西田宗千佳のイマトミライ
第41回
アプリで「通信付きサービス」を買う時代 ソラコムiPhone用eSIMの狙い
2020年2月25日 08:10
2月21日にソラコムは、iPhone・iPad向けにeSIMを使った、個人向けのMVNO型データ通信サービス「Soracom Mobile」をスタートした。
海外旅行iPhoneユーザー向けeSIMサービス「Soracom Mobile」
主に海外旅行者を想定したもので、すでにアプリは公開済み。利用可能な状況にある。
現在は、海外旅行向けの通信サービスも増えている。「eSIM」(物理的なSIMカードがいらないデジタルSIM)を使ったことがある人は限られているかもしれないが、その存在が珍しいわけではない。しかし、同社の戦略はなかなか面白く、示唆に富んでいる。今回はそれを解説してみたい。
「IoT向けの通信をクラウド化した」ソラコムとは
ソラコムはこれまで、コンシューマ向けのビジネスをしてこなかった。そのため、同社の名前を知っているのは、IT業界に詳しい人やエンジニアに限られていたかもしれない。だが、通信系企業をウオッチしている人々の間で、非常に有名な存在だ。
社長は、創業者の玉川憲氏。ソラコム創業前は、AmazonのクラウドインフラであるAWSで、日本のエヴァンジェジスト・技術統括として活躍した。そんな彼が2015年に起業したソラコムは、「通信版のAWS」とでもいうべき存在だった。
IoTのような機器を作るには、一般的な携帯電話やスマートフォンと同じ料金体系・管理体系では使いづらい。企業が管理する端末数も、通信量も大きく変わるからだ。
例えば農地の水量管理を行なう場合、冬場で作物がない時には、端末数も通信量もごく少なくていい。しかし、繁忙期になり水量が増えると、センサーの数も水量をチェックする間隔も増え、通信量が増える。このように、時期や状況によって通信量・頻度が大きく変わる可能性のあるビジネスでは、「月額いくら」の通信ではやっていけない。
AWSのようなクラウドインフラでは、演算量やストレージの利用量に合わせて料金体系が決まる。だから、利用状況の管理にも、それに合ったシステムが用意されている。
携帯電話会社から単に回線を借りるのではなく、借りた回線を、クラウドインフラのように「利用量に応じて柔軟な管理と料金体系の元に再販する」ことが、IoTでは必須になるのではないか? ソラコムはそういう発想から起業された。料金体系だけでなく、セキュリティモデルや必要な通信モジュールなども積極的に開発し、事業展開を行なった。
2015年の創業から順調に事業規模を拡大していったが、2017年8月、KDDIが株式の大半を取得し、子会社化した。海外展開を進め、事業規模を拡大するためだ。
現在は世界中でビジネスを展開し、利用顧客は1万5,000、開設回線数は100万を超える。自動販売機やスマート・ガスメーター、センサーネットワークの他、ソースネクストの自動翻訳端末「ポケトーク」も、ソラコムの回線を使ってサービスが行なわれている。
アプリ内で設定・購入が完結する「海外旅行者向け通信サービス」を提供
そんな「B2B」ビジネスを手がけるソラコムだが、今回発表した「Soracom Mobile」は、個人市場向け「B2C」のサービス。ソラコムブランドとしては初めての試みとなる。
Soracom Mobileは、「eSIM」を搭載したiPhone(XS/XRおよび11シリーズ)とiPad(現行のセルラーモデルのみ)にのみ対応した通信サービスだ。通話やSMSは使えず、データ通信のみを提供する。ただし利用には、SIMロックがかかっていない端末が必要になる。
ターゲットは海外旅行者だ。海外旅行時の通信手段確保は重要である。海外ローミングも安価になってきたが、それでも出費は抑えたい。だからといって、現地でSIMカードを買うのは面倒だし、時間もかかる。
そこで、eSIMの出番だ。eSIMは書き換え可能な内蔵SIMのこと。ソフト的に書き換えて使うことで、通信契約をネット上で完結できる。iPhone/iPadの他、GoogleのPixelシリーズにも搭載されているし、PCとしては、マイクロソフトの「Surface Pro X」にも搭載されている。普段使っているSIMカードはそのままに、「もうひとつの通信手段」を簡単に追加できる。筆者も海外出張などの時に利用するようになった。
Soracom Mobileもそんな「eSIMを使った通信サービス」のひとつ。アプリをダウンロードし、メニューに従って通信プランを購入していけば、通信の複雑な設定を一切触ることなく、簡単に通信プランを追加できる。Apple IDでの登録やApple Payにも対応しているので、それらを使えば文字入力すら不要だ。アプリ内だけで設定が終わるのが、なによりの特徴である。
2025年、旅行アプリやマイルアプリの「通信サービス」があたりまえに?!
