トピック

腕時計ファーストガイド:ミリタリーウオッチとは

本コーナーでは、腕時計に関する基本的な用語を毎回ひとつ取り上げて、分かりやすく解説していきます。

「腕時計は気になっているけれど、用語の意味はよく分からない」という人に向けた内容です。意味や由来を知ることで、お気に入りのモデルを見つけやすくなる、候補を絞り込みやすくなる“実践的ファーストガイド”と位置づけました。

第4回は「ミリタリーウオッチ」。“軍用”をルーツにもつ腕時計のデザインをまとめました。

IWC ビッグ・パイロット・ウォッチ 43

腕時計の進化を加速させた“戦場”

腕時計の歴史を紐解いていくとき、無視できないのが「戦場」です。

19世紀の終わりごろまで、女性用の腕時計がアクセサリーとして作られていた一方、男性用として普及していたのは、チェーンやひもで服に吊るし、ポケットにしまう懐中時計でした。しかし戦術や兵器の変化によって戦場で時計が必要とされる場面が増えてくると、ポケットから取り出す手間や、片手がふさがってしまう不便さが目立つようになります。それを解消できる機器として、男性の間でも腕時計が利用され始めたのです。

初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がスイスのジラール・ペルゴに2,000個の腕時計を発注、1880年に納入されたという記録があり、世界で初めて量産された腕時計の記録とされていますが、これは海軍、それも将校の訓練用として発注されたと言われています。また、第1回のクロノグラフでもお話しした通り、腕時計の機能に戦場で要求されたものが初期から実装されていったことも合わせれば、戦場と腕時計の関係が深いことは納得していただけることでしょう。

現代では、腕時計市場に「ミリタリーウオッチ」――軍の、軍人の腕時計、というジャンルが存在します。しかし腕時計の規格や機能として「ミリタリーウオッチ」がまとめられているわけではありません。厳密な意味に取れば、“本物”の「ミリタリーウオッチ」は軍の支給品・公の財産ですから、一般人が正規に新品購入することは困難です(市場にある“本物”のほとんどは中古の放出品)。

では、市場の「ミリタリーウオッチ」はどんな腕時計なのでしょうか。

一つは、実際に兵士が使用していた支給品を元にした、復刻版ないし民生品です。特に見た目をコピーしただけでなく、“本物”を納入したメーカー自身が残された設計データをもとに復刻したり、市販向けとして生産したりしたものであれば、堂々たる「ミリタリーウオッチ」と言えるでしょう。

ストーヴァ フリーガー Verus 40。大戦時にドイツ軍のパイロット・ウオッチとして正式採用されたモデルのイメージを継承。3針のパイロットウオッチの代表的なデザインです
ジン 103.B.AUTO。1960年代にドイツ軍のパイロット・クロノグラフとして制式採用されたモデル「155」のデザインを踏襲しています

ドイツのブランド、チュチマがリリースしている「M2 クロノグラフ」は、1984年に開発され、翌年から当時の西ドイツ空軍に制式採用された通称「ミリタリークロノグラフ」の後継モデルです。狭いコクピット内でも引っかかったり傷つけたりすることがないようにエッジが丸められたシルエットや、飛び出しが少ないクロノグラフのプッシュボタンなどが特徴的です。

チュチマ M2 クロノグラフ 6450-03

同じくドイツのジン「UX.EZM2.GSG9」は、1997年に対テロ特殊部隊GSG9から要請を受けて開発され、実戦装備品として納入された実績を持つダイバーズウオッチの後継モデルです。ケース内に特殊オイルを封入することで、高い視認性と、抜群の5,000m防水が実現されています。10時方向につけられたリューズは重火器を扱う際に邪魔にならないため、という用心深い設計に本格派の迫力を感じます。大戦時ではなく、現代の軍や特殊部隊のニーズを満たす製品です。

ジン UX.EZM2.GSG9

ロンジン「アヴィゲーション タイプA-7 1935」は、1935年に製作されたパイロットウオッチの復刻版となります。特徴的な斜め配置の文字盤は、当時の仕様書に則って、40度右に傾けられています。左手首の内側に向けて着けることで、操縦かんを握ったパイロットの視点から最も見やすく、操作しやすい設計となっているのです。車のドライバーであれば同じように利用できますから、意味のある仕様であることを現代でも実感できる、興味深い製品と言えるでしょう。

ロンジン アヴィゲーション タイプA-7 1935

この「アヴィゲーション タイプA-7 1935」が設計される際に参照された仕様書は、“ミルスペック No.27748”というものです。

“ミルスペック”とは、“Military Specification(軍の規格)”の略で、特に米軍が調達するさまざまな物品に求める要件のことです。腕時計も例外ではありません。前出の“No.27748”は制作年代でもわかる通りかなり古い規格となり、何度かの改訂を経て、現在の腕時計における規格は“MIL-PRF-46374”に変わっています。

複数の仕様が含まれる“ミルスペック”

モデルそのものが実際に軍で使用されていなくても、米軍の規格である“ミルスペック”に準拠・対応している腕時計を「ミリタリーウオッチ」と考えることもできます。

ただ、“ミルスペック”の中には複数の異なる仕様がまとめられているため、修理が可能かどうかや耐用年数の違い、腐食性や高高度での使用想定など、一口に「ミルスペックの腕時計」と冠していても、同じ性能とは限りません。“ミルスペック”はあくまで規格をリストアップしている文書に過ぎず、検査機関が証明を行なっている規格ではないことにも注意が必要です。

