鈴木淳也のPay Attention

第91回

クラウド化するSuicaが目指す未来

新型改札やロボットメンテナンス、無人決済店舗「TOUCH TO GO」と、さまざまな最新の試みが行なわれている東京の高輪ゲートウェイ駅

JR東日本は6日、東北地方でのSuicaエリア拡大と新型改札への刷新をともなうSuica処理のセンターサーバーへの集約を発表した。前回の連載「SuicaとVisaのタッチ決済、改札での速度差の秘密」と題してSuicaの処理速度をリーダーの技術仕様から検証したが、今回はもう1つの特徴である「分散処理」の部分から、その秘密を検証してみたい。

改札機のクラウド化で何が可能になるのか

JR東日本によれば、2023年度春から同社の営業区内のすべての改札機、約5,000台を順次置き換え始め、2026年度内に作業を完了させる計画という。

新型改札機では、これまで改札機ごとに行なわれていた運賃計算を、処理センターのサーバー上で行なう形へと変更する。その狙いとして同社が挙げているのが「センターサーバーへの集約により、新規サービスの開発やSuicaエリアの拡大が柔軟かつ迅速に実現できること」(JR東日本広報)だ。

順序から考えれば、まずこうした処理が可能なセンターサーバーを設置し、置き換えが完了した新型改札機からセンターサーバーへと処理を切り替えていき、最終的にセンターサーバーに集約することになる。いわゆる(ネットワークの広帯域化など)技術革新が可能にしたSuica処理のクラウド化であり、これまでになかったような仕組みが導入できる点が大きなメリットになる。

JR東日本は2023年度春以降に全国にある約5,000台の改札機を新型のものに順次置き換えていくという

冒頭で「分散処理」がSuicaの速度の秘密としたが、処理高速化のキモの1つがこの改札機のインテリジェント化にあったことは間違いない。

Suicaが登場した2000年前後の時代、中央集権型のサーバーですべての情報をリアルタイム管理しようとしても、サーバーの応答速度とネットワーク帯域の両面で、現在Suica改札で規定されているような「200ミリ秒以内の処理の完了時間」の実現は難しかった。そこで改札通過に関する処理はすべて改札機自身に任せてしまい、改札機で処理された情報は各駅に設置されたサーバーでいったん集約しておき(無人駅の簡易改札などは近隣の駅にアクセスする場合もある)、一定間隔でセンターサーバーと同期させることで、全体としての整合性を維持していた。

盗難や紛失などでSuicaの紛失処理を行なっても一定時間は残高を利用されてしまったり、再発行が翌日以降になってしまうのも、こうした情報の非同期性に由来するものとなる。

改札処理のクラウド化は、こうした問題を解決する。南海電鉄の「Visaのタッチ決済」による鉄道乗車でも用いられているQUADRACのシステムでは、入場時にクレジットカード番号を取得すると即座に「入場フラグ」を立て、このフラグが消えるまで同じカードでの入場ができなくなる。こうした仕組みが可能なのも、同社のシステムがすべてクラウド上で運用されているからだ。

QUADRACの「Q-move」という仕組みでは、非接触クレジットカードやデビットカードのほかに、QRコードの乗車券も利用可能だ。南海電鉄の場合、「どうせQRコード乗車券が使えるなら一緒に実験する」ということで、棚ぼた的に実験がスタートした感じだが、実はQRコード乗車券は改札システムのクラウド化があってこそ実現できるものだ。

以前にJR東日本が新宿駅などで実施していたQRコード改札実験でも触れたが、複製が容易なQRコードでの不正乗車を防ぐため、QRコード自体にユニークIDを埋め込み、この出入場フラグをリアルタイム管理することで“キセル”を防ぐ必要性がある。

この実現のためには改札システムのクラウド化、あるいはそれに準じたネットワーク構成を採る必要があり、JR東日本の「センターサーバーへの集約」に関する発表はその端緒を開くものとなる。

