古くはトリュフォーの『大人は判ってくれない』やトルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』から『リトル・ダンサー』まで、子供を描いた名作は数限りない。筆者は映画に子供・老人・動物が出てくるだけで涙が止まらない単純人間であるが、最近特に涙が止まらない現象に陥りがちなのは、『運動靴と赤い金魚』や、『太陽は、ぼくの瞳』などのマジッド・マシディ監督作品にみられる「ダメパパ+ひたむき少年(それもちょっと内気)」と言う構図である。
父権復権なんて駄洒落みたいなことを唱える社会派の作家も多いが、映画で描かれる“父親像”と言うのはえてして「厳格な父」か「ダメパパ」の両極端であることが多い。しかし実際には「厳格な父」と呼ばれる人物が、彼を取り巻く社会現象(リストラであったり、奥さんに逃げられたり)によって、ただの飲んだくれになってしまい、「ダメパパ」に転落してしまうという非常にシンプルな構図が現実社会では一般的。実は「厳格な父」の物語も、監督によってころっと「ダメパパ」の物語になるわけだから、これから父子関係を描こうとする映画監督たちは、ぜひ「厳格な父」→「ダメパパ」→「最後に子供に癒される」という図式の、(読者諸氏大丈夫。これはネタバレではありません)筆者を泣かせる映画をバンバン撮って欲しいものである。
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