こどもとIT

日本のデジタル化障壁は長期雇用モデル前提の教育システムにある

――AWS 6か国の労働者スキル分析レポート

アマゾンウェブサービス(AWS)が、日本を含むアジア太平洋地域(APAC)6か国の労働者の現在、そして2025年までに求められるデジタルスキルを詳細に分析したレポート「APACのデジタルの可能性を拓く:変化するデジタルスキルへのニーズと政策へのアプローチ」を公表した。

コロナ・ショックをきっかけに、日本の産業界・教育界はデジタル時代に対応できていない現状に直面し、空前のDXブームが出現している。今後のキャリア構築にデジタルスキルが不可欠であることは共通認識で、大学の情報系学部の人気も高まっているが、日本の人材が今、そして5年後にどんなデジタルスキルを身に着ける必要があるのか、さらにスキルを高める上で何が障壁になっているのか、具体的に把握している人や企業は多くないだろう。レポートと調査を実施した専門家の取材から、日本のデジタル人材教育の処方箋を探った。

調査総括:平均的な労働者は2025年までに7つのデジタルスキル習得が必要

今回の調査は、政策立案者や教育関係者、ビジネスリーダーが、現在の労働環境で使われているデジタルスキルを理解し、今後5年間に介入が最も必要とされる領域を特定することを目的に、AWSが戦略・経済コンサルティングファームAlphaBetaに委託し実施。調査対象国はAWSが拠点を開設(予定含む)している日本、オーストラリア、インド、インドネシア、シンガポール、韓国を選定した。

調査では、デジタルスキルを技術的ノウハウに依存する専門知識を指す「垂直的コンピタンス」と、ほとんどのデジタルタスクに活用されるべき横断的なデジタルスキルを指す「水平的コンピタンス」の2グループに分類し、8つのコンピタンス領域を特定した上で、労働者の習熟度別に細分化し、最終的に28のデジタルスキルのリストを作成した。

AlphaBeta(アマゾンウェブサービス委託)、2021「APACのデジタルの可能性を拓く:変化するデジタルスキルへのニーズと政策へのアプローチ」より(以下同)、能力分野と習熟度別に開発された28のデジタルスキル

調査からは、APAC6か国で現在、1億4900万人の労働者がデジタルスキルを活用しており、2025年にはその数が8億1900万人まで増える見込みであることが明らかになった。需要変化に対応するため、6か国の平均的な労働者は2025年までに7つの新たなデジタルスキルを習得する必要があるという。

特に高度なクラウドコンピューティングとデータに関するスキルの需要は今後5年で3倍に増加するため、レポートは現在の労働者だけでなく、将来の労働者(今の学生)にとっても最も重要なスキルの一つになると指摘している。

APAC地域におけるデジタルスキルの現状、日本は6カ国中4位

日本のデジタルスキルが低い3つの要因

レポートは6か国の労働者を比較し、日本人のデジタルスキル活用度を、「インドとインドネシアより高いが、高所得国の中では下位」と報告した。

具体的には、デジタルスキルを活用している労働者の割合はオーストラリアが最も高く64%、シンガポールが63%、韓国が62%と続き、日本は58%だった。「高度な」デジタルスキルを活用している労働者に絞ると、シンガポール、韓国、オーストラリアは5人に1人以上となるのに対し、日本は14%にとどまった。

日本は高度なデジタルスキルを活用する労働者の割合が6カ国中最下位

レポートは、「日本の傾向は既存の調査と同じ結果となっており、自動化技術の導入、IoTテクノロジーなど、新しいテクノロジー分野における相当の人材不足が報告されている」と分析している。

AlphaBeta共同創業者兼ディレクター フレイザー・トンプソン博士

調査責任者でAlphaBeta共同創業者兼ディレクターのフレイザー・トンプソン博士は、取材に対し「日本は雇用主が従業員のデジタルスキルトレーニングに関する全社的な方針を作成したり、トレーニングを実施する動機付けが欠けている点が、重要な課題の一つ」と指摘した。

