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価値探索型のプロダクト開発のはじめかた 仮説検証とアジャイルの実践

ビジネス場面において、「どうすれば、目の前にあるプロダクトづくりがもっと良くなるのか」「理屈はわかっていても、自分たちのプロダクトづくりをどう変えていけばよいかわからない」、こういった悩みをお抱えの方はいらっしゃるでしょうか。上記の悩みは現場でよく耳にする問いです。

今回の記事では、書籍「アジャイルなプロダクトづくり 価値探索型のプロダクト開発のはじめかた」の第1章から、現場のストーリーを通じたアジャイルなプロダクトづくりへのアプローチに触れていきます。

この記事はインプレス刊『アジャイルなプロダクトづくり 価値探索型のプロダクト開発のはじめかた』の第1部・第1章を編集・転載しています。【STORY】と【解説】による構成です。(編集部)

主な登場人物

笹目(ささめ) 主人公

入社5年目。受託開発のプロジェクトを経て、自社プロダクトである「プロジェクト管理ツール」の開発にエンジニアとして参画している。すでに3年が経過しているが思うように結果が残せず、スプリントレビューでは毎回詰められる日々を送っている。

十二所(じゅうにそ)

1カ月前にキャリア採用で中途入社した。笹目よりも4歳年上。普段は無口で物静かだがプロダクトづくりについて確固たる自分の考えを持っている。そのため、周囲にはまったく遠慮しないもの言いで、しばしば暴風に近い波風を立てている。

二階堂(にかいどう)

プロジェクト管理ツールのリーダー。十二所とは同じ年齢。会社の中では「エース」と目される評価を受けている。リーダーらしく余裕のある雰囲気を常にただよわせている。マネージャーの西御門(にしみかど)とはあまり合っていない。

小坪(こつぼ)

プロジェクト管理ツールのエンジニア。笹目と同期にあたる。真面目な性格で開発に真摯に向き合っている。二階堂を理想のエンジニア像、リーダー像として慕っている。

大町(おおまち)

プロジェクト管理ツールのセールス担当。二階堂と同期にあたる女性。社内の新規事業系のセールスを一手に引き受けているが、従来の受託開発領域についても数字を背負っている。同期の二階堂をはじめ、開発チーム全体に向けて容赦のない意見を繰り出している。

滑川(なめりがわ)

プロジェクト管理ツールのスクラムマスターを務める。スクラムマスターの豊富な経験を期待され、外部から業務委託として参画している。教科書に忠実で簡単には自説を曲げたりはしない。二階堂とは信頼関係がある、らしい。

【STORY】プロローグ

「こういうのはプロダクトづくりとは呼ばない。」

十二所さんの一言に、ミーティングの空気が凍りついた。今まで味わったことがない温度感だ。僕はいったいどんな表情でこんなことが言えるのかと十二所さんの横顔を盗み見した。普段とまったく変わらない感じの澄まし顔だった。こちらの小波立った気持ちなんて、まったく興味もないのだろう。

彼が目の前で突き放したプロダクト開発を、僕はもう3年も続けている。僕たちのプロダクトはプロジェクト管理のためのツールで、チームによるタスクマネジメントが中心機能になっている。僕が関わる数年前にはローンチされているので、それなりにユーザーはついている。だけど、正直に言って競合のプロダクトと比べて目新しさもなく、僕が関わってからはユーザー数の横ばいが続いている。十二所さんに言われるまでもなく、ビジネスも開発も停滞気味だ。

「笹目くん、彼にうちの開発がどんななのか、ちゃんと話しているのかな!」

止まっていた時間を動かしたのはチームリーダーの二階堂さんだった。十二所さんにではなく、なぜか僕のほうに矛先を向けてきた。いつもスプリントレビューで、期待通りのアウトプットを出せない僕に降り注ぐ、なじり口調と同じだった。