とはいうものの、eSIMを使った通信サービスは、ソラコムだけが提供しているわけではない。通信料金も、もっと安いところがある。
そもそも同社は、2019年の段階で、QRコードを使ったeSIM書き込みサービスを発表済みだ。個人向けでなかったとはいえ、Soracom Mobileにつながる要素はすでにあったことになる。
では、どこがSoracom Mobileの価値になるのだろうか?
玉川社長は、「まだ構想段階であり、具体的なパートナーが決まっているわけではない」としつつも、次のように説明する。
「アプリになっているということは、様々なところと組めるということ。旅行会社のアプリに機能を組み込み、ツアーと一緒に通信を販売したり、キャシュバックやマイレージを『通信量』の形で提供したりもできるだろう」
これまで、「通信プラン」はあくまで通信事業者の行なうことだった。契約も大変だった。だが、eSIMになり、アプリ上から簡単に扱えるようになると、話は変わってくる。
いまは「eSIM書き込みと契約のための専用アプリ」として提供されているが、別にこの形態にこだわる必要はない。別のアプリに機能として組み込んでしまうことで、通信には関係がなかった企業が、コンシューマに対して「通信サービス」を簡単に提供できるようになる。
そもそもソラコムは、「通信を必要な分だけ、企業と端末に提供し、それを管理する」ことをビジネスとしてきた。コンシューマ向けの企業にそれを提供するとすれば、「eSIMを使ったデータ通信サービスの柔軟な提供」ということになる。
「2025年には、eSIM搭載機器の数が20億台になる」と玉川社長は言う。そうすると、コンシューマ企業としては、アプリを使った接点のひとつとして、eSIMを使ったデータ通信の提供を考えても不思議はなくなる。
現状はiPhone・iPad向けのサービスだが、Windows PCなど、他の機器についても「準備は進めている」(玉川社長)という。
現状、「アプリから簡単にデータ通信を提供できます」といっても、企業顧客にはピンと来ないかもしれない。だが、ソラコムがSoracom Mobileを提供し、「こんな形でビジネスができます」と示してしまえば、その先を想像するのはもっと簡単になる。
Soracom Mobileは、ソラコムとして初めてコンシューマ市場向けビジネスで、新規事業である。だが一方で、「回線とその管理機能を企業に提供する」という意味では、同社の既存ビジネスと変わりなく、連携が強い。いわば、今後の可能性を示すテストケースとして「コンシューマ向け事業」と立ち上げたのだ。
これは、「自分が売りたいもののためにひとつ下のレイヤーに潜ってビジネスを作り、それをテストケースとする」形といっていい。トヨタが自動運転に付帯するサービスをビジネス化するためにWoven Cityという「街」を作ったり、ソニーが自動運転車向けセンサーを売るために「VISON-S」というオリジナルのEVを作ったりすることと、よく似ている。
パートナー企業の想像力を刺激し、ビジネスの可能性を広げるには、こうした「一つ下のレイヤーのビジネスをあえて作ってみせる」ことが重要な時代になっているのかもしれない。