鈴木淳也のPay Attention
第223回
日本のタッチ乗車でMastercardだけ対応が遅れたワケ
2024年11月12日 08:20
Mastercardが三井住友カードが提供する公共交通機関向けソリューション「stera transit」に対応を始めている。
同社が「stera transit」の名称を公式に使い始めたのは2022年8月に開催された戦略説明会が最初だと思われるが、それより前に国際ブランドのクレジットカードを使った公共交通サービスへの“タッチ”乗車サービスは、2020年7月の茨城交通、同年11月の京都丹後鉄道、そして翌2021年3月の南海電鉄と、あくまで「“Visaのタッチ決済”を使った実証実験」の扱いだった。
その後、2022年12月にJCBとAmerican Expressへの拡大が発表され、2023年夏頃にはDiners Club、DISCOVER、銀聯へと対応が進んでいる。
一方で、Mastercardについては長らくその対応が「今後追加予定」のままで表記され、対応の意思はあるもののなかなか実施が進まない状況が続いていた。
Mastercardといえば世界的にはVisaと並ぶ2大ブランドの1つといえる存在であり、stera transitを扱う三井住友カードも長らく「VisaとMastercard」という形でアクワイアリング事業を中心に利用可能な国際ブランドのカードの中核として扱ってきた。
それにもかかわらず、なぜここまで対応に時間がかかったのか背景を探ってみたい。
開発期間は2年を消費
このstera transitのMastercard対応について、三井住友カードで同事業を推進する石塚雅敏氏に話を聞いた。対応が遅れた理由についてはいろいろな要素が絡んでいるという。
まずMastercardの対応開始を進めた時期そのものが日本国内である程度鉄道やバス会社で利用が進んだタイミングだったことと、加盟店(この場合は交通事業者)での拡大にまだ幾分か時間がかかることを挙げている。
当初、Mastercardに対応するのは福岡市地下鉄が最初となるが、他は準備が整い次第順次対応となっている。この理由として同氏は「エリア単位で対応を進めないとかえって混乱をまねく」「まだ認証が進んでいない機材がある」の2つを述べる。
前者について、例えば関西地域では大阪中心部に乗り入れる鉄道だけでも5社(南海、大阪メトロ、近鉄、阪神、阪急)がstera transitに対応しており、各社がバラバラにMastercard対応を進めると「同じ大阪なのに○社ではMastercardが使えて、△社では使えない」といった事態が起こり得る。これをなくすためにエリアで対応を揃えるといった作業が行なわれる。これは同じ路線に複数の会社のバスが時間帯によって交互に乗り入れている高速バスや空港バスなどでも同様で、これもまた“エリア”で揃える対象となる。
また、国際ブランドのカードを読み取る非接触リーダー装置についてはstera transitですべて共通部分を採用しているものの、これを搭載した改札や運賃箱の機器については、すでに導入しているケースがあったとしても、新たにMastercard対応が加わることで認証を取得する必要があるため、その準備期間が存在するというのが「まだ認証が進んでいない機材がある」の理由だ。
以上を踏まえて時系列を整理していくと、Mastercard対応が実質的にスタートしたのが2022年夏ごろのこと。Mastercard側から打診があって開発が始まったという。そして提供の目処が立ったのが2024年夏で、このタイミングでstera transitを採用する各社に対応の有無についての打診をスタートした。
結果として、前述のような理由ですぐの対応が難しく、先行する福岡市地下鉄を除けば、「2025年3月期まで(2024年度中)」に各社順次対応を進めていくという形で方針がまとまった。
ターゲットが年度内となったのは、もちろん「大阪・関西万博」が翌月の4月にスタートすることを睨んでのもので、ここからインバウンド需要が増えることを見越して「それまでに対応したい」という流れだ。
開発に2年間近くかかっているが、その理由として石塚氏が挙げているのが「電文などVisaとの細かいブランドルールの違いがあり、そのまま導入というのが難しかった」「問題が発生したときの“出戻り”が多く、(Mastercard)本社からの回答待ちという事案が多かった」といったもの。
Visaのタッチ決済を使った公共交通の乗車サービスは2020年にスタートしているが、その開発は2020年春のコロナ禍突入前からすでに始まっており、南海電鉄などを含む各社での実証実験を合わせての施行錯誤を重ねた開発期間を鑑みれば、やはりVisaにおいてもその所要期間は2年ほどだったという。Visaのときに培ったノウハウをもってしてもMastercardの開発期間は短縮できなかったようだ。
Mastercardの対応のみが遅れた悲しい理由
さて、ここからは本題となる「Mastercardだけなぜ初動が遅れたのか」という点について考察したい。
前項の説明にもあるように、Mastercardのstera transit対応の開発スタートは2022年夏、石塚氏によれば、stera transitの事業開始にあたって基本的にはJCBを含むすべての国際ブランドについて同時期に打診を行なっていたという。開発期間が想定より長くかかったことを除外すれば、本来であればJCBやAmerican Expressあたりと同時のタイミングで出てきてもおかしくなかった。stera transitでは銀聯対応も行なわれているが、これは主に中国方面からのインバウンド利用が多いことを考慮して交通各社からもともと要望が多く、「開発は困難だったが、なんとか(2023年夏のタイミングで)提供できた」(石塚氏)という。
これはMastercardも同様で、インバウンドで同ブランドが使えないのは考えられないということで、ある意味で銀聯よりもニーズが大きかったと同氏は加える。つまり、初動と開発期間の両方で問題があったと考えるのが妥当だろう。
これについて複数のソースからのコメントを総合する限り、Mastercardが日本市場を軽視した結果ではないかというのが現在の筆者の結論だ。
現在Mastercardの日本支社の機能は地域本社であるシンガポールにほぼ吸収されており、同社の日本人スタッフもシンガポール本社の所属となっている。日本のスタッフが奮闘しているものの本社の意向の方が強く、結果として日本側の要望や現状がほとんど伝わっておらず、今回のstera transit対応も本社に2年近く要望が放置された結果の初動遅れだと推察する。
実際、報道関係の窓口もほとんど機能しておらず、筆者がMastercardに問い合わせや取材を行なうときは、現在本稿を執筆しているシンガポールに出向いたタイミングで担当者を探し出し、毎回連絡先を確認しているという始末だ。2010年代後半からこの状況が続いており、正直いって筆者の中で国際ブランド各社におけるMastercardのプレゼンスはほぼないに等しい。
思えば、2017年3月にシンガポールで初めてタッチ乗車(オープンループ)が導入されたとき、わざわざ現地の関係者に連絡をとってお披露目会に参加させてもらったのが、英ロンドンに続く筆者のオープンループ体験の始まりだ。
実は、このシンガポールでのオープンループは当初Mastercard独占で実証実験が行なわれており、Visaへ開放されたのは翌2018年春のことだった。それにもかかわらず、日本市場においてはMastercardの対応遅れでタッチ乗車におけるプレゼンスが減少しているわけで、リソース配分の問題があるとはいえ、さすがに市場を軽視しすぎではないかと考える。
今回のブランド追加により、鉄道やバス会社の各種掲示やリーダー装置付近のアクセプタンスマークはMastercardブランド追加のためのシール貼り替えや、新たにブランドに対応することを告知するための各種プロモーションが発生することになるが、この追加費用については「今後協議のうえで個別対応」(関係者)のような形になるという。
なお、先行した福岡市地下鉄ではMastercardの広告を展開したラッピングトレインが走っているようだが、このようなプロモーションによる宣伝がない限り、実際に改札通過で拒否されるまで非対応だったことに気付かなかったという人も少なくないと思われる。