代の演出・照明/映像デザイナーのニーズに応えられるよう、照射対象と光源位置を立体的に計算し、独自の評価を行なっています。
パナソニックは長年にわたり照明事業を担っているため、培ったノウハウを活かして劇場施設作りに役立てています。その結果、良質な照明配置が可能になり、演出に活かされているのです。
VRでよりリアルな「見え方」がわかる
ビューエストで活用しているVR技術では、客席の配置パターンや身長の高さ等のシミュレーションが行なえ、座席からの見え方を直感的に理解することできます。
通常、VRによるシミュレーションの確認はPCのモニター上で行ないますが、パナソニック東京汐留ビルには、ビューエストを等身大で体感できる「サイバードーム」があり、実際に訪れてみました。内径8.5mで視野(180×150度)・高解像度の球面VRディスプレイで、3Dグラスをかけて視聴します。PCのモニターに比べ、没入感が高く、座席からの見え方もよりリアルに体感することができました。
このシミュレーションを施設ごとに公表すれば、イベント主催者がチケット値付けをよりきめ細かく設定できます。また、観客も舞台の見え方を購入前にスマートフォンやパソコンから確認でき、より納得感を持って購入できるようになるかもしれません。「全国の主要なホールなど、施設でこのような仕組みを提供できれば、座席選びがしやすくなると思います」と松尾さんは語りました。
劇場を建設するのにかかる期間は5年~10年。ビューエストが発表されたのは2年前なので、まだ同プログラムを使って完成した施設はありませんが、実際にこのプログラムを利用して設計段階に進んでいる施設は既に数件あるとのこと。早ければ数年後にはビューエストを活用した施設が開業するそうです。
事前シミュレーションで座席を選べれば不満も減る
昨今はSNSの普及もあり、「見えない劇場」の噂は瞬く間に広がります。「見えない」という認識が広まると施設自体の評判も下がるため、施設側からも舞台の「見え方」を気にする声が増えたそうです。
劇場を建てるのに億単位の建設費がかかる中で、こういったシミュレーションをすることで、現状よりも見やすい施設が増えるかもしれません。施主側の予算や希望する座席数などのさまざまな要望があるので、それを取り入れながら、最善の環境に整えられるシステムと言えるでしょう。建造後、クレームで改修となると莫大な費用がかかります。設計段階できちんとシミュレーションしておけば、回避できるのではないでしょうか。
推し活であらゆる劇場やホールなどの公演に通っている一観客としても、期待が膨らみます。VRを使った座席からの見え方をスマートフォンなどで確認できるようになれば、チケットを購入する際に参考になります。「行ってみたらガッカリ」という不満が解消される新しいサービスになりそうなので、ぜひ実現して欲しいところです。