文具知新
コクヨ「本に寄り添う文鎮」はどうやって生まれたのか
2024年7月2日 08:20
左右のふくらみが開いた本に絶妙にフィット
文鎮といえば、子供のころ書道の時間で使っていたような、まっすぐな棒状のものを思い浮かべる方が多いかと思います。まっすぐな文鎮は、半紙などの平らなものをおさえるのには良いのですが、本を開いたままの状態でおさえておくのには向きません。ページが閉じようとする力に耐えられず、ズレたり落ちたりしてしまうのです。
本に寄り添う文鎮は、まるで開いた本のページを横から見たかのような、左右に広がるふくらみのある形状が特徴です。真ん中の尖った部分をページの合わせ目に乗せれば、絶妙なカーブが本の曲面に見事にフィットし、開いたままの状態をキープできる、という仕掛けです。
参考書などを開いた状態で横に置きながら勉強をする学生はもちろん、資料を見ながら仕事をする社会人や、レシピ本を見ながら料理をする人などにも便利です。
今年の5月に発表されたGetNavi(ワン・パブリッシング)主催の「文房具総選挙2024」では総合3位に入賞するなど、多くのメディアでも注目を集めており、文具好きであればモノ自体はすでにご存知、という方も多いのではないでしょうか。
一般発売の前に行なわれていたテスト販売
しかしこの商品、発売までにはちょっとした紆余曲折があった、ということは意外と知られていないかもしれません。実はこれ、2022年6月に一度「テスト販売」という形で数量限定で発売された後、2024年の初頭に約1年半の時を経て正式に通常商品として改めて発売された、という経緯があるのです。
テスト販売の時点で、すでに文房具マニアを中心にかなり話題を集め、再販を望む声にも大きなものがあったと記憶しています。にも関わらず、なぜ正式発売までこれほど時間がかかったのでしょうか? そこで、コクヨの企画開発担当者にその辺りの経緯を伺ってみたところ、出てきたのはメーカーとして「商品を作る」ことの苦労がとても良く分かるお話でした。今回は、その知られざるドラマに注目してみたいと思います。
地道な試行錯誤から生まれたカタチ
と、その前に、せっかくですので本に寄り添う文鎮の特徴的なデザインがどのように生まれたのかについてもお話を聞いてみました。
もともとこの商品は、「中高生の声を聞いて勉強に役立つツールを作る」というプロジェクトが発端になっています。日々、勉強に勤しむ学生たちの声を聞く中で、教科書や参考書、問題集など、本を開いたままにしておくツールにニーズにあるのではないか? と考えたのがスタートだったとのこと。
コクヨの担当者も、最初は書道用の文鎮を試してみたそうです。でも「本の上部に置くと、閉じようとする力で転がってしまうことが多く、ページをうまく保持できない」ことが課題でした。その原因は、文鎮が直線であるのに対し、本は曲線なので、左右が浮いてしまうことにあるのでは? と考え、「開いた本にフィットする形状」というアイデアにたどりついたのです。
大まかなアイデアがあっても、具体的にどの程度の曲線にするか? 重さや長さをどうするか? などを細かく決めていかなければ、実際の商品にはなりません。そこで担当者はまず、20〜30冊の中高生の参考書や大人の実用書を集めました。それらを開いた状態で真横から撮影し、形状の平均を割り出すことで、曲がり具合を決めたのだそう。
次に、本のページを上から見て、余白の寸法を調べました。ある程度の太さがあった方が文鎮としては安定しますが、それで文字が隠れてしまっては本末転倒です。結果的に、1cm程度の幅であれば大体の余白に収まることがわかり、その寸法を目安にしました。
また文鎮にとっては重さも大事な要素です。軽すぎては用をなさないけれど、重すぎても取り回しにくくなるのでいけません。それに重くすると原材料が増え、その分だけ価格も上がってしまいます。最適な重さを探るため、ビニール製の筒状の容器に鉄粉を入れたものを作り、いろいろな重さで試してみたところ、200g程度あれば主要な参考書には対応できることがわかりました。
最後に、原材料として使用する金属(真鍮)の比重から長さを決め、ようやく最終的な製品設計が出来上がります。文鎮という一見したところ単純きわまりない商品ですら、アイデアを具現化するにはこれだけのプロセスがあるのです。
本当に需要はあるのか? を確認するためのテスト販売
こうしてようやくテスト販売が始まるのですが、そもそもなぜテスト販売という形をとったのでしょう? これだけ好評なのですから、初めから通常商品としての発売でも良かったのでは? と思ってしまいますが、それは今だから言えること。当時は「それまでコクヨとしては実績のない、新規性の高い商品だったので、まず需要があるのかを確認したい」と考えたのだそう。