「は、はい。チーム参加のオリエンテーションは済んでます。」

思わず声が上ずった。なじられるのはいつものことだが、慣れることはない。

「まだ、ろくにスクラムイベントに参加してもいないのに、十二所さんけっこう言いますねえ。」

そう続けたのは、同期の小坪くんだった。小坪くんと僕は入社5年目になる。十二所さんのほうはキャリア採用で、つい1カ月前に入社したばかりだ。僕より3つか4つ年上のはずで、年齢は二階堂さんとほぼ変わらない。チームの中では年長のほうにあたるためか、入社間もないにもかかわらず、十二所さんの言いっぷりは遠慮がない。

「スクラムイベントに出るまでもない。プロダクトバックログを見れば、このチームがいかに機能していないかわかる。」

もはや口を開くたびに、火の手が上がるようだ。十二所さんは決してけんか腰ではない。独り言のように、誰の目を見ることもなく言い流している。僕の心臓の鼓動はますます速くなっている。

「これはまたスゴい人が入ってきたねー。」

二階堂さんのほうを見ながらにやにやして言ったのは、セールス担当の大町さんだった。大町さんは、二階堂さんの同期で付き合いも長いらしく、二階堂さんに向けた言葉は特にラフな感じになる。もっとも大町さんの性分らしく、そもそも相手を問わず、よく言えばフレンドリーで、悪く言うとおおざっぱなところがある女性である。このミーティングは、セールスの大町さんに向けた開発チームからの進捗共有のために開かれている。大町さんに応じることなく、二階堂さんはやや声を荒らげた。

「十二所さん、うちのバックログのどこがダメだって?」

「プロダクトバックログのそれぞれの狙いがわからない。バックログというか、ただのタスクリストになっている。」

「狙い? ちゃんと、それぞれのバックログアイテムに書いているだろう。」

「やることは書いているが、何のためにやるのかは書いていない。だから、単なる
タスクと変わらない。」

言葉に詰まった二階堂さんに代わって、小坪くんが反論した。

「タスクになっていて何が悪いんですかね。僕らはこれでずっとやってきていて、ちゃんと進捗も出ているんですよ。」

「いや、プロダクトバックログがタスクで埋め尽くされていたら、一見アウトプットは出ているように見えるだろうけど、アウトカムは見えないままになる。」

今度は大町さんが興味深そうに聞いた。

「アウトプット? アウトカム? 何が違うの、それ。」

「アウトプットは作業をすれば何かしら生み出されるもので出力結果にすぎない。アウトカムが成果にあたる。当然、チームとしてはアウトカムを意識し、何をやるべきかを判断するべきだ。」

ことごとく歯に衣着せぬ十二所さんの言いっぷりに、場の空気が別の感じに変わっていく気がした。この人、なんか違う。一言一言に単なる理屈ではなく、経験の裏打ちを感じる。それを二階堂さんも、大町さんも、小坪くんも感じ取ったのだろう。下手に突っ込みを入れなくなってきた。

もはや、ミーティングとしてのこの場をどのように収拾をつかせればよいのかわからない。でも、どうにかしないといけない。僕はわからないなりに言葉を継いだ。

「あのー、十二所さんは何か僕らのチームの改善点を見つけてくれているような気がします……。なので、今日のこの場は進捗確認を進めて、またあらためてふりかえりの場でいろいろと挙げるようにしませんか?」

「……そうだな。このミーティングはふりかえりではないからな。」

何とか場を収める手がかりを得られたからか、二階堂さんはそう応じてくれた。大町さんへの進捗共有にアジェンダを戻そうとした、そのとき、思いがけない指摘が飛んだ。

「この謎の進捗会議を続ける意味があるとは思えない。」

もちろん十二所さんだった。だんだん僕はこの人に怖さを感じ始めてきた。それは僕だけではない、他の面々も同じだったのだろう。誰も言葉を発しなくなっていた。凍てついた空気を破ったのは、この場を凍らせた張本人だった。

「このプロダクトづくりには、3つの『夜も眠れない問題』がある。まず何よりも、その問題について話し合うべきだ。でなければ、いくらタスクの消化状況を確認したところで、一向にアウトカムにたどり着くことはない。」

突然の問題提起に全員もちろん反応できないし、同時にその中身が気にもなった。何しろ僕らのプロダクト開発はあれこれと昔よりは改善してきているものの、こと成果という点ではうまくいっていないことをここにいる全員が認識している。十二所さんは僕らの関心がついてくるか様子を見計らっているようだった。

「今からその問題を挙げていくので、ファシリテートをお願いしたい。」

そう言うと、十二所さんは僕のほうを見た。初めて、彼がこの場にいる人に向き合った気がした。彼の直視に耐えきれなくなって目線を外すと、すぐさま十二所さんは言葉を続けた。

「笹目に。」

なんで僕なんだ?

