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両親W介護体験記(1) 頼みの父が入院

薬を1回に10種類ほど飲んでいる母。用意しないと飲み忘れるので管理が必要

今回、自身の介護の体験記を記事化したのは、W介護の一例を出すことで、現在、または今後、介護に携わる家族の方が迷った時のヒントになればと思ったからです。特殊な一例かもしれませんが、私自身もわからないことが多かったので、少しでも誰かのお役に立てればうれしく思います。

母は10年ほど前に軽いアルツハイマーと診断

現在は母・父の「W介護」生活が始まり、約半年が経ちました。同世代の仲間と集まれば親の介護の話も増えてくる年齢で、私も例に漏れず介護生活に突入したわけです。

最初に発病したのは母でして、今から10年ほど前、70歳くらいの時に軽いアルツハイマーと診断され、介護認定を受けたところ「要介護1」と認定されました。その前から高血糖だったので、もしかしたらその影響もあるのかもしれません。当時の母は、私から見ると「重度な物忘れ」という方がしっくりくる感じでした。働き者で運動も定期的にしていた母だったので、当時はとてもショックだったんですよね。

それでも当初は夕飯の支度もできましたし(簡単なものですが)、両親だけで日常生活はそれなりに送れていたんです。でも、本当に少しずつですが物忘れは進行して、今は寸前のことも忘れてしまいます。例えば「食器洗いを手伝って」とお願いしてキッチンに呼んでも冷蔵庫を開けたり、やかんで湯を沸かし始めたり。何をしにキッチンに来たのか一瞬で忘れてしまいます。食後に食事の準備を始めることもしばしば。新しいことはあまり覚えられないので、今使える家電はなるべく変えないようにしています。

ちょっとおバカになりつつある炊飯器。母が使える数少ない家電なので買い替えずにいる。電動歯ブラシは最近購入したが、母が使いこなせた貴重な家電

なるべく物忘れが進行しないように、いつもと違う人に会う、体を動かす、といったちょっとした刺激を生活に入れ込むため、要介護認定を受けてからは週に2回デイサービスに通ってもらっています。物忘れがひどくなってからは、母の薬の管理やコンロの消し忘れなど、火の確認は父親の役目になっていました。

1人暮らしをしていた私も、実家から10分ほどの近所に引越して何かあったらすぐに駆けつけられるようにし、週に2回は買い物や洗濯などの家事をこなすために実家を訪れ、通院のサポートなどもしていました。ただ、うちの母は元々穏やかな性格ということもあり、情緒の不安定さや夜の徘徊など、こっちが精神的に参ってしまうような症状はないので助かっています。

そんな感じで何となく安定した生活を送っていたのですが、とうとう頼みの父に異変が起きます。

父の様子がおかしくなり、すぐに救急搬送されました

早朝6時半、実家の裏に住んでいる叔母から着信。出てみると電話口には父が。ちょっとワケのわかんないことを言っているので、とりあえず実家へ向かうことに。「自分の携帯電話が使えないから叔母さんの電話を借りた。自分の携帯電話は壊れているみたい」と、ケータイと間違えてテレビのリモコンをいじる父。

実は前日も同じような電話が早朝にあったんです。しかもその日は足のむくみがひどく、顔までむくみ始めていました。様子もちょっとおかしいようなので病院に連れていくべきだったんですが、その日私は著名人のインタビューの仕事が入っていてスケジュールが動かせず、兄も地方出張で東京にいなかったので、親戚のみなさんの手を借りて近所にあるかかりつけの病院に連れて行ってもらいました。

するとすぐに救急車でその病院の系列病院である急性期病院に搬送。病名は簡単に言うと「心不全」で、すぐに集中治療室で処置が行なわれ、そのままに入院することに。仕事が終わった私はその足で母をデイサービスからピックアップし、父の着替えやおくすり手帳など必要なものを持って病院へ向かいました。到着するとすぐに担当医から病状の説明があり、入院に必要な複数の書類にサイン。中にはすごいシビアな書類もあるんですよね。万が一の時は延命処置するか、自然に任せるか、とか、暴れたら拘束していいか、みたいな。

