1. 過去の超低金利の「その後」
日本の長期国債先物価格が史上最高値を更新している。財務大臣が「国家財政は破綻一歩手前の状況にある」と公言しているにもかかわらず、プロの投資家が先を争って国債を購入する姿は、第3者から見れば奇異に感じるに違いない。だが円債市場がバブル化していることは、当のマーケット参加者自身が誰よりも良くわかっていることである。彼らとて、景気が回復するまで続けるつもりだった「ババ抜き」ゲームが、いつまで経っても終わりにならないので、内心焦っているのである。ならば、自分だけゲームから降りて、勝ち逃げをしたら良いと思うのだが、誰もが納得するような大義名分がなければ、そうもいかないらしい。
とはいえ、日本の長期金利は90年10月をピークに、もう10年以上も下がり続けている。しかも、長期金利が2%を下回ったことは、過去400年間に2例しかない異常な出来事である。ならば、こうした超低金利局面の「その後」を振り返ってみれば、来るべき円債バブル崩壊のきっかけを考えるヒントとなるに違いない。
最初の事例は16世紀後半から17世紀初頭にかけてのイタリア・ジェノアでの出来事である。同地の銀行家に新大陸からの金銀が集積したことを背景に、1613~1621年の8年間にわたって金利は1%台前半に低下していた。それが翌1622年に4.25%まで一気に急騰した理由は、スペインの債務不履行によってジェノアの銀行が多大な損失を受けたためであった(図1)。
(筆者注:資料:A History of Interest rates:S.Homer、なお、ここでの金利は今日の概念では短期金利に分類される性格のものである。また偶然ではあるが、3月25日付の『日本経済新聞』「中外時報」にもジェノアの低金利とその後について書かれているので、併せてご参照されたい)。
次の事例は1931-1941年の米国である。図2はその間の米国長期金利の推移で、大恐慌による景気低迷を背景に1931年以降、10年にわたって低下した後、日本の真珠湾攻撃によって底打ち、上昇に転じた様子が見て取れる。
つまり過去の2大超低金利局面は、それぞれ「国際金融危機」と「戦争」によって終了したわけである。ならば今回の超低金利も、そのどちらかを契機に幕引きとなる可能性が高いのではないか。ここで詳しく知りたいことは前者の事例である。後者の戦争が原因で金利が上昇するのであれば、まだあきらめもつくが、国際金融危機ならば手だてを講ずる余地があるからだ。そこで次項では、国際金融危機が世界の金利に及ぼす影響を見るために、17世紀初頭よりもデータが豊富な1931年の国際金融危機=「金本位制停止」について振り返ってみよう。
2.金本位制停止前後の日本の金融状況
1930年代の米国金利は1929年の株価暴落以降、ずっと下がり続けていたわけではない。1931年9月の「金本位制停止」をきっかけに、短期間ではあるが世界中の金利が上昇し、これが1930年代のデフレを「大恐慌」にした元凶となっているのである(図3)。「金本位制停止」は米国だけではなく、昭和恐慌に喘いでいた日本経済を金利上昇という形で直撃しているが、この直前の状況は大不況下の超金融緩和に慣れきった現在の日本と相通ずるものがある。「金本位制停止」について述べる前に、次の引用文をご覧頂きたい。
<「金本位制停止」発生前>
「1931年に入り金融市場は不況のために未曾有の低金利時代を現出し、起債市場は活況を呈し、大蔵省証券・優良社債などは奪い合いの有様となった。(中略)こうした超金融緩慢下で下半期に入ると、内外銀行・信託・保険会社・証券業者から個人投資家にいたるまで、遊資処分のために外貨債の買入れに向い、ドル資金の需要が絶えなかった」(『昭和恐慌 ―日本ファシズム前夜―』130ページ:長 幸男著:岩波新書)
「わが金融は(昭和)5年10月後半頃から漸次引き緩み、越年後その情勢はいよいよ顕著となって、6年7月頃まで少なからぬ金融緩慢状態を現出した。(中略)物価賃金の著落と、財界の前途不安から長期投資は激減し、商取引は収縮して、資金の需要は著減し、加うるに、銀行の貸出警戒でいよいよ大銀行の手許資金はダブつくに至ったからである」(『大正昭和財界変動史』1070ページ: 高橋 亀吉著:東洋経済新報社)
<「金本位制停止」発生後>