【STORY】なんちゃってスクラムと、むやみな数値目標と、目の前最適化

僕はホワイトボードのペンをつかもうとして、手を滑らし落としてしまった。場は明らかにピリついている。セールスの大町さんへの進捗共有の会は、まったく思いもよらない方向へと踏み出していた。この空気を作り出した張本人の十二所さんは相変わらず涼しい顔だ。

一方、リーダーの二階堂さんもにこやかな表情を装っているように見えるが、眼鏡の奥にある目は笑っていない。何しろ、目の前で「このチームは機能していない」と切り捨てられたのだ。

二階堂さんは、うちの会社ではいわゆる「エース」と呼ばれる人だ。これまで数々の燃え盛る受託プロジェクトをかいくぐってきている。開発者でありながら、チームマネジメントも務める、万能な人だ。その実力を認められて、鳴かず飛ばずの自社プロダクトに引っ張り込まれたという構図だ。

実際、二階堂さんの下で仕事をしてきて、チームの開発が大きく変わったと感じる。正直適当に作り進めていたにすぎなかったが、きちんとプロダクトとしてのKPI(Key Performance Indicator/重要業績評価指標)を設定し、チームメンバーそれぞれがするべきことに迷うことなく日々に臨めるようになってきたところだ。

二階堂さんが外部から連れてきたアジャイルの専門家がスクラムマスターを担うことで、僕たちのチームはスクラムに取り組むことができている。まさに、そのスクラムマスターの滑川さんがおもむろに口を開いた。

「この1年で、このチームは様変わりしていますよ。入ってきたばかりの十二所さんは、まだこのチームのことがよくわかっていないだけじゃないかな。」

余裕のある口ぶりだが、内心には不快さがただよっているのだろう、その表情ににじみ出ている。滑川さんは二階堂さんに目配せして、自分が代わりに話すことを暗に伝えてみせた。

「十二所さん、このチームはちょうど1年前にスクラムを始めたんです。私がスクラムマスターとして関わるようになってからです。確かに、それまではスクラムの影や形もなかった。それが今では、社内で模範とされるようなスクラムチームになっている。」

いつものように滑川さんは滑らかに話し始めた。滑川さんがどのくらいアジャイルについてのキャリアがあるのか僕はわからないのだけど、スクラムイベントの進行は滑川さんの下で、いつもアジェンダの予定通りに進み、時間通りに終わっている。ファシリテートの経験が深いのは間違いなかった。

「最初はスプリントレビューにもかかわらず見るべきアウトプットがほとんどなくて。思ったように自分たちの仕事ができていなかったんですね。そこから、 スプリントレトロスペクティブ (ふりかえり)をきっちり実施するようになって、少しずつチームとしての改善を進めてきました。その結果、この数スプリントは、常に最高の ベロシティ (スプリントあたりの開発量)をたたき出しています。」

少し息を継いで、滑川さんは得意げに十二所さんをチラ見した。僕もホワイトボードの前に立っているものの、さっきの滑川さんの話をどう書き出せば良いかわからず、十二所さんの顔をうかがった。当の十二所さんはまぶたを閉じていて、聞いているのかどうかもわからなかった。

しかたなく、なんとなく“最高のベロシティ”と書きかけて、しかしやめた。確かに僕たちのチームはかなりのアウトプットを出せるようになっている。でも、実態はみんな苦労してどうにかやっとこなしているという毎日だ。誰も言及しないけども、その状況が僕にはどうにも望ましいとは思えなかった。

「このチームで追っているのはベロシティだけではないです。プロダクトとしてのKPIももちろん置いてます。登録ユーザー数、アクティブなユーザー数、それから収益の視点を欠かすことはできませんから、 MRR (Monthly Recurring Revenue/月間経常収益)も追っています。これはセールスの大町さんとも合わせている数字ですね。」

