小寺信良のくらしDX

第17回

子供の情報は地域社会に共有可能か

7月21日に東京新聞が報じたところによれば、ある家庭に新入学児童の情報を知らせたわけでもない自治会から、入学祝いの祭りの案内上が届いたという。調べによれば、区の教育委員会が、希望する自治会に提供しているということがわかった。

個人情報保護法の第六十九条は、行政機関の長等による個人情報の利用及び提供の制限を規定しているが、例外規定として2の四に、

”前三号に掲げる場合のほか、専ら統計の作成又は学術研究の目的のために保有個人情報を提供するとき、本人以外の者に提供することが明らかに本人の利益になるとき、その他保有個人情報を提供することについて特別の理由があるとき。”

という規定がある。これを受けて自治体向けに公開されているガイドラインには、

”また、「本人以外の者に提供することが明らかに本人の利益になるとき」には、 本人の生命や身体、又は財産を保護するために必要がある場合や、本人に対する 金銭の給付、栄典の授与等のために必要がある場合などが含まれる。”

とある。自治会では新入学生に対して神事を行ない、記念品としてノートと鉛筆、お守り、菓子が配付されたという。これが”本人以外の者に提供することが明らかに本人の利益になる”と解された。ガイドラインでは一例として金銭の給付が挙げられているが、区では自治会からの祝いはこれに該当すると判断したようだ。具体的な金銭ではないだろう、という指摘もあるかと思うが、これはあくまでもガイドラインの一例であって、判断は法律の原文である”本人の利益になる”に該当するかどうかの問題である。

これが今一つ気持ちが悪く感じるのは、一度自治会に渡った新入生児の名簿は、今後もきちんと管理されるのか、という問題が解決していないからである。

子供と地域の接続

今から10年ほど前、筆者は地域の「子供会」の会長を務めていた。PTAが学校と協力して子供達の学習環境を整備する(子供を直接扱わない)組織であるのに対し、子供会は地域社会(自治会)と子供を接続する役割を果たす(子供を直接扱う)組織である。したがって地域のお祭りにおける子供神輿やお囃子の編成といった役割を担う。

筆者の地域の子供会では、小学校から通学班の編成を委託されていた関係で、エリア内の新入学生の名簿が学校から各子供会へ渡された。この情報を頼りに各家庭を訪問し、子供会および通学班への加入の意志確認と、文具や名札といった入学祝いを渡す事になる。

当時からすでに個人情報保護法は存在したが、当時の法では5,000人以下の個人情報しか取り扱っていない者は個人情報取扱事業者から除外されていたので、こうした数十人規模の個人情報のやり取りはあまり問題視されていなかった。

渡された個人情報は、その子が小学校を卒業するまで保管され、その後はシュレッダーで破棄されるが、実際には保護者とグループLINEなどで連絡が付けられればそれで十分なので、元の情報を参照する必要もなかった。名簿原本の所在は、会長しか知らない。

通学班が関係するので、子供会は子供の情報を持っていてもおかしくない組織だった。一方自治会は、地域の住民全員が加入しているとも限らず、むしろ関わりたくないという人もいる。元々仕事を引退した高齢者が中心となっており、子供との親和性が低い組織である。

上記の区の例でも、子供会のような子供と親和性が高い組織が間に入るのであれば、それほど不信感も持たれなかったかもしれない。とはいえ、子供会という組織も、風前の灯火といった状況だ。子供会が独立して存在するところはそう多くはなく、運営が維持できなくなり自治会の下部組織として吸収されたところや、そもそも子供会がなく地域連携はPTAが代行しているところなど、有り様は様々だ。

「子供の情報」が流出するリスク

個人情報が流出すれば様々なリスクが発生するが、子供の名簿には特別な付加価値がある。特に重要なのが、年齢の情報だ。

子供は一定間隔で上の学校へ上がっていくわけだが、それに応じて受験期というものが確実にくる。子供の年齢が記された名簿は、学習塾の営業からすれば垂涎のデータである。

ずいぶん前の事になるが、筆者の子供の情報が流出し、小学5年生の頃から知らない学習塾の営業電話が相次いだ事がある。毎回断わるのに苦労したのだが、ある塾の者から、「名簿は出回っているんで今後も中学や高校受験の時にバンバン電話来ますよ」と脅された。

予防接種や集団検診を騙って、さらに子供の情報を盗ろうとする訪問もあった。「市役所の方から来ました」というヤツである。60歳ぐらいのきちんとした身なりをして首からIDカードを下げ、いかにも公務員といった姿をして、もう情報は知ってると言わんばかりに玄関先で分厚いファイルをめくり、「えーとお子様のお名前はなんと読みますか」などとペンを取りだして書き込もうとする。怪しげな訪問販売どころではない、「本物の詐欺師」を初めて間近に見た。その後引っ越して電話番号も変わったので事なきを得たが、子供の情報に特別の価値がある一例である。

これが新入生の情報なら、年齢が記されていなくても入学年度がわかれば年齢もわかるので、価値が高い。こうした情報を、地域のおじいちゃんおばあちゃんが主導する自治会が持っていて大丈夫なのかという不安は、当然あるだろう。

かといって、子供の成長を神事で祝ってきたという風習や慣習を、無下にできるのか。子供の成長を祝いたいという地域の想いを、「あっうちそういうのいらないんで」とバッサリ切ってしまっていいものなのか。

医学が発達していなかった時代には子供の死亡率が高く、「7つまでは神のうち」などと言われた。3歳、5歳、7歳、9歳、11歳といった奇数年に成長の祝いが行なわれ、それらが統合されて現代の「七五三」という風習となって全国に定着した。特に7歳の祝いは、これを以て子供社会の仲間入りを果たし、氏子として地域社会の一員と認められるといった節目であり、これ以降は端午の節句や桃の節句を卒業するという風習も存在した。

子供はいつの時代も地域の宝であり、ちょうど小学校入学の7歳になる年に神事を行なうという上記の例も、こうした7歳の祝いの名残を感じさせる。宗教的に信じるかどうかという話ではなく、地域文化や風習として可能な限り残すべきだと思うが、これを実施するのに教育委員会から直接自治会へという、そういうところで効率化・一元化するのはまあマズいだろう。特に神事への勧誘であれば、政教分離原則はどうなってるんだという話にもなる。

どこに何歳の子供が居るなどという情報は、地域の人とあいさつしたり話をしたりする関係を持っていれば、自然に共有されたものである。こうした関係性の強い地域は治安が向上し、暮らしやすい街となる。しかし現在は地域社会との関係を忌避する人もおり、まるでいつでも切り離し可能なボックスのような格好の家庭が存在する。

子供が地域の学校に行き始めれば、地域との接続は避けられなくなるものである。地域の人が入学を祝ってくれるといえば悪い気はしないはずだが、なぜ知ってる? ということが不安になるほど、家庭と地域との接続性が失われているということだろう。

厳格に個人情報云々と言い出せば、地域の行事の実施が危うくなる。地域の文化・慣習を維持するには、行政に頼らず、地域内の信頼できる人や組織の間で人づてに情報を小さく回すという、古き良き時代の姿に戻すほかないのだろう。デジタルベースの新しいシステムは合理的だが、古いシステムでしか動かないものもある。両方のシステムをうまく使って生きていくというのが、日本らしい姿を残す方法なのだろう。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田のマンデーランチビュッフェ」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。