こどもとIT - 教員のICT活用
「わかる」のに「できない」、ICTで学べる自分を取り戻す
――「東京学芸大学附属小金井小学校 ICT×インクルーシブ教育セミナーVOL.3」レポート②
2020年12月8日 12:00
子どもの頃から読み書きの困難さを隠すようにして過ごし、大人になってようやくICTで“学べる自分”を取り戻した――2020年11月7日に開催された「ICTに学びを救われる子はあなたのそばにいる 東京学芸大学附属小金井小学校 ICT×インクルーシブ教育セミナーVOL.3」の後半は、周囲の無理解から学びを奪われ続けた成人当事者の切実なエピソードから始まる。
前編では、1人1台端末とデジタル教科書による取り組みなどを詳しくレポートした。後編は、「学びを救う」ことの意味を成人当事者の声から問い直すゲスト講演と、識者のパネルディスカッションから、インクルーシブな環境づくりやICT活用には欠かせない教師のマインドセットについてお伝えしよう。
ディスレクシアの子ども時代と、ICTで学びを取り戻した成人当事者の声
島根県松江市立意東小学校で特別支援に関わる井上賞子教諭は、長年「魔法のプロジェクト」という学びの困難さをICT活用でサポートする実践研究プロジェクトに参加しており、同プロジェクトを通じた実践経験が豊富だ。今回の講演テーマは『「学べる自分」を取り戻す』。周囲の無理解にさらされた子ども時代が人生に与えた影響と、大人になってからICTの活用で学びの手段を得た経緯が紹介された。
当事者であるSさん(現在58歳)は、子ども時代から重いディスレクシアで読み書きに強い困難をかかえ、不注意の傾向も非常に強い。しかし、知的な遅れがないため周囲の大人が気づくことはなく、自身がディスレクシアだと認識するチャンスがないまま大人になり、43歳で初めて診断がついた。実はSさんは井上教諭の夫であり、身近でサポートをしてきた視点も交えてその経緯が語られた。
Sさんの子ども時代は、残念ながら否定の記憶に満たされている。先生の話していることはすべてわかるし、話して答えることはできたが、文字を読むことや書くことが困難で、ひらがなでもスラスラ読むことはできなかった。
授業の音読は恐怖で、かろうじて教科書にフリガナを書き込んでやり過ごそうとしていたが、それを先生に見とがめられ叱責され消されるという経験をしている。おそらくその先生には「読み書きの困難さ」という知識も発想もなく、Sさんの努力不足で手を抜いていると判断してしまったのだろう。
そんな経験を繰り返し、Sさんは「みんなが簡単にできることができない自分は『ばか』なんだ、『ダメ』なんだ」と思うようになってしまう。
小学6年生で、テストを「読み上げ」してくれる先生に出会い、95点が取れたものの、友達からは「先生に答えを教えてもらったんだろう、お前ずるいな」などの声を受け、自分だけ別の手段を使うのは「ずるいこと」だと思い、その代替手段を1度きりで拒否してしまった。
内容は「わかる」のに読み書きが「できない」状態で過ごし、いつしか「わかる」というのは錯覚で、「できない」が本当の姿だと思うようになってしまったそうだ。
「隠す」ためのICT活用
高校を辞めて社会に出ても「読み書き」から逃れることはできず、読み書きが理由で仕事を転々とする。携帯電話やワープロ、パソコン、スマートフォンといった機器が世の中に出てくるのに従って、ICTの力を使うようになったが、それは読み書きができないことを「隠す」ためのICT活用だったという。
子ども時代から、どんなに得意なことがあっても、文字や読めない、書けないことが「バレた」時点で全ての評価を失うという経験を重ねてきたため、「死ぬ気で隠した」そうだ。妻である井上教諭にも隠していた。
43歳のときにディスレクシアのことを知り診断され大きな転機となる。これまでの疑問がつながり救われたものの、長年あきらめてきたことが大きく受け入れるのには時間がかかったそうだ。
「内容を理解している」ことと「字が読み書きできる」ことは、誰にとっても連動している――そういう常識感を持っている人がいるならば、その感覚を変える必要があるだろう。
Sさんは、読みたいものを読み、書きたいことを書くためにICTを活用し始めるが、それでも、「自分が劣っているからICTを使う」と思っているうちは、ICTを人前で積極的に使うことはできなかったという。「自分の能力を生かすために必要な道具なんだ」と納得できてから、ようやく積極的に使うようになったそうだ。
