こどもとIT
10年間のICT教育、学力日本一に導いた教育長と指導主事が明かす成果と秘訣
――熊本県山江村 ICT教育10年の軌跡(前編)
- 提供:
- ダイワボウ情報システム株式会社
2021年12月7日 06:45
今を遡ること10年前、日本の学校で1人1台環境が当たり前になる日を想像できた教育者は少ないだろう。教員がICTを使って教えることがあっても、子どもたちが教室でタブレット端末を使って学ぶ姿は、夢物語に思われていた。
しかし、そんな夢物語の実現を信じて、ICT教育に取り組んできた自治体がある。それが、熊本県山江村だ。同村では、2011年からICT導入をスタートし、授業改善に取り組んだ結果、学力が日本一になるなど成果を記録。全国から多くの教育関係者が「ICT活用の授業を見たい」と視察に訪れた場所だ。
そんな山江村は今年、ICT教育10年の節目を迎えた。今年10月には「教育の情報化」研究発表会も開催され、公開授業だけでなく、山江村で育った子どもたちや歴代の研究主任も登壇し、ICT教育について語らう場も設けられた。山江村では、どのようにICT機器を活用し、どのように取り組みを広げていったのか、また10年間にどのような成果が出たのか。
前編の本稿では、10年前から山江村のICT教育を牽引してきた、山江村教育長の藤本誠一氏と、同村教育委員会 教育課主幹兼指導主事 池田幸彦氏に話を聞いた。
「うわぁ!」、子どもたちの声に“ICTは使える!”と感じた
山江村は熊本県の南部に位置しており、人口3300人ほどの小さな村だ。村の9割が山地という自然豊かな地域で、村内には中学校1校、小学校2校がある。
そんな小さな村が全国的にも有名なICT教育の先進自治体へと進化したのは、2011年に文部科学省「ICT教育活用好事例」調査研究事業として企業と連携し、3台の電子黒板が山江村立山田小学校に導入されたことが始まりだった。
当時、同校の校長を務めていた藤本誠一氏は(現:山江村教育長)は、「ICTのことは全く分からなかったのですが、子どもたちの将来のために新しい教育に取り組んでいこう、10年先を見据えた教育をやっていこうと引き受けました」と振り返る。授業改善としてICTを活用し、従来の学び方を変えていくことが、子どもたちに良い結果をもたらすと判断したというのだ。
山田小学校では最初、導入した3台の電子黒板を、低学年、中学年、高学年に配置して使うところからスタート。実物投影機と組み合わせて、子どもたちが前に出て電子黒板に書き込んだり、教員が見せたいものを大きく提示したりと、試行錯誤しながら使い始めた。
しかし、子どもたちの反応は、教員らの予想以上。「たったこれだけの使い方なのに、子どもたちから“うわぁ!”と声があがり、“こんなこともできるんだ”と目を輝かせて、授業に取り組む姿勢が前向きになりました。その姿をみて、“ICTは使える!これは授業改善につながる!”と確信し、本格的に取り組んでいこうと考えました」と藤本氏は当時を語る。
その後、山田小学校では子どもたちの学ぶ姿を地域や保護者にも公開すべく、初年度から研究発表会を開催。ICT活用への理解を求めると同時に、ICT教育推進協議会を立ち上げ、村の予算で段階的にICT環境の整備を進めていけるよう働きかけた。
学校をオープンにし、企業との連携によってスタートしたICT環境整備
3台の電⼦⿊板から始まった⼭江村のICT環境整備は、企業との連携によってスタートした点にも注⽬したい。⾃治体と企業が連携して、教育現場へのICT普及に取り組むこと自体がめずらしかった10年前。⼭江村は当初から企業と積極的に関わり、ICT教育普及の担い⼿になろうとした。藤本⽒は「閉鎖的な学校をオープンにして、企業の⽅と関わりながらICT活⽤を進めることで、⼦どもたちにも還元したいと考えていました」と語る。
企業との連携による山江村の教育ICT環境整備支援は、その後も継続的に行なわれ、現在も続いている。電子黒板導入後の翌年には、校内の無線LAN環境を整備。授業支援ソフトやタブレット端末も段階的に導入し始めた。そして、2014年頃には村内の小中学校で1人1台環境を実現。その後も山江村は、指導者用デジタル教科書や校務支援ソフトの導入、ICT支援員による小学3・4年社会科デジタル副読本「わたしたちの山江村」の作成、プログラミングの教材、遠隔交流学習のためのテレビ会議システム、AI搭載の英語学習ドリルなど、さまざまなICT環境を整備していった。
ICTを入れて終わりではなく、連続した環境整備と活用のための支援があることが山江村の成功につながっている。
藤本氏は具体的な整備のポイントについて、あくまでも授業改善と学力向上に焦点を絞って進めてきたと話す。
「最初はどの教員も学力向上にICTが効果的かどうか分かりません。しかし、ICTで子どもたちに興味・関心を持たせながら、思考力・判断力・表現力を伸ばす授業改善ができれば学力は向上する、という仮説を持って取り組んできました。そのため現場の先生のニーズに合わせて、ICT環境整備を進めてきたのが山江村の特徴です」と藤本氏は語る。
たとえば、タブレット端末を導入した当初は、小学4年生以上で1人1台環境を想定していたが、現場の教員より“子どもたちの習熟が早く、どんどん使えるようになるので低学年も整備してほしい”と要望があり、低学年も1人1台環境が実現したそうだ。
このように現場の教員がICT活用のメリットを理解し、そのニーズに合わせて整備を進めたことが取り組みを広げられた秘訣だという。「先生方の負担が増えてしまうとICTは使ってもらえません。研究発表会などを通して先生方の意欲を保ちつつ、一方で先生を教える指導者の育成に力を入れたことが、現場でICT活用のつながりを作り、取り組みを広げるのに寄与したと考えています」(藤本氏)