背景にあるのは、20世紀の生産性向上に貢献してきた年功序列に基づく長期雇用の慣行だという。一つの会社で賃金引き上げを約束されながらゼネラリストとして働く日本型システムが、スキル、とりわけデジタルスキルの習得に投資するインセンティブを失わせているという見方だ。

また、日本企業はITをアウトソーシングに依存する傾向があるため、デジタルスキルに関するノウハウがたまりにくく、イノベーションを推進しにくい環境になっているほか、学生が仕事で通用するデジタルスキルを習得するための教育制度が不十分である点も、日本のデジタルスキル活用度が低い要因だと分析している。

つまり、「新卒で入社した企業で、年功序列のもとゼネラリストとしてキャリアを形成する」日本的な労働モデルが、ITのアウトソーシングや、即戦力人材の教育制度の不足といった構造的なスパイラルを産み、デジタル時代にそぐわなくなっているということだろう。レポートはこれらの構造問題に加え、日本の労働力の急速な高齢化によって、テクノロジーの変化に追いつくことが、一層難しくなっているとも指摘した。

2025年に最も需要が高いスキルは「クラウドコンピューティング」

今後5年でデジタルスキルに対する需要はどう変化するのか。レポートは、2025年までAPAC6か国で最も需要が高まるのはクラウドコンピューティングだと予測する。ビジネスSNSのLinkedInの求人ポータル上のデータでも、2019年の高額求人の半数が同技術の知識を必要としていたことが判明した。

日本にフォーカスすると、高度なクラウドスキル(組織が従来のオンプレミスベースからクラウドベースのインフラストラクチャへの移行を支援したり、クラウドアーキテクチャを設計するスキル)を求められる労働者数は年率30%近く増加する可能性があるが、需要に追いつかないと懸念する声が、産業界からは上がっているという。

将来の労働者には高度なクラウドスキルが求められる

調査では、コロナ禍で急速にオンライン化が進んだ教育分野では、オーストラリア、インドネシア、日本の3か国で大規模なデータモデリングのスキルに対する需要が最も高くなるとの予測も示された。

2019年以前の調査でも、APAC地域の学習管理システム(LMS)市場は2019年から2027年までの期間で、平均19.7%以上の複合成長率で成長すると予想されていたが、コロナ禍によって成長がさらに加速することが確実で、「3か国ではオンライン学習プラットフォームの採用が増えており、プラットフォームから作られたデータの管理・分析は、教師の責任として一層重要視される可能性がある」(レポート)という。

大規模なデータモデリングスキルがの需要が高まると予想

教師と思考力……教育現場で補完されるべき2つの課題

調査レポートは6か国の特性を踏まえた上で、デジタル人材育成に向けた政策提言を行っている。日本については、長期雇用社会であることを前提に、企業内でデジタルスキルトレーニングを行うことが望ましいとしつつ、「日本ではデジタルスキルの枠組みや定義が存在しない」点が取り組みを難しくしていると指摘、「業種別にデジタルスキル習得のロードマップを開発し、雇用主に周知することが有効」と分析した。

特に日本の非デジタルワーカーは、2025年までに必要とされるデジタルスキルトレーニング需要の17%を占めると推定され、APAC地域の高所得国の中で最も高い水準だという。レポートによるとこれも終身雇用文化や年功序列が背景にあり、「雇用主は労働者が必要としているスキルが何かを理解することが難しくなっている」という。

レポートは、女性や高齢者を中心とした「離職者」が正規雇用されるために必要なデジタルスキルを習得できる教育プログラムを全国で展開することも推奨するとともに、「将来の労働者」である日本の児童・生徒・大学生のデジタル教育についても、課題を考察している。
トンプソン博士は、「1人に1台の端末というGIGAスクール構想はポジティブな政策だと評価している。しかし、学校や生徒にデジタルツールや機器を提供することに加えて、日本でデジタル人材をより育む上で、重要な2つの課題があると考えている」と述べた。

一つ目は、日本で暗記中心の教育が提供されてきたことから、子どもたちがデジタル経済の中で、状況の変化に柔軟に適応するためのソフトスキルを身につけていないことが懸念されることだ。トンプソン博士ら調査チームは。批判的思考力を高める教育方法を小学校から導入することを提言した。