水を向けられたものの、大町さんは反応しない。まるで十二所さんと同様に声が届いていないようだ。今日に限ったことではなく、滑川さんは話し始めると語りが長くなる。そのあたりが大町さんをはじめ、何人かのメンバーからあんまり好意的には受け止められていない。いつものことだ。滑川さんはかまわず続けた。

「思うようにアウトプットがままならなかったチームも、今では違います。それぞれが自分のやるべきことを明確に意識して、自分の役割を果たしています。効率性を高めるためには、メンバーそれぞれの得意領域を作り、そこに集中することです。チーム内のコミュニケーションをもちろん重視しますが、同時にムダなやりとりが発生しないようにも注意を払っています。」

スクラム、KPI、効率性。滑川さんのいつもの解説が続く。それでも、小坪くんは聞き逃すまいとメモを取っているようだ。二階堂さんも、満足そうにうなずいている。

「それぞれが自分の経験を活かせるように、バックログの割り当ても、各自の担当領域に基づいて行ないます。メインのタスクボード機能は二階堂さん、ユーザー管理機能は小坪さん、収益管理はまた別のメンバーに、と。こうやって領域を決めておけば、スプリントプランニングも効率良く進められます。誰が何をやるか、いちいち迷わなくて済みますからね。結果、プランニングにはほとんど時間を割いていません。デイリースクラムも不要になっています。」

ひとしきり解説を終えて、滑川さんはしたり顔だった。滑川さんが言う通り、僕らはずいぶん効率的になっている気がする。でもその分、自分の目の前のタスクがすべてになっていて、他の人の様子をほとんど気にしなくなった。だから、デイリースクラムもいらなくなってしまっている。僕にはうまく言えないのだけど、これで本当に良いチームと言えるのかと、もやもやしたものがいつもどこかでつっかえている。

ここで、ようやく十二所さんが目を開いた。

「もう、いいですか?」

短い一言が、場の空気を一気に乾かした。このとき、十二所さんがほぼ同い年の二階堂さんや大町さんには対等の口調で、外部の人だからなのか、それとも年上だからか、滑川さんには一応の敬語を用いるといった使い分けがあることに気づいた。だけど、口調は多少変わったものの、温かみは引き続きまったくない。

「いや、私の話を聞いてましたか!」

「なんちゃってスクラムと、むやみな数値目標と、目の前最適化という3つの話でしたね。」

滑川さんのつっかかりに、すぐさま十二所さんがそう応じた。

「な、なんちゃって!?」

スクラムマスターとしてのプライドをあっさり踏みにじられて、滑川さんは声を荒らげた。

「このチームには、3つの 夜も眠れない問題 があると言ったが、なぜ3つもあるのか理由がわかった。スクラムマスターが説明をしてくれた3つがそのまま不眠問題になっている。」

そう言って、十二所さんは二階堂さんを冷たい視線で射抜いた。こんな状況になっているのは、お前のせいだと言わんばかりだ。そんなふうに見られて、二階堂さんにももう笑みはない。そっと、二階堂さんはチームメンバーのほうを向いて問いかけた。

「うちのチームに眠れていないメンバーなんて、いたかな?」

「僕はちゃんと寝られてますよ!」

小坪くんが即座に答える。そうだよなあと二階堂さんは受け止める。他のメンバーもうんうんとうなずいている。僕は……眠れていないかもしれない。そう言いたかった。自分のことでも、チームのことでも、もっと言葉に出したいことがある。でも、二階堂さんの視界の中にはきっと僕は存在していない。ずっと何も言えないままだった。それは、きっとこれからも。

僕はまだ何も書き出せていないホワイトボードペンをぎゅっと握りしめた。意を決して、「3つの眠れない問題」とタイトルを書き出す。十二所さんだけが冷静にその後を引き受けた。

「3つの問題とは、ユーザーと、チームと、プロダクトのことだ。」

僕は繰り出される言葉をそっくりそのまま書き連ねていく。

「プロダクトの健全性を保つためには、ユーザー、チーム、プロダクト、この3つを常に見るようにする。このチームは、KPIやベロシティといった指標は掲げているが、結果的に見るべきものが見れていない。」