実際問題、商品は売れれば良いのですが、売れなければ在庫がそのまま負債としてのしかかってきます。負債が積み重なれば、すでにある商品の製造や、今後の新製品開発にも影響が出かねません。特に、単価の高い商品でそのリスクは大きくなります。
数百円程度の価格帯の商品が多い文具メーカーにとって、本に寄り添う文鎮のように数千円クラスのものは、充分に高単価商品と言えます。しかも今まで取り扱った経験のないジャンルともなれば、慎重にならざるを得ません。
テスト販売は大好評! でもすぐに正式発売できないワケ
そんな心配から幕を開けたテスト販売は、結果的に大好評でした。用意した300個の在庫はあっという間に売り切れ、以降は再販を望む声が多く寄せられることになります。部外者としては「テスト販売で需要が確認できたんだから、すぐに再販売すればいいのに」と思ってしまいますが、物事はそう簡単ではありませんでした。
一番のネックは、価格です。テスト販売は需要に関するデータを獲得することが目的だったため、ターゲットである学生が手に取りやすい価格で提供することを最優先していました。この時の1,650円という販売価格は、実は利益度外視の大出血サービス価格だったのです。
正式発売となれば、利益は無視できません。しかし原材料の真鍮は素材自体が比較的高価であることに加え、製造工程に手作業が入らざるを得ないため、大量生産にも向きません。評価された機能性やデザイン性を維持しながら、学生でも手に取りやすい価格と安定した生産性を実現するためには、素材や製造方法をイチから見直す必要がありました。
ものを作るということは、作り方も作ること
比較的安価で大量生産にも向く素材として選ばれたのは鉄でした。それによって生じた新たな課題は、塗装です。剥がれにくいようにするとツルツルの仕上がりになってしまい、真鍮の時のような高級感がでません。逆に表面に凹凸を出そうとすると、今度は剥がれやすくなってしまいます。担当者によると、「そのバランスを探るのに苦労した」そうです。
一方、真鍮製もラインアップに残すことにしました。テスト販売の結果、当初想定していたターゲットとは異なる感度の高い大人層から、素材感の良さが「インテリアとして美しい」と好評であることが分かったためです。ただ、継続して販売を可能にするためには、価格を大幅に見直す必要がありました。
熟慮の結果、真鍮製に関しては無理に価格を下げるのではなく「高価であっても価値に納得して選んでいただける」商品を目指すことにしました。文鎮そのものの仕様に変更はありませんが、パッケージを高級感のあるものにブラッシュアップ。大人が大人に贈るようなシーンでそのまま渡しても、違和感のない仕上がりになっています。
そして、ようやく正式発売へ
こうして、2024年の1月に真鍮製(5,500円)、2月に鉄製(2,200円)の「本に寄り添う文鎮」が正式に発売されたのです。
正直に言えば、「真鍮製だけを先に発売することは可能だった」とのこと。しかし鉄製の品ぞろえがなければ、もともとこの商品を使って欲しいと考えていた学生たちが置いてきぼりになってしまいます。あくまでも同時発売にこだわったため、やむを得ず時間がかかってしまった、というのが実情のようです。
その後の反響については、冒頭にすでに紹介した通りです。
「アイデア」を「商品」にするまでの知られざる物語
今回、私が本に寄り添う文鎮のお話を通じてお伝えしたかったのは、何か良いアイデアを思いつくことと、それを「商品」にすることの間には大きな隔たりがある、ということです。
文具メーカーにとって、「こんなモノがあったらいいな」とアイデアを思いつくことは、実はそんなに難しいことではありません。本当に難しいのは、そのアイデアを具体的な設計に落とし込み、それを必要とする消費者が手に取りやすい価格で、安定して生産できる体制をゼロから構築することです。
本に寄り添う文鎮のテスト販売から正式発売までの約1年半は、まさにその点に関するメーカーの知られざる苦労を凝縮したものでした。しかし本当は、どんな商品にも、語られないだけで同じような物語があるのではないかと思うのです。
この商品が今、私の手元にあるということは、その裏に知られざる苦労があり、苦労に立ち向かった人たちがいるということ。そんな背景に思いをはせながら、改めて本に寄り添う文鎮を手に取ってみると、その重みに何かもう一つ、別の意味が加わったように感じます。