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“腕時計はいらなくなる”と言われて20年――右肩上がりのG-SHOCKが切り開く世界
2021年11月4日 08:30
G-SHOCKの初代モデル「DW-5000C」が生まれたのは1983年。カシオの伊部菊雄氏が「落としても壊れない時計を作りたい」と開発を始めたのがきっかけだった。ただし発売当初から人気があったわけではなく、その実用性にいち早く価値を見出したアメリカ市場で人気を獲得。80年代を通して、アメリカ市場での売れ行きがG-SHOCKというシリーズを支える形になった。
それから40年弱が経過し、G-SHOCKは再び世界の市場で存在感を高めている。カシオ計算機 マーケティング統轄部 時計マーケティング部 部長の上間卓氏に、G-SHOCKの歴史や出荷数の推移、今後の戦略を聞いた。
G-SHOCKの黎明期
1990年代は、アメリカのさまざまな文化やファション、流行が日本にも頻繁に紹介されるようになった時代。カシオがG-SHOCKの“逆輸入”モデルを渋谷で販売すると、(スケートボードの)スケーターによく売れたという。これは、アメリカのスケーターの間では、壊れにくいG-SHOCKを着けるのが定番になっていたからだ。文化やファッションと一緒にG-SHOCKも輸入されたことで、日本のスケーターもG-SHOCKに注目するようになり、国内でも徐々に人気を獲得していくことになる。
「当初は日本で売れていませんでしたが、スケートボード、サーフィン、スノーボードといったカルチャーと一緒に日本に輸入され、日本でも人気になりました。それが(日本での)G-SHOCKの始まりです」(上間氏)
こうした人気を受けて、カシオは90年代に、G-SHOCKを製品のいちシリーズではなく、ブランドとして立ち上げていく。「この時代は、腕時計といえば金属製で薄型、まだまだ貴重品で、壊れやすいのが当たり前という時代です。そこに、真っ黒でデジタル、プラスチックというG-SHOCKが市場に入ってきた。ただこの頃は、マーケティングに基づいて作ったのではなく、壊れにくい時計って、いいですよね? と提案し、需要を作っていったのです。それに対して、なるほど、と共感してくれた人たちが買ってくれた。それが特にスポーツシーンでしたし、90年代なら渋カジ、スニーカー(エアマックス)、G-SHOCKといったように、ファッションアイテムとしても認知され広がったことで、若者の人気を獲得していきました」(上間氏)
上間氏によると、1994年頃まではG-SHOCKの黎明期にあたるという。80年代はほとんどがアメリカでの販売で、日本で売れ始めたのは91年以降。「94年頃には雰囲気が変わりつつあった」といい、ブランドマーケティングを積極的に行なっていくきっかけになった。
ブームの到来と低迷期
そして95年頃から97年まで、上間氏が第一期黄金世代と呼ぶ、一大ブームの時期を迎える。白や黄、赤、スケルトンを含むカラー展開をはじめ、ELバックライトとシルエットによる絵柄の表示、イルカクジラモデルに代表されるコラボレーションモデルと、さまざまな取り組みを行ない、大ヒットを記録。初期のG-SHOCKのイメージが形作られた。
しかし97年を境にブームは終息。その後は、上間氏いわく“迷走期”と呼ばれる時代に突入する。これは98年~2003年頃までの期間。売れ行きが落ちていく中でもなんとかしようと、目新しいものを投入し、新しい形状も模索されたが、売れ行きが一定以上に伸びることはなかった。
「97年頃のブームで爆発的に伸びた分は、ほとんどが日本での出荷です。この頃は、流行っているアイテムだからという理由だけで買われるケースも多かったと思います。その後の出荷数が落ち込んだ時期は、ある意味でリアルな数字で、G-SHOCKの固定ファンが買ってくれていたのだと思います」(上間氏)
原点回帰、右肩上がりの成長
そうした伸び悩む時期、試行錯誤の時期を経て、2003年頃には、時計としての本質を見つめ直し“原点回帰”するという方針を固める。
まずは時計としての絶対精度を追求し、“電波ソーラーG-SHOCK”を開発。止まらない、狂わない、壊れにくいという3つの特徴を掲げた。その後もトリプルGレジスト(衝撃、遠心重力、振動への耐久性)や、塵や泥の侵入を防ぐマッドレジストといった、本質的な部分を強化する取り組みを愚直に進めていく。また機能・性能の進化とは別に、2008年頃からはアナログ表示を組み合わせたモデルに本格的にシフトしたことも市場の拡大に大きく影響する。
さらに、これらと並行して2008年からは「SHOCK THE WORLD」というグローバルマーケティングも開始。アメリカで大規模なイベントを開催するなどし、グローバルで認知度を高め、売れ行きを伸ばすことに成功する。
こうしたプロダクトの進化とマーケティングが噛み合った結果、2009年~2019年までは一貫して右肩上がりで成長を続けるなど、成功を収めている(2020年はコロナ禍の影響で減少)。
出荷数の推移で見る栄枯盛衰の歴史