「いやいや、ユーザーについてはKPIで、チームはふりかえりで状態を把握するようにしていますよ! プロダクトが何を意味しているのかわからないですが、着実に機能の実装を重ねています。ちゃんと結果も出ているんです。さっきから、一体何が言いたいんですか!?」

さっきまでの丁寧な物腰は滑川さんからすっかり消えてしまっている。その様子に、僕も含めてみんな気おされる感じだった。

「だから、言っているじゃないか。見るべきものが見れていない。」

そう言って、十二所さんは僕に目配せした。これから言うことを書いていってくれ、ということなのだろう。そして、滑川さんにとどめをさした。

「チームとして捉えるべきは、どれだけ“変化”に対応できているか、だ。」

【解説】プロダクト開発における夜も眠れない3つの問題

プロダクトチームとなれば、 KPI OKR (Objectives and Key Results/目標と主要な結果)といった意図的に設定する目標、またプロダクト開発のリードタイムやデプロイ頻度、あるいはチーム自身の状態を測るベロシティなど、いくつもの見るべき指標を置いていることでしょう。いずれも、状態を判断するための情報です。

ただ、これらの指標を漫然と追いかけているだけでは、プロダクトとそれを手掛けるチームとして「価値」を生み出せているのか判然としません。

プロダクトを利用する人たちにとっての「価値」が確かに生まれていて、そしてそれを実現するチームも「持続的に活動できる状態」になっている。また、そうあるためにはプロダクト自体の状態やプロセスが正常な状態かも問われます。ユーザー、チーム、プロダクトこれらが「どれか1つ」といった偏りではなく、すべてについて健全であるかを見るのです。

プロダクトづくりの3つの視点(ユーザー、チーム、プロダクト)

プロダクトの開発・運営が持続しているチームにおいてこそ、この3つの視点で起きうる「不眠問題」があります

(1)ユーザー視点での「不眠問題」

プロダクトの提供が持続しているということは、事業上一定の成果をあげているということです(もしそうではないとしたら……別の問題に焦点を当てなければなりません)。着実にビジネス面での指標計測を行ない、適宜改善を織り込むサイクルを回せている。だからこそ生まれるのが、数字を追うのに注力しすぎるあまり「ユーザーの声を聞く」「反応を見る」ことをあと回しにしてしまっている状態です。

収益指標を中心とした計測の精緻さ、こだわりに比べて、ユーザーの インサイト (ユーザーが内に持つ思考や志向)収集にあまり手が出せていない。または相当昔に、それこそプロダクトの立ち上げ期にユーザー調査を実施して以来アップデートができていない。そんな状況が長く続けば続くほど、ユーザーから本当のところ何を期待されているのか想像することも難しいでしょう。

(2)チーム視点での「不眠問題」

目の前のビジネス成果をあげるために、注力することの1つは日々のオペレーションを研ぎ澄ませることです。それは日々のチーム活動や個々人の役割を固定化していく流れと隣り合わせになっていきます。目の前の成果を念頭に置いていると、チームの営みに「ゆらぎ」が生じることに徐々に消極的になるものです。「予定通りに結果が出る」ということに心が奪われていく、その先に待っているのはチームごとの サイロ化 (連携や情報共有が不足し互いに疎な関係になっている状態)、さらには単一チーム内での個人ごとの分断です。

チーム内で過度に役割を決めすぎると、それぞれが目の前のことにのみ集中し、結果的に互いのことが見えなくなってしまいます。ところが、見えなくなっても自分の手元の仕事が止まりさえしなければその状態を問題とも感じなくなります。スプリントプランニングもスプリントレビューも同じ時間をただともにしているだけだが、そこに特に違和感を覚えていない。デイリースクラムがなくて、互いの様子が一向にわからなくても特に困らない。1つのチームでありながら分断している、その異様さに何も感じていないとしたら危険です。

