トピック

東陽町に豊かな森 竹中工務店が築55年の研究所を開放した狙い

東陽町ぐりんたす正面入り口

スーパーゼネコンの一社に数えられる竹中工務店は、1610年に創業したといわれており、その歴史は400年を超えています。創立は、神戸に進出した1899年で、その後、東京タワーや東京ドーム、あべのハルカス、シンガポール国立美術館など国内外で多くの有名建築物を手がけています。

同社の技術力の源泉になっているのが技術研究所です。その前身となる研究室が1953年に開設され、1969年には技術研究所(東京都江東区)が新築されました。その後、1993年に千葉ニュータウン(千葉県印西市)へ移転したことを機に、旧技術研究所は、「東陽町インテス」として竹中グループのオフィスに使用され、昨年「東陽町ぐりんたす(green+)」に生まれ変わりました。

東陽町ぐりんたすの広場やテラスは一般開放されて近隣住民や周辺のオフィスで働く人たちの憩いの場になっています。どうして、このようなオープンスペースをつくったのでしょうか? 竹中工務店東京本店設計部の花岡郁哉さんと開発事業本部の永谷司さんに話を聞きました。

東陽町ぐりんたすについて話し合う花岡さん(左)と永谷さん(右)

関係者しか入れない研究施設を地域のための施設に

――まず東陽町ぐりんたすが誕生するまでの経緯をお伺いしたいと思います。

永谷:東陽町ぐりんたすがあるのは、もともと弊社の技術研究所だった場所です。今から55年前の1969年に竣工しました。後に弊社の副社長となる横田武美が建物を設計しています。これからの時代の先端となる技術を研究していくことを目指した施設でした。

1993年に研究所は千葉県印西市の千葉ニュータウンへと移転します。その後、この建物(東陽町インテス)は竹中グループのオフィスとして利用されてきました。

そんな中で、建物が築50年を迎えるにあたり今後についても考えなければならなくなってきました。案としては、建物を建て替えるもしくは建物を既存活用するの大きく分けて2つです。

これまでは、同施設は竹中グループでしか使っていなかったので地域との関係性が希薄な状態でした。そのため、まずは地域住民の方々や近隣で働く人たちにこの場所のことを知ってもらうことが大切だと考えました。具体的には、建物を既存活用しながら様々な仕掛けをしていくことで地域との関係性を構築していき、次の段階で構築した関係性を活かし建て替え等を進めるといった段階的な開発をしていく方針を固めました。また、建築的価値がある建物を有効活用することにも意義があると考えました。

そういった考えから「Open Intes to Town(東陽町インテスをまちにひらく)」をコンセプトにして、東陽町に本店を構えるまちづくり総合エンジニアリング企業として、同施設を起点に地域との関係性を構築していくことで、東陽町エリアのさらなる魅力向上に寄与していくことを目指しました。

永谷 司さん

――これまで研究施設は関係者しか足を踏み入れない施設ですが、いきなり一般開放するのは大胆な決断だったと思います。どういった工夫をされたのでしょうか?

永谷:一般の方々が入りやすいように永代通り沿いにカフェを設置することと、豊かな緑を出来る限り保存することです。

地域住民の方々から意見を聞きますと、東陽町駅から徒歩2分程度の駅前なのにこれだけのボリュームある緑が残っていることに非常に価値を感じられているということが分かりました。研究所が建設された50年前は、これほどの緑はありませんでしたが、それから植樹をして現在の豊かな緑を形成しています。

特徴としては、武蔵野の雑木林を彷彿とさせるような、ケヤキとかイヌシデなどを中心に構成されています。その緑が、地域の方から愛されているわけですから、なるべく残したい・活かしたいという思いを開発コンセプトに込めて、設計部に依頼しました。

花岡 郁哉さん
永代通りを挟んだ歩道から眺めた東陽町ぐりんたす。木々に覆われているので、まさに森といった雰囲気

――どのような点を意識して東陽町ぐりんたすへと生まれ変わらせたのでしょうか?

