鈴木淳也のPay Attention
第189回
交通系ICカードとクレカのタッチで乗車する「オープンループ」の今後
2023年8月18日 08:20
今年1月の連載「東急電鉄が『オープンループ』採用に向かう理由」で、クレジットカードの“タッチ”で乗車を可能にする「オープンループ」乗車の現状と、東京都心と郊外を結ぶ「田園都市線」を運行する東急電鉄がなぜこの仕組みを導入するのかの背景を説明した。
7月後半から本稿執筆時点の8月中旬にかけて、田園都市線沿線の各駅に「非接触対応クレジットカードやデビットカードの“タッチ”で乗車可能な改札機」の設置が順次進んでおり、「2023年夏以降」としていた実証実験が間もなく開始されようとしている。
田園都市線の全駅を確認できたわけではないが、主要駅ではすべての改札口に必ず1台の「タッチ決済対応改札機」が設置されており、南海電鉄などで見られた「改札機一体型ではないタイプの後付け改札」のほか、福岡市地下鉄や江ノ島電鉄(江ノ電)にある「駅員のいる有人改札に据え付けられた専用リーダー」といった実験を兼ねた簡易改札ではなく、「首都圏の主要ターミナル駅にオープンループ改札をそのまま導入したらどうなるのか」を本格的に検証することを目的にしている。
「首都圏の主要ターミナル駅(主に新宿駅)にオープンループを導入すると改札が詰まって人流が悪くなる」という言説をよく聞くが、田園都市線での新たな試みは、それが実際にどうなるかを実証実験でもって示してくれることになるだろう。
首都圏の鉄道事業者でオープンループを採用したのは江ノ電が最初のケースとなるが、東京都心部に接続する鉄道事業者では東急が最初のケースとなる。大阪や福岡の大都市圏に比べて後塵を拝した形となるが、その理由の1つが「相互直通運転」の存在だ。
東京都23区のエリアがまだ「東京市」と呼ばれていたころ、市内交通は路面電車(市電)が中心であり、郊外から鉄道でやってきた乗客らはターミナル駅で乗り換えて目的地へと移動していた。第二次世界大戦後、東京都内の混雑緩和とアクセスの利便性を高めるため、地下鉄整備計画が進められ、現在の銀座線と丸ノ内線を除く郊外鉄道同士を地下鉄で結び、都心内を走り抜ける「相互直通運転」での運用が前提となった。ほかにも福岡市地下鉄の空港線とJR九州の筑肥線、阪急千里線と大阪メトロ堺筋線のようなケースはあるが、地下鉄を介して3社を跨いで車両が移動するケースは珍しいと思われ、オープンループを導入した場合の改札処理や他社への影響がどのようになるかが田園都市線での運用の見所になると考えられる。
田園都市線の場合、相互直通運転で渋谷駅から東京メトロ半蔵門線へと入り、押上駅で東武鉄道の伊勢崎線(東武スカイツリーライン)に入って南栗橋駅まで接続されている。
そのうちの1つ、東京メトロは、2024年度にも「カードのタッチ決済」「QRコード乗車」の導入を計画していることを発表している。東京メトロによれば、東急電鉄をはじめとする相互直通運転各社との連携をどうするのかについて「現状ではまだ何も決まっていない」としているが、東急を含む国内すべてのオープンループ導入事業者が採用している「stera transit」を利用している以上、少なくとも2024年度時点では田園都市線との連携は視野に入っていると思われる。
交通系ICカードとは競合せず
田園都市線と東京メトロでの実証実験は、「世界トップクラスの単位改札通過人数を誇るターミナル駅の乗客をオープンループで捌けるか」「相互直通運転で問題となる“非対応鉄道会社”での改札処理をどうするか」という2大課題を見極めるものとなる。
これらの問題がクリアされれば、おそらく多くが懸念している「首都圏の通勤・通学列車にオープンループ導入は無理」という意見は払拭できるだろう。
また毎回言われることだが、少なくとも現状の日本国内のオープンループは「Suicaなどの既存の交通系ICカードを置き換えるものではない」点に注意したい。
冒頭の渋谷駅の改札でも分かるように、1つの出入り口に複数ある改札レーンのうち、オープンループ対応のものは1つだけだ。通行しやすい幅の広いものに設置されているのが特徴で、通勤ラッシュなどでの高速通過を想定していない。あくまで「クレジットカードやQRコードで入退場したい人“も”使える出入り口」という扱いだ。
渋谷駅には東急電鉄は2路線、東京メトロは3路線が乗り入れているが、本来であれば田園都市線ユーザーがあまり使わないであろう東急東横線と東京メトロ副都心線側の出入り口にもオープンループ対応改札機が設置されている。駅の構造上、内部的につながっている別路線の改札で出ても不自由しないようにとの配慮だと考えられる。
つまり、駅員の対応がなくても出入りに不自由しないようにしつつ、基本的には普段駅を利用する通勤・通学客の邪魔にならないような配置だ。
筆者の予想だが、少なくとも今後10年程度は現在の交通系ICカードは継続利用が続くと考えている。Suicaを推進するJR東日本が、現在も対応エリアを拡大しつつ、オープンループ対応を(現時点で)考慮していない新型改札機へのリプレイスを実施しているほか、JR東海やJR西日本など本州のJR各社は対応駅の拡充や交通系ICカードに連動した新しいサービスを提供開始したりと、少なくとも次の改札機の更新サイクルまで大きく改札インフラを変更する可能性は低いからだ。
