第9回 プリント、しようか?
「写真はプリントして楽しもう」。写真趣味をリードする業界で盛んに発信されるフレーズだ。カメラがデジタルになりプリントの需要が減少傾向にある中、プリントの価値はいっそう強調され、「プリントしてこその写真」とさえ聞くことも多い。
私も、写真はパソコンのモニターで閲覧するよりプリントで鑑賞したいと思う方だ。写真展で大小のプリントを紙の風合いとともに眼前に味わうのは楽しいものだし、一度に多数の写真を見る際は、できることなら卓上にずらりとプリントを並べたい。部屋には額装したプリントを飾っている。なぜかプリントは、視界にすっと溶け込んでいく感じがする。
しかし「プリントして『こその』写真」とまで言い切れるかというと、近ごろ疑問を感じている。
私の年下の友人に、日常の様々な記録をデータ化しクラウド管理している人がいる。彼女は「まだまだ使いこなせていない」と言うが、携帯電話は忘れても紙とペンだけは常に携行していないと落ち着かない私にとって、デジタルツールを駆使してスマートに振る舞う彼女のスタイルはちょっとした衝撃だった。
彼女を前に考えた。写真をプリントで見たいと感じるのは、もしかしたら「写真=プリント」という染み付いた感性によるものかもしれない。写真の歴史はプリントの歴史でもあったので、この感性はある世代までは多少でも持ち合わせているだろう。それが、下の世代になるほど身体感覚により近いところでモニター上の画像を鑑賞することができるようになり、プリントへのこだわりも薄らいでいるのではないだろうか。
そこで、「もっとプリントを見直そう」「プリントの良さを後世に伝えていこう」と働きかけることは大事である。だが、プリントに対する感覚の変化は、それに代わる新しい表現方法が生まれる萌芽だと積極的に捉えることもできないだろうか。
よく子どもたちを撮影していると、カメラがデジタルであれ銀塩であれ撮った写真を見せてほしいと皆が集まってくる。将来、新しい写真表現を創り出していくのはそんな彼、彼女らなのかもしれない。私は、ことさらにプリントの価値を強調するよりも、写真の未来を楽しみにしていたい。