病院で記入した「Resuscitation/DNAR指示書」。蘇生(Resuscitation)を行なうか、行なわないかの意思を本人や家族が病院側に伝える書類
身体抑制(拘束)についての説明が書かれた同意書。適正な治療を行なうために身体を抑制する場合があるので理解の上、同意する書類

この時ばかりは、「蘇生について父の意向を聞いておけばよかったな~」と思いましたね。正直、ある程度の歳になればいつ何があるかわからないので、事前に本人に延命措置はしたほうがいいのか、確認しておくことをおすすめします。

集中治療室から一般病棟へ。時はコロナ禍

なんとか一命はとりとめたものの、年齢は85歳。体はいろいろなところにガタがきているし、心臓の機能が落ちれば、他の臓器が連鎖的に悪くなって然り。私も兄も、「もう今までのような生活には戻れないだろう」と覚悟しておりました。

入院から4日もすると集中治療室から出て一般病棟へ。といってもまだ何があるかわからないため、ナースステーションのすぐ隣にある特別室的なところに入ることになりました。時はコロナ禍ですから、面会は人数も時間も場所も制限付き。話をするのは談話室のみで、父は看護師に連れられて車いすで移動していました。

はじめは多少会話も成り立っていましたが、時が経つにつれて意思の疎通が難しくなり、面会してもうつらうつらしていることが多くなっていきます。父は入院当初から「せん妄」という症状が出ていたようでして、この時も意識障害があったんじゃないかと。

ちなみに「せん妄」というのは超簡単に言うと意識障害のことで、「入院中の高齢者によくみられる症状」と病院から説明がありました。父はとくに夜になるとその症状が現れていたそうで、暴れて点滴の管を抜いてしまうこともあったとか。「だから拘束してもいいかどうか、書類を書かされたのか」と妙に納得してしまいました。

うちの父の場合は、活動力が低下してぼんやりすることが多くなったり、夜には興奮状態になったりという感じだったようです。そんな状態が続いていたので、兄とも「うちに帰ってこれるのか?」「帰ってきても世話できるのか?」という話をするようになっていきました。

介護が必要な状態のため、要介護申請をすることに

通常、急性期病院は救急患者を受け入れる役目があるため入院期間は2週間ほどとされているようですが、父の場合は、心機能以外の臓器にも影響が出ていて症状が安定せず、それぞれの原因究明に時間がかかったため1カ月ほど入院していました。ある程度の「答え」が出ると、「急性期」ではなくなるため退院を告げられます。

そうそう、ここで少し要介護認定についての話もしておきますね。申請の流れは各自治体のホームページに詳しく載っていますし、パンフレットもあると思いますので詳細は省きますが、簡単に言うと専門の認定員が調査に来て本人の状態を確認し、要介護度がいくつになったか結果が届く、という感じです。

自治体が出している介護についてのパンフレットにも要介護認定の手順が掲載されている

うちの場合は病院から「そろそろ申請した方がいい」と言われて申請を行ない、入院中に認定調査が行なわれました。調査の結果、必要な介護の度合いによって「要介護1〜5」「要支援1〜2」のいずれかに指定され、その度合いによって受けられる介護サービスが違ってくるわけです。

しかし調査してから結果が出るまで、約1カ月もかかったんですよ。ですから、要介護度がわからないまま病院を出なければならなかったんです。

本人と担当医も立ち会い、今後について話し合う

そんな状態でも急性期病院ですから「早く出ていってオーラ」がプンプンです。でも冷たいだけではなく、「今後どうするか」の相談に乗ってくれたり、転院先の病院を紹介してくれたりする専門の方が病院にはいらっしゃいます。だから退院に向けて、担当医と転院担当者、父と兄と私で今後に向けての話し合いの場も設けられました。

本人はボーッとしながらも「早く家に帰りたい」と意思を伝え(そりゃそうだよね)、担当医も「○○さんの場合は家に帰れば食欲も戻って体力回復が早いと思う」とおっしゃる。でも私も兄も現状の父を受け入れる準備が物理的にも精神的にもできていない。しかも母のこともある。はてさて、どうしたものか……。

中野悦子