「(昭和)6年9月英国の金本位制停止に直面するや、以上の如き変態的金融緩慢は、資本逃避の激成要因として強く作用した。そして(中略)10-11月の僅か3ヵ月間に約3億5500万円の巨額の正貨流出となって、反動的な金融大収縮を齎した。加うるに、政府は、金解禁堅持方針を堅持する建前上、この資本逃避を実力的に弾圧する非常金融緊縮政策を強行した。」(前出:『大正昭和財界変動史』1074ページ)
すなわち、現在と同様に昭和初期の不況下でも資金需要の低迷から内外債券への投資が激増していたのであるが、「金本位制停止」を境にポンド安円高、及び内外金利の上昇という具合に状況が一変し、銀行はポンド建て為替の差損発生、公社債、株価の暴落といった大打撃を被るはめになったのである(図4)。それでは、こうしたダメージを世界的規模でもたらした「金本位制停止」とは、一体どんな出来事であったのか。
3.意図せざる金利上昇と大恐慌
1931年5月、資産内容の悪化が噂されていたオーストリアのロスチャイルド系大手銀行が倒産し、同年7月には隣国ドイツにも金融危機が飛び火している。この両国には英国が多額の投資を行っていたが、このことに不安を感じたフランスや米国は外貨準備として英国に預託していたポンドを一斉に金に兌換し始め、英国が手持ちする金はほぼ底をつく事態となった。これに対して米国など主要国は英国に緊急融資を行ったものの焼け石に水で、その結果、31年9月に英国は金本位制の停止(金とポンドの兌換停止)を余儀なくされてしまう。金の裏付けを失った基軸通貨は、単なるペーパーマネーでしかない。このため英国は直ちに公定歩合を4.5%から6%に引き上げ、ポンド防衛に踏み切らざるを得なかった。この基軸通貨国の利上げはすぐさま全世界に波及し、短期間に米国は1.5%から3.5%へ、日本も5.11%から6.57%へと公定歩合を引き上げている(図3)。
つまり「金本位制停止」とは、国際的な資金の「取り付け」に起因したポンドの切り下げと金利の引き上げであった。そして基軸通貨の信用失墜によって、大不況下の最も金利を上げたくないときに世界中の金利が基軸国に伝播して「上昇してしまった」ことが、世界経済に危機をもたらす結果となったのである。
4.中南米の金融危機とドルの信認
ここで当時のオーストリア、ドイツを現在の中南米諸国、当時の英国を現在の米国に読み替えるとどうであろうか。70年前の出来事が「今そこにある危機」であることに気がつくはずだ。
米国経済のアキレス腱は中南米にある。大手米銀の相対株価が中南米の株価指数と連動していることはその証左である(図5)。それだけに最近の株価暴落の影響が中南米経済を直撃するようならば、経常赤字の埋め合わせを海外マネーに頼る米国自身に金融危機が跳ね返ってくることは必至である。具体的には、米国金利の上昇や株価の下落を通じてドルの動揺につながっていくわけで、これは1930年代の基軸通貨国、英国を危機に陥れた金の流出が、形を変えて再現することを意味する。
ということは、現在の米国も70年前の英国と同様に、ドル防衛のために金利を引き上げざるをえない状況に追い込まれることになるに違いない。そして、こうした基軸通貨国の金利上昇が世界的な金利上昇に直結することは今も昔も同じであり、日本の政策当局がいくら「金利を上げる状況にはない」とがんばったところで、70年前と同様に、基軸通貨国発の「意図せざる金利上昇」が伝播する事態は防ぎようがないのである。
本稿では、いつかはやってくる日本国債金利の反転要因について、一般的にイメージされている景気の好転ではなく、海外発の国際金融危機に焦点を当ててみた。この他にも、天候不順によって穀物価格が上昇する場合や、産油国の政変といった金利上昇要因が考えられるが、ここで強調したいことは、「デフレだから債券は買い」という思いこみに死角はないか、ということである。債券の満期が来る10年先のことは誰にもわからないとはいえ、現在のような低金利は過去400年間に2回しかない異常なことなのである。ちなみに、1941年11月に利回り1.85%で購入された米国債の10年後の満期時には、長期金利の水準は2.61%に上昇している。債券バブルが崩壊して後世に禍根を残すことがないように、70年前の先人達が残した教訓を今こそ振り返るべきではないだろうか。
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