こどもとIT - 教員のICT活用
「やってみないとわからない」公立小学校教師が語るオンライン学習への挑戦
——「学校再開直前!6月からの授業のあり方 ~withコロナ時代の対話的な学習とは~」セミナーレポート
2020年7月8日 12:00
コロナ禍の休校や分散登校も終わり、学校現場は以前のような日常を取り戻しつつある。しかし、感染の第2波、第3波も懸念される中、“学校の学びは今までと同じでよいのか”、という新たな問いも生まれている。コロナによる休校を経験した現場の教師たちは、これからの教育をどのように考えているのか。5月27日に開催されたウェブセミナー「学校再開直前!6月からの授業のあり方 ~withコロナ時代の対話的な学習とは~」に登壇した現場の小学校教師3名の声をお届けする。
教育が人を選別するのではなく、人が教育を選択できるようにしていくべき
トップバッターは、東京都小金井市立前原小学校の蓑手章吾教諭だ。同教諭の学年は、公立小学校でも1人1台環境が整備され、これまで積極的にICTを活用してきた。
休校中においても、蓑手教諭は学年の教員らと協力して、授業支援システム「schoolTakt」を活用したオンライン学習に挑戦。重視したポイントは「学びの楽しさを取り戻すこと」と、「学校や先生がいなくても成長できる」という自己調整力を育成することだ。勉強が遅れるからという理由でオンライン授業に取り組むのではなく、子どもたちが自分で考えて学びに取り組める環境を提供することが重要だと同教諭は考えている。
子どもたちは、毎朝8時30分からZoomによるオンライン朝の会に出席した。そして、その日に取り組む学習内容や目標をschoolTaktに記入して全員で共有し、夕方の帰りの会までに振り返りを記入する。塾の勉強を進める子、リフティングを頑張る子、家の手伝いをする子など、取り組む内容はさまざまであるが、蓑手教諭は「昨日の自分よりも成長できたと思えることが大切だ」と述べた。
一方で、こうしたオンライン学習に参加できるのは全員ではない。蓑手教諭の話によると、参加者は常時50名くらいであり、家庭のICT環境などが原因で参加できない児童もいたようだ。またICTで取り組むのが苦手な子もいる。そうした児童に対しては、紙で提出してもらい、蓑手教諭がオンライン朝の会で紹介したりしたという。
このようなオンライン学習については、不公平・不平等だと見なす教育関係者もいるだろう。実際に、コロナ禍においては、“家庭のICT環境に格差がある”という理由でオンライン授業に踏み切れなかった自治体も多い。オンライン学習はどのように捉えるべきか、蓑手教諭も悩んだようだ。
たしかに、ICT環境整備が十分でない家庭に対しては、その対応を進めていくべきだと同教諭。しかし一方で、ICT環境が整っているのに学習が受けられない家庭も、不平等を感じてしまう。蓑手教諭は、こうした両方の家庭を目の当たりにしながら、そもそも教育は平等であることが目的なのかと問いかけたという。「教育の目的は、一人ひとりに合った学びを提供していくこと。今までの教育を振り返っても、すべての子どもたちに平等だったかというとそうではない。何らかの事情のために通常学級で学べない子どもたちも多くいた」と特別支援学校に在籍した経験もある蓑手教諭は指摘する。「全員同じという目線よりも、一人ひとりの子どもたちに対して手の届く学びをどうすれば提供できるかを考えていきたい」と述べた。
また、これからの学びについて蓑手教諭は、第2波、第3波に備えて、同期と非同期の組み合わせが重要になると語った。なかでもポイントになるのは、同期型の学習の中で「非同期に耐え得る力」を身につけていくことだ。具体的には、ICT活用能力と自立して学ぶ力の育成が求められるだろうと話す。日々の宿題をクラウドで行ったり、学校の中でも同じ時間を過ごしながら、それぞれ別々のことをしているような時間の使い方が大切になってくるのではないかと語った。
最後に蓑手教諭は長期的な学校教育の在り方として、各自治体でオンラインスクールを設置するアイデアを提案した。これからは教室で学びたい子、オンラインで学びたい子の両方が出てくるだろうが、現場の教師が2つの学びを実現していくことは負担面でもむずかしい。地域でオンラインスクールを設置し、オンラインで学びたい子に対して学びの場を提供できれば、より多くの子どもたちに個別最適化された学びを提供できるという。蓑手教諭は「教育が人を選別するのではなく、人が教育を選択できるようにしていくべきだ」と発表を締めくくった。
教師自身こそアクティブラーナーであり、チェンジメーカーでありたい
続いて発表したのは、東京都練馬区立石神井台小学校の二川佳祐教諭だ。同教諭はこれまで、教師の仕事をしながら武蔵野市を拠点にした勉強会「BeYond Labo」を運営するなど、大人が学ぶ機会を持つ活動などに取り組んできた。子どもに学びを与える前に、大人が学びを楽しみ、教育と社会の垣根をなくしていくことが大切だという同教諭の考えが根底にある。コロナ禍に入ってからも、「BeYond Labo」の勉強会を通して地域の保護者と協力し、オンライン朝の会を実施するなど精力的に活動してきた。
そんな二川教諭あるが、この4月から練馬区へと異動になった。同区は東京都の中でもICT環境整備が遅れていたが、昨年の夏から電子黒板やコンピューター、書画カメラなどを導入し始めている。二川教諭は休校中に、この環境を使って何かできないかと考え、書画カメラをウェブカメラ代わりに使ってZoomを使用する方法を提案した。全教室でZoomを使えるようにし、オンライン職員会議などに挑戦。一例として、養護教諭と各教室にいる教師をつなぎ、分散登校に備えてアルコール除菌の仕方をZoomで研修した。教室にいる教師が実際に机を拭いたりしながら研修を受けられるメリットがあったという。
