中国全土で、剣の名手としてその名を知られるリー・ムー・バイ。森での修行から帰った彼は、ある決意のもと自らが所有する名剣“グリーン・デスティニー”を手放すことに。そして弟子である女性剣士、シューリンに剣を北京のティエ氏まで届けるよう依頼。ティエ宅についたシューリンは、そこで結婚を間近に控えた貴族の娘イェンと出会い、親交を深めるのだが・・・。
いつの時代にも社会の犠牲になってきた女性たちがいる。本作に登場する二人の女性は、婚約者の死とともに社会から未亡人同然に扱われてしまう女性剣士と、自由を望みながらも親の決めた結婚を甘んじて受け入れようとする貴族の娘。どちらも清の時代に人々が理想とした女性像に縛られた犠牲者たちである。だが、実は彼らの美しく穏やかな笑顔の裏には、意外なほどの情熱と激しさが隠されている。原題の直訳は「かがんでいる虎、隠れた龍」となるのだが、表面的な顔の下にあるもうひとつの顔を表した中国語のたとえのひとつだそうだ。この言葉が示す通り、女性たちの隠された意外性がこの作品の魅力となって描かれる。登場人物たちは皆“隠れた龍”の部分を持っているのだが、抑圧され続けてきた女性たちへのオマージュ的要素が強いことは観ていて明らかだ。時代もの、女性の自立、アクションなど相容れないと思われてきた要素を混ぜ合わせ、映画界に新風を吹き込んだのである。
アクション作品では、技術面に意識が向くあまり、人間の感情に焦点を当てられることが少ない。映画がストーリーを語る媒体であるにも関わらず物語は軽視されがちだったのだ。その定説を打ち破ったのが『マトリックス』である。複雑に絡み合った人間感情と見ごたえのあるアクションを融合させたことで多くの支持を得た。その意味では本作は『マトリックス』に匹敵する映画と言えるかもしれない。アクション女優として長年活躍してきたミシェル・ヨーは、人間の内側が描かれていることに感銘を受け「絶対にこの映画には出演するべきだ」と考えたと言う。「リー監督との仕事が女優として成長させてくれることを疑わなかった」と。インタビューではどれほど綿密に役作りを行ったかも語っている。表面的な演技では、当時の女性の立場、自己抑圧、犠牲の精神などを表現することなど不可能だからだ。かつて女性にここまで望んだアクション映画があっただろうか。ヨーはこの映画を通して新たなるステージに上がり、演じることの苦労と素晴らしさを噛みしめたことだろう。アクション映画でありながら、思いもかけない深みがある作品。そう、この作品の中にこそ、隠れた龍が存在しているのである。
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