鈴木淳也のPay Attention

第174回

「生体認証で決済」の実際

東芝の顔認証決済「Pop Pay」のデモンストレーション

普段あまり他所の記事についてコメントすることはないが、今回のテーマに関連して気になるものが掲載されていたので少し触れたい。日本経済新聞のデジタル版に3月15日付けで掲載されていた「Z世代、次は指輪型の1秒決済や顔認証 乱立のペイは敬遠」という記事だが、内容的にはZ世代と呼ばれるおおよそ25歳以下の若年層世代の間で「“指輪型”デバイス」や“顔”などの「生体認証」を使った決済が広がっており、電子マネーやコード決済などが乱立する状況に「ペイ疲れ」を起こし、スマートフォンを取り出して支払いを行なう手間を節約して、このペイを敬遠する流れが出てきているというもの。

もともとこの記事は「Z世代が変えるマネー」というタイトルで連載されている記事の中編にあたり、「Z世代」をキーワードにした決済周辺のネタを紹介したいという意図があるようだ。

ただ端的にいえば、指輪型デバイスとして例が挙げられている「EVERING」の利用は別に若年層に限った話ではないし、プリペイド式なのでチャージ作業はスマートフォンを利用する(一応、オートチャージはある)。それにカードや携帯の代替となるキーホルダー型の決済端末は日本ではQUICPayなどが、台湾ではEasyCardを中心にすでに存在し、長い歴史を持っている。

生体認証決済については、現時点で一般的な商用サービスが行なわれているものはなく、基本的に「特定の施設内」や「会員サービス向け」に事前登録を前提に限られた場所でのみ利用できるものとなる。詳細は後述するが、基本的には入退館に使うICカードの代わりのような存在であり、決して汎用的な決済手段ではない。

正直、当該記事の雑な考察で勝手にトレンドを作られても困るというのが本音で、トレンドをうたうならきちんと周辺状況を把握しつつ、データのような形できちんと示していただきたいところだ。

顔認証の広がり

今回のテーマは生体認証と決済だが、両者を分けて生体認証のみにフォーカスすると、すでに利用は一般化している。昨年(2022年)、ATMで20年近くにわたって続いてきた生体認証によるセキュリティ対策と限度額緩和のサービスが相次いで終了することになった。

主な理由は2つあるとみられ、導入・維持コストと比較して利用が少なかったこと、そしてキャッシュレスやスマートフォンを使ったオンラインバンキングの利用拡大など、社会情勢の変化があったことが理由にあると考えられる。

三菱UFJ、手のひら静脈認証の申込受付終了

ゆうちょ銀、キャッシュカードの「生体認証機能」終了

ただ、生体認証そのものは利用は増加傾向にあると考えられる。

例えば調査会社の富士経済が2021年12月21日に出したセキュリティ関連の国内市場調査によれば、コロナ禍突入前後での設備投資タイミングによる反動と、用途による増減の影響を受けたものの、顔認証と静脈認証で2021年は前年比でそれぞれ28.6%増と42.9%増になり、2024年予想としては2020年比でそれぞれ85.7%増と57.1%増となっている。

市場規模としては静脈認証の方がまだ多いが、顔認証の市場は急速に伸びており、ある程度の市民権を得るに至ったといえるだろう。

生体認証の利用が急速に拡大していることは、以前にレポートしたIDEMIAの事例から見てとれる。主に工場などの製造現場やオフィスなどの施設への入退館での用途だが、既存のICカードを代替する手段としての需要が強いという。ICカードは置き忘れや譲渡などの問題があり、セキュリティ的に必ずしも本人を特定できるものではない。また生体認証であれば「ハンズフリー」の利便性があるため、利用者からの評価が高いという理由もある。

このようにスマートフォンなどのパーソナルデバイスを除く現在の生体認証の主な用途は“セキュリティゲート”がその中心となるが、従来のICカードの代替技術の1つとして顔認証を導入したのがNTTドコモだ。

