鈴木淳也のPay Attention

第217回

海外でも(日本の)QRコード決済を使いたい

シンガポールの夜景。名所であるマーライオン前には多くの観光客が集まる

JTBが2023年5月に発表した、同社を介した予約状況による2023年の海外旅行人気訪問先ランキングによれば、1位と2位のハワイとグアムを筆頭に、韓国、シンガポール、台湾が続き、アジアだけで10位以内に5つの国がランキング入りしており、冒頭のハワイなどと合わせ比較的近場で滞在日数が少なめな旅程が好まれる傾向がある。

この傾向は2024年版ではさらに顕著になり、昨今の過度に進んだ円安事情も含め、特に東南アジア方面の人気が高まりつつあるようだ。

海外旅行といえば現地で使うためのお金だが、渡航前後のタイミングで両替が必要になる。最近はクレジットカードが使える場面が増えたため、筆者の場合、必要最低限の現金(日本円で1万円ほど)のみを現地到着直後にATMでキャッシングしていることが多い。

英国など最近では欧州を中心に現金必須の場面は極端に少なくなっているため、この通例行事でさえ無視して、本当の意味でキャッシュレスが実現されつつある。

一方で、冒頭で触れた日本人に人気急上昇の渡航先となっている東南アジアの国々では、かなりの場面でクレジットカードが利用できるようになっているが、現地食堂や移動の“足”の利用のために現金を要求されることも少なくなく、「滞在日数に対してどれくらい現地通貨での現金を用意すればいいのか分からない」というのも悩みの種だ。

シンガポール金融街の中心にある著名なホーカー(食堂集合施設)の「ラオパサ・フェスティバル・マーケット(Lau Pa Sat Festival Market)」。全店キャッシュレス対応しており、クレジットカードが利用できる

ただ、そうした東南アジアの国々でも過去7~8年ほどで決済事情は大きく変化しつつある。スマートフォンを利用した携帯通信の普及を背景に、さまざまなデジタルサービスが広い層に提供されるようになり、決済サービスもまたその過程で拡充されつつある。

以前に「なぜ日本のQRコード決済は海外で使えないのか」でもレポートしたが、「QRコード」を利用した決済サービス乱立を危惧した東南アジアの国々では政府が介入し、“アクワイアリング”を行なう銀行を通じて「共通QRコード」の採用を促した。これは、コード決済を受け付けている店舗が共通規格のQRコードを店頭に掲示しておけば、基本的には買い物客がどのコード決済サービスを利用していても、このQRコードを読めば支払いが行なえるというもの。決済サービスごとにQRコードを用意する必要がないためシンプルで、店舗の導入負担も減ってさらなる利用促進が期待される。

他方で、これらコード決済サービスは基本的に“国内”の事業者での利用を想定しており、国をまたぐとせっかくの共通の仕組みを利用できないという問題もあった。

そこで、東南アジアの国々では2国間協定でコード決済の相互乗り入れを進めつつあり、買い物による決済のほか、電子送金まで、いわゆるクロスボーダーな取引を実現しようとしている。

共通QRコードについても他国のサービスの利用を可能にすべく検討が進められており、前段で紹介した記事でも触れている「SGQR+」はシンガポール政府主導によるクロスボーダーな共通QRコードであり、民間レベルでは相互連携ネットワークを構築した「Alipay+」のような事例がある。

ただし、現在のところ日本のコード決済サービスはこれらの国では利用できず、Alipay+のネットワークに参加している日本国内の加盟店で、諸外国からの“インバウンド”客はAlipay+に対応している決済サービスを利用しているのであれば問題なく支払いが行なえるが、例えばAlipay+に参加しているPayPayを海外で利用することはできず、あくまで一方通行の関係となっている。

この点が「せっかく東南アジアで普及しているキャッシュレスのインフラを日本人はまだ利用できない」という残念な結果につながってしまっている。

タイのバンコクにある王宮に隣接するワット・プラ・ケオの建造物の1つ

クロスボーダーペイメント

'24年4月にタイの首都バンコクで開催された「Money20/20 Asia」において、タイ銀行(Bank of Thailand)の幹部メンバーの1人であるDaranee Saeju氏が登壇し、同国におけるFintech最新事情について説明した。

