西田宗千佳のイマトミライ

第260回

iPhone 16とAirPods Pro 2の聴力補助に見る「新技術カジュアル化」

iPhone 16シリーズ。発売は9月20日から

アップルが新iPhoneである「iPhone 16シリーズ」を発表した。発売は9月20日。9月13日より予約がスタートしている。

筆者は今年も米アップル本社で発表イベントを取材している。iPhone以外にもApple Watch Series 10やAirPods 4などの新製品が発売された。現地で得られた情報をいろいろまとめているので、以下の記事も併読いただきたい。

発表が行なわれたSteve Jobs Theater

アップルにとって、iPhone 16シリーズは「新世代iPhoneの幕開け」という位置付けだろう。デザインこそ昨年からの継続に近いが、これからのスマホを見据えた存在と言っていい。もちろん、そこで軸にあるのは「Apple Intelligence」だ。

今年のiPhoneの軸は明確に「Apple Intelligence」

同様に、Apple WatchやAirPodsなどの周辺機器についても、新しい世代のビジネスへと変化し始めているように感じた。

今回は特に「iPhoneとApple Intelligence」「AirPods Pro 2とヒアリング補助機能」について解説してみたい。

Apple Intelligenceとはなにか

Apple Intelligenceは、アップルが同社製品で今後積極活用していく「パーソナルアシスタント系機能」の核になるAIの総称だ。特定の機能を指す言葉ではない。

Apple Intelligenceがどんな存在なのかは、以下の筆者記事を併読いただきたい。

生成AIは既存AIに比べ、必要とする性能が大きい。だからクラウドで動作するものが中心となっているのだが、それでは困る場面も多い。特に個人向けのアシスタントとして使う場合、価値を高めるには、撮影した写真や知人とやりとりしたメッセージ、アプリの利用履歴など、プライベートで外部に出ては困る情報を活用する必要があるからだ。

そこで出てきたのが「オンデバイスAI」。AI処理を機器内で完結し、クラウドにデータを送らない形を採ることで、アシスタントとしての価値とプライバシーの両立を狙っている。

アップルは生成AIでもプライバシー重視

半面、オンデバイスAIを動かす関係で、必要なパフォーマンスは上がる。AIの推論処理に向いたGPUやNPU(アップルの場合Neural Engine)の強化は必須で、メインメモリーもより大きくアクセス速度の速いものが求められる。

そのためか、Apple Intelligenceに対応するiPhoneは多くない。昨年までのモデルだと、プロセッサーに「A17 Pro」を搭載した「iPhone 15 Proシリーズ」の2機種だけだった。

Apple Intelligenceを幅広く普及させ、iPhoneをはじめとしたアップル製品の差別化要因にしたいアップルとしては、iPhoneの新機種では「すべてをApple Intelligenceレディ」にしておくのが論理的。よりカジュアルに使える機能であるのが望ましい。

結果として、例年以上に「Proよりスタンダードモデルがお買い得」な年になった印象は強い。それだけアップルは、同社製品の差別化に対してApple Intelligenceが重要な要素、と考えているわけだ。

アップルは慎重に「段階的提供」を目指す

ただし、Apple Intelligenceは遅れてやってくる。

アメリカ英語向けでも10月から機能の一部提供からスタートし、フル機能になるのは「年内」。日本語では「2025年から」とされている。

カメラやデザインなど、例年通り複数の進化点はあるので「今買っても損はしないのでは」とも思うが、急いで今日予約する必要はないのでは、慌てて買わずに機能の評価を見てから……という判断も理解できる。

筆者はアメリカ英語向けの開発者バージョンで、すでにApple Intelligenceを使ってみた。ChatGPTを全員が使っていないように、Apple Intelligenceもいきなり「全員が毎日使う」ものにはなりづらいかもしれない。

だが、日常の「ちょっとした不便」が解消されていくのは間違いなく、使い始めれば浸透していく可能性は高いと感じる。

Siriはこちらのいい加減な命令も聞き取って対応してくれるようになるし、写真を探すのも便利になると感じた。絵文字をたくさん使う人には「Genmoji」が魅力的だろう。

オリジナル絵文字を作って送る「Genmoji」
メールのスレッドをまとめた上で要約
文章の要約や翻訳を担当する「作文ツール(Writing Tools)」

アップルの場合、MacやiPadでも同じApple Intelligenceを提供するのが大きい。iPhoneでApple Intelligenceの便利さに触れた人は、同じものがMacやiPadで使えることに魅力を感じ、購入につながるかもしれない。これは、他のメーカーにない強みと言える。