(3)プロダクト視点での「不眠問題」

この視点での問題には大きく2つ系統があります。1つは プロダクトそのもののエンジニアリング面の問題 、もう1つは プロセス面の問題 です。

前者の エンジニアリング面の問題 で必ずと言って良いほど直面することになるのが技術的負債問題です。これは運用を一定期間続けているプロダクトには避けられないテーマと言えます。負債の深刻さには度合いがあり、たとえば、既存機能への影響の見極めと対処のために、新たなアイデアを実装するのに1カ月かけてもままならないといった具合になってくると、いよいよ問題は根深いと言えます。スプリントの長さ(多くの場合1~2週間)をはるかに超えた時間軸で対応にあたらなければならないとすると、スクラム自体が成り立ちません。

後者の プロダクトづくりにおけるプロセス面の問題 も挙げておきましょう。こちらもよくあるのは、スクラムを適用しているとしながらも、その実態が単なる「タスクマネジメント」になっている状況です。タスクマネジメント自体は当然に必要なことですが、スクラムの本質を体現できていないままではプロダクトづくりとして決定的に不利にあると言えます。本書で明らかにしていきますが、スクラム(アジャイル)の意義とは、プロダクトとチーム自身に 適応 をもたらすところにあります。「効率の良いタスク消化」だけを追うプロセスでは、「適応」自体が生まれづらくなります。

【解説】3つの視点からプロダクトづくりの健全性を捉える

では、どのようにしてこれら3つの視点で健全性を見れば良いのでしょうか。健全性を捉えるうえで、逆に「不健全さ」から考えてみましょう。プロダクト運営における不健全さとは、ユーザーやチームメンバーの声が届いておらず、本来対応するべきことにも対応できていない、対応できるようなプロダクトにもプロセスにもなっていない、という状態です。それは、 どれだけユーザーやチームの声や反応に基づいて、プロダクトと自分たちの動きに「変化」を作れているか 、で判断ができます。

ユーザーが求めるところ、期待すること、またチーム自身が望むような仕事の状況に持っていけないとしたら、早晩プロダクトがもたらす価値は頭打ちとなり、やがて減じていくことにもなりえるでしょう。そうならないためにも、次の視点で状態を「診る」ようにしましょう。

(1)ユーザーの視点で「診る」

最後に、ユーザーの声や反応に基づきプロダクトに「変化」をつけたのはいつか。 そのためには、そもそもユーザーとの関わりを持っていることが前提です。具体的には、ユーザーインタビューの頻度、回数、そこで得られたインサイトの量と質、これらについてわかるように記録しておきましょう。ユーザーインタビューの実施のたびに何がわかったのかを要約として残しておくと良いでしょう。

最後にユーザーの声を聞いたのが半年前で、実際にプロダクトに変化をつけたのはさらにその前の時点までさかのぼらないといけない、としたら黄色信号です。

(2)チームの視点で「診る」

最後に、ふりかえりなどに基づき、チーム全体としての「変化」を取り入れたのはいつか。 これも、チームで「ふりかえり」の活動が実施できていることが前提です。そのうえで、局所的な改善ではなくチーム全体がより良く動いていけるような施策が挙げられ、取り入れられているかを判断します。

ここで留意したいのは、「改善」だけの視点では頭打ちがあるということです。目に付きやすい顕在的な課題を見つけて、穴埋めしていくことだけが目指す状態ではありません。「チームとしてどうありたいのか」を捉え直すことで、潜在的になりがちな「向かいたい方向」を明らかにしましょう。「チームとしてどんなところにたどり着きたいか」その意志がはっきりとしてくると、その分「何にトライするのか」も見えてくるようになります。

(3)プロダクトの視点で「診る」

ユーザーやチームに基づいた「変化」を取り入れていくためには、 プロダクトが変化を加えやすい状態になっているか(変更容易性) 、また プロセスとして「変化」を捉え対応するような仕組みになっているか(変化適応性) が問われます。前者は「変化を加えようとして決意して、実際に加えられるまでのリードタイム」、後者は「ある期間内で挙げられた“変化を起こすためのバックログ”の数」を追っていくことで評価をします。

もちろん、どれだけ変化に対応したか、という結果を追っていくことも重要です。ただ、わかりやすく捉えられる結果にまでなかなかたどり着けないという現実もあります。まずは、「変化」へのトライがどれだけ考えられ、実際に行動に移せているか、という変化の「起点」のほうを捉えるようにしましょう。起点があるからこそ結果を生み出せるのです。