タイでは「PromptPay」と呼ばれる共通QRコード決済システムが2017年より稼働しており、国内で複数の決済サービスが乱立して互いに干渉が発生しないよう考慮しつつ、それまで現金中心だった送金や決済を電子化し、資金の流れをよりスムーズにしていく試みが進んでいる。PromptPayはタイ国内に銀行口座を持つ人物であれば誰でも利用でき、手持ちの銀行アプリなどを利用して「PromptPay」で表示されるQRコードを読み込めば、店頭での決済が行なえる。

もともと東南アジア諸国の中では国民の銀行口座保有率が高いタイだが、世界銀行(World Bank)などのデータによれば、2021年時点のデータで口座保有率は8割を超えている。Saeju氏によれば、PromptPayの登録ID数は7,760万に達しており、タイの人口がおおよそ7,000万人前後であることを考えれば、重複登録はあるにしても銀行口座保有者の大部分が何らかの形でPromptPayを利用している可能性が高い。

「現金でないと受け付けない」というケースはタイではかなり減少しているとみられ、実際に筆者がMoney20/20 Asia取材のためにタイに1週間ほど滞在して周遊していたところ、ほとんどの場所でPromptPayを含む何らかの形でキャッシュレス決済の手段が用意されていた。外国人にはPromptPayが実質的に利用できないため、もしクレジットカードや“LINE Pay”のような決済手段が弾かれる場合は現金で払わざるを得ないが(鉄道などの公共交通利用が顕著)、現地で暮らす限りはおおよそPromptPayさえあれば困らないという印象を受けた。

Money20/20 Asiaでスピーチするタイ銀行のDaranee Saeju氏
PromptPayを取り巻く現状
バンコクに散在する市場を訪ねてみたところ、店先にはこのように必ずといっていいほどPromptPayのQRコードが掲げられていた

上段のスライドでも触れられているが、国内向けのキャッシュレス決済システムが一定の成果を見せた現在、次なる段階は「利用できる場所を増やす」ことが視野に入る。

Project Nexus」の名称が見受けられるが、国内向けの決済サービス同士を国際間で互いに接続し、60秒以内の決済完了を目指すというプロジェクトだ。これには当然QRコード決済も含まれ、個々のシステム同士を標準仕様の“コネクタ”で接続していくというもの。個別に接続用の“コネクタ”を開発するのではなく、標準仕様を採用することで接続をスムーズにするのが狙いとなる。

システムの接続方法を共通化するといっても、実際のところ国境をまたぐ“クロスボーダー”の取引ではクリアリング処理を含め2国間の合意が必要となる。そのため、合意のできた2国間で順次相互接続を開始し、最終的にメッシュ構造のように張り巡らされた相互接続が地域全体での共通決済ネットワークのような形で残ることになる。特に東南アジアではこのような形でQRコード決済の相互乗り入れが進みつつあり、PromptPayだけで見ても同地域で急速に利用可能な国が増えている。店舗決済のみならず、シンガポールの欄に「Remittance(送金)」とあるように、個人間ないしは商取引での送金も想定しており、従来のSWIFTコードなどを利用した銀行間送金よりも、より手軽で素早く行なえる仕組みの構築を目指している。

タイのPromptPayの国外での利用可能状況

JPQRを取り巻く最新事情

2025年に開催される「大阪・関西万博」に向け、全面的キャッシュレス推進に関する記者会見が6月に行なわれた。

その席で登壇した経済産業省で商務・サービスグループのキャッシュレス推進室長の松隈健一氏はJPQRの現状と今後について説明した。QRコード決済のインバウンド利用については前項のPromptPayのスライドにもあるように、すでに中国を含む東南アジア各地からの日本への乗り入れが進んでいる。一方で、アウトバウンド(日本人の海外旅行)の現状に関しては冒頭の説明にもあるように「(日本のコード決済が)現地に行っても使えない」という状況には変わりない。

そこで、「大阪・関西万博」が開催される2025年までに、順次“アウトバウンド”での利用を可能にして“相互接続”を実現していく目標を掲げている。

例えば、2022年12月にはこの第一歩となる2国間協定がインドネシアとの間で結ばれており、'23年12月にはカンボジアとの協定が発表されている。このような形で順次2国間協定を進めていき、最終的に日本人旅行者が“JPQR”対応のコード決済サービスをそれらアジア諸国に持ち込んでも、問題なく利用できる環境を構築していく。

経済産業省で商務・サービスグループのキャッシュレス推進室長の松隈健一氏
JPQRの現状とアジア諸国のコード決済との相互接続について
アジア諸国の共通QRコード仕様。今後相互接続されることになる国を示す情報でもある
JPQRにおける政府方針