二川教諭は、このようなZoomによる取り組みについて、関係者らの理解・協力なくして実現できなかったと述べた。「自分の場合は非常に恵まれた環境であり、同じ学年の教師が力を貸してくれたり、職員室や管理職の雰囲気も協力的であった。誰一人、止めようとした人がいなかったからこそ実現できた」と語った。
こうした二川教諭の話とは裏腹に、全国の教育者の中には、逆のケースを経験した者も多いだろう。現場の教師が新しい挑戦を試みたものの、管理職から止められてしまったと話す教育者は少なくない。二川教諭はそれについて、「教育現場で新しいことを始めるときは、必ずどこかにボトルネックがある」と理解を示す。しかし、それはあくまでも、自分たち視点から見たボトルネックでしかなく、立場が異なると、それぞれの正義があると主張する。「誰かを責めるのではなく、“私が”を主語に、自分ができることを問いかけていきたい」と想いを語った。
ほかにも二川教諭は、「教育現場はできないことに対して、“できない!助けて!”と声を挙げていくことも大切だ」と述べた。地域や社会を頼れば、できる力や手段があるのに、学校はそこにリーチできていない。また、これからの学校は「学校の中と外での学び」や、「早さを求められる場面、じっくり取り組む場面」「オープンとクローズ」など、さまざまな場面において両輪で取り組む必要があるという。「アコーディオンが閉じたり、開いたりするように、両方あるから音が出る、そんな学校づくりが求められるのではないか」と述べた。
教師一人が現場で新しい挑戦をするのは、とても勇気がいることだと二川教諭。しかし、その挑戦がなければ、大きな動きにはつながらない。今こそ、教師自身がアクティブラーナーとなり、チェンジメーカーになるべき時だと、新たな一歩を踏み出す言葉を送った。
コロナの時代の子どもたちが、“かわいそうな世代”だと言われないために
最後に登壇したのは、東京都調布市立多摩川小学校の庄子寛之教諭だ。同教諭の学校は、コロナに入る2ヶ月前から、iPadによる1人1台環境の実践に取り組んだ。その経緯もあり、休校に入ってからもさまざまな挑戦ができたと同教諭は振り返る。
とはいえ、最初からスムーズに事が進んだわけではないようだ。休校に入ってから、蓑手教諭の学校まで行き、オンライン朝の会がどのようなものなのかを見学することからスタート。実際に蓑手教諭の取り組みを見ても、「うちの学校ではICT環境の面でむずかしいのではないかと思った。何よりも自分がICTに詳しくないし、Zoomのつなげ方を聞かれても分からない。でも、何かしなければ……という想いを持った」と庄子教諭は率直な感想を語ってくれた。
そして、研究主任だった庄子教諭は、Zoomの校内研修会に取り組んだ。教師が有志で集まりカジュアルな研修会を開いて、使い方を試行錯誤するなど現場での活用につなげていった。その後、4月後半には管理職にZoomを使った朝の会を提案し、教育委員会でも実施に向けてプレゼンテーションを行った。その結果、ゴールデンウィーク後に実証テストの許可が降りて、市内の小学校でZoom使用の許可が出たという。庄子教諭が在籍する多摩川小学校では、全学年でZoomによるオンライン朝の会を実施することができた。
庄子教諭は一連の取り組みを振り返り、自分も蓑手教諭や二川教諭同様、ICT環境が整っていない家庭に対して不平等が生まれてしまうのではないかと考えたという。しかし、同教諭は「当初は6〜7割の参加で良いと考えていたが、実際にやってみると、95%の家庭が参加してくれて、できない家庭には電話でフォローをするなど対応した。まずは、やってみないと分からないことが多かった」と主張する。オンライン学習の良さも、課題も、やってみて始めて分かる。全員スタートを待っていれば、いつ始められるかも分からないのだ。
休校措置が終わった学校は、「遅れを取り戻す」「喋ってはいけない」「行事は中止・縮小」が余儀なく強いられている。庄子教諭は、こうした状況は仕方ないと話しつつも、「今までと違う発想で新しい取り組みに変えていきたい」と話す。教室で喋れないのであれば、喋らないことを前提に楽しむ方法はないか。行事は中止になってしまうが、今だからこそできる行事はないか。以前と同じことをやろうとするのではなく、新しいアイデアで学校を楽しめる環境にしていきたいというのだ。庄子教諭は具体的に、ホワイトボードを使う授業やオンライン保護者会、学校でキャンプファイヤーや肝試しなど、いろいろなアイデアを考えているようだ。
「教育現場は安全第一で、失敗が許されない環境であり、新しいことを挑戦するのに勇気がいる」と庄子教諭は話す。たとえ、現場の教師が挑戦したとしても、管理職や教育委員会に反対され、挑戦が次につながらないケースも多い。庄子教諭は「誰が悪いわけでもなない。誰かのせいにするのではなく、大事なことは、よりよい教育を考えようという視点だ。コロナの時代の子どもたちが“かわいそうな世代”だと言われないように、小さなアクションを積み重ねて教育を変えていきたい」と語った。
3名の現役教師による発表からは、コロナ禍における学校現場の挑戦が垣間見られた。Zoomの使用ひとつを取っても、関係者らとさまざまな調整が必要であり、ICT環境が整わない家庭への対応も求められる。そこには教育の平等・不平等に対する新たな課題も生まれ、価値観もぶつかり合う。せっかく現場で新たな挑戦にトライしても、どこかでくじけてしまう教師もいるだろう。しかし、現場での挑戦がなければ、子どもたちへの還元はない。コロナ世代と言われる子どもたちの未来のために、小さな変化を起こし続けられる学校であってほしい。