こどもとIT

高等教育機関も重視、専門知識を分かりやすく伝えるために必要なデザインスキル

―― Adobe Education Forum Online 2020 (中編)

コロナ禍で教育業界が変革を迫られる中、機械が代替できないクリエイティビティをどう育成するか。Adobe(アドビ)は2020年8月4日から6日にオンラインセミナー「Adobe Education Forum Online 2020 New Normalの社会で活躍する力を育てる大学・専門学校教育~ProductivityからCreativityへ ~」を実施。基調講演の様子は前編でお届けした。

中編では、「わかりやすく伝えるCreativity」をメインテーマにした2日目の内容から、大学や大学院など高等教育機関が取り組むデザインスキルの育成について紹介しよう。

セミナーに参加し、このレポートを執筆している私も、大学院で実務家講師として後期(9月末開講)の講義を担当している。大学の前期講義がオンラインに切り替わり、学生、教職員双方が非常時に突入したときは、秋には教室で講義ができる体制に戻るだろうと考えていたが、コロナの収束が見えず、デジタル化・オンライン化が我が身にも降りかかりつつある。自分事として参加したセミナーからは、クリエイティブツールやデザインが果たす役割と、そこから新たに生まれる課題が見えた。

立教大学理学部 共通教育推進室 教育研究コーディネーター 吉澤樹理氏の発表をまとめたスケッチノート(スケッチノート:giri / カタギリショウタ @giri_shota)

分かりやすさで必要なのは「インパクト」と「情報の制限」

セミナーでは立教大学理学部共通教育推進室の教育研究コーディネーターを務める吉澤樹理氏が、学会発表のポスターやプレゼンテーションで「分かりやすく伝える」ための実践を紹介した。

立教大学理学部 共通教育推進室 教育研究コーディネーター 吉澤樹理氏

吉澤氏は複数の業務に携わっており、科学を分かりやすく伝える「サイエンス・コミュニケーター」という役割もそのひとつだ。吉澤氏いわく「分かりやすい」は、「正しい」と「おもしろい」の両方が求められるという。

では、視覚的に分かりやすい資料を作るうえで抑えるべきポイントは何か。吉澤氏は自身が制作したポスターを使い、「足を止めてもらう」ために以下の4点を工夫したと話した。

吉澤氏が作成したポスター

<ポスターをわかりやすく見せる4つのポイント>
・右上に、研究内容が分かるための目印を挿入する。
 (ポスターでは、蟻のイラストを表示)

・目を引く枠組みにする。
 (図鑑を意識して、ポスターの上部と右にインデックスを付けた)

・伝えたい情報をクリアにするため色を制限する。
 (このポスターでは黒、グレー、オレンジの3色を使用。吉澤氏は3~4色の範囲で資料を制作しているという)

・特に見てほしい情報に色を使う。
 (ポスターでは、「有意差」「明らかになったこと」をオレンジで表示)

吉澤氏はビジュアルで効率的に伝えるために、「目を引くデザイン」だけでなく「情報の制限」も必要だと強調。また論文に掲載するグラフの画像データもそのまま使用せず、アドビのクリエイティブツール「Photoshop」で切り抜いて、明るさやコントラストを調整したり、「Illustrator」で文字や数字が鮮明に見えるよう加工しているそうだ。ほかにも視覚的にグラフの内容を理解できるよう、絵を描いてグラフに加えるなど具体的なテクニックも紹介した。

吉澤氏が作成したグラフとイラスト。グラフは読み込んだデータをそのまま使用すると数字が鮮明に表示されないため、「Photoshop」や「Illustrator」で加工。グラフの内容が視覚的に伝わるようイラストを加えるなど工夫を凝らす

文系大学院生が動画編集を学ぶ意義とは

吉澤氏に続いて登壇した北海道大学大学院文学研究院の加藤重広教授は、大学院生がキャリアパスを広げるためにデザインを学ぶ取り組みを紹介した。

モデレーターを務めたフリーアナウンサー大熊英司氏(写真左)、北海道大学大学院文学研究院の加藤重広教授(写真右)

加藤氏によると、国は大学院教育を拡充し、高度人材を育成する方針を打ち出しているものの、実際には大学院卒の「出口」が少なく、2000年に入って大学院入学者数も減少傾向にある。文系博士課程への進学者は多くが研究者を目指すが、任期の定めのない研究職のポストは限られ、不安定な待遇下での研究を余儀なくされる「ポスドク問題」も顕在化している。

これらの問題を解決するため、北大の文系大学院は、院生を高度人材としてとらえ、就職先を行政機関や民間企業に広げる取り組み「教養深化プログラム」を導入、デジタルクリエイティブの基礎スキルを学ぶカリキュラムもその一環として2019年度に始まった。

北大の文系大学院で取り組む「教養深化プログラム」の概要。なかでもAdobe Creative Cloudを使うデジタルクリエイティブ基礎を学べるのが学生に人気だという

院生は自分のPCにAdobe Creative Cloudをインストールし、ビジュアル表現や画像処理、動画制作を学習する。履修している院生からは、「個人のPCで使っているので、学校で学んだことを家でも使える」「思想をテーマに論文を書いているが、それは非常に分かりにくい。分かりやすくするために図表や映像を使って表現していく必要がある」といった声も紹介された。