一方で、ICT環境を整備するだけで、教員の活用が広がるわけではない。取り組みを進めるために重要なのは、なにより教員研修だ。山江村も研究主任を中心に、早くから大学や企業と連携しながらさまざまな研修に取り組んできた。
これについて、山江村教育委員会 教育課主幹兼指導主事 池田幸彦氏は、活用が広がった一番の要因は、村内の教員全員が参加する合同の授業研究会や研修会を開いてきたことだと話す。
「これによって教員全員がICT活用に取り組むことになり、職員室でも″これが良かった、あれがだめだった“など、ICTの話題が飛び交うようになりました。風通しの良い職員室、良い先輩教員がいる環境を作れたことが教員の意欲につながったと思います」と池田氏は語る。
ほかにも、山江村はさまざまな研究校やモデル校の指定を受けており、山江村の教員が他の地域の授業や研究発表に講師として赴いたり、全国から年間300件ほどの視察を受け入れ、外からの刺激も多かったことが現場の教員のモチベーション維持につながったという。
全国学⼒・学習状況調査のB問題で高得点を記録。学力が日本一になった年も
このような形でICT教育に早くから取り組んできた山江村であるが、この10年間にどのような成果が出ているのだろうか。
まず注目したい点は、山江村が学力向上をめざし、授業改善のツールとしてICTを活用した成果だ。ICTは学力向上に寄与するのか。山江村の全国学力・学習状況調査の結果を見ると、ICT導入の3年後から徐々に成果が出てきたようだ。特に、小学校においては国語と算数の両方で全国平均を上回る成績を記録。なかでも、知識活用能力を問うB問題の点数が全国平均よりもかなり高く、2015年は日本一を達成したという。
「B問題は思考力・判断力・表現力が問われますが、これらの点数が高かったことは、授業におけるICT活用の成果であり、子どもたちが主体的に学びながら身につけた力だと考えています」と藤本氏。
では、山江村ではどのように授業でICTを活用していたのか。
ひとつは、すべての授業で「課題把握」「個人思考」「集団思考」「振り返り」という授業デザインを設定しており、それぞれの段階でICT活用の目的や用途をパターン化していることだ。つまり、どの教員が授業をしても、ICTが活用できるように体系的に整理されており、それが思考力・判断力・表現力の向上に効果をもたらした。「授業の中で、しっかりと個人の意見を持ち、それを元にグループで思考する時間を大切に授業を設計している」と藤本氏は話す。
もうひとつは、「山江村『情報活用能力』育成表」を作成し、どの教科の、どの単元で、情報活用能力を養うのか、落とし込まれていることだ。情報活用能力は「活動スキル」「探究スキル」「プログラミング」「情報モラル」という4つの観点が設けられ、年間を通して、どのように伸ばしていくのかも整理されている。それが、小学1年生から中学3年生まで、すべての教科でそろっているという。
ここまで体系的にICT活用や情報活用能力の育成が落とし込まれていると、現場の教員にとっては何をすれば良いのかが明確であり、わかりやすい。
池田氏はこれについて、「ICTが絵に描いた餅にならないよう、先生方の意見を反映しながら、先生たちができるものを形にしてきました」と語る。こういう形に整理したことで、子どもたちのICTスキルが向上するのはもちろん、教員のボトムアップにつながっているという。
一方で山江村は学力向上をめざして、ICT活用ばかりを重視してきたわけではない。黒板指導やノート指導、辞書の利用など、アナログの部分も大切にしデジタルとの融合に取り組んできた。さらには、その根っこの部分になる「学級作り」についても力を入れてきたと藤本氏。
「いくらICTを入れて協働学習をやると言っても、学級作りができてないと子どもたちは自由な意見が言えません。多くの学校は、この部分を “教員なら言わなくてもわかっている”と流してしまいがちですが、山江村では学級作りを、ICT活用の一環として取り組むべき課題にし、その大切さも伝えてきました」(藤本氏)。
また山江村のICT活用の効果として、同村の人口形成に影響を与えている点も見逃せない。山江村は人口が少ないが、15歳未満の年少人口比率は熊本県の他の自治体や全国平均と比べて高く、子育て世帯にとって魅力ある自治体になっている。実際に県内外からICT教育を受けさせたいと移住してきた家族がいるという。ほかにも、この10年間に教員の働き方改革においても成果が出ている。山江村では教員が自宅で仕事ができる環境も整備しており、教員の労働時間削減につながっている。
GIGAスクール端末の次の入れ替えが課題
今後の課題について藤本氏は、ICT環境を継続していくために他の自治体と協力体制を築くことだと語る。
「GIGAスクール端末の入れ替えがあと数年に迫っていますが、今度は国の予算が出るかわかりません。山江村のように小さな自治体は単独で整備していくのも難しい状況なので、他の自治体との連携が求められるでしょう。協力して共同調達をできるようにしたり、先生方の異動ごとにICT環境が変わるのも大変なので、ある程度、広域で整備を進めていく必要があると考えています」(藤本氏)。
何もなかったところから始まった山江村のICT教育。一口に10年といっても、ICT活用のレベルを年々高めながら、成果も出しつつ、取り組みを進めていくのは簡単ではない。日々の授業でどのようにICTを使えば、子どもたちの成長に効果をもたらすのか。この問いに10年間も向き合ってきた山江村から学ぶことは多く、他の地域の学校もICTがもたらす効果を信じて学びを前進させてほしい。