花岡:敷地が東陽町駅の近く、永代通り沿いの交差点にありますので、ここでの雰囲気は街にとっても大切です。木立に包まれながら、それでも街の気配を感じられるような、ここにしかない空気感を生み出せたらいいのではないかと思いました。民間施設ではありますが、公園みたいに誰でも入れて、自由に時間を過ごせる。イベント時には雰囲気やリズムが変わる。そんなことを意識しました。

元が研究所だったので、敷地はフェンスや壁で囲われていました。敷地を地域への開放するため、これらを一部撤去し、交差点から森の中へ直接入れるようにしました。

東陽町ぐりんたすの北側に周辺住民などが自由に立ち入れる広場も整備された

シェアオフィスとして生まれ変わる本体の建物については、1階から2階へと連なる共用部を手前のカフェとの連続性を考慮したデザインとし、街角から森へ、そして建物のエントランスホール、さらに2階に上がって中庭に抜けていく動線に一体感を持たせることで建物内外を結びつけています。

東陽町ぐりんたすの森の中には、カフェが新たに設けられた
竹中工務店の旧技術研究所は、新たに会員制のシェアオフィスへと再整備された

この一連の流れを様々な課題をクリアしながら実現しています。長く使われてきた建物で多くみられるように、新築時から法規が変更になり、現行法規に適合していない部分もありました。

そのため、これまでの改修履歴と法規の変遷をすべて調査した上で、火災時の安全性が向上するような改修もしています。今回、改修した外構の特徴的な部分は交通結節点や歩行者ネットワークとつながる滞留空間です。もともと正面しか入り口はなかったのですが、交差点からも敷地に入れるようにしました。

この趣旨は、見るための緑から人が体験する緑にしようというものです。人が入れるように、森の中に新たに設けたデッキは、木の根っこを存続させるために前面道路よりも高いレベルにして、街と適度な距離感を生み出しました。これにより、森の中で安らぎながら街の賑わいも適度に感じられる空間にしています。

デッキは小さな面積でも広がりが感じられるデザインとしています。カフェを囲っている大きなガラス窓は天気のいい日には開けることができるようになっていて、店内が直接デッキと繋がります。デッキの平面的な形状は、敷地の東端にある駐車場との一体利用を想定して決めました。

イベント時にはカフェ・デッキ・駐車場を往来する人々で、敷地の間口いっぱいに空間が広がります。駐車場は台数を7割程度減らして、広場にしました。車止めは撤去しましたが白線はそのまま残しています。それによって、かつて駐車場だった場所を勝手に使っている感が出ていいかなと思ったんです。

芝生を植えて整えるよりは、駐車場のような場所にベンチやテーブルが置いてあるぐらいの雰囲気の方が気を使わずに自由に使ってもらえるかな、と。リノベーションですので、大きな手を加えない場所についても注意深く判断し、今回の計画の趣旨に合うようトーンを調整していきました。

永代通りから東陽町ぐりんたすを見ると多くの緑に囲まれている

永谷:まちにひらくというコンセプトでは、永代通り沿いの擁壁の一部を撤去してキッチンカーを置けるスペースを確保しています。平日のランチタイムに来てもらって、東陽町ぐりんたすで働いている人だけではなく周辺のオフィスで働く人、地域住民の方々にも利用できるようにしました。

2階のワークラウンジは会員制ですが、イベント開催時は前面のカフェ・デッキ・広場と1階エントランスロビーと同様に開放し、2階のホールもイベントで使用することもあります。

東陽町マルシェというイベントを年に2回、春と秋の土日に計4日間開催しています。キッチンカーが7〜8台出店し、あわせて子供向けのワークショップを開催するなどしていて、地域住民をはじめ多くの方々にお越しいただき、好評を得ています。子供向けのワークショップとしては、例えば、木工ワークショップや絵本ライブといったイベントをしています。

あとは地域本棚といって、1階エントランスロビーに設置した本棚に、地域の方々が本を持ち寄って好きな本と交換できるといった取り組みを行なっています。

このような取り組みを通じて、東陽町において地域との関係性をつくっていっています。

2023年秋に東陽町ぐりんたすで開催されたマルシェの様子(写真提供:竹中工務店)

木のぬくもりを活かしたカフェや開かれたガーデン広場

――話を伺っていると、大通りに面した位置のカフェがポイントのように感じます。

花岡:当初は、本体の建物内にカフェを設けたいというリクエストがありました。ところが必要な規模のカフェをつくろうとすると、建物の用途変更をしなければなりません。そうなると、この建物自体が成り立たなくなってしまいます。そのため、建物内にカフェを設けて営業ができません。

そこで諦めるのではなく、いったん立ち止まって敷地の履歴を調べてみたんです。そうすると、初期の頃には角地は弊社の敷地ではなくて民家が建っていたことがわかりました。法規を確認したら、民家の部分の敷地を切り離してカフェをオープンさせても問題がないことがわかったのです。

今回の規模であれば、この敷地で木造建築を建てることが可能だったので、カフェは木造を意識してつくりました。カフェは木造平屋の一部RC造で、おおよそ100m2程度という決して大きな建物ではありません。これは敷地内に植えられている木を守るためでもありますし、カフェを木造で建築するための大きさでもあるんです。

