兜町には「オイオイ、ちょっと待ってよ」と慌わてさせられることがちょくちょく起こる。即座には否定できないのだが、どこか腑に落ちず首を縦にふるのを躊躇させられることが、まことしやかに流布されて行くのである。例えば、3月以降の株価急落場面で出てきた「日本発世界同時株安」「日本発世界同時不況」の「日本発」という言われ方がそれだ。誰が何を根拠に言い始めたのか不確かなのだが、いまや既成事実として大手を振るって新聞の活字になり、ニュースキャスターが口にしている。ちょっと待ってほしいのである。
●本質は米国発のはず
どこが「日本発」なのであろうか―。確かに1997年から98年にかけての金融システム危機時には、「日本の問題」が世界恐慌を誘発しそうな実感はあった。しかしこと今回の株価急落は、市場関係者に限っては事実はまったく逆なのである。彼らは、毎日早朝に入ってくる前日の米国株の動向を確認してから立ち会いに向かう。前日の米国株が安ければ売りから入り、高ければ寄り付きは買いである。すべては「米国発」のはずなのだ。
しかも、日本市場の売買高シェアの4割を握っているのは外国人投資家である。実質的に外国人に主導され、いいように売り叩かれ下げさせられている現状を「日本発」とするのは、まさに踏んだり蹴ったりではないか。さらに日本の株安はいまに始まったことではない。もう12年も下げに下げ続けているのである。「日本発同時株安」が事実なら、世界はとっくに恐慌の真っ只中のはずである。
●濡れ手に粟の売り方が・・・
こうした事実に照らし合わせると「日本発世界同時株安」論には、どうも作為、策謀の臭いがにおってきてしまう。では誰がいったい何のためにとなる。想像力を逞しくすると、飛躍にすぎるかもしれないが、おぼろげな輪郭がみえてくる。売り方である。EB(他社株転換債)や株価指数連動債(リンク債)にからんで売り崩しを図り、濡れ手に粟を掴んだ売り方が、こうした諸悪露見の危機意識から市場の目をそらす挙にでた可能性は大いにあるのだ。
つまり、「日本発世界同時株安」論が、狙い通りに市場のコンセンサスとして成立すれば、非難は「死に体」だか「健康体」だか不明で、レームダック化した森首相一点に集中し、オトガメなしというシナリオであろう。森首相も、米国から景気対策、株価対策の注文を聞いただけでは、やがて野垂れ死にの運命となる。
世界同時株安など気にすることはないのである。あるのは目の前の日本株安だけである。禁じ手の株式買い上げ機構への損失補填だろうと、円安による不況の輸出だろうと景気対策と株価対策を策定し、やられたらやり返すなりふり構わぬ姿勢をアピールすることである。それさえできれば、陽春到来の期待は大となる。
[相馬 太郎]
※このコラムは随時掲載します。
2001/3/21
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