二つ目の課題として、トンプソン博士は「有識者へのヒアリングでは、高等教育課程で、学生に新しい技術やデジタルスキル(例:コーディング、サイバーセキュリティ)を教えることに注力されていないという声が聞かれた。このことが日本の学生にとって、労働市場で即戦力となるデジタルスキルの不足につながっているとの指摘だった」と説明した。

最近のOECD調査(OECD (2019), OECD skills outlook 2019: How does Japan compare?)では、日本の教師の80%が情報通信技術(ICT)に関するトレーニングを必要とし、この数値はOECD諸国全体で最も高いという結果が出ている。

端末やネットワークが整備されたとしても、質の高いデジタルスキル教育を展開には、教育体系の見直しと教師のデジタルスキル向上が不可欠であり、レポートは「IT専門家を教育分野に採用したり、大学と産業界の定期的な情報交換を行ったりすることが重要となる。高度なデータ分析やクラウドコンピューティングのスキルなど、需要の高いデジタルスキルを習得するコースでは、よりカリキュラムの内容に重点を置く必要がある」と提言した。

日本は、高等教育カリキュラムにデータ分析とクラウドコンピューティングのスキルを組み込むことが、推奨される政策アクションとした

雇用モデルと教育システムがデジタル化の取り組みに影響

AWSのレポートは6か国の比較調査でもあるため、各分野での日本の優劣に目が行きやすい。だが、100ページに及ぶレポートでは、6か国の労働者のデジタルスキルの状況と施策が詳細に紹介されているため、国家としてのデジタル対応に追い風・逆風をもたらす要因が何なのか、俯瞰して理解しやすい。

例えば、デジタルスキルを使っている労働者が上位のシンガポールでは、高等教育機関や非技術開発業の中小企業が、労働者・学生の新たなスキル開発に投資することを動機付けるような補助金が制度化されている。

デジタルワーカーの中で、高度なデジタルスキルを使っている労働者の比率が最も高いインドでは、18歳から22歳までの若者を対象とした無料のデジタルスキルトレーニングプラットフォームが設立され、サイバーセキュリティ、ブロックチェーン、AIや機械学習、クラウドコンピューティング、IoTなどのテクノロジートレーニングコースを提供する一方で、建設業や製造業などの非IT産業でのデジタル化フレームワークが不十分だという。

インドネシア政府は、デジタル人材を育成する取り組みを実施しているが、「教師のICT知識の欠如で、初等中等教育レベルの授業にテクノロジーを導入したい政府の努力を妨げている」とのことだ。

日本の場合は、IT人材の大部分がIT業界内で流動しているため、非IT業界でデジタルトランスフォーメーションを進めにくいほか、離職者や学生といった「潜在的労働力」のデジタルトレーニングの環境が整っていないことが、APAC高所得国の中でも、デジタル活用度が低いことの背景にあるとも分析されている。

つまり、長年運用されてきた雇用モデルと、それに最適化された教育カリキュラムが、デジタル人材の育成を促進したり、妨げたりする要因になっているのが分かる。

コロナ禍は日本のデジタル化の遅れもあらわにし、政府や企業の取り組みを加速させたが、レポートは、「企業がDXを急速に推進した結果、デジタルスキルのギャップがさらに拡大している」とも指摘する。デジタルスキルのギャップの拡大や、デジタルスキルや枠組みの定義がないという分析は、日本のデジタル戦略がトータルデザインを欠いているという「課題」の提示でもあるだろう。国、企業、学校、個人の全てが、将来必要とされる職業やスキル予測に基づき、点ではなく線や面で、デジタルスキルを高めるためのロードマップを描く必要があるのではないだろうか。

浦上早苗

経済ジャーナリスト。法政大学イノベーションマネジメント研究科(MBA)兼任講師(コミュニケーション・マネジメント)。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社を経て、中国・大連に小学生の息子を連れて国費博士留学および少数民族向けの大学で講師。日本語教師と通訳案内士の資格も保有。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」(小学館新書)。