鈴木淳也のPay Attention

第216回

なぜ新紙幣を発行するのか 対応の実際とキャッシュレスの関係

東京都中央区日本橋本石町にある日本銀行本店

2024年7月3日から、新デザインを採用した「一万円券」「五千円券」「千円券」の3種類の紙幣の発行が開始された。第2次世界大戦後に発行された日本銀行券は、世代ごとにABC順で付番が行なわれており、D券(号券)以降はおよそ20年周期で更新されている。今回の新紙幣はF券(号券)にあたり、前回2004年に発行が開始されたE券(号券)からちょうど20年のタイミングにあたる。そのため、名称として「F一万円券」「F五千円券」「F千円券」のような呼ばれ方をすることもある。

今回はこの新紙幣にまつわる話題と、キャッシュレスを取り巻く最新事情について少し触れたい。

3種類の新紙幣のデザイン(出典:日本銀行)

なぜ定期的に新紙幣を発行するのか

新紙幣を発行するにあたり、昨今では利用が当たり前になったATMやスーパー/コンビニでのレジの自動釣り銭機、券売機など、紙幣を自動的に読み取る装置の更新作業が必要になる。

更新作業そのものにはコストがかかるうえ、場合によっては紙幣の読み取り機そのものが古く、100-200万円といわれる券売機などの筐体を含む装置全体の更新が必要になり、さらにコストがかさむ可能性がある。加えて、こうした更新作業には人手が必要となるため、装置メーカーのエンジニア手配がニーズに対して追いつかず、7月3日のタイミングに間に合わないケースも少なくない。中小の小売店などでは更新費用を捻出できないケースもあり、結果として何らかの事情で未対応となる場所が複数出てくるわけだ。

こうした話を聞いて出てくるのが、「なぜわざわざ紙幣の刷新を行なわなければいけないのか」「中小の小売業を狙い撃ちした民業圧迫」「装置メーカーへの利益誘導」など政府批判の声だったりする。

装置を導入する小売事業者にとって負担が大きいのは確かで、実際に装置メーカーのビジネスにプラスに作用しているのも確かなのだが、主に2つの理由から定期的な更新作業は不可欠であり、現金を取り扱う事業者にとってはむしろ必要コストと考える方が正しい。

よく「キャッシュレス決済は手数料を取るから現金の方が利益率に対するインパクトが少ない」という理由で現金を好む事業者がいるという話を聞く。だが、実際には現金を継続して扱うためのコストとして必要になるのが前述の「新紙幣対応」であり、現金を取り扱う以上は避けて通れない問題でもある。

立ち食いうどん屋で見かけた新紙幣対応に関する張り紙

理由の1つめは「偽造対策」だ。

偽札の存在は紙幣の信用性を根幹から揺るがす存在で、これが本来の紙幣に混ざって流通することは避けなければならない。そのため、さまざまな偽造を困難にする技術が考案され、それを逐次投入することで紙幣の安全性が保たれるからだ。もし、小売店のレジのみならず、前述のような装置を使って出てくる紙幣に偽物が含まれるようであれば、人々は怖くてその紙幣を使いたがらないだろう。

これが現金を維持するうえでの必要コストの1つとなる。もちろん、精巧な偽札を作ることは可能だろうが、額面価格を上回るコストがかかるようであれば偽札を用意する意味は薄くなる。偽造防止技術とは、そうしたコストバランスをもって流通紙幣を管理する仕組みといえるだろう。

もちろん、このように紙幣や、それに加えて硬貨を定期的に刷新するのは日本だけではない。額面価格の低い硬貨ならいざ知らず、日本でいえば500円硬貨や紙幣は偽造するだけの価値があり、それは諸外国でも同様。実際、最近の例でいえば英国で20ポンドと50ポンドの紙紙幣が2022年9月30日をもって利用不可能になり、もし旧紙幣をこれ以降も所持していた場合、イングランド銀行などに出向いて新紙幣に交換してもらわなければいけないことが話題になった。

これも偽造防止技術を追加投入する過程でデザイン刷新した結果であり、同様のことは世界中で定期的に行なわれている。

ほかの例としては、筆者が2018年9月にスウェーデンの首都ストックホルムを訪問した際、街角のホットドッグ屋の窓口の横に下図のようなポスターが貼られていた。ポスターには、現地通貨のスウェーデンクローナ(SEK)で1SEK、5SEKの2つの硬貨と100SEK、500SEKの2つの紙幣が2017年6月30日をもって利用できなくなったことが記されている。つまり、「10年ぶりに同じ旅行先を訪問して、当時使った通貨の残りで買い物しようとしたら店頭で受け付けてくれなかった」といったような場面に出くわす可能性がある。