もちろん、Apple Intelligenceがそこまで支持されない可能性はある。自分にどんな機能が刺さるのか、使ってみるまでピンと来ない人が大半だと思う。

生成AIをベースとした技術は、思わぬ「不適切な動作」をすることが少なくない。それが逆風になることもあるだろう。

アップルはかなり慎重に開発を進めており、その結果が「iPhoneの発売に機能実装が間に合わない」「段階的な提供」「アメリカ英語以外の後日提供」という形で現れたのだと思う。しかし、無理に急ぐよりもそのほうが望ましい結果を生みそうだ。

AirPods Proに搭載される「臨床レベルのヒアリング補助」

アップルは生成AIだけでなく、「機械学習」の利用にも積極的だ。機械学習=AIであり、処理の核自体はどちらも同じものだ。だが、言語以外に関わる領域が広く、周辺機器のように処理能力が限定されている機器では非常に有用だ。

AirPods関連という意味では、「AirPods Pro 2」に「臨床レベルのヒアリング補助」機能が搭載されたことに注目したい。

AirPods Pro 2に「臨床レベルのヒアリング補助」をアップデート提供

AirPods Pro 2は新製品ではない。2022年に「第2世代AirPods Pro」として発売された現行製品。昨年ケースがUSB Type-C対応に変わった。この製品へ今後ソフトウェアアップデートが供給され、「臨床レベルのヒアリング補助」機能が搭載される。

このことを「補聴器搭載」と表現する記事も見受けられた。だがちょっと面倒なことに、日本においては「補聴器搭載」ではなく、アップルもプレスリリースでは、一切「補聴器」という言葉を使っていない。

英語の場合、この機能は「Hearing Aid」とされている。これは翻訳すると「補聴器」。アメリカ向けのリリースでは、ヒアリング補助と補聴器は区別されていない。

この違いには背景の理解が必要になってくる。

アメリカでも日本でも、以前は「補聴器」は医師の指導に基づいて専門店で購入・利用を開始する特別なものだった。今も基本的には、医師の指導に基づいて使うべきものではある。

ただし現在は規制緩和が進み、家電店の店頭で個人が簡単に買える「OTC(Over The Counter)補聴器」もある。日本に規制はないが、アメリカでは過去、強い規制があった。

しかし2020年からFDA(アメリカ食品医薬品局)が規制緩和を進めた。

その結果として、家電メーカーなどのOTC補聴器市場への参入が始まっている。2022年にはソニーも参入した。

AirPods Pro 2への「ヒアリング補助=Hearing Aid」搭載もこの流れに基づく。

補聴器と聴力補助、そして「集音器」の関係を整理

聞きづらさに対応する機器はいくつかの種類に分けられる。

まず「補聴器」。

個人の聴力状況にあわせて調整して使うもの。重度の難聴対応や長時間の利用の場合、聴力の悪化を防ぐためにも専門家の指導による調整が望ましい。

一方で、軽度から中度で利用時間も限定される場合、個人に応じた調整は必要であるものの、それを「自分で行なう」パターンも増えた。アメリカでのOTC補聴器はこのジャンルと言える。

日本ではその評価や従来の補聴器と区別する目的から、補聴器とイコールの扱いはされていない。アップルが「ヒアリング補助」と表現しているのもそのためだ。

そしてより簡易なものとして「集音器」がある。通販などで売られているのはこれがほとんど。自分の聴力に応じた細かな調整はなく、あくまで「大きく聞こえやすくする」ものに過ぎない。

補聴器は集音器ではない。

単に集音して音を大きくするだけでは本質的な改善にはならず、場合によっては聴力がさらに落ちていく可能性も高い。音のどの領域が聞こえていないのか、どう補正すべきかは人によって異なる。

そこで、個人の聴力を正確にチェックし、調整した上で機器を使ってもらうようにする必要がある。前出のように、この要素を持つのが「補聴器」であり、日本では聴力の確認要件などから「ヒアリング補助」と使い分けがなされている状況だ。

AirPods Pro 2でのヒアリング補助機能については、iPhoneと連携して「聴力の確認」を行なう機能と連携して使うことが前提となっている。

AirPods Pro 2でヒアリング補助機能を使う際は、iPhoneで「聴力の確認」を行なう

この調査機能は医学的・科学的根拠に基づくもので、医師・専門家による調査と同等の信頼性を持っているという。「臨床レベルの」という枕詞はこの点に基づく。日本の場合「聴力テスト」とは表現できないので、機能的には「聴力チェック」と記述されている。