子どもの指導において「AができるまでBに進めない」というやり方をとりがちだが、それは子どもの自己肯定感を下げ意欲を減退させてしまうことにつながる。Aを行うのに困難さがある場合、「AをサポートしながらBにも取り組む」ことで、子どもは「できる自分」を感じ、意欲を保ちながら学習機会を持ち続けられると井上教諭は指摘した。
Sさんは大学で学ぶ意欲を持ち、高卒認定試験を受けずに大学に入れる「特修生」の制度を利用して、大阪芸術短期大学通信教育部への入学を果たす。大学側は、試験での音声読み上げやパソコンの使用などにも柔軟に対応したそうだ。特修生から正科生になるための試験、正科生になってからのスクーリング等、いずれもさまざまな手立てが必要だったが、ICT活用や周りの理解とサポート、何より自身の努力により学習を進め、無事卒業したという。
井上教諭は、「社会に理解があると、自分に必要な方法を自然に選ぶことができます」と指摘する。Sさんは、小6のときに読み上げのサポートを拒否した経緯を思い返し、「1回で終わった読み上げのテストも、もしこんな教室だったならば『先生、今日もお願い』と言えたかもしれない」と語ったそうだ。
「方法がない中で『わかる』は閉じ込められていました」、井上教諭はSさんの状況をそう表現する。たった今、教室にいる子どもたちの「わかる」を閉じ込めてしまっていないか……。教育に携わる人、子育てに関わる人にはヒヤリとする指摘だろう。もう一度視点を変えて見つめ直すきっかけにしたい。
社会は次第に柔軟になりつつあり、テクノロジーの進化でさまざまな手段を私たちは手にしている。「『将来困るよ』と子どもの今を追い詰めるのではなく、『今』を支えて未来を開いて欲しい」と井上教諭は呼びかけた。
ひとつ注意したいのは、読み書きの困難さを抱えている子どもがいたとしても、それに子ども自身が気づき、自ら他の手段を見つけることはできないということだ。困難さを補う手段の提案や体験を手渡すのは学校や教師の役割であり「最初のバトンは教師の側にある」と井上教諭は講演を結んだ。
Sさんのように重い症状に限らず、様々な程度で読み書きに困難さをかかえる子どもたちは、まだまだ見過ごされているケースが多い。人知れず自己肯定感を下げ続けている子どもたちがいる、その可能性をあらためて全員が心に刻む時間となった。
「子どもに委ねる」ことの壁になるのは、教師のマインド
井上教諭の発表の余韻が残る中、最後のパネルディスカッションが始まった。新たに香川大学教育学部の坂井聡教授を迎え、放送大学の中川一史教授、学芸大附属小金井小の鈴木秀樹教諭と養護教諭・特別支援教育コーディネーター佐藤牧子教諭の4名で進行した。
現在GIGAスクール構想で各地の学校現場で1人1台のPC環境が整い始めているが、この変化を、中川教授は「混乱」と予想する。ただし、これは教育の大きな変革のきっかけになるとし、混乱を良い方に向けるポイントを3つあげた。
・子どものツールとして馴染むこと
・教師が子どもに委ねること
・教師の授業作りの再考が起こること
鈴木教諭は、特に「教師が子どもに委ねること」の難しさに注目し、「教師がマインドを変える必要がある」と指摘した。どんなマインドが障壁になるのか。これについて佐藤教諭は、「子どもに委ねること」は、教師にとって「自分の教室で子どもたちをコントロールできなくなるかもしれない」という不安につながると説明した。それでも、いったん手放して子どもに委ね、期待以上のものが子どもから返ってくるという経験をすると、その不安はほぐれていくという。
例えば、佐藤教諭が保健室で支援している「書き」の困難さがある児童が、俳句を作る宿題が出たときに、タブレットで入力して俳句を書き、さらにその俳句の世界観を「教育版マインクラフト」で表現して動画で提出した。「書く」以外の手段があれば豊かな創作と表現ができるのだ。これは担任教諭にとってはうれしいおどろきの発見になったということだ。
香川大学教育学部附属坂出小学校の校長を務めている坂井教授は、新型コロナ対応の長期休校中に実施したオンライン授業での経験を話した。それまで授業で発言もしなかった子どもが、チャットにどんどん積極的に意見を書き込んだのだという。「それを目の当たりにした先生はICTの力に気づき変わりましたね。保健室からの授業参加に使えるのではないかというアイディアも出ました」と坂井教授。