東京の溜池山王にある同本社ビルには認証ゲートの刷新に合わせて2022年4月から顔認証システムが取り入れられており、社員証でもあるICカードと顔認証のいずれかでゲートの通過が可能になっている。技術的にはReal Playerなどで知られたRealNetworksの「SAFR(Safe Accurate Facial Recognition:セイファー)」が用いられており、ライティングや深度センサーなど特別な仕掛けなしでウォークスルー型の仕組みが実現されている。

エレベーターの出入り口付近にあるため出退勤時や昼飯時には人混みが発生するが、それでも問題なく処理できているようだ。

NTTドコモ本社の顔認証ゲート
顔認証ゲート通過の様子。出場時にも認証が必要なため、ゲートの手前と奥の両方にカメラ付きディスプレイがある

ドコモの場合、あくまで実験ということで希望者のみ利用可能で対応しているため、顔情報を登録していない未登録ユーザーはICカードでしかゲートを通過できない。ただ昨年秋の取材時点で見えていた課題の1つとして、「登録の手間」が挙げられる。登録にあたっては社内に設置された特定のPCで顔情報を撮影して社員情報と紐付ける必要があり、この手間を嫌って登録しない社員がそれなりの数存在していたという。

登録用PCを限定したのはセキュリティ対策などさまざまな理由によるものだが、生体認証を利用するハードルの1つがエンロール、つまり「登録作業」にあることが分かる。

ドコモの場合、ICカードによるゲート通過のトラブル対応も兼ねて、本社のオフィスフロア入り口である山王パークタワー27階に複数のゲートが存在しているが、それぞれに警備員が張り付いている。顔認証導入は将来的に警備員の人数削減による省力化を見越してのものでもあるが、まだ切り替えるには時間がかかるかもしれない。

生体認証は人の流れをスムーズにする反面、その最初の導入ハードルが高いことが難点となる。例えば特定の製造現場などで人流を制御するために従業員全員の生体情報を登録するのであれば、そこまで難しくないだろう。それが大企業などで少なくとも万単位の社員を対象にしようとしたとき、登録のハードルは一気に上がる。

これは一般を対象としたサービスも同様で、例えばイベント興行での出入場管理を顔や静脈などの生体認証で行なおうとした場合、数百人規模であれば登録時間や猶予を長めに取れば対応できるかもしれないが、一度に千人以上の規模の来場者があり、しかもその1回きりで以後はリピートしないようなものでは難しいだろう。東京ドームが入場管理に顔認証を導入して話題になったが、対象をファンクラブ限定にしたのはそういった理由がある。海外でもスポーツなどのイベント興業に生体認証を導入するケースが増えているが、やはりファンクラブ限定などリピータを対象としたサービスとなっている点はその部分にある。

東京ドームの顔認証ゲート。技術はパナソニックのものを利用

生体認証の決済での利用はどうなる

そして決済の話題だ。狭く閉じた範囲であれば、全員の顔や静脈などの生体情報の登録は容易だし、管理もそれほど複雑にはならない。

むしろICカードの置き忘れによる「ゲートを通過できない」「決済できない」といったトラブルへの例外対応を考えれば、顔認証などであれば本人を違える可能性は低いし、ハンズフリーで確実に決済やゲート通過が行なえる点で利便性が高い。すべては初期登録の手間だけなので、東京ドームに導入された顔認証決済「facethru(フェイススルー)」が入場ゲート同様にファンクラブ限定サービスというのも納得がいく。

東京ドームの売店は顔認証で決済が可能。なお、ドーム内の施設はすべてキャッシュレス

完全に閉じた空間ではないものの、内部利用者が大部分というビル内設置のコンビニで顔認証が導入されたケースがある。東京の三田国際ビル内のセブンイレブン店舗に導入された顔認証決済がそれで、ビル内はNEC関係者が多かったということもあり、顔情報を登録したNEC社員は社員証の代わりに顔認証でコンビニのセルフレジでの支払いが行なえるようになっていた。一般人がセキュリティチェックなしで入れるフロア内のコンビニではあるものの、コンビニの入り口そのものには顔認証によるドアの解錠システムが備え付けられており、一応はNEC社員の利用を想定した作りになっている。