カフェと本館(東陽町ぐりんたす)との距離は、延焼線といって火事が発生したときにお互いに火が飛ばないようにという線があるのですが、それに互いの建物がかからないような距離を設定しています。こうした目には見えない部分で工夫をしていて、コンクリートの建物の近くに木造のカフェがあるという環境を作りました。

写真右手に見えるカフェは、木のぬくもりを活かした木造建築

カフェのデザインに関しては、山小屋的なものと現代建築的なものを融合させようと試みました。山小屋は、物を構築して建てるといった考え方で具象的です。一方、現代建築ではプレートが浮いているといった具合に抽象的な考え方から発想することがあります。

そういう対照的な考え方を同時に実現することで、いろいろな方が心地よく過ごせる空間を実現できればと思いました。先ほどの街角でありながら森を感じるという話にも繋がりますが、異なる考え方や事象をバラバラなまま集めるのではなく、丁寧に融合させることで多様性を受け入れながら全体としての雰囲気をつくり上げています。

――2024年4月には、敷地の裏手レインガーデンがオープンしています。

花岡:北側に新たに設置したガーデンは、もともと敷地の内側からアクセスする駐車場だった場所です。前面道路との境界にはコンクリートの塀が立っていて、出入りができない状態でした。この塀が前面道路に沿って連続していたため、閉鎖的な印象になっていたのです。

そこで北西の端にある塀を一部撤去して、地域に開かれたガーデン広場としました。水を一時的に貯留するレインガーデンとしての機能も兼ね備えていて、地域の方と一緒に植物を育てていけるコミュニティガーデンも設置しています。

広場には水盤が設置され、水を貯留する役割も併せ持つ

レインガーデンには空隙の多い砕石や人工軽量土壌などを使っています。その隙間に雨水を溜めて地下に時間をかけて浸透させます。そうすることで、下水道への雨水の流出を抑制して下水道への負担を軽減させるとともに水害の低減を図ろうとするものです。

レインガーデンの整備は災害対策にもなりますし、健全な水循環や生物多様性に貢献することにもつながります。大雨が降ったときは砂利の上に水盤ができるので、雨が上がった後の夕日や空が映り込み、その風景を楽しむことができます。

雨の強度に対する水の貯留能力については、コンピューターでシミュレーションして決めていますが、現地には、水量を測るセンサーもあって、データは都度Webでも確認できるようになっています。

イベントを通した地域との交流という点では、南側の永代通りに面したぐりんたす広場でマルシェやワークショップを開催でき、北側ではコミュニティガーデンを通した交流ができるようにして、幅広く地域との接点をつくっていけるようにしています。

築55年の建物を建て替えずに活用した理由

――この建物は築50年以上になります。いっそ全部を大きな建物に建て直して、その低層部を商業施設やコミュニティスペースにして、中層部をオフィスにして、高層部をホテルにして……といった感じにすることもできたと思うんです。なぜ、既存の建物を活かそうとしたのでしょうか?

永谷:既存活用することを選んだのは、これまで竹中グループ関係者しか入れなかった建物だったことが大きく関係しています。地域住民のみなさんからは、「この駅前にある建物はなんだ!?」と思われていました。建て替えるにしても、いきなり大きな建物をつくってしまうと地域との接点がつくれず、運用との乖離ができてしまうのではないかという懸念がありました。

くわえて、東陽町は街が変わるタイミングを迎えています。というのも、2030年代に地下鉄8号線(東京メトロ有楽町線)が延伸開業する予定です。地下鉄8号線は東陽町駅も通りますので、東陽町エリアも大きく変化していくだろうと予測しています。

それを考えた時、スクラップアンドビルドで新しい建物をつくるよりも、今のイメージを引き継ぎつつ、段階的に改修しながら育てていく方が変わりゆく東陽町エリアに適応した開発ができ、東陽町エリアの価値を高めていくことができるのではないかと考えたのです。

――東陽町ぐりんたすの緑化のコンセプトをお伺いしたいと思います。

花岡:豊かな既存の緑を活かしつつ、建物と自然の領域を、これまで以上に重ね合わせることで、緑が敷地いっぱいに広がっているような印象にできればと思いました。森の中から将来的に成長することが難しそうな小さな木を選び、建物近くのアスファルトの舗装を一部撤去して移植したりしています。

敷地内の木は、今後も自然に伸ばしていこうという方針になりました。毎年、剪定していましたが、今は剪定をせずに緑を自生させている状態です。これから10年ぐらい経過すると、自然に近い状態になると思います。

