|
トップページに戻る | ||||
コラム 瓦版一気読み(11月7日) |
情報は時とともに劣化する・・・
【1面トップ】 ただし、なんとなく華やかさや“これはウチの抜きですっ!!”といった緊張感に欠けるのはどうしてだろう。基本的にどの記事も1面頭ネタが見つからない中での苦肉の策的なムードに満ちていると言っては失礼か。 ◇そんな中で朝日の公共事業ネタは目を引いた。「与党3党と建設、農水2省が事業の継続は無駄として中止を勧告した281の公共事業のうち」、評価が終わった235事業の3割に当たる69事業が「勧告を受け入れず継続、もしくは事業再開が可能な休止と答申された」といった内容だ。 公共事業が俎上に上がったのは実は随分以前からだ。北海道の農業土木工事を例にあげると、水田農家が稲作を続けるには用水が足りない、と北海道や国(この場合は北海道開発庁と局が窓口だった)に陳情する。そこでダムを作ろうと話はまとまる。しかし、計画から設計、入札、工事開始、完成までには気の遠くなるような時間と月日が横たわる。陳情から着工まで10年、20年なんていうのはザラ。そのうちに稲作農家がどんどん廃業していく。この背景には国家の無策な農業政策もある。コメ作れ、どんどん作れと言ったその舌の根も渇かぬうちに減反だ、野菜に転作せよ、酪農も悪くないぞ、と方針が180度変わる。 結局、着工するころ、もしくは完成する頃にはダムの恩恵を受ける農家は半減していたりほとんど皆無といった状況すら生まれる。笑い話にならないのは国の事業とは言っても地元負担と言って、ダムならその完成によって「益」を受ける人たちが事業の何パーセントかを支払わなければいけないことだ。益を受ける人が減れば、当然一戸あたりの負担金もアップする。同様に地元自治体の負担も増幅していく。 だがそれでもこれまで公共事業が中止や休止に追い込まれたケースは皆無と言っていい。事業の持つ意味がなくなるのであれば、途中で考え直したり、方向修正するのはどんな場面でも当たり前のことなのだが、それが日本の公共事業では出来なかった。確たる理由はそこには無い。ただ単に公共事業にぶらさがる政治家、政府、自治体、建設企業などがそれを許さなかっただけのことである。 朝日によれば、中止に反対する理由の中には「すでに終了間近で途中でやめては投資効果が薄れる」といったものすらある。あきれて声が出ない。どういった投資効果が出るのか、当初と状況が変わったのであれば違う使い道を明確に提案できるのか。あくまでも“善”の存在だった公共事業が“悪”の代名詞のようになってしまったのは、政治家を含む国にも地元自治体にも責任がある。
【IT】 日経の本文を読み通せば分かることだが、IYバンクの問題点や疑問点を指摘する個所がどこにもない。ごく普通の読者でも「上手くいくんかいな」と感じるのは当たり前なのであって、「既存銀行は店舗見直しも」、「ATMの主導権は確実に既存銀行からヨーカ堂に移る」とまで言い切る同紙のスタンスは理解に苦しむ。さまざまな要素を挙げて、読んでいる者に“こうなったらこの可能性もある”と指摘するのが経済専門紙の重責なのではないか。
【トピック】 [メディア批評家 増山広朗] ■URL・瓦版一気読み バックナンバー http://www.watch.impress.co.jp/finance/kawaraban/
2000/11/07
09:08
|
3/30(金) |
プライバシーについて | 編集部へのご連絡 | Copyright (c) 2001 impress corporation All rights reserved. |
本サイトの内容につきましては万全を期しておりますが、提供情報がシステム等に起因する誤りを含んでないこと、すべての事柄を網羅していること、利用者にとって有用であること等を当社及び情報提供者は保証するものではありません。 当社及び情報提供者は利用者等が提供情報に関連して蒙った損害ついて一切の責任を負いません。投資等の判断をされる場合は、他の資料なども参考にしたうえで、ご自身の判断でお願いします。 |