JR東日本が新宿駅で実証実験を行っていたQRコード改札機
テスト用のQRコードを改札機に読み込ませてゲートを通過しようとしているところ

「センターサーバーへの集約」について、JR東日本に完全な単一のクラウド化か、あるいは現状のピラミッド型のツリー構造に近い形で部分的にクラウド化をすすめるのか、どのようなネットワーク構成になるのかを質問したところ「センターサーバーの構成等の詳細は現在検討中であり、お答えいたしかねる」(JR東日本広報)との返答だった。

同様に、このシステムで実現可能なQRコード改札導入の可能性についても尋ねたところ、「QRチケットシステムの導入の可能性については、現時点で技術的決定事項は特になく、したがってお答えできる具体的な内容はないが、ご質問の内容に含まれる技術要素を含めてあらゆる可能性を排除せず技術開発を行なっているところ」(JR東日本広報)との返事が戻ってきている。少なくとも、「QRコード改札」が検討事項の1つであることは間違いないようだ。

コスト削減と広域展開

クラウド化による改札システムの刷新の部分に注目したが、やはり直近の効果としてはコスト削減による展開エリアの拡大だ。JR東日本のグループ経営ビジョン「変革2027」でも触れられているが、今後10年や20年先を見据えたときに人口減が課題となり、2040年には東北エリアにおいて3割近い人口減が見込まれる。

それにもかかわらず、追加投資が必要なSuica導入が東北3県で2023年度に実施されるわけで、そのポイントはやはりクラウド化のコスト削減効果にある。

同社ではまだ新システムのネットワーク構成について詳細に触れていないものの、改札機そのものはシンクライアント化し、従来のように駅ごとにサーバーのような仕組みを設置する必要もない。初期投資やメンテナンスコストを削減することで、投資対効果が得られると判断したのだろう。どちらかといえば、「エキナカ」でも「マチナカ」でもSuicaを積極活用してもらい、利用機会を増やすことで新たな収入源とすることが主眼にあると考える。

東北エリアでは今後顕著な人口減少が見込まれるにもかかわらず、Suica改札の新規導入などの追加投資が行なわれる(出典:JR東日本)

このような形で導入される新型改札は、どちらかといえばコスト削減が主体となり、おそらくQRコード関連の処理機構を除けば、新しいテクノロジーが導入される可能性は低い。JR東日本が「タッチレスゲート」と呼ばれる、スマートフォンなどのデバイスを所持しているだけで、端末やチケットをゲートに“かざさず”とも改札を通過できるという仕組みの研究開発を進めていることは、以前の連載記事でも紹介している。ただ、今回の改札更新サイクルである2023~2026年のタイミングでは、この仕組みの導入は難しいだろう。

この件についてJR東日本では「当社は将来を見据えて様々な技術開発を行なっている。まだ実用化には課題が多くあるので、現時点で具体的な導入予定はない」と説明している。

グループ経営ビジョンでうたわれている「タッチ」動作の必要のない新しい改札システムの導入はまだ先の話になりそうだ(出典:JR東日本)

改札機そのものはコスト削減を主体とした軽量安価なものへと変質していくが、「多機能」という部分で利用者の利便性をさらに追求していくのは、どちらかといえばスマートフォンのようなモバイルデバイスの役割となる。

この点で注目したいのが、先のグループ経営ビジョン「変革2027」でもうたわれている「モビリティ・リンケージ・プラットフォーム」だ。簡単にいえば移動情報の提供から支払いまで、エンド・ツー・エンドでの「移動」をサポートする仕組みであり、JR東日本グループの「MaaS(Mobility as a Service)」と呼んでいいだろう。

現状のモバイルSuicaアプリにはこういった機能はなく、移動情報に関しても「JR東日本アプリ」での別枠の提供にとどまるなど、スムーズな移動という状態には至っていない。同社によれば、このプラットフォームの提供は「地域の活性化に貢献」という部分にあるが、同時に「JR東日本1社だけではすべての生活ニーズには対応できない」ことも認めている。そのため、「他の事業者との連携も積極的に行なっていきたい」(JR東日本広報)と述べている。