実際にどう利用するかのイメージだが。JPQRに対応し、かつアウトバウンドでの国際利用をうたったコード決済サービスであれば、アプリを開いた状態で現地のQRコードを読み込み、金額を入力して支払いボタンを押すだけだ。

従来での静的QRコードを読み込むスキャン支払い(MPM)のやり方と変わりない。クレジットカードが国境を意識しないで使えるように、コード決済においても国内外で同じ感覚で使えるというのが重要だ。

シンガポールでSGQRのコードを読み込んで支払いを行なう。これはGrabPayを利用した参考画像

この支払いの仕組みはどうなっているのか。JPQRをはじめとするコード決済関連の事業を取り仕切るキャッシュレス推進協議会 事務局長の福田好郎氏によれば、「各国で“ハブ”のようなものを構築し、それらを接続する形で国家間のトランザクションのクリアリング処理を行ない、相互乗り入れを実現していく」という。前出のタイなどをはじめとする、すでに相互接続を開始している国同士では同様の仕組みで相互乗り入れを実現しており、日本もまたそれにならう形になるという流れだ。

ただ、前提となるのは「(接続先が)『共通QRコード』を持っている国であること」という点で、例えば前出の松隈氏のスライドにもあるように、共通仕様を持たない台湾は対象として含まれない(これは中国も同様)。結果として、日本人旅行者の行き来が多い国かどうかは対応の優先順位の判断基準にはならず、「おそらく最初の接続先はインドネシアになる」(福田氏)という。

もう1つ、現状のJPQRで課題となっているのが「加盟店が複数のコード決済利用を同時に申請できるが、管理画面や入金口座はコード決済ごとにすべてバラバラであり、管理が煩雑になったり、口座への出金時の金額制限に引っかかる」といった問題だ。

2019年にJPQRがスタートして以来ずっと抱えている問題であるが、この解決について福田氏は「日本でJPQRの相互接続のために“ハブ”を構築するのに合わせて、アウトバウンド対応をうたう(国内の)コード決済サービスは“ハブ”に集約させてもらうことでこの問題を解決していく」と述べている。

おそらく“ハブ”への相乗りを拒否するサービスは、このアウトバンドの仕組みは利用できず、「Alipay+」のようなプラットフォームに相乗りする形で独自に仕組みを構築しなければならなくなると考えられる。同氏は具体的なサービス名には触れなかったものの、国内で最大シェアを持つPayPayの動向に注視しており、今後の国内コード決済サービスの海外利用の利便性を測るうえでの試金石となりそうだ。

キャッシュレス推進協議会 事務局長の福田好郎氏

この“ハブ”と形容される相互接続のシステムだが、この仕組みを構築する事業者はネットスターズとなっている。もともと日本国内に最初期に海外のコード決済サービスを持ち込み、インバウンドでの利用を積極的に推進している同社だが、今年4月に香港で開催された「Digital Economy Summit」においてインタビューに応じた同社代表取締役社長CEOの李剛氏は、次のように話している。

「1枚のQRコードさえあれば、どこでも何度でも使うことができる環境が理想だと思います。ただ、このようなクロスボーダーの仕組みを作るためには座組が重要です。例えばAnt FinancialがAlipay+でクロスボーダーをやっていますが、これはあくまで民間での動きなんですね。実際に動きが早いという側面があるのですが、一方で民間ではできない世界というのもあるのです」

「JPQRは国の主導で始まったものですが、動きこそ遅いものの、将来的なものを考えるとこの形がいい。やはり共通のものですから、インバウンドやアウトバウンドでいざ国家間の接続を行なうときに、効率的で安価な手数料でやろうと考えたら、きっとやりやすいものになる。コード決済はあくまでそこで実現されるエコシステムの入り口に過ぎず、重要なのはエコシステムで展開されるキャッシュレスの世界。民間と国家の両輪でうまく挟まることが重要です」

つまり、Alipay+を含む民間のサービスはスピード感や面展開で注目すべき点はあるものの、クロスボーダーでは国家間の取り決めが存在する以上、どうしても限界があるという考えだ。これを解決するのが国家主導のサービス形態だが、こちらはどうしても展開面で見劣りする場面ができてしまう。両者に一長一短があり、両輪をうまく回すことがキャッシュレスのさらなる推進と、そこで実現されるエコシステムの発展につながるという意見だ。

ネットスターズ代表取締役社長CEOの李剛氏

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)