デジタルクリエイティブを学ぶ目的について、加藤氏は「短い時間で内容を理解してもらうためには、デザインに関する知識やスキルが必要」「優先順位を相手に理解してもらい、効率的な受容を誘導する」と説明した。立教大学の吉澤氏と同じ視点だが、加藤氏の問題意識は「大学院生は高い専門性を習得しており、優れたコンテンツを作れるはずだが、実際にはその強みが広く伝わっていない」ことにある。

加藤氏は「大学院教育は教養に関して、既に学部で身に着けているとして教えてこなかった。しかし企業に就職すると『大学院を出ているのにそんなことも知らないのか』と言われることもある」と語った。研究者は研究成果を中心とした単純な尺度で評価されるが、企業は「専門分野を知っているのは当たり前で、それ以外も広く知っていることを期待される」(加藤教授)。即戦力の高度人材と認められるための教養が必要であり、クリエイティブツールを活用して、分かりやすく伝えるスキルもそのひとつだという。

加藤氏の発表をまとめたスケッチノート(スケッチノート:giri / カタギリショウタ @giri_shota)

オンライン化で「伝える力」への関心が向上

吉澤、加藤両氏の実践は、コロナ禍の前から続けられている取り組みだが、大学・大学院の多くが4月からのオンライン講義に移行したことで、教員側も「伝わっているか」をこれまで以上に意識するようになったとの話はよく聞く。

教員の多くは、これまでは言語とテキストやパワーポイントなどの補助的な資料を使って専門を教えていた。しかし、講義がオンラインに移行すると、動画やビジュアルデータの活用幅も広がり、より効率的な情報伝達は確かに可能になるだろう。

とはいえ、アドビのクリエイティブツールを使いこなしている吉澤氏は「子供のころから絵を習っていた」そうで、そもそも視覚的に見せることに長い間取り組んできた結果、これらツールを抵抗なく受け入れられたようにも感じた。教員の大部分は、これまで文字ベース、そして教室で仕事をしてきたため、目の前の変化に対応するので精一杯なのが現実だ。一方、学生側は多くのことをオンラインで伝えなければならない状況に直面し、さまざまなデジタルスキルを一気に高めていくだろう。

セミナーでは、アドビ教育市場部部長 小池晴子氏が登壇し、同社が500社を対象に今年実施した新卒採用アンケートの結果も報告された。その調査結果によると、新卒採用で重視するスキルとして、「デジタルリテラシー」と回答した企業数が2018年に比べて増えたことも明らかになった。プレゼン資料や広報媒体などで、クリエイティブツールを使える人材が必要だとの認識が広がっていることも紹介された。

アドビが500社を対象に実施した新卒採用に関するアンケート結果

効率化求めるなら枠組みも見直しを

ただ、現場の教員の立場から言えば、「効率的に伝える」ことを追求すると、現在のカリキュラムのあり方そのものを見直す必要があることも書き添えておきたい。

私自身も大学院で講義を担当していると書いたが、講義形式は1コマ100分、2コマ連続で実施する。18時半に始まる講義は、10分の休憩を挟んで22時まで続く。私の講義は社会人学生を対象に実務スキルの向上を目標としており、教員・学生双方の通学負担などを考慮して、このような時間割になっているのだとは思う。しかし、リアルでも3時間以上、学生の集中力を維持するのは困難で、グループワークを挟んだり、抜き打ち的にディスカッションを始めたり、メリハリを付けるのに試行錯誤してきた。

これがオンライン授業になると、授業の内容を効率化し「伝える」ことを工夫しても、学生を3時間PCの前に座らせることで、疲労が効率を損なう懸念も感じる。私事で恐縮だが、働きながら大学院に通っていた私の家族は、春から在宅勤務になり、大学院の講義もオンライン化した結果、当初は「移動しなくていいから楽」と言っていたのが、7月に大学院の休学届を出した。オンライン化でインプットの密度が増し、移動しないことで余白が減り、気づかないうちに疲労が蓄積していたのだろう。

仕事も教育も、どこからでもつなげるなら、それに合わせて枠組みも変えなければならない。一方で、このような状況はコロナが収束すれば、1年限りで元に戻るかもしれないと思うと、私自身も講義内容を「抜本的に見直す」ことをためらってしまう。

スキルはツールでも身につくが、日本はスキルを発揮できる環境が不足しているのではないか。1日目のセッションでOECD(経済協力開発機構)の村上由美子氏はそう問題提起した。

クリエイティブツールが日進月歩で進化し、それを使いこなすスキルが強みになる。ただし、そのスキルが最大限に活用されるかは、今起きている急激な変化に「一時的に対処する」のか、あるいは「新しい形を作っていく」にも左右されるだろう。この問いかけは教育現場の夏休み後の主要な課題のひとつになるはずだ。

浦上早苗

経済ジャーナリスト。法政大学イノベーションマネジメント研究科(MBA)兼任講師(コミュニケーション・マネジメント)。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社を経て、中国・大連に小学生の息子を連れて国費博士留学および少数民族向けの大学で講師。日本語教師と通訳案内士の資格も保有。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」(小学館新書)。