全世界を対象にした出荷数を具体的な数字で見ていくと、G-SHOCKの初代モデルが発売された1983年と翌年の出荷数はそれぞれ年間3万個。85年~86年は毎年35万個で、87年~90年は毎年50万個と、おだやかな時期が続く。
出荷数が伸び始めるのは70万個を出荷した91年からで、92年は90万個、93年は150万個、94年は170万個、95年は200万個を突破と、最初の成長期を迎える。
第一次ブームが始まった96年は年間300万個、97年は前年の倍にあたる600万個を出荷する。しかしブームは終息、右肩下がりになり、2001年には200万個と、ブーム前の95年の水準にまで戻ってしまう。その後は2008年の時点でも250万個と、布石は打っているものの、飛躍できない時期が続くことになる。
2008年に打ち出したマーケティングを含む新たな施策は、2009年の年間300万個という数字に現れる。その後は右肩上がりに伸び続け、97年のブームで記録していた600万個の記録は、2013年に650万個を出荷して更新。2019年には年間1,000万個の出荷を達成している。コロナ禍の影響を受けた2020年は820万個だった。
「G-SHOCKは最初の25年間で5,000万個を出荷しましたが、次の10年間で5,000万個を出荷しています。出荷スピードはどんどん上がっていて、2019年は年間で1,000万個の出荷を達成しました」(上間氏)
G-SHOCKの全世界の累計出荷数は、2020年末で1億3,000万個以上となっている。
グローバル市場での拡大と、国内外の出荷数の違い
日本国内と海外という出荷数の内訳については、黎明期は圧倒的に海外での出荷数が多いのが特徴。その後、97年のブームを経て、日本での出荷数は安定しており、緩やかに上昇してきた。海外では、ブーム後の2003年には回復に転じており、グローバルマーケティングの効果もあり2009年以降は大きく成長、全体の出荷数を押し上げる要因になっている。
国内の出荷数に目を向けると、出荷数が全世界で90万個となった92年の時点でも、国内は15万個にとどまる。しかし93年には50万個と急拡大、97年のブームでは240万個と、G-SHOCK史上で国内最大出荷数を記録している。その後の低迷期では2014年頃まで100万~120万個で推移。ブーム後に最大となったのは2018年の170万個となっている。2019年は150万個、コロナ禍の影響を受けた2020年は100万個だ。
少し気がかりなのは、国内出荷のピークが2018年で、2019年には減少していること。出荷数で見る限り国内市場は伸び悩んでいるともいえるが、実態としては、高価格帯の製品にシフトしているという特徴があるという。「90年代からG-SHOCKを知っている人の多くは、今では40代になっています。もう一度G-SHOCKを買ってみようという時に、MR-GやMT-Gシリーズといった高価格帯のモデルが選ばれています」(上間氏)
時計を超えたブランドへ
G-SHOCKに限ったことではないが、2020年はコロナ禍の影響で出荷数が減少している。これらが一時的なものかどうか、まだ答えは出ていないが、今後の施策をどう考えているのだろうか。上間氏は、「時計を超えたブランドを目指したい」という。
「時計というブランドを超えて、ライフスタイルブランドなど、もっと広い範疇のブランドになっていければいいなと考えています。時間を測るのは変わりませんが、ずっと身近にある相棒として、時間だけでなく、ファッションだけでもなく、ユーザーのライフスタイルと一緒に歩み続けるものに進化していければいいなと。このために、コミュニティを作って強化していくことは具体的な施策としても考えています」(上間氏)
“腕時計はいらなくなる”は嘘? 右肩上がりのG-SHOCKが切り開く世界
スマートフォンの普及が本格化している2009年頃から、G-SHOCKも右肩上がりで出荷数を増やしているという事実は、腕時計の需要が衰えていないことを示している。
「携帯電話が登場した20年以上前から、腕時計はいらなくなると言われてきました。けれど、残るものは残った。それは実用性であったりファッション性であったりしたわけです。今後も、さらに何かを付加できるといいのかなと思います」(上間氏)
40年近い歴史を振り返ると、低迷期を耐えきって、本質を見極めて原点回帰を図ったという2003年頃の方針転換が、現在に至るまで大きく影響していることが窺える。
また、時に大胆に、製品を市場に“提案”する姿勢も見逃せない。これは、初代モデルがそもそも需要を提案する製品だったことが影響しているのかもしれない。近年強化している、デジタル・クオーツ時計でタフネス性能、なおかつメタル素材で高級路線といったシリーズも、市場ではほとんどG-SHOCKの専売特許のようになっている。
幅広いノウハウや高い開発力・技術力に支えられた、日本的なものづくりがG-SHOCKの魅力の源泉であることに疑いの余地はないが、伝統と進化の共存や、マーケティングにも取り組んで、グローバル市場で再び躍動しているというのが、現在のG-SHOCKの姿だ。世界を襲っているコロナ禍という“ショック”にどう耐えていくのかにも、注目が集まる。