1点興味深いのは、同様の戦略を近畿・中国エリアを管轄とするJR西日本も掲げていることだ。同社では2023年春の「モバイルICOCA」投入を表明しているが、「この『モバイルICOCA』は単純にICOCAをモバイル対応させるというよりも、スマートフォン上で事業者や移動手段をまたいだMaaSをいかに提供できるかに主眼を置いている」(JR西日本広報)とのことで、そのターゲットを明確にMaaS提供に定めている。

2023年春というのはちょうどJR東日本が新型改札を導入、つまりSuicaシステムのクラウド化を進めるタイミングに合致しているが、偶然というにはピッタリであり、「MaaS」「クラウド化」「新しい改札システム」といったいろいろな要素が絡み合っている。

それに加え、モバイルICOCAとその背後にあるMaaS戦略の先には、2025年に開催予定の「大阪・関西万博」を見据えている。東日本だけといわず、広域での展開を見込んだ壮大なストーリーが隠れているといえるかもしれない。

Suicaやモバイルアプリをあらゆる移動にまつわる用途に適用していく「モビリティ・リンケージ・プラットフォーム」構想(出典:JR東日本)

究極の狙いは「Suicaをあらゆる場面で活用」

南海電鉄の事例にあるように、交通系サービスにおいてもクレジットカードやデビットカードといった、いわゆる「決済カード」の仕組みが進出してくるなか、JR東日本が進める戦略は「Suicaをあらゆる場面で活用できるようにする」ことだ。

「変革2027」では次の2つの目標が掲げられており、Suicaをすべてのトリガーとして、JR東日本内外のさまざまなサービスを同社のネットワークに連携させるべく動いている。

  • さまざまな決済手段やアプリと連携し、あらゆる場面でSuicaを利用可能とする
  • 地域ニーズ等に応じ必要な機能を組合わせ、24時間いつでも、どこでも、当社グループのネットワークにつながるSuicaにより多様なサービスを利用できる環境の実現を目指す

現在、新型コロナウイルスの影響で、盤石と思われていた都心部でさえ移動需要の激減に見舞われており、鉄道による輸送需要に過大な期待はかけられない。ゆえに、外部サービスとの“ハーネス”になる可能性を秘めた「Suica」が、同社にとって切り札の1つになるわけだ。

従来のSuicaの弱点として、残高情報がバリューとしてローカルのカードに記録されるため、さまざまな情報がカードやデバイスという物理媒体に縛られる問題があった。これがクラウドへと移行していくことで、より柔軟な情報管理が可能となり、新たな可能性が開けてくる。

また現在はプリペイド方式が前提で、残高の上限も2万円にとどまるSuicaだが、今後はポストペイドなどの仕組みも含め、新たなサービスが登場するかもしれない。「変革2027」ではその例として「各種の金融サービス」「個人間送金」などを挙げている。

Suicaを共通基盤としてプラットフォーム化する構想(出典:JR東日本)

Suica内にチケット情報を保存する(あるいはクラウド上でチケット情報と結びつける)、さまざまな場面で“鍵”として活用できるようにするといった構想もある。例えば、スマートロック「Akerun」を開発するフォトシンス(Photosynth)では、開閉用の鍵としてSuicaなどの非接触ICカードを登録して利用できるようにしている

「普段通勤などに使っているカードをそのまま利用できたら便利」という発想からきたものだが、JR東日本もこの仕組みには注目しているようだ。実際、2020年11月26日に発表された「JR東日本スタートアッププログラム2020」の採択企業では、スタートアップ大賞にフォトシンスの「Suicaを活用したスマートビル入退館システムの開発」が選ばれている。

とにかく、さまざまな場面でSuicaが活用できるシーンを増やしたいというのはグループを挙げての目標のようで、今後それはさらに加速していくことになるだろう。

JR東日本スタートアッププログラム2020で記念撮影に応じる、Photosynth代表取締役社長の河瀬航大氏(左)とJR東日本スタートアップ代表取締役社長の柴田裕氏(右)

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)