こどもとIT
英国の実例から小学校低学年のプログラミング教育の可能性を探るイベント
~「Computing」授業の内容と効果・課題・ツール群の紹介まで~
2017年12月4日 06:00
2017年9月21日、ICT CONECT21主催のシンポジウム「プログラミング教育の世界での取り組み~英国における低学年でのプログラミング教育の取組~」が筑波大学東京キャンパスにて開催された。
日本で次期学習指導要領(2020年より全面実施)での必修化が決まり模索の続く小学校でのプログラミング教育について、既に経験のあるイギリスの事例をコンパクトに知るまたとない機会となった。
メインスピーカーは、Bee-Bot(ビーボット)をはじめとする教育用プログラミングロボットの開発販売を手がけるイギリスのTTS社でカリキュラムスペシャリストを務めるアンドリュー・ブッシュ氏。元小学校教師で、その後、先生のトレーニングをするアドバイザーも経験しており、現場の空気を知っている経歴の持ち主だ。
なお、Bee-Botは、プログラミングで動かすロボットで、低年齢からでも扱うことができ、イギリスでは多くの小学校で使用されている。ハチを模した半休型のかわいらしいシェイプで、背中のボタンを押してプログラミングすると指示通りゆっくり床の上を移動する。
イギリスでは「ICT」の失敗が「Computing」を生んだ!?
イギリスでは、プログラミングに関する学習は、現在「Computing」(コンピューティング)の一部として位置付けられている。この「Computing」は、イギリスで2014年のカリキュラム改訂によって生まれた。しかし、イギリスではそれまでの間、コンピューターに関連する教育がゼロだったのかというとそういうわけではない。
2014年以前には、ナショナルカリキュラムに「ICT(Information and Communications Technology)」があり、コンピューターをいろいろな活動――例えば、考える、文章を書く、絵を描く、情報交換や情報共有などの道具として使う取り組みがなされてきた。学習項目には、プログラミングに関する内容も少ないながら含まれていた。
しかし、この「ICT」の教育状況と内容が不十分だというレビューが2012年にThe Royal Society(王立協会)よりなされ、「Computing」として新たなカリキュラムに生まれ変わることになったという。アンドリュー氏がスライドで示した図がこの大きな転換をわかりやすく示している。
Computingへの転換は、ICTを捨てるのではなく、ICTと呼んでいた分野を「digital literacy」(デジタルな手段を使いこなすこと)、「Information Technology」(情報技術)、「Computer Science」(コンピューターサイエンス)として再定義し、その教育内容を変革しようというものだ。
講演では改訂に至る詳細までは語られなかったが、この王立協会によるレポートでは、ICTの教育活動が、専門家ではない教員によって単にアプリケーションを使用するスキルの学習に止まり、児童にとって退屈なものになってしまっている現状が厳しく指摘されている。それにより、児童がコンピューターサイエンスの面白さや創造性に触れることもなく、興味をもつ機会が失われていることを問題視している。
思考や創作のツールとしてICTを使う取り組みをしてきたイギリスで、こうした反省をふまえて「Computing」という科目が生まれたことは、まずしっかり押さえておく必要があるだろう。
日本の現状は、小学校ではICT機器の活用すら十分になされているとは言い難い。そこへプログラミング教育の必修が決まり、その内容は「プログラミング的思考」(※1)を育むという言葉に包み込まれている状態だ。ICT機器の活用とプログラミングが混同されそうな危うさすらまだある。この「Computing」の3要素を知っておくことは、学びの質を切り分けるいい指標になるだろう。
なお、イギリスではこのカリキュラムの転換によって、ComputingになってからはICTの頃と比べ、プログラミングに関する学習の割合が大幅に増えたという。
(※1)日本の次期学習指導要領の中で使っている「プログラミング的思考」は「Computatilnal Thinking」の訳語ではない。平成28年6月16日の有識者会議の議論の取りまとめによれば、「いわゆる『コンピュテーショナル・シンキング』の考え方を踏まえつつ、プログラミングと論理的思考との関係を整理しながら提言された定義である」とある。
「Computational Thinking」って何?
