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京葉線ダイヤ改正で“便利”に 幕張豊砂や越中島など各駅停車駅を巡る
2024年4月26日 10:00
昨年12月、JR東日本千葉支社が2024年3月に実施する京葉線ダイヤ改正を発表。同ダイヤ改正では通勤快速を廃止し、快速もデータイムのみの運行にするとの予定を示しました。突然のダイヤ改正は、千葉県や千葉市といった自治体の反発を招きます。
そうした反響を受け、JR東日本千葉支社は予定されていたダイヤ改正を見直し、朝の時間帯に快速列車2本を復活させています。
朝夕の京葉線は、ほぼ各駅停車になったわけですが、これまでに各駅停車“のみ”が停車していたのは7駅です。全7駅で乗降して、現在の駅前がどうなっているのかを実際に目で確かめるとともに今後に発展する可能性を探ってきました。
京葉線の通勤快速廃止に反発の意見
'23年12月に、JR東日本千葉支社は'24年3月のダイヤ改正で、京葉線の通勤快速を廃止すると表明しました。あわせて快速列車もデータイムのみの運行としています。
京葉線のダイヤ改正は大きな反響を呼び、テレビ・新聞・ネットニュースなどでも大きく扱われました。ダイヤ改正の発表を受け、不便を被ることになる千葉県や千葉市などの自治体がJR東日本千葉支社にダイヤ改正を撤回するように要望。JR東日本千葉支社は反発を受けて、朝の時間帯に2本の快速を復活させています。
いったん発表したダイヤを見直すことは異例です。それほど、京葉線のダイヤ改正には反発が大きかったのです。
JR東日本千葉支社 2024年3月ダイヤ改正内容の一部変更について
京葉線は東京駅と千葉県千葉市の蘇我駅を結ぶ路線です。それらに加え西船橋駅-南船橋駅間と市川塩浜駅-西船橋駅の支線もありますが、通勤快速・快速が走っていたのは東京駅-蘇我駅間です。
東京駅-蘇我駅間には全18駅があり、そのうち通勤快速・快速が停車しなかったのは7駅あります。JR東日本千葉支社は京葉線のダイヤ改正を実施した狙いを「通勤快速の利用者を平準化させること」「各駅停車の運転本数を増やすことで、快速が停車しない駅の利便性を高めること」「通勤快速や朝夕の快速がなくなることで通過待ちがなくなり、各駅停車の所要時間が短縮できること」の3点を挙げていました。
JR東日本千葉支社の説明を信じれば、ダイヤ改正によってこれら7駅の発着本数が増えるので、自然と7駅の利便性は向上することになります。
ダイヤ改正から1カ月という短い歳月では、駅前などが大きく変化することは考えづらいのですが、実際に7駅を下車することで新たな発見があるかもしれません。そこで、ダイヤ改正から約1カ月後に各駅停車のみだった全7駅(越中島駅・潮見駅・葛西臨海公園駅・市川塩浜駅・二俣新町駅・新習志野駅・幕張豊砂駅)を訪ねてみることにしました。
東京駅から2駅ながら自然豊かで静かな越中島駅
朝8時台に東京駅を出発する京葉線の電車に乗り込みます。蘇我駅方面から走ってきた電車は、東京駅で全乗客が下車します。東京駅の京葉線ホームは地下の深いところにあるため、山手線や中央線へと乗り換えるには延々と駅構内を歩かなければなりません。
山手線や中央線、東海道本線・上野東京ラインなどの各線から京葉線への乗り換えは5分から10分程度の所要時間が必要です。
京葉線のホームで出発を待つ電車に乗り込み、最初の目的地である越中島駅へと向かいます。越中島駅は江東区にあり、一時期は東京23区内に所在するJR駅で乗車人員がもっとも少ない駅でもありました。東京駅から2つしか離れていない利便性のいい駅なのに、乗降客数が少ない理由は駅周辺が工場地帯だったからです。
地下に設置された駅から地上へと出てくると、東京駅の喧騒とは打って変わった自然豊かで静かな環境を実感できます。越中島駅の目の前には、2003年に東京商船大学と東京水産大学が合併して誕生した東京海洋大学の越中島キャンパスがあります。
越中島キャンパス内には、明治期に灯台巡視船として建造された明治丸や東京商船大学旧天体観測所(第一観測台)が保存されています。明治丸は1978年に船としては初となる重要文化財に、第一観測台は登録有形文化財にそれぞれ指定されています。
これらは構内から見学することも可能ですが、キャンパスに隣接している歩道や晴海運河のデッキからも見ることができます。