更新周期はおおよそ7~8年程度なので、次の次のハードウェア入れ替えがある程度完了するのは10年以上先となる。仮に新技術が導入されてインフラが移行したとしても、既存のICカードを廃止するまでにはさらに数年の期間が必要となる。
実際、過去にさまざまな関係者に取材や聴き取りを行なっているが、「オープンループが既存の交通系ICカードを(少なくとも中短期で)置き換える」と述べた人物はいまのところ1人もいない。
オープンループの需要はむしろ、これまで交通系ICを使ってこなかった客層、例えば定期券などを所持しておらず普段はあまり公共交通を利用しない人や、日本を頻繁に訪れるわけではない訪日外国人であったり、交通事業者自体が交通系ICカードを導入・維持する余力がなく、一方で観光客を中心とした層にキャッシュレスによるスムーズな移動体験を提供することが目的となる。
地域交通の場合、クレジットカードという普段の買い物での支払いに利用できる仕組みと組み合わせることで、交通系ICカードよりもさらに広範囲で行動データが取得できるため、沿線開発や各種キャンペーンの実施などマーケティング施策に結びつける効果も期待できる点が大きい。
神戸市にみるオープンループの現状と期待
こうしたオープンループの現状を踏まえつつ、前段の「利用客と事業者の2つのニーズ」を考慮して動いているのが神戸市の事例だ。
先日、神戸市内の交通事業者が2024年春までにオープンループ対応を表明しているが、神戸市は主要都市で通勤・通学客の集積地であると同時に、国際的な観光都市で国内外から多くの観光客が訪れ、同時にローカルで小規模な(つまり体力の弱い)交通事業者が複数存在している。市内の複数事業者が同時にオープンループ対応に動くのは初のケースということで、自治体の交通政策のモデルケースになると思われる。
神戸市都市局 交通施策課課長の吉田匡利氏によれば、もともとは神戸や姫路を営業エリアとする神姫バスがオープンループを先行導入したことがきっかけで、神戸市が市内の交通事業者らに呼びかけて取りまとめを行なったのが発表に至る経緯だ。
当初はチャーター便限定ではあるものの、2025年の神戸空港の国際化のほか、同年に開催される大阪・関西万国博覧会を見据えての動きで、インバウンド客を主眼に市内をスムーズに移動できるよう交通インフラを整備していこうというのが狙いとなる。
神戸市にはJR西日本、阪急電鉄、阪神電鉄などが大阪方面から乗り入れているが、今回は事業体としては連携できておらず、あくまで神戸市内部での移動に限定し、有馬温泉などの観光地へのアクセスを整備する形だ。
地下鉄を除く主要鉄道路線や広域のバス路線がオープンループ非対応のため移動にやや難がある面もあるものの、一度動き出すことができれば、自治体主導の形で比較的小規模な事業者も巻き込んでインバウンドなどを見込んだインフラ整備が可能ということを神戸市の事例は示している。路線バスについては対象車両が多いために今回は断念することになったようだが、ロープウェーやケーブルカーなど、これまでキャッシュレス決済ではPayPayのみしか対応してこなかった事業者が、自治体の補助金制度を組み合わせることでインバウンド客のクレジットカード決済を受けられるようになった。
下記はコロナ禍突入前でやや古いデータだが、神戸市がまとめた今回オープンループ対応を発表した各事業者の令和元年度(2019年度)の乗車人員とICカード利用率だ。
「交通系ICカード導入がオーバースペックで重荷になる小規模事業者が少なからず存在する」とはよく言われるが、ICカード対応のポートライナーと神戸電鉄を除く事業者とは乗車人員の桁が2つ異なっている。つまり、この利用者数では交通系ICカードの導入は非常に難しい。一方で、補助金こそあるもののオープンループ導入は可能なわけで、今後は日本全国でこうした形でオープンループ導入を目指す小規模事業者が増加してくるとみられる。同時に、すでに交通系ICカードを導入しているポートライナーや神戸電鉄であっても、ICカードを利用しない乗客は2~3割程度存在しており、これに加えて今後増加するインバウンドや域外からの旅行者を窓口などでの対応コスト負担を下げつつ効率良く捌いていくには、オープンループの存在が一助になると思われる。
まとめると、今後もかなりの勢いで日本国内にオープンループは浸透してくると考えられる。現状で各事業者からのフィードバックはおおむね良好で、それは実証実験期間を延長しつつ、対応駅などを拡充していることからも分かる。現状で普及の大きなドライバーとなっているのはインバウンド需要を見越してのものだが、今後は神戸市のように各地方自治体が域内の移動活性化を目指してMaaSなどに加え、交通系ICカードを導入するだけの体力のない小規模事業者を中心にオープンループ導入に舵を切るケースが増えてくるだろう。
一方で、日本全国の多くのエリアをスムーズにまわれる交通系ICカードの利便性も重要であり、当面は両者が併存する形での普及となる。
特に都市部においては、オープンループの存在はむしろ交通系ICカードの補完的性格が強くなるはずだ。もっとも、Suicaをはじめとした交通系ICカード自体すでに25年近い歴史を持つもので、技術更新を含めた仕様の見直しは遠からずやってくることになる。そのとき、オープンループを含む公共交通の改札システムはどのようなトレンドになっているのか。英国ロンドンのように独自のICカードの利用率をオープンループの利用率が逆転している可能性も含め、さらに10年先を見据えて導入判断をしていくことになる。