鈴木淳也のPay Attention

第168回

スマホを決済端末化するアップル「Tap to Pay」の現状

店舗入り口に貼られた「Tap to pay」のロゴ

Appleが2022年2月に「Tap to Pay on iPhone」を発表したとき、各方面からさまざまな反応があった。「iPhoneさえあれば小売において専用の決済端末は必要なくなる」「これからはタッチ決済中心になり物理カードは不要になる」といった具合に、Apple Pay登場以来の“ゲームチェンジャー”的な性格を語る声も多かったように思う。

一方で、筆者を含めてトレンドにやや懐疑的な向きもあり、「便利ではあるが、現状の流れを短期に大きく変えるものではない」といった意見だ。

重要なのは、この比較的新しい仕組みはどのように活用するのが最適なのか、また登場の背景を考慮しつつ、業界の動きを鑑みて対処していくことだろう。今回は当面の課題も含め、最新事情をまとめたい。

スロースタートのApple「Tap to Pay」

Appleの元々の発表では「Tap to Pay」サービス提供にあたり、まず決済サービスを提供する事業者にSDKを提供し、彼らのサービスの中で「Tap to Pay」が有効化されるようプラットフォームを構築する。

次の段階として、Appleが認定した決済サービス事業者が「Tap to Pay」が有効化された自身の決済サービスを加盟店へと提供し、それを導入した加盟店から順次同サービスが利用できるようになるという形だ。

最初期のサービス発表時点では認定決済サービス事業者としてStripeの名称が挙げられていたが、後に複数の事業者がさらに参画し、そのうちの1社であるSquare(Block)が'22年9月28日のプレスリリースで実際に加盟店へのサービスを開始したことを発表している。

この発表があったとき、すぐにSquareに問い合わせて「Tap to Pay」を導入した加盟店がないかを確認し、可能であれば実際に店舗への取材ができないか依頼していた。ただなかなか反応が芳しくなく、10月後半にMoney20/20 USAの取材で渡米したタイミングになんとか間に合わないかと繰り返し尋ねていたところ、米東海岸で1件(フィラデルフィア周辺だったと聞いている)、米西海岸のサンフランシスコ・ベイエリアで1件の事例があることを紹介してもらえた。

本記事冒頭の「Tap to pay」ロゴは、その先行導入店舗にあたるサンフランシスコの「Donairo's Pizza」で撮影したものだ。店舗を尋ねたのはハロウィン直前だったが、運用開始してからまだ1週間ちょっとというタイミングだったと同店関係者は説明する。

Squareのサービス開始発表から1カ月の時点でまだ導入店舗が数件という状態で、「スロースタートだね」というのが個人的な印象だ。だが、この手の新規サービスが一気に広まらないというのも理解できる話で、今後時間が経過するにつれ導入件数や台数が飛躍的に増加していくとも予想できる。

Squareを通じて「Tap to Pay」を最初期に導入したサンフランシスコのDonairo's Pizza
普通に頼むと量が多すぎるので、店頭でピザのスライスを1枚注文しつつ、持ち帰り用にミニサイズのパスタを注文。市の中心部からは離れた立地だが、味はかなりお勧めできる

Donairo's Pizzaでは店内飲食も可能だが、オンラインオーダーによる店頭でのピックアップのほか、電話とオンラインの両窓口によるデリバリーにも対応している。同店スタッフの話によれば、このうち「Tap to Pay」を導入したのはデリバリー対応の部分で、配達スタッフが「Tap to Pay」に対応した決済アプリを導入したiPhoneを持ち歩き、「その場で決済」を選択した顧客の下へと出向いた際に「現金ではない決済手段」として提示する流れになっているという。

米国では国際ブランドのロゴが付いて“デビット”としての利用が可能なATMカードが広く利用されているが、新規発行されるカードの大部分が現在では非接触決済対応となっており、7-8割程度は入れ替えが進んでいるとみられる。

ゆえにApple PayやGoogle Payなどのモバイルウォレットを利用していない人であっても非接触での決済が可能な層は非常に多く、Donairo's Pizzaのケースでも1週間程度の運用ながら「Tap to Payによる決済」を選択する注文客が少なくない割合だったという。

