こどもとIT
教育は「社会の前衛」「最強のゲーム・チェンジャー」
~“1人1台端末”GIGAスクール構想の上に、どんな「未来の教室」を創るか⑤
2021年11月5日 06:45
本連載は、世界各国が取り組むこれからの教育を見据えつつ、経産省とさまざまな学校での実践事例を元に、実現可能な「未来の教室」のありようを記した浅野大介氏(経済産業省 サービス政策課長・教育産業室長/デジタル庁 統括官付参事官)の著書『教育DXで「未来の教室」をつくろう~GIGAスクール構想で「学校」は生まれ変われるか』(学陽書房刊)より、序章の内容を5回にわたって掲載します。
日本型学校教育、つまり いまも息づく「昭和の学校」は20世紀の工業化社会にフィットしました 。学校が得意とするのは「常識があり、組織の規範や指示に従い、与えられた役割をミスなく果たせる力の構築」です。戦後の学習指導要領は「あの時代の、あの産業構造や社会構造」にフィットし、「昭和の学校」育ちの人材と組織の力で日本の産業も1990年代までは世界的な存在感を保ち、日本社会は全体として一定の豊かさを手にしました。
一方、日本社会は「全体」に合わない「規格外の個」には結構冷淡で、「個性は大事」と言いながら、空気を読んで主張を抑え、規律に従うことを是としてきました。
そして、時は2020年代。もはや世界のビジネス・政治・行政における「価値創造」のやり方が激変する中で、 「日本育ちの人たちの組織」の多くは、ことごとく大きな曲がり角に立たされています 。日本社会とその「母体」である学校教育の「かつての長所」はすっかり「短所」に変わり、学校も多くの企業や行政組織と同様に、大きく生まれ変わる必要に迫られています。確かに学校は「社会の映し鏡」ですが、同時に明治の近代国家建設時のような「社会の前衛(アバンギャルド)」でもあって欲しいです。
たとえば「課題の本質はここ」と急所を見極めたり、異分野の事例からも成功・失敗の本質を炙り出して応用したりの 抽象的思考 や、「いまのやり方を続けて、本当に目標を達成できるのか」とデータや記録を眺めながら仮説を検証し続ける 論理的思考 、そして「発散と収束の繰り返し」でアイデアを生み出す アジャイルで創造的なコミュニケーション の重要性が高まるものの、私たちの社会や組織、私たち自身も決してそれが得意ではない気がします。
一方、得意の「和を乱さず」「みんな仲良く」「我慢して」「中学生・高校生らしく」「自力で頑張る」という姿勢は、気づけば集団や個人の潜在力を削り、自分も組織も窮地に追い込む場面が目立ってきました。いまの学校文化は「本来ラクに済ませられる作業を徹底的にラクに、手間のかかる難しいシゴトにこそ労力を」「自前にこだわらず、依存できる相手や道具にうまく頼ろう」といった「DX社会の常識」とも距離がありすぎます。
だからこそ、未来を決定づける「最強のゲーム・チェンジャー」である教育のトランスフォーメーション(生まれ変わり)に社会の総力を投下する必要があります 。教育投資には「懐妊」期間がありますから、子どもの教育に追加投資しても、効果が発現するのは10年から20年先です。
しかし、そこを甘く見て、目先の短期利益だけを追う国に未来はないはずです。
明治時代の学校教育は子どもたちを家事労働から剥がして学校に集め、村一番のインテリで師範学校卒の先生たちが、教科書と黒板とチョークと一斉講義という「当時最先端のメディア」を使って教えました。一方、 令和時代の先生たちは、GIGAスクール構想でデジタル学習環境という「新しいメディア」を手に入れました 。一律・一斉・大量生産型の詰め込み学習ではなく、自律的で個別最適な、探究的で学際的(STEAM)な学習を、デジタル技術を味方につけながら、学術支援・キャリア形成・メンタルケアの職能・専門性を持つ多様な「先生」たちがチームで運営する、新しい学校の姿を生み出せるはずです。
そのためには、いまの学校教育制度や教職員人件費や教科書等の予算の構造といった大前提も、大きく描き直していくことも不可欠でしょう。
本書ではまず、そんな未来に向けて私たちが学校や教育サービス業の皆さんと取り組んでいるチャレンジを下敷きに、問題提起をしていきたいと思います。