東陽町ぐりんたすの2階テラスから中庭を眺めた風景。高木がたくさん残されている

――単に森をつくったというのではなく、細部にまでこだわっているんですね。

花岡:そうですね。建物と自然を重ね合わせるデザインは、建物の外側だけではなく、内側にも展開しています。カフェの店内に設置したプランターは、実際に建物の下の地面の土と繋がっていて、空調も土の中で冷やした空気を店内に送ることが可能です。

床のタイルには植物のパターンが施されたものがありますが、これは既存の樹木の枝葉を早朝に切り取って、そのまま新幹線に乗ってタイル工場に持ち込み、埋め込んで焼いてもらって転写しています。

建物の周りの自然が豊かだと、虫も生息することになりますが、カフェでコーヒーを飲んでくつろいでいるときに虫が飛んでくるのは避けたいので網戸を設置しました。季節によって開け閉めが可能です。網戸については、テキスタイルデザイナーの安東陽子さんにお願いして、植物のパターンをイメージした特注品としました。

森に面した長手の開口部の網戸は透明感のあるパターンとし、トイレの前はやや濃いパターンとするなど、場所によって濃淡を変化させることで内外の視認性を調整しています。

カフェのペンダントライトや、テラスに設置したロングベンチは、既存の樹木を再利用して作りました。北端のガーデン広場では、土木で使用することが多い、リサイクル可能なコンクリートの既製品を使って花壇を製作したり、撤去したコンクリートの壁を砕いてレインガーデンの砕石に活用するなど、リサイクルも意識しています。

そのほかにも飛んでくる鳥についても考えました。南側のテラスやカフェ、ぐりんたす広場のあたりの高木には、たくさんの種類の鳥が飛来します。新たに設けた北側のガーデン広場ではどういう木を植えたらどういう鳥がきやすいかを技術研究所と一緒に検討した上で、樹種を選定しました。

こうした工夫を積み重ねながら、まちと人と自然が繋がる環境の創出に務めました。

――最近、商業施設でも緑化に取り組む傾向が鮮明になっていますが、それらの大半は芝生広場で、高木のある施設は珍しいです。高木はメンテナンスが面倒なので回避される傾向が強いのですが、ぐりんたすは芝生広場ではなく高木を多くしています。

永谷:東陽町ぐりんたすに関しては、運営事業者のグッドルームから「自分たちが運営・管理するので、なるべく木の剪定をしないで欲しい」という要望をいただきました。こうした意見もあり、強い剪定をしないで必要最低限の剪定にとどめています。

その分、掃除の手間などが掛かることがありますが、この樹形や緑量がカフェやオフィスも含めた価値につながっていると考えています。

――江東区は、古い建物をどんどん壊して新しくタワマンが建っています。特に豊洲周辺はタワマンの街としても有名になりました。同じ江東区でも、東陽町ぐりんたすは既存の建物を活用して緑を増やすという取り組みです。

永谷:これは個人的な意見もありますが、ここにマンションだけを建てても面白いと感じませんよね? まちづくりの視点から東陽町を考えると、ここに何が必要なのか? を、まちと対話しながらしっかりと考えてつくっていこうと思ったのが段階開発の着想でもあります。

花岡:街の価値は建物だけじゃないですよね。事業収支の考え方も含めて、豊かな場ができることで地域全体の価値が上がる。最後は、そこに返ってきます。もう少し広域的な視点があったときに、東陽町ぐりんたすをつくったことで資産価値が上がるということが理想じゃないかなと思います。そういう長期的な視点での価値を、デザイン的にも生み出すことができたとしたら嬉しいですね。

永谷 司(ながたに つとむ)

株式会社竹中工務店 開発事業本部 不動産開発部 専任課長。 これまで、住宅・物流施設・オフィスの開発を担当。 担当プロジェクトとして、代々木参宮橋テラス、仙台扇町ロジスティクスセンター、東陽町ぐりんたすなど

花岡 郁哉(はなおか いくや)

竹中工務店東京本店設計部副部長。これまでに住宅・ホテル・オフィス・店舗・学校等の設計を担当。代表的な作品に(デザイン監修)、リバー本社、池袋第一生命ビルディング、Miu Miu Aoyama(実施設計)、ユニクロ TOKYO(実施設計)、ハナマルキ味噌づくり体験館など。日本建築学会作品選集新人賞、東京建築賞最優秀賞、日本建築士会連合会作品展優秀賞、日本建築家協会環境建築賞最優秀賞、グッドデザイン賞などを受賞

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。