Computingの教育で育まれるとされる思考プロセスに「Computatilnal Thinking」(コンピュテーショナル・シンキング)がある。アンドリュー氏は、「Computational Thinking」とはどういう思考力なのかを、4つの要素で明快に説明した。
・「Decomposition」(分解)
複雑な問題や仕組みを、扱いやすい小さな単位に分解し、部分やステップにわけてとらえること。
・「Pattern recognition」(パターン認識)
共通するパターンやシーケンスを見つけられること。例えば、繰り返す色や数字のパターンを見つけたり、毎日繰り返している行動に気づく。
・「Abstraction」(抽象化)
重要なことだけを取り出せること。例えば、ジョンはりんごを3つ持っていて、ビルはりんごを2つ持っていて、全部でいくつかを考える場合、「3+2」という要素を取り出し、他の重要ではない情報を無視する。
・「Algorithms」(アルゴリズム)
問題を解決するためにステップバイステップの手順や、法則を作り出せること。
この思考プロセスは、効率よく素早く問題の解決方法を見つけ、応用力がつく、大切な問題解決能力とされているという。
なぜ小学校でComputingを教えるのか
アンドリュー氏は、ナショナルカリキュラムにおけるComputingの目的やねらいの一部を紹介した。
そこには、児童がComputational Thinkingを身につけ、世の中を理解し変革する力をつけ、将来のデジタルワールドの積極的な担い手になることが描かれている。ICTのユーザーとしても、「responsible」(責任ある)、「competent」(競争力のある)、「confident」(自信をもった)、「creative」(想像力のある)といった言葉が並び、主体的な使い手になって欲しいというビジョンが見える。
具体的に、Computer Science(コンピューターサイエンス)の基礎を身につけることや、コンピュタープログラムを書くような実用的な経験をしたり、コンピューター用語を使って分析的に考えることなども明文化されていて、この点は日本の今の現在の状況との大きな違いだ。
これは筆者の意見だが、日本の次期学習指導要領では、論理的思考力をつけることに重点が置かれ、コーディングなど技術的な手法を学ぶことでは“ない”ということを強調したため、身につけるべき「技術や知識」という定義は極端に避けているように見える。身につけるべきなのは「技術」ではなく「思考力」だというかのような位置付けは、むしろ現時点ですでに混乱を招いているような印象を受ける。それだけに、イギリスの、Computer Scienceを学ぶ必要があるというはっきりとした位置付けは、それと対照的で明確であり、とても力強く響いた。
実際の学びの内容は?
イギリスの初等教育は、「Key stage1」(5~7才の2年)と、「Key Stage2」(7~11才の4年)の2段階に分かれており、それぞれの段階で学習する内容の定義にも、「アルゴリズムの理解」や「プログラムを作りデバッグする」などの言葉が並んでいる。テクノロジーを積極的に理解して使えるようにしようという態度がはっきりしているのだ。
ただし、プログラムと言っても必ずしもテクノロジーを利用した方法でやる必要はないし、子どもの年齢にあったプログラミング手法を選べばよいので、机やパソコンにひたすら向かってプログラミングを学んでいるというわけではない。
同じプログラミングの学習を違う手段でやっている例として、2つの写真が示された。Bee-Botを使ってロボットをゴールまで行かせるプログラムを作る「テクノロジーを使った」学習の例と、「テクノロジーを使わず」児童がロボット役と指示役になってプログラミングをする例だ。
また、こちらは別の事例の1シーンだが、Bee-Botに指示するプログラムを矢印記号で紙に書き出して検討している。このように紙の上に記号で表現することも年齢にあったプログラミングの一例だ。
プリスクールの学習内容にも、Computingという言葉は出てこないまでも、そこにつながる考え方や想像力が定義されている。これも実際には、遊びのような活動の中で皆で一緒に考えるシーンを作っていて、ドリルのような「勉強」をしているわけではない。
初等教育段階では、もちろんプログラミング言語「Scratch」などいろいろな手法が使われているが、子どもの発達と理解の段階に合わせて無理のない手法が取られているようだ。コンピューター、タブレット、ロボット、ソフトウェア、オンラインツール、そして紙や鉛筆も、全てがComputingの学習のための道具になるとアンドリュー氏は説明した。
どんな効果があったのか? 課題は?