ちなみに現在の“MIL-PRF-46374”の中には、“ディスポーザブルウオッチ”、つまり使い捨て腕時計の仕様が含まれています。

使い捨てと言っても、「安かろう悪かろう」の腕時計ではありません。時刻を読み取るだけではなく、アナログ時計は方位磁針の代わりにもなるため、かつてはジャングルで活動する兵士にとって命綱にも等しい存在でした。メンテナンスなしで最低2年の確実な動作を保証し、一定以上の耐磁性や防水性は備えていたのです。

使い捨てとされたのは、「メンテナンスのために部品を取り外せるようにすると気密性が低下する」といった技術的な面はもちろん、腕時計が「工業製品として均質・低コストな大量生産が可能になった」ことが大きかったと言われています。この仕様がまとめられた当時はベトナム戦争の真っただ中で、部品と技術者を揃え、時計を後方に輸送して修理・調整し前線に送り返すよりも、大量生産された一定品質の完成品を前線に送り、壊れたらその場で交換するほうが効率的でした。それまでの「腕時計」に対する価値観から大きく変わった考え方で設計されていたのは間違いないでしょう。

アメリカの時計メーカー、ハミルトンの「カーキ」は、当時ハミルトンからディスポーザブルウオッチとして軍に納入されたモデルをモチーフにデザインされた時計です。

ハミルトン カーキ フィールド メカニカル 38mm。米軍に納入された1960年代のオリジナルモデルを復刻したデザインです

もちろん現行の市販品は修理不可の“使い捨て”ではなく、ケース素材やムーブメントの品質を含めてレベルアップした別物の製品となっています。しかしケース径の小ささ(38mm)やシンプルで視認性の高い文字盤といったミリタリーテイストはしっかりと再現していることで、結果的に“タフな雰囲気と高性能”を両立したモデルになっていると言えるでしょう。

ちなみに現代の各国軍で最も支持されている「ミリタリーウオッチ」は、カシオの「G-SHOCK」シリーズと言われています。ブランドとして正式に謳ってはいませんが、報道写真などで確認する範囲でも、少し注意しているだけで発見することができます。現在では一律に支給される腕時計がない軍隊も多く、兵士たち自身で手に入れやすい丈夫な時計を市場で選んだ結果なのかもしれません。これもまた、ミリタリーウオッチのひとつの形でしょうか。

カシオ G-SHOCK マッドマスター・シリーズ

腕時計全体に広がる“ミリタリー”テイスト

「ミリタリーウオッチ」にまつわるタフなイメージや、迷彩柄などファッションとしてのミリタリーテイストが人気になったこともあり、前述したようなパッケージとしての「ミリタリーウオッチ」に該当しない腕時計も多く登場しています。腕時計の世界全体に散らばった、「ミリタリーウオッチ」に由来する特徴的なディテールを紹介しましょう。

ハードな使用場面が想定されている「ミリタリーウオッチ」は、バネ棒の錆びや曲がりで時計本体が脱落する危険を避けるため、バネ棒部分の溶接・固定が仕様書に指示されていることがあります。その場合、一般的な腕時計用の革ベルトや金属ブレスレットは着けられないため、ファブリック(布)やナイロン素材を使用した1本の繋がったストラップ、通称NATOベルト(NATOストラップ)を使用します。

チューダー ペラゴス FXD。現代のフランス海軍特殊部隊のダイバーと共同開発したモデルです
ペラゴス FXDは、ベルトを固定するバネ棒の破損リスクをなくしたNATOベルト専用デザイン。ダイバーズウオッチに限らず軍納入モデルでみられる仕様です

NATOベルトは様々なメーカーから発売されていますが、ミリタリーという観点に立つと、イギリスのフェニックスが製作する「G10ストラップ」がオリジナルとなります。かつては“007”もロレックスにNATOベルトを装着して登場していたことがあるので、見かけた人もいるかもしれません。

また、クォーツモデルでは当たり前の機能のように思えますが、時刻合わせの際に秒針が停止する機能が一般化したのも、「ミリタリーウオッチ」がルーツです。それまでの機械式時計の多くは時刻合わせの際にも秒針が動き続けていましたが、戦場での一斉時刻合わせに必要とされて仕様に追加されたものです。時刻合わせの際に使われた「ハック!」という掛け声から「ハック機能」と呼ばれています。

時計の第1機能といえる視認性を高める夜光塗料も、ミリタリーの現場で求められて進化しました。戦場だからこそ夜間や暗い場所でも時刻を確認する必要があり、初期に使われていた自発光する放射性物質から、蓄光顔料のN夜光(ルミノバ/ルミノーバ)、スーパールミノバへと改良されていきました。現在では、絶対的な明るさを求めて真空のカプセル内にトリチウムガスを封入したガスチューブ式や、バッテリーとLEDが進化した現代では、光信号としても使えるLEDライトを装備するモデルも登場しています。

ルミノックス コマンド レイダー3320シリーズ。電源・光源不要の自発光システム「LLT」を搭載し、光り続けます
MTM ファルコン。ダイヤルを照らすLEDのほかに、3つの白色LEDを搭載、トーチライトや緊急用として使用できます

一口に「ミリタリーウオッチ」と言うと、あいまいなジャンル分けと思われるかもしれません。しかし、その機能や仕様がなぜ求められたのかを辿っていくと、しっかりとした背景が見えてききます。「ミリタリーっぽい」雰囲気で選ぶのではなく、「どうミリタリーなのか」に興味を持って選ぶと、時計がより一層、カッコよく見えてくるのではないでしょうか。