【STORY】自分を動かすハンドルは、自分で握れ

なるほど、どれだけ「変化」に対応できているか、か。僕はそんな切り口で日常を考えたことはなかったので、言われてみれば新鮮だった。ひとしきり十二所さんの示唆を受けて、他のメンバーも、ちょっと簡単には返事ができないようだった。

もっとも食ってかかっていた滑川さんも何かを言いたそうで、それでいてうまく反論が紡げないようだった。大町さんはそんな様子を意外そうに眺めている。二階堂さんはうつむき加減で表情がよくわからない。

「何を診ると良いのかも挙げた通りだ。さっそく、3つの観点で捉えにいくためのバックログを挙げておきたい。」

誰からも反論がないのを良いことに、十二所さんはさっさと具体的な動きにつなげていこうと話を進めにかかった。あわてて、滑川さんが口を開いた。

「ちょっと待った、今日はプランニングをする時間ではないんだ。新たなタスクを積んで、アサインまでするなら、プランニングの日で行なうようにしたい。」

いかにも「週があけてからセレモニー的にやるのと、今すぐこの時間を利用して決めるのと、何が違うんだ」といった雰囲気で、十二所さんは滑川さんの提案をスルーしようとした。何も言わず、必要そうなタスクの列挙を僕に促した。

「十二所さんの言いたいことはよくわかった。」

二階堂さんの声に、僕は書き出そうとしていたホワイトボードペンの動きを止めた。

「でも、今の状態がそれほど悪いものなのか、納得がいっていない。まだ、想像で話しているだけで、十二所さんが言うほど本当にダメなのか。だから、もう少し、状態を見極めるための話し合いを続けないか?」

二階堂さんの提案は妥当だった。30分前に乱暴に降って湧いた、十二所さんのもの言いだけを頼りにタスクのアサインまで決めてしまうのには、僕もついていけない。少なくとも、今日の今日ではなく、次のプランニングのときでも良い気がする。他のメンバーだって、誰も今の状態を夜も眠れないほど悪いとは思っていないのだ。ところが、十二所さんはそんな二階堂さんのいい感じのまとめすらもはねのけてみせた。

「週があけてからセレモニー的にやるのと、今すぐこの時間を利用して決めるのと、何が違うんだ?」

十二所さんは、僕が想像した通りのことを言ってのけた。さすがに、他のメンバーにも緊張が走る。明らかに十二所さんは言いすぎている。エース、リーダーとしてのメンツをつぶされるわけにはいかない二階堂さんが、「そっか、そういえばそうだよね、じゃあ今から決めようー!」なんて合いの手を入れるはずもない。

「ちょっと、十二所さん、さすがに、ですよ。」

僕は二階堂さんが怒りに任せて破滅的な言葉を吐き出す前に止めに入った。そんな僕を十二所さんはほんの少しだけ驚いた目で見た(ような気がした)。そして、浮かんだ感情は一瞬で消え去り、十二所さんは他の人に向けてと同様に、ひどく冷たい目で僕を見据えた。ここで負けたら、チームが崩壊する。僕は踏みとどまって続けた。

「このチームのリーダーは、二階堂さんです。二階堂さんが納得しないうちに、勝手に動くわけにはいかないですよ。」

「このチームは、リーダーの指示がないと動いてはいけないのか?」

「少なくとも、今まではそうしてきました。」

まるでエアコンの吹き出し口のように、ますます十二所さんから冷たい空気が流れ出てくるようだった。次何か言われたら、もうあきらめよう(僕はがんばった)、そう心に決めたとき、十二所さんは意外なことを口にした。

「やるべきことを洗い出し、あとでバックログには追加しておく。進めるのは俺でいい。」

思ってもみない矛の収め方に、僕はもちろん、チームのみんなも、静まりかえった。とにもかくにも、危機は去ったのだ。そのことに気づいた人から、なんとなくほっと息をついていく。もう、このミーティングには用はないと判断したのだろう、十二所さんはさっさと離れていく。そして、離れ間際に、僕のほうを見た。まだ何か言い足りないのだろうか。十二所さんは、一人だけ緊張で身を固くした僕にしか聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。