筆者が歩道からこれら文化財の写真を撮っていると、外国人観光客と思しき家族連れが足を止めて明治丸をスマホで撮っていきました。観光客にも、雄大な明治丸の魅力が伝わっているようです。
晴海運河には船着場が整備されており、昨年開始された東京都が推奨する船通勤の定期船が目の前を通ります。定期船は豊洲-日本橋を結んでおり、越中島から乗船・下船はできません。試行段階の船通勤は、まだ定着・普及しているとは言い難い状況です。それでも湾岸エリアにタワーマンション(タワマン)が増えているので、今後は利用者の増加が見込まれています。
越中島駅の利用者が少なかった理由は、先述したように以前は工場街だったからです。そうした面影は残っていますが、近年は都心に近くて地価が安いという要因からデベロッパーから熱い注目を浴びています。そして、少しずつタワマンが増えています。
そうしたタワマン住民は越中島駅から東京駅方面に通勤する人たちもいますが、越中島駅から徒歩10分の距離にある門前仲町駅を利用する人も少なくありません。門前仲町は東京メトロ東西線と都営地下鉄大江戸線の2路線が交わるので、渋谷・新宿・池袋といった東京の西側へと通勤する人にとっても使い勝手がいい駅です。
そうした諸事情を考慮すると、乗車人員だけで越中島という街のにぎわいを推し量ることは不適切かもしれません。
湾岸エリアで増えているタワマンは、晴海運河のデッキからも見ることができます。晴海運河を渡った向こう側は中央区になります。視線を中央区側へと向けると、月島や晴海フラッグ、その隣に位置する豊洲といったタワマン建設が著しいエリアを遠望できます。
タワマンが林立する光景は壮大で、どことなく未来都市の雰囲気を放っています。タワマンの建設計画は今後も続くようで、数年後にタワマンはもっと目立つ存在になっているでしょう。その一方で、空を狭く感じるようになり、緑豊かで静かな越中島の良好な住環境も消失してしまう可能性も否定できません。
工場街だった潮見駅に現在は観光客の姿も
発展が著しい越中島駅を後にして、次に向かうのは潮見駅です。京葉線は東京駅から越中島駅までは地下線を走ってきましたが、潮見駅の手前から地上へと姿を現し、そのまま高架線を走ります。
京葉線は全線で東京湾を沿うように走っているため、海から吹き付ける強風の影響で運休になることも珍しくありませんせんでした。最近は壁やフェンスが整備され、防音性を高めるとともに強風対策も講じられて強風で運休することは少なくなっているようです。
地下線を走っている区間は車窓を眺められませんので、海沿いを走っていることを実感できません。しかし、ここから地上線・高架線の区間に入るので、窓の外に目を向ければ海沿いであることを実感できます。
潮見駅は越中島駅と同じく江東区に所在していますが、数年前までは駅周辺に工場がいくつかあるだけで、居住者以外の利用はほとんど見られない駅でした。潮見駅前に広がる土地は、かつて8号埋立地と呼ばれて土地が造成されたばかりの頃は廃品回収業者が集まっていました。
そうした関係もあり、歳月とともに潮見は印刷の街へと転換していきます。1981年には印刷事業者8社が共同して東京プリンティングシティを設立。少しずつ街の骨格を形成していきました。
約半世紀にわたり工場街だった潮見ですが、この数年間で駅の様子はガラリと変わっています。まず、目立つのが大きな荷物を抱えた来街者と外国人観光客です。
京葉線の沿線には西から葛西臨海公園、東京ディズニーリゾート、幕張メッセやマリンスタジアム、ハーバーシティ蘇我やフクダ電子アリーナといった大規模集客施設・レジャースポットが多く点在しています。そうした大規模集客施設・レジャースポットは遠方からも多くの人を呼び寄せる力があるので、以前から京葉線の沿線にはリゾートホテル・シティホテル・ビジネスホテルといった宿泊施設の需要がありました。
こうした需要を受け、駅北側にはホテルが続々と開業。越中島駅の周辺にタワマン開発の波が押し寄せたのに対して、潮見駅は京葉線を訪れる観光客・来街者を受け入れる街へと発展を遂げているのです。
しかし、近年は都心部の不動産価格が高騰した影響で、割安な地価の潮見駅周辺にもタワマンが少しずつ建ち始めています。
ちなみに、「タワマン」には法的な定義はありません。一般的にタワマンと呼ばれるマンションは、超高層に分類される60m以上の高さがあるマンションを指すようです。60mは20階建てに相当する高さのため、20階建て以上のマンションがタワマンと解釈されています。高さ60mに満たないマンションは高層マンション・大規模マンションとして扱われることが多いのですが、不動産情報サイトやデベロッパーによっては13階建てぐらいのマンションでもタワマンと形容して売り出すケースがあります。