そして、チェックした結果生成されたパーソナルプロファイルを使い、聴力補助が行なわれる。軽度・中度の聴力補助についてはこの機能で十分なカバーができる……と期待できる。

周囲の音が大きくなるだけでなく、話している人・聞きたい音がある方を向けば、その方向から聞こえる音を大きく聞きやすいものにするようにもなっている。

パーソナルプロファイルはAirPods Pro 2の中に組み込まれるので、設定したiPhoneとセットで使う必要はない。耳にAirPods Pro 2さえつけておけば、どこでもヒアリング補助が行なえるわけだ。考えてみれば当然のことである。

もちろん、MacやiPadにつないだ時でも、AndroidやWindowsにつないだ時にも有効。電話での通話も、面と向かっての対話でも声が聞きやすくなる。

ただ、重度の聴力補助にはより細かなパラメータ設定が必要だし、AirPods Pro 2に搭載されているマイクでは対応できない要素もある。長時間依存することを考えると、耐水性・防汚性・バッテリー持続時間・耐久性など、イヤフォンとは違う特性も必要になってくる。

だからAirPods Pro 2はヒアリング補助機器であり、「補聴器とイコールでない」という理解も必要になってくる。

聴力補助の「カジュアル化」こそが健康維持につながる

重度の聴力補助に使えないのでは意味がない、と感じる人もいそうだ。

だがそれは、いわゆる「補聴器」に対する思い込みによる理解と言える。

聴力に不安を抱える人々は多い。聴力が悪化してから対処するのでは遅く、もっと幅広く対処が行なえるべきだ。

聴力補助が広がりにくい理由は2つある。

1つは「ほとんどの方が聴力検査を受けていない」ことだ。もっとカジュアルにチェックを受ける方が望ましい。

iPhoneとAirPods Pro 2による聴力検査機能は「AirPods Pro 2をヒアリング補助に使う」ためだけのものではない。簡単に個人が、医学的妥当性をもつ聴力検査をするための仕組みでもある。

だから、検査の結果を医師に見せて助言を得ることもできるし、必要ならばより補助範囲の広い聴力補助機器を選ぶ助けとすることもできる。

iPhoneとAirPods Pro 2のセットで可能な「聴力チェック」を医師に見せ、助言を得る助けにもできる

そしてもう1つは、「補聴器をつけることへの抵抗感を弱める」ことだ。

アップルも発表会で「難聴と診断された75%の人がなにも対策をしていない」と説明した。

難聴と診断された75%の人がなにも対策をしていない、という

補聴器にはどうしても「弱さ」という印象が付きまとう。補聴器・聴力補助器具をつけることに引け目を感じる必要性はどこにもないのに、「老いた」「弱った」という印象を嫌い、聴力検査や聴力補助器具の利用を避ける傾向があるのは否めないだろう。

これは特に「アメリカ市場では深刻な問題」だという。

ソニーがアメリカ市場でOTC補聴器への参入を決めた際、担当者に取材すると、「ソニーなどが参入する意味はそこ」と強調された。音楽用のイヤホンのような外見になることで、補聴器に対する偏見を減らし、利用を促す可能性が出てくる。

AirPods Pro 2も同様だろう。幅広く普及し、耳につけていることが不思議なものではない「ベストセラーイヤフォン」そのものであることは、聴力補助器具として使う上でのハードルを下げる。すでにAirPods Proを持っている人々にとっても、これから購入する人々にとっても有用な方向性である。

聴力補助器具をつけるべき人が使わないことは、聴力のさらなる低下を招く可能性がある。また、コミュニケーションが滞ることで、認知機能や心理状態への影響も懸念される。人は他人とコミュニケーションをすることで生きていくものだが、「相手の話が聞き取りづらくなる」ことが心身に良くない影響を与えると考えられているわけだ。

AirPods Pro 2の聴力補助機能は、完全な補聴器ではない。

しかしそのカジュアルさゆえに、「聴力を補助してコミュニケーションを拡大」し、多くの人の健康的な生活を維持する上で重要なアップデートなのである。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、AERA、週刊東洋経済、週刊現代、GetNavi、モノマガジンなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。 近著に、「生成AIの核心」 (NHK出版新書)、「メタバース×ビジネス革命」( SBクリエイティブ)、「デジタルトランスフォーメーションで何が起きるのか」(講談社)などがある。
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