「自分を動かすハンドルは、自分で握れ。」

これが、僕と十二所さんの「始まり」だった。

【解説】変化への適応に向けた手がかり

ここからは、ユーザー、チーム、プロダクトの3つの観点について、 どのようにして「変化」への適応を行なっていくのか を扱っていきます。この3つの観点は、「ちょっと調子が悪いな」「そろそろ点検しておこうか」といった具合に思いつきで見るものではありません。プロダクトのライフサイクルを通じて「見続けていく対象」です。むしろ、見続けなければ、見えてくる結果をそれで良しとするのか、判断することができません。見続けることで、正常・異常の判断を下すための基準が初めて自分たちに宿るようになるのです。

(1)第2章 ユーザー観点での変化への適応

ユーザーからの声を集めるために必要な活動について扱います。定量的な利用データの把握は前提とし、直接的にユーザーの声に触れるための「ユーザーインタビュー」をテーマに置きます。長く運用しているプロダクトほど、「前回ユーザーの声を集めたのはいつか?」を見失っている場合が珍しくありません。また、定量的なデータは把握できているため十分と感じ、定性データの重要性についてその認識を高められていないチームもよくあります。なぜ、ユーザーインタビューが重要視されないのか。それはそもそもの「仮説」を持っていないためです。

ユーザーにどうあってほしいかというビジョンから、利用体験・利用の目的を踏まえて機能レベルとしてこれから何が備わっていくと良いのか、これらの仮説がチームに存在しないため、確かめようという動きも強まらないのです。どのようにして、仮説を立てるのか。まずはここから始めなければなりません。

(2)第3章 チーム観点での変化への適応

目の前のことについてのみ「改善」を繰り返していくと、最適化の罠にはまってしまう可能性があります。効率化のための「改善」は必要ですが、それだけしかない場合、チームに「どこに向かっていくのか」という視点が育っていきません。

うまくいっているように見えるチームでも、その実は、タスクの消化やアウトプット量が多いというだけで、未来に向けた展望を描けているわけではない、ということはよくあります。

おそらく、どこかで「われわれはなぜここにいるのか」(われここ)に答えきれなくなり、ついていけなくなったメンバーから離れていく事態が予想できます。チームに「われここ」があるからこそ、ユーザーやプロダクトに対して、「こうしたい」「こうありたい」という思いが宿り、そのための「仮説」が立つようになるのです。チームにとって共通のWHY(目的、目標)を定義することから始めましょう。

仮説検証とアジャイルの実践の流れを、この一冊で一気通貫にたどれる

主人公・笹目の物語はまだまだ続きます。今あるプロダクトを見つめ直すところから、新たにプロダクトの価値を探っていくまで、笹目たちが奮闘するストーリーとともに本記事最初で取り上げた悩み・問題についてアプローチしていきます。

「どうすれば、目の前にあるプロダクトづくりがもっと良くなるのか」「理屈はわかっていても、自分たちのプロダクトづくりをどう変えていけばよいかわからない」プロダクト開発の現実と理想のはざまにいるすべての人に向けた一冊です。

アジャイルなプロダクトづくり 価値探索型のプロダクト開発のはじめかた

価格:2,530円
発売日:2024年9月4日
ページ数:224ページ
サイズ:A5判
著者:市谷 聡啓

本書の構成
プロローグ
第1部 改善探索編――今あるプロダクトを再探索する
 第1章 プロダクトにまつわる夜も眠れない問題
 第2章 最後に、ユーザーと対話したのはいつだった?
 第3章 僕らはそもそもチームになっているのか?
 第4章 進捗マネジメントではなく、プロダクトマネジメントを始める

第2部 価値探索編――新たなプロダクトの価値を探索する
 第5章 不確実なプロダクトづくりをさらに難しくする3つの罠
 第6章 誰かの勘と経験と勢いではなく、仮説検証を拠りどころにする
 第7章 イメージをプロトタイプすることで、理解の解像度を上げる
 第8章 学びを最大限活かして、世界観を問いかける
エピローグ