なお、同店ではPOSにSquareを採用しているが、店頭でのカード決済自体は別の仕組みを採用しており、「デリバリーのスタッフが(決済のためだけに)複数のデバイスを持ち歩かなくとも、手持ちのiPhoneだけで処理できるので非常に便利」とその導入効果を述べている。

デリバリーのスタッフが利用するSquare提供の「Tap to Pay」アプリの画面。iPhone上部がアンテナになっているので、ここにカードやモバイル端末を当てるようにして決済する
店内でのカード決済はSquareではない別契約の決済端末を用いている

日本での「Tap to Pay」

対面でのリアル決済において「“タッチ”で支払い」というのはその利便性もあり、今後もますます利用が拡大すると思われるものの、必ずしもすべての対面取引を置き換えるものではないと考えている。

以前に“タッチ”決済における「上限」の話題に触れたが、PIN入力なしで決済が可能なこの仕組みはリスク面から許容金額に制限が加えられるのが一般的で、特に欧州においては低めに抑えられる傾向がある。

日本は“一般的”に1万円が上限に設定されるなど、諸外国としても比較的高めになっているが、それでも高額な買い物に利用できない点は変わりない。

指紋認証などモバイル端末を活用して2要素認証を加えることで上限設定を回避する「CDCVM(Consumer Device Cardholder Verification Methods)」と呼ばれる仕組みはあるものの、実際には加盟店やアクワイアラ自体でCDCVMなどに関係なく上限が設定されているケースも多く、この仕組みが有効化される機会は思ったより少ないというのが現状だ。

また後述の問題もあり、必ずしも「モバイル端末を決済端末としてもそのまま活用する」というのがふさわしくないケースも当然存在する。そのため、当面は「これまで使われていなかった場面でも決済を可能にし、活用場面を増やす」ことに「Tap to Pay」が用いられることになるのではないかというのが筆者の考えだ。

さてAppleの「Tap to Pay」だが、現状ではまだ米国内での提供に留まっている。遠からず米国外への展開も始まると考えているが、Apple Payのときと同様、少しずつ展開地域を拡大していく流れになるとみている。日本でも提供が開始されることになるが、この際に重要なのは「Suicaなどを含む国内電子マネー各種の取り扱い」だ。

日本では決済手段が多様であり、決済サービス事業者もまたそれらを包含した形でサービスを提供している。これはグローバル企業と呼ばれる海外からの参入勢においても例外ではなく、Squareも現在では交通系電子マネーとiDとQUICPayに対応している。

日本国内の複雑な決済事情はよく批判の声を耳にするが、世界を見渡せばその地域のみで有効な決済手段というのは数多存在し、むしろ独自性がない地域の方が珍しい。ゆえに決済事業者にとってローカライズ対応はトランザクションを広くカバーするうえで大きなポイントとなる。

一昔前であれば日本国内の電子マネーは「FeliCa」対応という事情もあり、海外勢にとっては参入ハードルが高かった。だが現在、FeliCa系電子マネーは通信を暗号化したままネットワーク上にバイパスし、クラウド上で処理する仕組みが確立しており、決済端末のハードウェアの簡略化が容易になっている。こうした仕組みを活用することで、仮に「Tap to Pay」が日本で開放されたとして、クレジットカードの国際ブランドのみならず、国内電子マネーも含めた対応が当初から行なわれるとみられるため、早期の展開に期待したいところだ。

Androidスマホを決済端末化する「Tapion」

ここまでiPhoneで「Tap to Pay」の話題を展開してきたが、Androidスマートフォンでも同様の試みが進んでいる。ただし国際ブランドごとに取り組みの名称が異なっており、Visaは「Tap to Phone」、Mastercardは「Tap on Phone」、JCBは「Tap on Mobile」といった具合だ。

ただ、ブランドごとにバラバラのガイドラインを制定するのは不都合があるため、PCI SCC(Payment Card Industry Security Standards Council)では「PCI Contactless Payments on COTS(PCI CPoC)」というテスト用の標準ガイドラインを制定して対応に当たっているようだ。

こうしたブランド主導の動きがあるなか、日本国内ではフライトシステムコンサルティングが「Tapion(タピオン)」の投入を発表している。TapionはAndroidスマートフォンを“タッチ”決済端末にするサービスだが、Android限定なのは現状まだ日本国内でAppleの「Tap to Pay」が開放されていないためだ。