2014年にComputing教育が始まっておよそ4年間、どんな効果が得られたのかは誰もが興味を持つことだろう。アンドリュー氏が示した2016年のある調査結果では、「Computational Thinking」を授業で使っている先生は、児童の学習の様々な面でプラスの効果が出たと回答している。
また、「Resirience」(あきらめずしんぼう強く取り組む姿勢)が身につくという報告もあり、様々な効果を検証しているところのようだ。
一方でもちろん課題もあり、先生のトレーニングが必要であるとか、機器の準備等教室の環境づくりの手間がかかるなど、日本でも常に話題に登るような問題は抱えている。先生が適切なツールを選べるようなサポートが欲しい、専門家が様々な方法を紹介して欲しいという要請も出ていると言う。
現時点の日本でも同じような話題は常に耳にするので、現場の困り感はどこでも似たようなものなのだろう。アンドリュー氏によれば、先生にComputingのカリキュラムを説明すると、まず「アルゴリズムって何?」という声があがるという。子どもに学習させる前にまず先生に教えなければならないということは、氏の実感としても大きな課題のようだ。
先生が自分で学べるツール群
日本でも先生のトレーニングは関心の集まるところで、最後の質疑応答でも複数質問が出たが、「トレーニングに必要な時間も内容もその先生や学校次第」というストレートな答えだった。全ての先生が受けるような定型のトレーニングがあるというわけではないのだろう。
基本は先生が自分で学ぶことになるが、先生がComputingを学ぶための学習リソースが、イギリスでは国や地区、企業などから豊富に提供されていることが紹介された。国レベルの一例として上がった、「Barefoot Computing」(https://barefootcas.org.uk)は、初等教育の先生向けにカリキュラムに合わせたリソースをオンラインで提供している。先生向けのワークショップも開催されていて、いずれも無料で利用できる。
なお、イギリスにはCAS(Computing at School)〔http://www.computingatschool.org.uk/〕という組織もあり、Computingを教える先生同士のオンラインコミュニティが形成され、学習リソースや教材も豊富に提供されている。
いずれも、先生が知識と技術をつけ、自信を持ってComputer Scienceを教えられるようになることを目指していると明記されている。日本でもこうした利用価値の高いツールにアクセスできる環境が求められるのは間違いないだろう。
授業時間は……決まっていない!?
学習内容からして、厳格な授業ルールが設定されているとイメージしていたのだが、驚くことに、イギリスのナショナルカリキュラムでは、どの教科に何時間使うという規定はないという。国は「何を教えなければいけないか」は規定し、大まかにどれにどの程度重きをおくかというアドバイスはするものの、基本的に、何にどのくらいの時間を使うかは学校ごとに任されいて、学校が具体的な授業カリキュラムを組むことになっているという。
アンドリュー氏の話では、一般的に1週間に45分~1時間をComputingにあてている場合が多く、それとは別に、例えば算数や地理などの学習にロボットを使うことなどもありうる。もっとたくさんやる学校もあればもっと少ない学校もあるそうだ。
これは日本の小学校の現場感覚からすると、もっともイメージしづらい自由度だろう。日本では、授業のコマ数を確保できないから夏休みを減らすという話題が一般のメディアで持ち上がるほどだし、現在は次期学習指導要領で教科化される英語(外国語)のための授業時間をどうやって捻出するかに現場は苦慮していると聞く。これに加えてプログラミングがどこに入る余地があるのか、という声も聞こえてくる。学ぶ内容を減らさずに新しい学びを追加するだけでは到底現場も子ども達の吸収も追いつかないだろう。
質疑応答で、「どうやってComputing(さかのぼってICT)に時間を確保したのか」という質問も出たが、そもそも「カリキュラムが変わる時に他の教科も含め全てが組み替えられたので、その代わりに何かを捨てたというようなことではない」という回答だった。強い危機感の元に再編されたカリキュラムであるし、授業の時間数が各学校の裁量に委ねられているという状況に照らせば、この日本的疑問自体がナンセンスなのかもしれない。
Computingで子ども達に身につけてほしいこと
質疑応答では、低年齢の子ども達にComputingを教えることの意義について問うものもあった。アンドリュー氏はこんな風に表現した。
「子ども達は、テクノロジーを自信を持って使う必要があるし、テクノロジーがどうやって機能しているのかを知る必要がある」「テクノロジーの担い手になれる、自分がやりたいことを実現できる、安全に責任を持って使えるという経験をしなければいけない」
これらは、子ども自身が主体的にテクノロジーに関われるようになるべきという積極的な視点だ。それがこれからの新しい世界に生きるための準備になるという考えは、とても明るく前向きな印象を受ける。
私たちは、日本で子ども達に何を教えたくてプログラミングを取り入れようとしているのか、もう一度よく考える必要があると感じさせられた。例えば、「AIに仕事を取られるからプログラミング学んでおかないといけない」なんて消極的で後ろ向きな態度は、主体的な担い手としての姿にはほど遠い。現状の何に危機感を持っていて、どんな子どもに育って欲しいと思っているのか、それをもっとストレートにシンプルにとらえてもいいのではないだろうか。
(※)本稿では、「Computing」「Coputational Thinking」等の用語は適正な訳語が定着しているとは言えないので、あえて英語表記のまま使用した。