子どもの変化は、先生を変える。ほかにも、オンライン授業で、初めて児童一人ひとりの顔をじっくりみながら授業ができたという喜びの声もあり、実際にICT活用でプラスの変化を体感することが、先生の変化のきっかけになることがわかった。
一方、中川教授によれば、端末が数多く導入されたある学校を視察した際に、45分の授業のうち25分間は、「今触らないで」「顔をこっちに向けて」「手をひざに」などの注意をする時間になってしまっていたという。まさに「コントロールする」のに苦心している状況だろう。活用への道筋にはこうした状況もインターバルとしてあるが、そこから脱しないと次のフェーズには進めない。「先生が自分の中にあるものを授ける」という発想から転換することで、デジタル機器でできることのチャンスが広がると中川教授は指摘した。
排除しない、多様性を受け入れる学級経営
坂井教授は、合理的配慮の考え方を「特別扱いをすること」とあえて表現する。個別の状況に応じて必要な配慮をすることが、等しく教育を受ける権利につながるという基本的な考え方を共有した。
ICTが合理的配慮の手段として機能する例はさまざまで、佐藤教諭は、支援が必要な児童にとって長期休校のオンライン授業がプラスに作用した側面を紹介し、以下の3点をあげた。
・授業内で起こることの順番がわかりやすく、安心感がある
・Teams上に投稿された学習内容などを、自分のペースで好きなときに繰り返し読み返すことができて、学習しやすい
・集団の中で過ごさずに授業に参加できて、不安がない
合理的配慮や個別最適化が機能するには、子どもが自身が選んだ手段を相互に否定しない空気も重要なポイントとなる。坂井教授は、例えばデジタル教科書の表示カスタマイズ方法を揶揄したり、デジタルではなく紙の教科書を使い続ける子どもを否定するような声が出るようではいけないと指摘する。教師がいろいろな選択肢を認めるのはもちろん、児童が「人によって使いやすさは違う」ということを知り、多様な使い方をお互いに認める学級経営が必要で、「ずるい」と排除するような空気があってはいけないと強調した。
これを受け中川教授も、個人にあった手段を見つけるには、教師が一方的に判断するのではなく、いったん子どもに委ねて、子ども「が」判断したり、あらためて子ども「と」教師が一緒に判断したり、ということを繰り返す必要があると語った。
評価など今後の課題も見据えて
現場で直接子どもたちの支援をする佐藤教諭は、合理的配慮において避けて通れないもうひとつ大切なポイントとして、「評価」をあげる。
普段どんなにICTで学習手段をサポートしていたとしても、テストでは紙に書かれた文字を読み、手書きで文章を書かなければならないシーンが待っている。どこまで小学校の段階で柔軟な対応をして良いのかということは悩むところだという。これについて本セミナーの視聴者からも、「テストで測るような力がつくのでしょうか」という質問があがっていた。
坂井教授は、テストは紙でないと評価できないという発想がまだ根強いものの、個別の指導計画に必要なサポートとして記載されていれば、今後、評価方法は変わっていくだろうという見通しを示す。既に全国では少ないながらも高校入試で合理的配慮を受けているケースもあり、香川大学においても、書字に困難さのある受験者に過去の入試の論文でパソコンを使用を認めた例があるという。
通常の授業においても、合理的配慮がなされる場合の評価方法や、ICTによる多様な手段の保証による評価への影響など、まだ検討課題が多いことが共有された。
これからGIGAスクール構想による1人1台環境が始まる中、学校の日常コミュニケーションや生活の中でICTを使う機会を増やし、「楽しい」「やりたい」「できた」というプラスの経験につながることに使って欲しい、という前向きな提案でセッションは終了した。
ICTが学びや生活に必要な手段のひとつとなり、多くの子どもたちの過ごしやすさにつながる、これからの学校。その障壁になる「ICTの活用を是としない心のバリア」はないか。GIGAスクール端末が届く前に、まず真っ先に学校が変革しなければいけないのはそこかもしれない。