2018年9月にスウェーデンの首都ストックホルムの訪問した時に見かけたポスター

理由の2つめは「技術の維持と継承」だ。

前述のように現在の日本では紙幣更新は20年単位となるため、偽造防止技術にかかわる技術者がギリギリ世代交代する前に新紙幣が発行されている。一般に、組織の労働人口は30-40年単位で完全に入れ替わるため、前の世代がリタイアする前に技術を継承しつつ、新世代が次につないでいかなければいけない。もし定期更新を止めたり、あるいは更新間隔が長くなることで技術の継承が止まったり、使われない技術ということで開発のノウハウが失われてしまう可能性がある。

昨今では航空技術で似たような話が出てきたが、これは紙幣などの偽造防止技術も同様で、定期更新そのものに意味があるというわけだ。

新紙幣対応の実際

次にATMに関する話題に少し触れる。全国銀行協会の2023年版決済統計年報によれば、2023年9月末時点でのゆうちょ銀行とネット銀行を除いた金融機関のATM設置台数は8万6,095台で、前年比で3.5%の減少となっている。これに対し、例えばセブン銀行のATM設置台数は2022年12月末時点で2万6,913台で、数字的にみれば国内ATMの約3分の1がコンビニATMで占められている形だ。

日本国内ではコンビニエンスストアが津々浦々に浸透しており、そこに設置されるコンビニATMは他の金融機関では難しい「同一ATMの面展開」が実現できている点で特徴がある。

つまりセブン銀行は、ゆうちょ銀行を除けば、現在国内で最も多くのATMを管理運営している会社といえる。セブン銀行でATM開発を指揮する水村洋一氏は、新紙幣対応にあたって次のようにコメントしている。

「新紙幣対応の計画を練り始めたのは去年(2023年)の初頭くらいで、当初は『2024年度(2024年4月から2025年3月まで)に更新』としか予告されておらず、もし年度切り替えのタイミングで新紙幣発行となると間に合わない可能性があり、その点を心配していた。だが結果からいえば、新紙幣(F券)は(E券から)サイズや厚み等の変更もなく、ファームウェアの更新のみで対応が可能ということが分かった。年度切り替わりでの発行を想定して、2月中に全店でのアップデートを実施する計画を立てていたものの、結果的に7月3日ということが告知されて少し余裕ができたというのが一連の流れだ」

「新紙幣発行にあたって従来の装置が正常に稼働するかが重要だが、その検証にあたって別に新紙幣の貸し出しがあるわけではなく、紙幣の読み取り機を取り扱う国内メーカーの限られた数社の担当者のみが日銀主催の確認会のような場所に集められ、そこに実際に現金(処理)機を持ち込んで限られたサンプルを読み込んで検証を行なうといった催しを何回かにわたって実施し、対応を検討することになる。われわれ銀行事業者はそれらに一切タッチできないため、実際に期限内に更新を実施できるのか、メーカー側の回答を待つしかなかったのが実際だ。セブン銀行の場合、第3世代と第4世代の2機種のATMを運用しているため、片方だけで動作しても意味がなく、それら両方でのテストを踏まえて本番に臨んだ」

セブン銀行でATM開発を指揮する水村洋一氏

実は、今回の記事を企画するにあたって今年春ごろから複数のメーカーを含む関係各所に実際の対応状況などについて取材打診を行なっていたのだが、「新紙幣の処理に関する部分は触れられない」「顧客情報の開示につながる事象は回答しかねる」といった理由ですべて断られ、最終的に取材に応じていただけたのがセブン銀行のみという状態になってしまった。全体にブラックボックスな話題が多いというのが、この分野の取材での学びの1つだ。

ただ、取材拒否こそあったものの、聴き取りの過程でいくつか見えてきた部分もある。NHKも報じているが、コンビニやスーパーのレジ、そしてATMなどの対応はおおよそ今年春ごろに決着しており、複数の小売店を顧客に抱えるあるベンダーによれば「われわれの顧客はほぼ期限内に間に合うことが見えている」などとコメントしており、多くが対応済みのステータスになっていたようだ。一方で、NHKでも指摘されているようにバスの料金箱や飲食店の券売機など、中小事業者で特に少ない人手でまわしているような業態では全体に厳しい印象を受ける。前述のようにコスト問題に加え、メーカーやベンダーの対応が追いつかないといったケースが多いとみられる。

作業の労力に関しても大きな違いがある。ユニット単位、あるいは筐体全体のリプレイスを必要とするケースがある一方で、今回のセブン銀行のように「オンライン経由でファームウェアの一斉更新」で対応できるケースも多い。

コンビニやスーパーのレジに備え付けられている自動釣り銭機では富士電機とグローリーが大手として知られているが、ともにオンラインアップデートでのファームウェア更新に対応しており、セブン-イレブン店舗のPOSでは富士電機のものを採用しているが、すべてオンライン経由でのファームウェア更新で新紙幣に対応できているという。

ただし、オンライン接続ができていないなどの理由で小売事業者によってはサービススタッフが現地に赴いてユニット交換を行なわなければならないケースもあるとのことで、このあたりの対応も各社各様といった感じだ。