潮見駅の周辺にも、20階建てを超えるタワマンは少しずつ建ち始めています。13階前後の高層マンション・大規模マンションも含めるとかなりの数になり、その居住者と周辺の宿泊施設を利用する観光客・来街者が潮見駅の乗車人員を押し上げています。
潮見駅で、もうひとつ見ておきたいのが「水素情報館 東京スイソミル」です。2014年に東京都知事に就任した舛添要一氏は、水素社会を推進する目標を掲げました。その啓発・広報事業として2016年に開館したのが同館です。皮肉なことに、舛添要一氏は同館のオープンを見ることなく都知事を辞任しています。
水素社会と言われても実生活で意識することは少ないのですが、クリーンエネルギーとして注目される水素は鉄道とも密接な関係にあります。JR東日本は水素電車の開発に取り組み、2030年度に実用化するとの目標を掲げているからです。あと10年も経たないうちに、京葉線にも水素電車が走り始めるかもしれません。
実際、京葉線の壁やフェンスには風力発電用の風車、駅には太陽光発電用のパネルなどが設置され、積極的に再生可能エネルギーの導入に取り組んでいることを実感できます。
葛西臨海公園には「葛西海浜公園」もある
潮見駅の次に停車するのは、東京都江戸川区に所在する葛西臨海公園駅です。葛西臨海公園駅は、駅名通りに駅を出ると目の前から「都立葛西臨海公園」が広がっています。同園は1970年代から深刻化していた東京湾の水質汚染によって引き起こされる環境破壊から生物・植物を守るために計画された公園です。
葛西臨海公園は都立ですが、公園の海寄りにある砂浜・渚は「葛西海浜公園」という区立公園です。地続きで、特に都立と区立がゾーン分けされているわけではないので、来園者が気に留めることはありません。また、違う公園でも使い勝手が変わるわけではありません。
ただ、葛西海浜公園が誕生した経緯は葛西臨海公園とは少し異なります。高度経済成長期に浸水被害を防ぐために防潮堤が建設され、その建設残土や地下水の汲み上げによる地盤沈下といった環境悪化に起因しています。
葛西海浜公園は1989年にオープン。砂浜の清掃作業や水質改善の取り組みにより、少しずつ葛西沖の環境は向上。2015年には、江戸川区や江東区、地元のNPO団体などの協力によって、葛西海浜公園の砂浜で遊泳できるようになりました。これら遊泳の許可が降りたことで、「東京23区内に海水浴場が復活!?」といった報道も見られましたが、正確には葛西海浜公園の砂浜は海水浴場ではなく、イベント的に遊泳が許可された取り組みに過ぎません。
しかし、葛西海浜公園の取り組みは、お台場などで水質改善に取り組む関係者たちを刺激します。その後、お台場でも水質改善が進んだことから遊泳が解禁され、2020東京五輪でもお台場でトライアスロンのスイム競技が実施されるまでになりました。
葛西や台場、つまり東京湾の水質改善はまだ緒に就いたばかりです。そのため、これからも水質改善の取り組みは続きますが、葛西海浜公園で始まった水質改善の取り組みが東京五輪に関連していたことを踏まえると、葛西臨海公園の果たした役割は決して無視できません。
市川塩浜・二俣新町は工場街・倉庫街
京葉線は葛西臨海公園駅を出ると、旧江戸川を渡って千葉県へと入ります。舞浜駅・新浦安駅は快速の停車駅ですので今回はパスして、市川塩浜駅で下車します。市川塩浜駅のホームからは駅周辺に工場や倉庫がたくさん建っている様子が窺えますが、駅に隣接してビジネスホテルもあります。
同駅で下車した人たちの多くは近隣の工場・倉庫で働いているようで、北口に整備された小さなロータリーで待機していた企業の送迎専用バスに乗り込んでいきました。
企業の送迎バスが発車すると、閑散とした駅前は工場・倉庫からの操業音、駅北側を東西に走る東京湾岸道路と首都高湾岸線を行き交う自動車の走行音が響き渡ります。
東京湾岸道路と首都高湾岸線の北には、東京湾の生態系を保護するために市川野鳥の楽園が整備されて一般公開もされています。しかし、平常時に立ち入ることはできません。その北隣には宮内庁新浜鴨場もありますが、こちらも当然ながら立ち入ることはできません。