セブンイレブンのセルフレジで顔認証による支払いを行なう
三田国際ビル20階のフロアは誰でも入れるが、セブンイレブン店舗の入り口には顔認証で解錠するドアがある

前述のセブンイレブンの顔認証システムはNEC製だが、同社は東京五輪の入退場ゲートでの導入実績もあり、顔認証を大々的に売り出していこうと考えている。セキュリティゲートについてはすでに実績が積まれつつあり、需要も拡大しているが、次のフロンティアとして開拓を狙っているのが小売向けとなる。

そのため、リテール向けを含むさまざまな展示会でNECは顔認証製品をアピールしているが、実際に実店舗での導入に結びついたケースは数えるほどしか聞いていない(しかも多くは海外事例だ)。

課題は主に3つで、1つは導入する小売店側が顔認証の有用性を必ずしも認めていないこと、2つめはどのように顔情報を登録させて決済に結びつけるかということ、最後の3つめは顔情報の運用方法だ。

まず最後の3つめについて、認証に使う顔データは特徴点のみを抽出したもので、顔の再現はできない不可逆なもの。セキュリティ的な安全性はこの部分で担保することになるが、何より大きいのはデータサイズが小さいことだ。そのため、顔認証を行なうデバイス単体の内部に大量の顔データを保持し、高速にマッチングを行なえる。

NECがデモンストレーションを行なっている機器で数千人程度をカバーできるとしているが、これをはみ出したデータは店舗内にサーバを置いてそこに保存するか、クラウドサービスのようなものを利用してネットワーク経由で参照を行なうスタイルになる。後者(ネットワーク経由)になるほどレスポンスタイムがかかるようになり、セルフレジやセミセルフレジなどの対面で立ち止まって行なうショッピングなどではあまり困らないが、ウォークスルー型ゲートの場合は秒単位のラグが発生する可能性があり、設計に工夫が必要になるかもしれない。

NECが今年2023年のリテールテックで展示していた顔と虹彩を合わせたマルチモーダル認証による決済のデモンストレーション
マルチモーダルの認証デバイス。システムとして大規模導入するとハードルが高くなるため、数千人の情報を処理可能なデバイスでまずは“お試し運用”してみてほしいとのことで、デバイス単体での販売というオプションも用意しているという

1つめの「小売店の意向」を変えるには実績の積み上げが必要だが、2つめについてはサービスの存在を広くユーザーに認知してもらい、利便性を理解したうえで最大のハードルである「登録作業」に到達してもらう必要がある。前述のNECの“お試し導入”というのは1つのアイデアだと思われるが、今後はアプリでの簡易な登録も可能にするなど、さまざまな工夫が必要だろう。

例えば3月18日にオープンした大阪のうめきた新駅では、商用向けとしては初の顔認証ゲートが鉄道改札に導入される。「大阪と新大阪間の通勤定期を所持」という条件を満たしていれば誰でもこのゲートが利用可能で、登録にあたってはWESTERというJR西日本が提供するポイントプログラムのアプリを介して顔情報をアップロードすればいい。利用にあたって問題ない写真かどうかは自動判定されるので、これくらいの手軽さが一般ユーザー向けの顔認証決済には必要だろう。通勤定期の購入が必要というが手軽かどうかは別として……。

実際、顔認証を含む生体認証やそれを利用した決済が広く認知されるには地道なアピール活用が必要だ。オフィスグリコのハイテク化で話題になった日立製作所の「CO-URIBA」だが、昨年秋には東急百貨店とのコラボでこのシステムを使ったマーケティング情報収集実験を行なっており、一定の成果が報告されている。

3月には、西日本鉄道ならびに三省製薬と組んで福岡・天神にあるソラリアプラザで美容をテーマにしたポップアップストアを展開。CO-URIBAに加え、リモート診断のサービスのほか、新しい顧客体験を提供することをメッセージに「静脈認証体験」コーナーも設置している。日立製作所が静脈認証で広くシステムを展開しており、これを小売に応用できないかということで追加された機能だが、認知拡大のうえでこうした地道な活用が役立つことになるのかもしれない。

福岡天神ソラリアプラザでの美容をテーマにしたポップアップ店舗での静脈認証決済のデモンストレーション(写真提供:日立製作所)
実際に利用された静脈認証デバイス(写真提供:日立製作所)

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)