セブン銀行の第4世代ATM

新紙幣とキャッシュレス

前述のNHKの報道によれば、新紙幣が発行される直前の6月末時点で3種類合わせて52億枚が準備され、さらに2025年3月までに22億8,0000万枚が準備され、現行のE券の46%にあたる74億8,000万枚にする計画だという。一方で、7月3日以降に新紙幣入手を試みた方もいるかもしれないが、意外と入手が難しかったと感じたりしなかっただろうか。新紙幣は7月3日のタイミングで各金融機関に対して事前の計画に沿って必要枚数が“その日に”届けられるようになっており、実は3日の時点で提供を開始している金融機関は限られている。翌日の4日、あるいは5日から提供を開始という金融機関が多いようだ。

先ほどのセブン銀行の水村氏によれば、セブン銀行の場合は3日に新紙幣が到着したタイミングでまずは本店を中心とした数カ所に新紙幣を積み込んでテストを行ない、順次対象を拡大していく計画だという。これは問題が発生しないかを広域展開の前に再確認するためだ。また、新紙幣がATMに投入されたからといって、そこで出金を行なうとすぐに新紙幣が入手できるわけでもない。

「(セブン銀行の)ATMでは預け入れがあると紙幣が内部で順番に積み上げられ、払い出しの際には上から順番に紙幣が取り出されるため、仮に新紙幣が詰め込まれていたとしても、例えばQRコード決済への残高チャージのために旧紙幣(E券)が投入されると、そちらを先に払い出してしまう(水村氏)」

同氏によれば、当面はE券とF券がATM内で混在する形となり、このようにバラバラの組み合わせで出金されても不思議ではないとのことだ。一方で、もう1世代前の福沢諭吉が印刷された「D一万円券」などD券は回収対象となっており、別枠でATM内にストックされ、日本銀行に回収されていくという。

日本銀行券はすでに発行が終了したものも含め、かなり以前の券種でも法定通貨として利用が可能だが、セブン銀行の場合は「D券は回収のために受け付けるが、C券以前のものについてはそもそも受け付けない」(水村氏)という。

このような形でATMを介して少しずつ旧券が回収されていくことになるが、読売新聞の報道でもあるように、20年前のE券発行の際には1年で6割ほどが新紙幣に入れ替わったという。ただ、昨今はキャッシュレス決済の普及もあり、以前ほど現金需要が少なく、ATMの台数も来訪する機会も減っていることもあり、入れ替わりにはさらに時間を要するという考え方が一般的だ。

読売新聞の記事のタイトル「現金決済、いまだに6割…紙幣流通量の半分60兆円は『タンス預金』とも」でも触れられているが、キャッシュレス決済が浸透する一方で、“ATMを介して出金される金額は環流率を上回って”おり、市場の紙幣流通額はキャッシュレス決済の伸びに反して増える一方という面白い現象が起きている。その行き先が「タンス預金」ではないか、というのが報道の趣旨だ。

これを示すデータが財務省から「我が国の通貨と決済を巡る現状」として出ている。“流通高”なのでインフレも考慮すれば右肩上がりはある意味当然なのだが、過去16年間だけの比較で75%も上昇しており、明らかにインフレ率を上回っている。しかも家計以外の部門がほぼ横ばいなのに対し、“家計”についてのみ顕著に伸びている。

一方で、前出の水村氏の言葉を借りれば「セブン銀行ATMでの払い出しと環流トレンドに大きな変化は見られない」とのことで、一方的に紙幣が出ていって、しかも何らかの形で店舗やATMに戻ってきていないという現象が起きており、この原因として考えられるのが「タンス預金ではないか?」ということだ。

日本国内の通貨流通量の推移(出典:財務省)

「タンス預金」を象徴するかのようなデータが次となる。普段使いの金種としては一万円券は使いにくいため、流通金種としては本来は千円券が中心となってもおかしくない。しかし、下図のグラフにあるように一万円券のみが一方的に伸びている。しかも、前述のように環流トレンドには乗っていないため、そのまま市中のどこかに消えていることを意味する。現象としては「使われずに市中のどこかで眠るお金」であり、すなわち「タンス預金」ではないかという考えだ。

日本国内の紙幣の流通量の推移(出典:財務省)

対して、貨幣のトレンドは分かりやすい。消費税導入で一時的に増えた1円貨だが、現在は減少トレンドに入っている。これは100円貨と500円貨を除くすべての貨幣で同じであり、ここから想像できるのは「(低単価での)キャッシュレス決済が浸透しつつある」ということだ。

小銭の両替や預け入れで手数料が取られるケースが増えており、近年は特に忌諱されつつあるという理由もあるだろう。「一万円券だけが異常に増え続ける」という謎の現象がある一方で、キャッシュレス決済は地道に普及しているようだ。

日本国内の貨幣の流通量の推移(出典:財務省)

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)