市川塩浜駅の周辺は豊かな自然環境になっていますが、ふらっと立ち寄ってもそれを実感できません。歳月の経過を待つことで緑がさらに増え、野鳥も多く飛来するようになれば、また新しい光景が広がるのかもしれません。
次の二俣新町駅は、さらに工場街・倉庫街の趣が強くなります。駅前に小さなロータリーはありますが、市川塩浜駅よりも人通りは少なく、来街者がふらっと訪れるようなことはなさそうです。
駅前は東京湾岸道路と首都高湾岸線から続く東関東自動車道が東西に走り、その光景は市川塩浜駅と同じです。ただ、二俣新町駅では大型トラックやトレーラーが目立っているような印象を抱きました。
駅前を少し散策していたら、頭上から轟音が聞こえてきました。視線を上に向けると、貨物列車が京葉線の支線を走り抜けていきました。その後も数分おきに貨物列車が走ってきました。京葉線は京葉臨海工業地帯の工場に物資を輸送するための貨物線として整備された歴史があります。そのため、現在でも貨物列車が頻繁に走っています。
工業地帯として発展した京葉線の沿線は時代とともにレジャースポットが増え、タワマンも目立ってきましたが、市川塩浜駅と二俣新町駅の2駅は開業時の京葉線をそのまま残した雰囲気です。
発展著しい新習志野・新施設開業の幕張豊砂
次に下車する新習志野駅は、習志野市に立地しています。千葉県・千葉市が整備を推進する幕張新都心には含まれていませんが、街の発展は明らかに幕張新都心の影響を受けています。
駅北側にある秋津総合運動公園は、広大な公園として近隣住民に親しまれてきました。そうした北側の光景は保たれていますが、南側は郊外型の大型商業施設が並び、数年前の新習志野駅と見違えています。
大型商業施設が並んでいる一画からさらに南へと歩いていくと、千葉工業大学の新習志野キャンパスが見えてきます。千葉工業大学の学生利用があるため、朝夕の新習志野駅は学生が目立ちます。ただ、駅周辺は学生街といった雰囲気はありません。駅前に整備されている店の多くは郊外に見られる全国チェーン店が占めて家族連れでにぎわっています。
発展が著しい新習志野の隣駅が、2023年に新しく誕生した幕張豊砂駅です。筆者は幕張豊砂駅が開業してから約半年が経過した11月に同駅を訪れています。同駅を訪れた目的は、単に新駅周辺がどのように整備されたのかを自分の目で確かめたかったからです。
駅および駅周辺の様子を見て回った当時、駅前の商業施設「イオンモール」はにぎわっていましたが、一部の区画が工事中でした。駅および駅前広場は未完成だったので、この駅前広場が完成する頃に再訪して街がどのように発展していくのかを見極めたいと考えていました。
このほど全7駅下車のチャレンジで、再び幕張豊砂駅に降り立ちました。改めて再訪すると工事の仮囲いは取り払われ、「うみかぜ広場」として整備が完了していました。京葉線の電車を模した店舗と芝生広場が新たにお目見えし、バーベキューなどが楽しめるようになっています。
今回は平日の昼間に訪問したこともあり、バーベキューを楽しんでいる人を見かけることはありませんでした。しかし、周辺にはショッピングモールがありますので、これから需要が増えていくかもしれません。
同駅はJR東日本・千葉県・千葉市・イオンモールが開業資金を出し合って開設されました。駅前には複数のモールで構成される巨大な「イオンモール幕張新都心」が立地しています。その1つ「グランドモール」の南側には千葉市豊砂公園があり、同公園もイオンモールが管理業務を受託しています。
同駅の南側はイオンの施設群が広がって多くの人の利用が見込めますが、北側はJR東日本京葉車両センターが広がっています。車両センターに用事があるのは関係者ぐらいで、一般的に来街者が足を運ぶことはないでしょう。
そうした立地的な観点から、駅舎は線路の南側にしかなく、駅の南側と北側を結ぶ動線はありません。駅を出てから北側へとアクセスするには、かなりの迂回を強いられます。そのため、同駅開業と同時に跨線橋を整備して南北の地域をつなぐ計画もありました。同計画は、いまだ実現に至っていません。跨線橋の整備費用と需要とをシミュレーションしてから整備計画が策定されるとは思いますが、まだまだ時間がかかりそうな気配です。
それまで各駅停車のみの発着だった全7駅を駆け足ながら訪ねてみました。今回のダイヤ改正で京葉線は各駅停車が中心のダイヤに切り替わりました。つまり、今後はこれら7駅に開発リソースが注ぎ込まれます。これまで全7駅の開発・発展は比較的に緩やかでしたが、今後はスピードアップすることが見込まれています。