Tapion」のサイトのトップページ

現在Tapionは国内3カ所でパイロット運用を行なっており、間もなく対象店舗を拡大、来四半期ごろには一般加盟店からの受付を開始する予定だ。同社代表取締役社長の片山圭一朗氏によれば、諸外国での動きをみて3年前くらいから準備を進めていたものの、さまざまな理由から準備に時間がかかったという。

1つは前述のPCI CPoCのルールで、1回の決済ごとに電文の監査を行なう必要があり、日本ではこれを可能にするセンターが存在しなかったため、独自で用意する必要があったという。

フライトシステムコンサルティング代表取締役社長の片山圭一朗氏

またサービスを提供する対象となる「スマートフォン」を検証する必要があり、この要件を満たす端末を「Tapion検定」という独自の認定制度を通じて紹介している。実はTapionより前にも実証実験レベルで「Tap to Pay」的なサービスを提供しているケースは存在していたのだが、対象機種が非常に絞られていたために実用性とはほど遠かったという問題がある。

これはAndroid搭載の機種が多く、検証の手間がかかるためで、iPhoneとの大きな違いでもある。片山氏は「実際に検証してみると分かるが、AndroidスマートフォンのNFC機能はカードエミュレーション(CE)しか想定しておらず、リーダライター(R/W)の動作が不十分な機種が少なからず存在している。条件を満たしつつ、4-5万円前後の普及価格帯の端末をTapion検定でラインナップさせていただいた」と述べる。Androidのフラッグシップ機は近年では10万円台前半から後半というケースも少なくなく、Tapionで目指しているような「高価な専用端末を入手しなくても手軽に決済を導入できる」という要件を外れてしまい、このあたりも選択上の難しさだろう。

Visaカードで決済中の様子
ペーパーフリーをうたっており、QRコードを読み込むことで電子レシートを入手できる

このほかサービスの提供にあたり、これまで同社が提供してこなかった「POS」機能を決済アプリに包含している。従来、同社はスマレジと連携していることが多かったが、アプリの性質を鑑みて標準機能として取り込む形となった。

ただ、実際に必要な機能を盛り込んでいくと思った以上に開発工数がかかり、それが前述の監査センター設置と検定作業も含め、リリースまで時間がかかる要因となった。「Tap to Pay」的な仕組みの提供で国内に不足していたリソースを先行で開発し、ノウハウを吸収したこともあり、逆にNFC Forumのような端末メーカーが多く加盟する業界団体に情報をフィードバックする形になっていると同氏は説明する。

いずれにせよ、Appleが「Tap to Pay」を推進し始めたことで各所での動きが活発となり、結果として他の端末メーカーや業界団体を刺激する形でAndroidをベースとしたプラットフォームにも波及、その結果として日本国内を含む小売での導入が加速する流れになるのではないかと考えられる。

Tapionで新たに開発されたPOS画面
各種割引対応や軽減税率対応などが機能として盛り込まれている

正直なところ、店頭の例えばレジで利用する端末への「Tap to Pay」の導入はナンセンスだと筆者は考えているが、その理由はタッチ領域が(特にAndroidの場合は)分かりにくく狭く限られており、物理カードも受け入れなければいけないからだ。他方で、レストランなどでのテーブル会計などに使いやすいという側面もあり、店内の全従業員に決済端末を持たせて対面での販売機会を向上させるといった使い方も可能だろう。

フライトシステムコンサルティングによれば、顧客へのヒアリングを行なうなかで「デリバリーなどにおいて、追加注文でのさらなる販売機会の増加に対応」といったプラスアルファの販売機会への活用も見据えているとのことで、当面の需要としては「決済端末を増やして追加の販売機会を狙う」といった用途への活用が中心になるのだろう。

国内SIerでシステムエンジニアとして勤務後、1997年よりアスキー(現KADOKAWA)で雑誌編集、2000年にプロフェッショナル向けIT情報サイト「@IT」の立ち上げに参画。渡米を機に2002年からフリーランスとしてサンフランシスコからシリコンバレーのIT情報発信を行なう。2011年以降は、取材分野を「NFCとモバイル決済」とし、リテール向けソリューションや公共インフラ、Fintechなどをテーマに取材活動を続けている。Twitter(@j17sf)